小説「一休さんと野盗弥太」 (書き下ろし新作)

翌朝、日が昇る前に、二人は、洞穴を出て、京に向かった。
 京までは約三里。急げば昼前には到着する道のりだ。しかし、案内役の弥太は、なぜかブラブラと歩いて、途中、実っているみかんなどをもいで食いながら歩いた。
「なぜブラブラしているのだ」と一休が聞くと、「おれは、せかされるのが嫌いなんだ」と弥太は答えた。
「それに、京に行ったら、おまえ、とっつかまって、殺されちまうんじゃないのか?」
「ない。京の街中では、奴バラも手は出せない」
「なぜだ?」
「だから、言うただろ。おれは、ミカドの血筋ゆえ、将軍も、表立っては手を出せないのだ」
「へ、抜かすぜ。まあ、いいや。いざとなって、勝ち目がないとなったら、おれは、逃げるぜ!おれをアテにすんなよ」
「ああ。しかし、それでは、おまえ、駄賃を取りそこなうことになるぞ」
「しかたねえ。命あっての物種だ。」
弥太は、昨日の一休の言葉を真似た。

 道中、何事もなく、二人は、昼前に、無事、京の町に着いた。
「さあ、着いたぜ。銭は、どこにあるんだ」
「そう急くな。おれも急かされるのは嫌いなんだ」
 今度は、一休が、弥太を真似た。
そして、大店が並んでいる通りに入り、しばらく物色している体だったが、やがて、ここだ、と目をつけた店の前に立ち、「待っておれ」と言い残し、すたすたと中に入っていった。
訳のわからぬまま、店の外で待っていると、小半刻して、一休が戻ってきた。
一休は、何も言わず、懐から、紐に通した銅銭の束を取り出し、弥太に渡した。
 弥太は、一瞬呆気に取られて、それから、銭を数えようとしたが、一休に止められた。「百文はある。懐に入れとけ!」
「坊主、こりゃあ、一体どうしたんだ!」
 一休は、答えなかった。
「くすねてきたのか?それとも腕っ伏しでか?こんな銭、見たこともないぞ」
 一休さんは、少し胸を張った。
「経をな、唱えて聞かせたのじゃ。字を書くこともある。」
「はあ?」
 しばらく、二人で黙って歩いた。
「はあ?」
 弥太は、なぜか、腹を立てたようだった。
「はああ?」
「うるさいぞ。静かに歩け」
 そして、また、別の店に入っていって、また、帰ってきた。
 今度は、何もよこさなかった。
「おい、弥太」
「なんだ」
「酒を買っていくぞ。酒を運べ」
「やい、坊主!」
「なんだ、弥太」
「おれは、おまえの家来ではないぞ!」
「酒だ。酒を呑みたくないのか」
「いや、そんなこたあねえけども」
「じゃあ、運べ。銭はおれが出す。おまえは酒を運ぶ。それでいいではないか」
「あ、ああ、まあ、そうだがな」
 弥太は黙った。
 一休は、慣れた様子で、一軒の酒屋に入っていった。しばらくすると、酒屋の小僧が、酒甕に油紙で封をして、縄で縛ったものを、大事そうに抱えて出てきて、弥太に渡した。

 当時、室町時代と言えば、一応、社会が安定し、貨幣経済が発達してきた時代でもあった。それは、室町幕府になって、おもに、三代将軍、足利義満が、本格化した、対中国貿易の成果だった。当時の大国、明に臣下の礼を取った義満は、多くの貢物の見返りに、大量の明銭を得、やがて、それが公定貨幣として流通し、それによって貨幣経済が発達したからだ。なぜ、自国の自前の通貨ではなく、外貨に頼ったのか?良好な貨幣を均一な品質で、大量に、鋳造する技術は、相当先進的なもので、日本では、なかなか良質なものができなかったせいもある。さらに、もうひとつの理由としては、農業技術の発達と新田開発により、米等の収穫量が上がり、非農業の職業が成り立つような経済的背景が整ってきたこともある。それにより、酒、着物、髪飾りなどの装飾品、刀剣や武具、陶器、鉄器、油などを中心に扱う商工業が成立してきた。それは、主に、富裕な貴族、有力な武士などを相手にしたものだったが、農作物や干魚などを生産者が引き売りをしたり、初期の市座が出来るなど、この、中国から大量に入ってきた明銭などを媒介にして、貴族からの需要に応える形で銭が出回るようになり、それにしたがって、大量の銭を蓄える商人などが誕生しつつあった。さらに、貨幣経済の発達は、嗜好品の製造産業などの発達も促す。鍛冶、陶器づくり、細工物、酒造など、専門的な職工など多彩な専門職も生まれて来たのが、この時代だったのだ。

