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ふせん
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少年よ、ベンチャーとなれ!!第0次産業で新しいニッポン、新しいふるさと村づくりを(第2編)

帰ってきた龍馬
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維新前夜、近江屋から突然姿を消して、以来140年ぶり、京に帰ってきた龍馬は松蔭の作った新しいイノベーション太陽光電気自動車に乗って、京都御所の「蛤御門」を通過しようとしていた。
「禁門の変」により、「倒幕」と「尊王攘夷」で国が二分、三分され、統治能力を失った政府(江戸)。国は、まさに内紛に突入しようとしていた。あの頃の「蛤御門」を、龍馬は思い出しつつ、今の悩めるニッポン、落ち込むニッポン、衰退するニッポン、消えゆくニッポンを肌で感じ取っていた。「違う。これが、ワシが描いていた維新のニッポンの姿ではない!!」

 大豆、米、木材、魚など「輸入」という「東京など首都圏を中心とした第4次的産業」の発達で、ニッポンの地方、ふるさと村の主力産業である第1次産業(農業、林業、漁業)がますます衰退に向かっている(第8章)。
 ニッポンの若者は東京を中心とした首都圏に集中し、ふるさと村は若者の消失とともに、働き手の人も学校も消えてしまった(第9章)。
 残された高齢者は、超高齢化へと進み、「老老介護」が「超老超老介護」となり、ふるさと村の医療、介護、福祉は、ますます負担が大きくなり、この先、一体誰がどのように、この超高齢者の医療、福祉、介護を行ってくれるのか?重大な社会問題に突入しつつある(第10章)。
 地球は人口増加により、世界の子どもたちにとって、水飢饉や水の汚染など、「水」が大きな問題となりつつある。一方、東京など首都圏では、水の質の低下により、国内外からペットボトルの「おいしい飲料水」を買うという。一方、おいしい魚や野菜、あるいは木材の大量輸入により、間接的な水(仮想水)をも、大量に輸入している。次世代は子どもたちにとって、飲み水だけでなく、稲作の水、野菜の水、森林の水、魚の水など、水の奪い合いという「水戦争」に突入する事態となっている(第11章)。
 ニッポンの経済成長とともに、トキ(ニッポニア・ニッポン)が、ふるさと村から絶滅し、かつて、江戸時代にはニッポンのどこでも見られたトキは、経済成長とともに野生から絶滅した。ニッポンだけでなく、世界の経済成長が乱獲や河川の水質汚染、森林伐採、地球温暖化を引き起こし、多くの生物が絶滅して、地球上から姿を消した。中国、インド、ブラジルなど、新しい経済成長の国の躍進が生物の絶滅に拍車をかける(第12章)。
 私たちが「ふるさと村で預けた」郵便貯金や地方銀行の預金あるいは税金が、東京一極に集められ、ふるさと村には「将来性のある成長産業がない」、「めぼしい中小企業からの金を借りる要望がない」といった、へりくつで、ふるさと村は、すっかり、お金が空っぽになってしまった。ふるさと村は「東京の第4次的産業と第5次的産業の利益」によって生活をせざるを得ない状況となった(第13章)。
 日本政府は約850兆円の国債を抱え、地方は約197兆円の借金を抱え、自治体の多くが赤字財政となり、日本中が借金だらけとなった。東京で集められたふるさと村のお金は、日本国債以外に米国債や国際的な金融産業のファンドに投資され、日本の中小企業には金が流れてこない状況となっている。日本銀行が、いかに環境やエネルギーや医療・介護に低金利で融資策を採っても、銀行の保守保身的な経営から見ると、日本の国債や米国債を買った方が余剰の貯金は安定であり、また、アメリカやヨーロッパのメガバンクの金融産業やファンドなどを買った方が、安定した「高利益」が得られる。ニッポンの東京のメガバンクと地方の金融も、「悩めるニッポンのふるさと村」、「衰退するニッポンのふるさと村」、「消失するニッポンのふるさと村」の「中小企業」などにはほとんど興味がない。あっても個人の住宅の融資くらいである。ふるさと村はお金が空っぽである(第14章)。
 このようにニッポンの資金が海外に流れるために、ひとたびリーマン・ショックなどのように、ドル基軸の資本金融社会が落ち込むと、ニッポンの国、全てが経済危機となる。アメリカの地価が下がれば、ニッポンの経済が落ち込む。アメリカの株価が下がれば、ニッポンの経済が落ち込む。アメリカの雇用が悪くなれば、ニッポンの経済が落ち込む。
 ニッポンのふるさと村の地価が下がっても、すでに織り込み済みであり、ふるさと村の経済にはほとんど影響はないのである。ふるさと村の産業は、世界の経済とも、ニッポンの経済とも、もはや関係のない離れ孤島であり、世界からも、ニッポンからも、置き去りにされているのである。
 最近、「国家資本主義」という「株式会社中国共産党」の躍進が目覚ましい。ニッポンの不動産も、観光も、技術・技能も、人材も、この「株式会社中国共産党」が「素晴らしい」と言って買ってくれるのである。この中国という国は、ニッポンがODA(政府開発援助)で援助をしている国なのに・・・である。ニッポンはもはや経済大国ではない。そう思っていないのは、東京の官僚と巨大企業だけである。いや、この巨大企業の経営者も官僚も、日本がもはやODAや国際協力銀行に資金立てするような国力がないということは知っていても、この巨大企業が第4次的産業、第5次的産業として世界で生きていくためには、自分たちの民間の資金では不足するため、官僚と巨大企業が手を組んで、ODAや国際協力銀行が行っているのかもしれない。
 ふるさと村の人々は、金もない、医療もない、福祉もない、教育もない最貧国だと思っている。しかし、なぜ、このような最貧国がODAや国連や米国債などに、私たちの税金が使うのだろうか(第15章)。
 第4次的産業と第5次的産業がある東京と、その周辺の首都圏は、何とか生きているものの、もはや地方のふるさと村は、アフリカや東南アジアの最貧国並みの社会となりつつあり、平城京遷都以来、活かし続けてきたふるさと村の素晴らしい資源を活かすことのできない今のニッポンは、このまま衰退から消えゆく国家になるのだろうか。

 龍馬はつぶやいた。「違う、ワシが長州で桂と話したこと、ワシが薩摩で西郷や大久保と話したこと、そして船の中で、船中八策を書きながら、後藤に話したこと・・・」「ワシが描いた維新のニッポンの姿とは違う!!」
「少年よ、ベンチャーとなれ!!」「そして、平成の『海援隊』を創ろう。もう一度ニッポンを洗濯・・・・・・・・・・」

 

目次 - 全138P

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