そして、消えた

 母を集合場所まで送り届け、列車に乗り込んだ由紀は、日帰りとは言え、ひとりきままに行動できる開放感を味わっていた。ここのところ、旅行と言えば、母に同行して、有料老人ホームの体験宿泊ばかりだった。いまだに母は入居先を決めていない。浅間山を望む大露天風呂の有る施設は、鉄道駅から遠く、部屋の段差が気になった。温泉付き新築住居型ホームは、泊まってみたら、同じフロアの夜間ケアの物音が気になり、晩秋であったが、一晩中暖房入れたままにするほどの冷え込みに検討リストから外した。プール、露天風呂、大浴場、病院とも廊下続きの施設は、希望する部屋の空きがなかったし、東京までの交通費がかさむのもネックになり、保留。入居金も手ごろ、東京からの交通費もまあまあ、要介護になっても面倒見がよさそうな温泉付きホームは、申込金まで払ったが、食事がまずい、温泉大浴場の洗い場が狭く、男女、要介護者入浴を4つにグループ分けしてタイムスケジュールを組み、入浴時間が制限されるので、結局キャンセルした。今日母が参加したシニアレジデンスは、温泉付きではないという以外ケチのつけようがないが、予算オーバーもはなはだしく、見るだけ で 終わりだと思う。

 やっと見つけた! 美しいカフェ! 「世界でもっとも美しい二十の書店」の画像をインターネットで見て、ぜひ行ってみたいと思っていたが、まったくネームバリューのないひっそりとたたずむ「海辺のカフェ」は二十のリストに組み込んで遜色ないブックカフェであった。作家が通いたくなるのもうなずける。家の近くだったら、毎日通うと思う。連日通うわけにはゆかないが、はじめて観た今日から、すでに、またすぐ来ようと決めた。レトロな雰囲気、セピア色のソファ、それでいてこざっぱりしている。打ち寄せる波、カーブを描く半島の緑、水平線、残照の影と光を映す雲、いつまでもみていたい。来る時に、意気込んでいた疑念を忘れそうだった。「先生は、よくブックエリアも利用されていました。」とのオーナーの言葉に、本棚の連なる部屋も見てみることにした。風通しと明り取りの小さな窓はあるが、本が日に焼けないように組み立てられ、本棚の支える柱も棚も 磨きこまれたつややかさが、にぶくひかり、装丁の美しい本たちが並んでいる。眺めているだけでうっとりする。

 この日を境に由紀は、美しい本たちに会いたい渇望に駆られ、 幾度となく 海辺のカフェ 
を訪れるようになった。

 母が「踊りの会」に出かけた後、洗濯物も干し終わり、紅茶を入れて、一息入れた。なにげなく、2年ほどまえに由紀が友人3人と参加した「新・決定版! スペイン8日間」ツアーのフォトブックを開いた。十月に入ってから訪れたので、紅葉を期待したスペインだったが、最初の観光地バルセロナでは、夏日の気温に上昇した。池に映るサクラダファミリア、眩しそうな様子でグエル公園ベンチに並ぶ友人たち、タラゴナの高台で地中海をバックに四人揃ってとってもらった写真、ラ・マンチャの風車、オリーブ畑の続くアンダルシアの車窓、アルハンブラ宮殿夜景、洞窟フラメンコ、ミハスの白壁続く街並み、セビーリア観光馬車、カテドラル黄金の塔からの眺め、コルドバでのメスキータ、最終日はマドリッド。、セビーリャの大聖堂でとった写真には、ガラスケース内に展示された「中世の書」があった。数百年の時を経たとは思えないほど、彩り鮮やかな精緻な工芸品のような書であった。旅の楽しさが蘇り、丁寧に見返した。



通いなれた 海辺のカフェ を訪れた あの日
 由紀は、書棚の一番奥の暗がりで目を凝らした。美しい装丁の分厚い書を見つけた。旅先のセビーリャのカテドラルのガラスケースの中に飾られていた中世の書にそっくりに思えた。なにげなく手にとり、しばらく眺めていた。どこかでこの古書を見たような気がする。カフェを訪ねた当初の目的、有名人突然死の謎のことは、ほとんど忘れかけていたが、マリー・キャンベルが専属モデルだったファッション誌「パリス」のグラビアが浮かんだ。書棚からパリスのスプリング号を探し出した。見開きのグラビアには、丸天井に天使の絵が描かれ、ステンドグラスの窓から差し込む光の中に、レースの襞が重なり合うゴージャスな純白のウエディングドレス姿のマリー・キャンベルが佇んでいた。眺めるほどに、ため息が出るほどモデルも背景のセビーリヤのカテドラルも美しい。よく見るとグラビアの左端に木製の丸テーブルがあり、そのうえに分厚い装飾の美しい本が映っている。いま見つけたこの分厚い本にそっくりではないか。よく見ると小さな鍵がついていた。
 パリスのグラビア写真と手元の古書を何度も見比べ、いますぐ古書の鍵を開けたい欲求に負けそうになりながら、古書を抱え込み、考えろ、考えろ、と己に必死で命じた。古書に張り付いたようになっている自分の手を自分で指1本ずつ剥がすようにして、古書を放し、猛然と帰宅した。
 帰宅した由紀は、あの鍵付き古書は、有名人突然死の共通項に間違いないと確信していた。連日 海辺のカフェ に通っていた 小説家 成瀬元就 は、古書を見つけて鍵を開けたのだ。モデルのマリー・キャンベルと写真家 パク・ヨウエンは、スペイン、セビーリャのカテドラルで、「鍵付き古書」に触れたに違いない。
 古書の鍵を開ける前に準備をしなくては、と由紀は思っている。なにしろ3人も死亡しているのだ。由紀は、有名人ではないが、死ぬかもしれない となれば、なおさらである。突然死の共通要因に違いないが、どういう作用で、システムで動いているのか、どのような影響があり、なぜ死に至るのかまったく不明なわけで、自分の手を放すのにさえてこずるほどの吸引力のある古書、すでに死のカウントダウンは始まっているかもしれない。鍵を開けるまでは何もおこらないと、どうして言えよう。40年以上も役所を勤めあげて、無事定年退職したごく平凡な一般人としてこの世にさよならするのか? 何かしらで有名人となり、突然死するのか? まだ鍵を開けていないから、なにもおこらないのか? 
 このまま何もしないで、古書をあきらめることは、できない。これまでの人生、大きな波乱はなかったけれど、小さな数々のしあわせに恵まれ、穏やかに終わることに、抵抗も不満もなかった。振り返れば、よき人生だったと思う。十分人生を愉しんだから、いますぐ死神が迎えに来てもかまわない。親しき人々が逝くたびに、あの世への垣根は低くなっていた。元気ではあっても、年老いた母より先に逝くのだけは、気がかり。考えが及ぶ限りの準備をして、鍵を開けよう。