 一休は、帰り際、また、途中の大百姓の家に入っていき、今度は、野菜を抱えて戻ってきた。
「ほれ。」今度は、くどくどと言わずに、弥太にそれを持たせた。
「やい、坊主!」
「なんだ、弥太」
「おれは、おまえの家来になった覚えはない、と言ったはずだ」
「当たり前だ。おれも、野盗など、家来に持った覚えはない。」
「おれはな、誰の指図も受けんのだ。何ごとも、己で決める」
「ああ、そのようだな、だから、今、おれは、おまえに、野菜を持てとは、言わなかったぞ。おまえが、己で、進んで、野菜を受け取ったのだ」
「うむむ」
「何事も、自分で決めればよかろう。それとも、荷が重くて、音を上げたのか?」
「何を戯けたことを。このおれ様が、これしきの荷で音を上げるはずがなかろう。軽すぎて、体が浮きそうじゃ」
「それならば、結構。」
 そう言って、一休は、また、後ろも見ずに歩き始めた。
 日が落ちる前に、庵についた。
 昨日帰って来なかった一休の身を案じた弟子や小僧達が大騒ぎしたが、一休は、「うるさい!」と言ったきり、あとは何も言わず、足を拭い、上に上がってしまった。

「いかん、灯明の油を忘れておった。」
 当時の一休の私邸とも言える庵は、さほど大きなものでも、豪華なものでもなかったが、洞穴暮らしの弥太には、やはり勝手が違うのか、板の間の上で窮屈そうだった。
「まあ、今宵は、月も明るい。月見酒としよう。いいな、大将」
 小僧が酒の支度をし、粗末だが、酒のアテもいくらか運んできた。
「呑め!」と言ってから、一休は、口を押さえた。
「いや、気が向いたら、一献呑めばよかろう。大将には、指図は禁物じゃったな」
「ふん!」弥太は強がってみせたが、やはり、居心地が悪そうだった。
 しかし、勧められて呑むうちに、すっかり気分がよくなって唄なども出るようになった。
 こういうふうに、一般人が酒を、大量に呑めるようになったのも、この時代からである。
 貨幣経済の発達で、造り酒屋を業とする店が生まれ、銭さえ出せば、いくらでも酒が手に入るようになったのだ。
 特に、公卿、上級武家など、銭を持つ、裕福な階級の多くは、それこそ、溺れるように酒を呑みはじめた。

「なんの唄じゃ、大将軍」
「知らん。おれの親方が唄っていたもんじゃ」
「察するところ、平家の唄じゃなあ。恨みの唄じゃ。おまえの言うことは、本当なのかもしれんのう」
「おれは、生まれてこの方、嘘をついたことはねえ。嘘をつく知恵がねえんだ。」
そうして、また、酒をあおるようにして呑んだ。
「しかし、坊主、禅寺では、酒も禁物ではねえのか?」
「ああ、そうらしいな。しかし、おれはいいのだ。」
「ふん」
「獣も食らうし、オンナもな」
 弥太は、目を細めた。
「おい、坊主!」
「なんだ」
「おめえは、嘘つきだな。坊主というのも嘘だろう」
「なんでもよかろう。おれとおまえが、命ながらえて、こうして、酒を呑み、肴を食っておる。おれが何者でも、坊主だろうがあるまいが、どうでもいいことじゃ。おまえの目の前にある酒は酒で、目の前におるおれがおれじゃ。」
 弥太は酔眼で、しばらく考え込んでいた。
「ふ~ん。おまえ、やっぱり坊主かもしれんなあ。おれと違って、口がうまい」

 そのあと、二人は、しどとに酒を呑み、弥太は、生まれてはじめて、部屋の布団の上で寝させられたが、慣れないことゆえ、あとで、どうにも息苦しくなり、夜半、そっと抜け出して、庭で寝なおした。

翌朝、やや遅く、一休が目を覚ますと、弥太の姿は、すでに消えていた。
「なんじゃ、もう居なくなったのか。」一休は一人ごちた。


 一休禅師は、足利義政とその妻、日野富子の仇敵だった。
 もともと、一休は、その出生から、足利将軍家とは因縁があった。
 一休の母親は、その名前も定かでない。なぜなら、一休禅師が、確かに、天皇家の血筋であるということが判明すれば、当時の将軍、三代足利義満にとって、非常に都合が悪かったからだ。
 義満は、当時、足利家の圧倒的な軍事力を背景に、野望を抱いていた。それは、天皇家の簒奪。
ここで、少し、足利将軍家の話を整理しておこう。
足利尊氏は、正史のとおり、滅亡した鎌倉幕府に替わり、天皇より征夷大将軍を拝命し、室町幕府を開いた。実質、天下は、足利氏が治めた訳だが、天皇を中心とした公卿の支配構造は、まだ、名目上の権威を残していた。名目上の権威などと言うと、何か実質がないもののように思われるかもしれないが、そうでもない。いかに、将軍家とは言え、当時は、封建時代。諸邦に有力な武士が領地を持ち、互いに勢力を争っている現状である。その中で、最も強力な軍事力を有する足利家が、天皇家からお墨付きをいただき、法度などの制定権を持つ幕府を開いたに過ぎない。であるから、室町幕府は絶対的な支配力を持つわけではなく、諸邦の豪族、武士の微妙なパワーバランスの中で成り立っている権力に過ぎないわけだ。一見、磐石な権力を握ったかに見える足利幕府でも、そうそう安心できるわけではない。そのパワーバランスを変化させるのは、つまり、天皇家を中心とした公卿たちの信託の変更である。幕府の支配者、足利家ですら、正式には、天皇家の警備隊長に過ぎない。
 しかし、三代足利義満の時代は、南北朝分裂の天皇家の混乱状態が、まだくすぶっており、それに乗じて、武力を持つ、足利将軍家の権力が安定、充実、最高潮に高まった時であり、義満は、それを背景に、自分の権力を一気に伸長し、天皇家をも支配しようという野望を持った。義満は、露骨な政略結婚、政治的圧力を駆使して、自分の娘を天皇に嫁がせ、幼い天皇の岳父に納まった。
 
その過程の中で、一休の母は、侍女の身で、時の天皇の子、一休を身ごもった。
 母親は、身の危険を察し、自ら御所を離れ、嵯峨の里で人知れず一休を産み育てた。
 多くの関係者が、一休の出自を知りながら、それが公にされることはなかった。
 6歳になったとき、一休は、強制的に禅寺に出家させられた。
 しかし、この処置は、むしろ、一休にとっては、幸運だったかもしれない。
 天皇の血筋であることが公になり、俗世にあり続けるということは、即、一休が、天皇家の後継者争いの渦の中に入ることを意味する。幼く、強力な後ろ盾もない一休が、無事に成人できる確率はきわめて低い。毒殺、暗殺、命を脅かす種は尽きない。まして、一休は、帝さえも恐れる天下人、足利義満にとって、きわめて都合の悪い存在なのだ。
 こうして、一休は、自分の意思とは関係なく、強制的に禅僧の道を歩まされることになった。やがて、一休を阻み、一休の運命を捻じ曲げたとも言える、義満は、野望の途中で、病死した。
 それは、一休が十五歳の少年僧の時だった。
 義満の死により、一休が命をとられる危険は、ひとまず遠のいたと言えた。
 一休は、その生い立ちのせいもあり、その後の生涯を、反権威反権力の高僧として、独特の活動、生活をして送ることになる。

一休が、まず、一番に憎んだのは、形式的な戒律だった。いや、正確に言うと、形式的に戒律を守ることで、僧としての徳を積んでいる、と得心する人間の卑しさを激しく否定した。
一休の師は、華叟と言って、謹厳な赤貧の僧だったが、一休は、義満が倒れたのち、義満の命によって、半強制的に入れられていた(つまり監視されていた)京の大寺を出て、琵琶湖河畔の華叟住持の寺に頼み込んで、弟子として再出発した。

 この時のエピソードが残っている、
 身一つで、華叟の寺に入門の願い出に訪れた一休は、華叟の手厳しい拒絶を受けた。
 寺社の庭先の砂利の上に、土下座をして頼むのだが、華叟は、一休に一瞥をすることもなく、無視した。
 朝から晩まで、呑まず食わず、その姿勢で何時間も、入門を乞うのは、それだけで、非常な苦行なのだが、若き日の一休は、それを三日三晩続けたという。夜は、琵琶湖のほとりに打ち捨てられている小船の中で眠り、また、翌朝、土下座をして、入門を乞うた。
 四日目の朝、土下座を続ける一休の姿を見て、華叟は、とうとう声を荒げた。
「おい、この、目障りな奴を、たたき出すのだ!」
 それを受けて、寺の弟子たち、小僧たちが、一休さんに水を浴びせ、背中を棍棒で散々に打ち据えたという。その時、青年僧一休は、亀のように、身をすくめたまま、ひたすらその打撃に耐え抜いた。
 とうとう、華叟の方が根負けする形で、入門を許すことになったという。
 このエピソードは、単なる、一休の根性物語という話ではない。
 まず、身一つとは言え、天皇家の血筋であることが暗黙のうちに知られている一休を
華叟が、拒絶し、ましてや、打撃まで加えた、ということに驚く。
 いかに、世俗の価値観とは一線を画した、禅寺とはいえ、この覚悟は、相当のものである。打たれるほうもそうだが、打つほうにも、もっと強い覚悟がいる。それを躊躇なく実行できる華叟だからこそ、一休が、師と見込み、心酔したのだろう。
 反権力、反形式主義。これが、一休が、禅の世界に求めた最も大事な原理原則である。
 そんな一休の目で見ると、京の、権力者たちをスポンサーに持ち、奢侈に耽る大寺は、いくら、外見を整えたとしても、それは、似非である。
 その点、京から離れ、琵琶湖のほとりに構えられた華叟の寺は、公卿や有力武士にスポンサーを求めず、もっぱら、琵琶湖の水運や漁業で財を成した商人や労働者からの寄進に経済的基盤を置いていた。が、しかし、当時の琵琶湖商人たちは、急成長であったがために、現世の利益確保に関心が集まっており、信心が薄かった。寄進、喜捨は、思うに任せず、華叟の寺は、絵に描いたような貧乏寺で、日々の食事にも事欠く有様だった。
 若き日の一休は、しかし、そんな困難な状況に置いても、むしろ、それを楽しむように、師華叟の世話をしながら、たびたび京の街に出て、におい袋を作る手内職などをして、金を稼いだ。
 自らの、出自を全否定されて、真の禅宗への道を指し示された一休は、迷いがなくなったのだろう。独特のスタイルで、一途に修行の道を歩んだのである。
 そして、時が経ち、一休は、壮年を過ぎ、破天荒ながら、徳の高い名僧として尊敬を集める存在となっていた。一休の書画、漢詩も大いにもてはやされた。

一休の前から、弥太が消えて、三月が経った。
 その間、気塞ぎな長い梅雨があり、開けても、気温が上がらず、冷夏となった。
 現代でも、冷夏は、農業に大きな影響を与えるが、当時は、もっと深刻である。稲も作物も実らず、苛酷な徴税も相まって、特に、百姓に、餓死者が、ばたばたと出た。
 もちろん、百姓だけではない。百姓は、当時の社会構造においては、富を生み出す唯一のインフラと言えた。この百姓たちが、ばたばたと倒れてしまえば、当然社会全体に支障をきたす。京には、田畑を捨てて、流れ込んでくる、乞食、流民があふれ、治安は悪化。さらに、衛生環境の悪化も手伝って、疫病がはやりだしていた。
 さらに、社会不安は、多くの騒乱を生み、京の都は、たびたび戦火に包まれた。

一休が、京の寺を捨てて、この山奥の庵に引っ込んだのも、その難から逃れるためだったのだ。
「弥太も死んだのだろうか?」一休は、時々、そんなことを案じたが、口には出さなかった。 
 都市、農村の崩壊は、もちろん、世相の荒廃をも生む。力のないものは、餓死したり、病死したりしたが、力のあるものの中には、盗み、強盗、人を殺して、金品を強奪しても生き抜こうとする輩も多く現われた。
 一休と出会った弥太も、そんな野盗の一人だった。
 野盗どもは、弥太のように、単身で人を襲う者も多かったが、中には、一族郎党で徒党を組み、正規の軍隊そのままに、武具を備え、集団的な戦法で戦うものもあった。また、最初は、無法者の野盗集団であったが、やがて、権力を定着させ、公卿から、守護職のお墨付きをもらう者までいた。まあ、つまり、武士と野盗との違いなどというものは、当時では、そのような程度なものだった。

 当時の世相については、もうひとつ、理解しておきたいことがある。それは、一休のいる仏僧の世界のことである。

 室町時代の支配層は、大きく言って、三つあった。
 一つは、天皇家を頂点とする公卿の支配。これは、平安時代に確立された律令体制に基づく官僚体制、統治体制に基づいており、これが正式には、日本全体の支配の構造だった。
しかし、その経済的な基盤となるべき荘園の管理権を公卿の下部組織である国司から、守護大名に奪われる事態が進んでいた。つまり、多くの公家、天皇家さえも、次々と徴税権を武家に奪われていく。これは、公家の経済的基盤の喪失を意味する。天皇=公卿体制は、権威は保ちつつも、衰退して行く過程にあった。
 そして、もう一つは、公卿から、全国の荘園や領地の徴税権を奪う形で、勢力をつけた武士集団。初期は名目上、公卿達の作った律令体制の中で、一種の用心棒、警備員といった地位に甘んじていたが、実質は、支配層の主役に躍り出た守護大名集団である。この猛々しい武力集団たちは、各地にそれぞれ領地を持ち、互いに拮抗状態にあったが、その中でも、最も軍事力に優れた大名が、天皇より、征夷大将軍という肩書きを拝命することにより、全国の守護大名に号令を出せる形で、幕府を開いた。だから、天下人と言っても、今で言う中央集権的な政府というよりも、むしろ、最も強大な武力を有する最大実力者という程度のもので、全国の守護大名に号令して、全て言うことを聞かせるという立場はまだ、確立できていなかった。

 さて、最後は、寺社、つまり、僧の世界である。
 この僧達も、一種の支配者集団として、確立していた。
 いまでこそ、寺社仏閣というのは、古色蒼然とした静的なものとして、捉えられているが、当時の寺社、特に、仏教というものは、いわゆる先進技術、科学、医療,社会制度など、世の中のあらゆる面で、優れたノウハウを、研究、提供、開発、啓蒙する機関として活発に機能していた。また、社会的には、天皇の律令制、武家の領地からも、超然とした立場を有している独自の支配層だった。これは、そもそも、古の平城京時代、仏教の日本本格デビュー時から始まる。日本に、仏教を公式に定着させたのは、吉備真備。そして、吉備真備がお膳立てする形で登場した渡来僧・鑑真によって、日本における仏教の地位は確立する。時代は、さかのぼるが、当時の朝廷は、政治、社会、あらゆる面で行き詰まりをみせており、その打開策として、超先進国・中国より渡来した最新の仏教の思想、技術、ノウハウを積極的に採り入れる国策を取った。つまり、神仏混交である。これが、今の日本人が、複数の宗教行事を抵抗なく採り入れる精神的な背景になっているとも言える。とともに、仏教界は、天皇制からも、武家からも、超然とした、一種の知的エリート集団としての特権的地位を得たのである。特権は、精神的なもの、制度的なものだけでなく、例えば、寺社の私有する私荘園の不介入権とか、私兵である僧兵による軍備権など、なまなましいものも含まれており、世俗的な意味でも、寺社は、大きな権力を有していた。

 天皇と平城京時代から続く律令制度を形式的集団的に守る官僚・公卿集団。武力により実質的に徴税権、経済を握る武家集団。そして、独自の先進的な思想、ノウハウ、技術を、武器に、公卿にも武家にも干渉されない独自の支配構造を確立する仏教僧界。その3つが当時の支配層だった。
 この3者の支配構造は、事後、信長の延暦寺焼き討ちなど、いろいろと変遷はあったが、結局、江戸時代まで守られた。

 一休は、その中で、一風変わった禅僧として知られていた。
 一休は、生涯無一物として、いつも、粗末な墨衣を着、家財を一切持たず、風そう水宿、つまり、居所を決めず、さまざまな場所に住み、気ままに出かけ、説法などを施していた、と言われている。禅宗の精神から言えば、むしろ、一休の行状のほうが、宗理に適っているように思われる。世にはばかるとは言え、皇統の血筋の一休なら、望めば、大寺の高位の僧正に収まり、多くの僧に仕えられながら、安楽に暮らすことも充分に可能だっただろうと思われるのだが、一休はそうはしなかった。ここに、一休の独特の人生観がある。
 一休には、世俗的な、権威、名誉というものに対して、終生、強い反発心が見られる。
 世が世なら、天皇になっていたかもしれない身だったのに、それを、物心つかないうちから、強制的に捨てさせられた。
それならば、いっそ自分は、世の世俗的な権威や名誉というものから徹底して超然とした禅の境地というものを究める道で、自己のアイデンティティというものを貫こう。という、一休独自の覚悟が彼の人生の各所に見られる。これは、一休が、少年から青年時代に、二度も、禁忌である自殺を試みたことからも窺える。捻じ曲げられた自分の運命を受け容れるのには、このような試練を経なければならなかったのだろう。
そんな一休であるから、世俗権力の代表、時の八代将軍義政、そして、その妻として、実権のない夫に代わって、権勢を恣にしていた日野富子に対する反駁は、熾烈なものだった。また、同門の弟弟子の禅僧で、上昇志向、権威志向が強かった養叟への批判も露骨で厳しかった。
後年、大寺の住持を任じられたこともあったが、一休は、それに甘んじることなく、ある意味、破戒的に、奔放に、しかし、何物も持たず、そして、それゆえ、それに縛られることなく、身分に捉われることなく、貴賎の別なく、禅の教えを説いて回った。
そのようなライフスタイルが、何百年かのち、当時の絵草子作者の創作を加えて「一休とんち噺」として、江戸庶民の人気者となる下地となったのだろう。

下帯一つの姿で仁王立ちの弥太は、川の中で微動だにせずに、川面を眺めていた。
「!」弥太は、無言のまま、川に両腕を突っ込み、リッパな鯉を摑み取りにして、暴れる鯉を岸に投げた。いきなり鯉を投げられて、慌てた一休は、しりもちをついた。
「なんだあ、坊主!来てたのかあ!」
弥太は、子供のように大声を上げて、うれしそうに笑った。
「いいところに来たなあ。坊主、今、大獲物をとったとこじゃ。」
「馳走してくれるのか。」
「ああ、この前は、酒を馳走になったからな。魚の一匹くらいは食わせてやるわ」
「ふん、恩着せがましいのう。こいつも、いつか死ぬ。いつか死ぬものを、たまたま今とっつかまえて、食らうだけのことじゃ。」
そして、一休は、石の上で跳ねる鯉に向かって、「成仏しろ!」と印度を渡した。
すると、不思議なことに、鯉は、静かになって、パクパクと口を動かすだけになった。
「ふうん、さすがに、坊主は、変な術を使うんだなあ」と弥太が覗き込んだ。
「術など使っておらん。たまたま、こいつが成仏しかけた時に印度を渡しただけじゃ」
弥太は、それに答えず、焚き火を熾し、鯉に太い枝を刺し、炙り出した。
「坊主も食えるんだろ。殺生ものだけどよ」
「ああ、食らうぞ。他の坊主はダメじゃが、わしはいいのじゃ」

そして、二人は黙って、鯉が焼けるのを待って、焼けた鯉を串から順番に食らった。
弥太は、上機嫌だった。
「どうだ、殺生はうまいだろう!坊主」
「味噌か塩があれば、もっとうまいぞ」
「持ってないのか?」
「これから京に調達に行くところじゃ」
「で、用心棒について来いってか?」
「命令はせぬ。誘いじゃ」
「ふん、おれが、おまえを殺して、身ぐるみ剥ぐことだってあるんだぞ!おれは野盗だからな!」
「おまえは、金目のものじゃなくば盗らんじゃろ。盗りたいものがあるんなら、今、言ってみろ。下帯でもなんでもやるぞ!」
弥太は、真剣な顔をして、一休さんを頭のてっぺんから、足先まで眺めていたが、ふと気を外した。「おい、坊主、その場で、跳ねてみろ」
「ああ?」
「いいから跳ねてみろ」
一休は跳んで見せたが、持っていた尺丈の金具がカランカランと鳴るだけで、金目の物の音がしなかった。
弥太は、目を細くして、それを見ていた。
「金品がないから、京に行くんじゃ、今日この頃は、京も物騒じゃろう。一人では心細いからのう」
「おめえのところにゃ若い坊主がいっぱいいるだろう?あいつらは連れて歩かんのか」
「あいつらは、経を読むだけじゃ。喧嘩となると、まるで作法がわからん。」
 一休は、面白そうな顔をした。
「おお、そうじゃ、弥太。たびたび、穴倉を出てきて、うちの若い者に、喧嘩の作法を教えてくれんかの。飯も銭も出すぞ。このごろは、本当に、物騒になっていかんからな。そうだ、それがいい!弥太!大将軍!うちの者に、喧嘩の指南を頼みたい!おまえが教えれば、京で一番の僧兵になれる。お前も、その指南役で、武士に取り立ててもらえるやもしらん。楽な暮らしができるぞお」
「そんなにうまく行くんかい、家柄もねえ、みなしごのおれをよお」
「この一休がなんとかして進ぜよう。この間、命を助けられた義理もあるでな」
弥太は、また、黙って、一休の風体見ると、また、黙って、目を細め、一層怪しげな顔になった。
「まあ、いいや、今日は、おれもヒマなんだ。お前の用心棒をやってやるよ。その代わり、京でせしめた金品は、全て山分けだ。それでいいだろ」
「おおお、大きく出たのう。それでもかまわん。わしが、今日、都で得たものは、半分おまえにくれてやるぞ。これで、約束が成立じゃ。では、まいろうぞ!大将軍!」

腹ごしらえもなった二人は、この前のように、おもむろに歩き出した。
しかし、今回は、近所の商家や大農家を物色するようなことなく、一休は、まっすぐに京の大通りの真ん中を、弥太をつれ、のんびりと歩いた。
すると、向こう側から、馬に乗った侍がやってきた。「これ!端を通れ!端を通れというに!」侍は大声を上げた。
弥太が背中の大刀に手をかけるのが見えた。
「まあまあ、そこの御仁、はやりなさるな。こんなことで、命のやり取りは、あまりに無駄じゃ、わしは、仰せのとおり、この橋を渡っておる。橋を渡れ、と御仁が言いなさるから。おとなしく従ったまでじゃ。なんぞ、文句があるのかのう?」
 この、のんびりした一休の物腰に、いつの間にか集まっていた見物人達がどっと沸いた。
すると、馬上の武士は、いささか居たたれなくなったのだろう、やや、憤慨した顔つきをしたが、それきり黙ってしまった。
「では、仰せのとおりに、橋を渡らせていただくぞ」そう言って、一休は、橋の真ん中を堂々と行き過ぎていった。
「ほんとに、口がうまいのう、クソ坊主は」弥太が追いついてきて、一休の耳元で囁いた。「ふん、修行のたまものよ」そう言って、一休も笑った。

そして、京の大通りの真ん中を悠々と歩き、ついには、なんと、橋を渡りきり、御所の正門までたどり着いた。その間、さしもの野盗弥太も気が気ではなかった。
「おい、坊主!ここはダメだ!ここは、その、帝がいるところだろ?」
一休さんは、いつもの、ぼろぼろの装束だったが、おっとりと、しかし、全く気遅れをしない風で、門番に、何事が告げると、なんと大仰な門が開いた。一休さんは、弥太に手招きをした。
「へ?おれが、野盗のおれが、御所に入る?帝のいる御所に?」弥太は、一瞬体が震えた。武者震いではない、怖くて震えたのだ。なんという坊主なんだ!こやつは!一体?
「早く来い!あ、いや、来るといいと存ずるよ。大将軍」
 呼ばれるままに、ふらふらと門の中に入ろうとする弥太の前に、門番が立ちはだかった。
「おそれながら」
「へ?」
「御所では、お刀をお預かりいたします。」
「へ?これを?」弥太は、背中の大刀を指差し、気おされたまま、それを外し、門番に渡した。門番は、弥太に傅きながら、白布を持った手で、うやうやしく弥太の大刀を押し頂くと、門の陰に持っていってしまった。
「お刀は、御所をお出ましになられる時に、お返しいたします。」
「お、おう」そう言って、弥太は、なんとなく体のバランスが取れないようなフラフラした足取りで、一休に追いついた。
「なんだか、刀がないと、間抜けだのう」一休がからかい気味に声をかけると、弥太は、いたずらっぽく目配せをして、懐に隠していた手裏剣をこっそり見せた。
「あはははは」一休は、高笑いをした。

 二人は、従者に案内されながら、さらに奥に進んだ。
 そして、御所の正面の玉砂利の中庭につくと、弥太が、ここで停められた。
「護衛の方は、こちらにお控えくださいませ」従者に言われるままに、弥太は、おとなしく、その場に控えた。
「おう、将軍、今日は、やけに神妙だのう」一休が、また、からかい気味に弥太に声をかけたが、弥太は、引きつった顔で黙ったままだった。
 一休は、弥太を置いて、そのまま、大きな庭を横切るかたちで、御所の建物に近づいていった。

「お出ましであるから、頭を下げよ」隣の従者が、弥太に言った。見ると、従者の男は、すでに、玉砂利の庭に頭を擦りつけて、這いつくばっていた。
(お出ましって?まさかミカドが?)まだ、事態を飲み込みきれない気がしたが、弥太も仕方なく、手と頭を地につけた。

 遠くから、坊主の笑い声が聞こえた。ちょっとだけ首を起こして、建物のほうを窺った。
 ぼろを着た一休は、縁側に近いところに正座して、御簾の奥の人物と、なにやら楽しげに話し込んでいるようだった。
御簾の向こうは、まさか、ミカド?まさかまさかまさか。
 
 半刻ほど、そのような時間が過ぎると、一休は、ゆっくり帰ってきた。
「おい、坊主!一体なんだってんだ!おまえは誰なんだ!」
 思わず、我慢できず、弥太がそういうと、隣の従者が、本当に本当に、肝をつぶしたように驚いて、二、三歩後ずさって、弥太の顔を睨みつけた。
「よいのじゃ、よいのじゃ、気にせんでよい」一休は、何ごともないように、手を振った。

 弥太は、それっきり黙りこんでしまった。
 一休は、しきりと弥太に話しかけたが、弥太は、上の空で、生返事しかしなかった。

 御所を出て、二人で、しばらく京の町を歩いた。

「さて、物乞いに回らねばな。お前に払う駄賃が出ない。」
「あの、坊さんよ。」
「なんじゃ、将軍。」
「お前さんが、話していたのは、一体誰なんじゃ」
「ミカドだよ。俺は、ミカドの親戚だからな。跡継ぎを誰にするか、相談されたんじゃ」
「!」
 弥太は、また、黙り込んでしまった。あまりに突飛な話なので、これは、本当のことなのか、それとも狐にばかされているのか、図りかねている風情だった。
「ミカドは、今、手元不如意でな、何もみやげはなかったからのう。町で物乞いをして帰ろうぞ。将軍よ。」
「……」
「ん?将軍、どうしたのじゃ?腹でも痛むのか?」
「ああ、あのな、坊主!」
「なんじゃ、弥太!」
「いや、あのう、坊主様。」
「だからなんじゃ、弥太よ」
「おれは、名前が欲しいんだ」
「名前?名前って、お前には立派な名前があるではないか!」
「そうじゃねえ。おらあ、武士の名前が欲しいんだ。野盗の名前じゃなくて、立派な武士の名前が欲しいんだ!なんとかならねえだろうか」
 一休は、弥太を値踏みするように、目を細めながら、見つめた。
「よし、いいだろう。この一休禅師が、お前に、武士の名前を授けてやろう。ありがたく受け取れ!……お前は、これから、野盗守弥太じゃ。野盗守弥太と名乗れ!」
「野盗守弥太?ふざけるな!そんな名前じゃねえんだよ、俺が欲しいのは!」
「んんん?何が言いたいのじゃ、よくわからんのう」
「だから、藤原のなんとか、とか、足利のかんとか、とか、そういう名前よ。それを、確かに、こやつは、藤原の何とかじゃ、と、ミ、ミ、ミカドに一筆いただきたいんじゃ!」
「なるほど、そういうことか」
 一休は、面白そうだった。
「つまり、こういうことか。お前は、今まで、あの穴倉にいて、獲物を獲ったり、時には、あの山道を通る旅の人を襲って、金品を奪って、暮らしてきたが、それも辛くなってきた。同じ、人から金品を奪うのでも、いつやって来るかわからない旅人を待つより、毎年、決まって決まった百姓から金品を奪えるようにしたほうがラクじゃからな。これを世の中では年貢という。だから、年貢を取れる領地を持つ武士になりたいと考えた。だが、今のままでは、その望みは適いそうもない。腕っ節は立つが、氏素性がわからない今のお前では、誰も相手にはしてくれんからな。そこで、お前は考えた、ミカドから、この者は、確かな血筋の武士じゃとお墨付きをいただけば、世間にも体面がもてよう、と。うむ。なかなかいい考えだ。少しは知恵がついたのう。えらいぞ、弥太。」
「……」
「そうして、うまく立ち回り、楽をして稼ぎたい。安楽に暮らしたい。誰もが考えることじゃ。いいだろう。今度、御所に行った時に、ミカドにお願いしてやろう。それで、満足か?弥太」
「……いいや。もう、いいや。」
「んん?どうした、弥太。お前の望みを聞いてやろうと言っているのだぞ。」
「だから、もういいや。」
「なぜだ?なぜ、ことわる」
「最初は、名前さえもらえれば、俺の願いがなんでも適うように思ったが、お前の話を聞くうちに、なんだか、面白い話じゃねえように思えてきた。」
 弥太は、急にしゅんとしてしまった。
「なんじゃ、そうか。やめにするか。それならそれで、仕方あるまい。」
「坊さん」
「なんだ、将軍。」
「お前は、意地が悪いな。」
「今さら、わかったのか。俺は、人一倍意地が悪いのだ。ひねくれて育ったからな」

 そうして、二人は、黙ったまま、歩き、この前のように、大きな商家や百姓家を回り、銭や食料を得た。

「なあ、坊主。」
「なんだ、将軍。」
「お前は、いんちきだな。」
 一休は、愉快そうに笑った。
「おれは、人から物を奪うのに、刀を使って脅したりしなきゃならねえが、お前は、なんかうまいこと言ったり、なんか書いただけで、せしめられるんだろう。」
「ああ、そうだ。」
「お前は、いんちきで嘘つきだ!」
「ああ、そうだ。俺は、いんちきで嘘つきだ。よくぞ見抜いたな。えらいぞ、将軍。」
「でも、どうして、皆、ありがたがって銭や物を差し出すのだ。その術を知りたい」
「弥太、人はな、本当のことばかり言われていては、一日とて生きていけないのだ。嘘を言われて、嘘を信じさせられて、はじめて、人は生きていけるのだ。俺は、その手助けをしているのだ。」
 弥太は、目を細め、非常に疑わしい顔をした。
「それも、嘘じゃないか?うまいこと言っているだけじゃないのか?」
 一休は、実に面白そうに笑った。
「よくぞ、見破ったな。なかなかすごいぞ。大将軍!」
ヒロN
小説「一休さんと野盗弥太」 (書き下ろし新作)
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