21世紀地球暦2015年早春
 すえ は、時計を見上げ、テレビのチャンネルを合わせ、音量を上げた。司会者の紹介で、由紀が わたしの娘の由紀が、現れた。
「森田先生は、女子高生からサラリーマン、年配の方々まで、幅広い方々に大変人気のある占い師でいらっしゃるわけですが、~」
そうなのだ、いまや娘の由紀は、人気絶頂の占い師なのだ。神か仏か占い師か、この苦境から抜け出せるなら悪魔に魂を売り渡してもとまで思いつめ、森田由紀に悩みを打ち明けると、目の前が開け、明るくなり、解決に導かれたと、まさに救いの巫女 であると口コミが瞬く間に広がり、各テレビ局から出演依頼がひきもきらない騒ぎとなった。
 すえ は、由紀が同行できず、ひとりでバス見学会に参加した世田谷の超高級シニアレジデンス 夢の里 に入居していた。自己資金の不足分は、気前よく由紀が補ってくれた。大勢のスタッフが手厚く面倒をみてくれ、趣味のサークルもいろいろ、季節のイベント、体力気力維持ミニ講座等、結構忙しい。食事もおいしい。栄養士のたてたヘルシーメニューだが、料亭並みに彩りも品数もある。天井が高く、大きくとられた窓、庭を眺めながら、朝食をとり、ホテルのようなラウンジで新聞を読む。きょうは、水曜なので、午前中は、俳句サークルに顔をだし、昼食後は、ジムで指導員のもと、水中歩行。夕食後自室で、テレビを見ている。


地球暦2015年秋
 シニアレジデンス 夢の里 施設長 迂会常蔵は、笑顔を絶やさずやわらかに話すことを常に心がけていた。老人ホームでの勤務が長くなるにつれ、心がけて実行していたことは、習慣化し、意識しなくてもできるようになった。入居者遺族を前に、この習慣がでないよう、顔の筋肉が緩まないよう、表情を作っていると思われないよう、死亡の責任が施設側にないことを伝える作業に必死だった。幸いなことに、亡くなった入居者は、いずれも多数の人が倒れた時に見ており、救急車で搬送されて、病院で死亡が確認されたことだ。居室での単独死では、なかった。医師の診断も「老衰による多臓器不全」であり、入居年数が短かったので、返戻金も高額なこともあり、遺族からのクレームは出ていない。それにしてもと、迂会は、立て続けに6人も亡くなったことを 偶然 と思ってよいのだろうか?と口には出せない疑問に逡巡する。「夢の里」は、入居時「自立」(要介護や要支援でないこと)が要件のひとつで、入居前健康診断書も提出してもらい、入居してからも、 定期健診を受けてもらっていた。亡くなった6人にも問題はなかった。健康寿命が尽きるとともに生物寿命も尽きたわけで、平たく言えば「ある日ポックリ死んだ」のは、本人たちにとっては望むところだったと思う。長生きはしたいが、寝たきりや、ボケ(施設長 迂会は伯父、伯母に「認知症」と言うように、そのたび注意していたが。)にならずに、元気でポックリ死にたいという声は、入居者や高齢の伯父、伯母から、年中聞かされていた。
 九月から十月にかけて、バーサン・ファイブ・シスターズ全員 高名な占い師森田氏の母親、6名とも平均寿命以上を全うしての逝去であった。厚生労働省は 平均寿命に健康寿命を追いつかせたいと健康維持政策に力をいれてゆく方針と敬老の日間近にニュースがあったが、6名はそれを実践したお手本のような死に方であったと思う。
 バーサン・ファイブ・シスターズは、「夢の里」趣味の合唱サークルメンバーの中から、八十七歳から九十二歳の5名で作ったアカペラグループだった。当初は施設内や他の老人ホームのイベントで舞台に立っていただけだったが、張りのあるつややかな声とアルトからソプラノまで音域の広いハーモニーに 目を瞑って聞けば、アラフォー女性グループを思わせるほど、瑞々しいのだった。敬老の日関係のイベントにあわせ、テレビにラジオにと出演が続き、全国の老人ホームからもオファーが殺到して、沖縄まで遠征公演に出かけ、舞台が終了して楽屋に引き上げるときに、次々に倒れたのだった。2名は、那覇市内の病院でその日のうちになくなり、残る3名は家族の希望で応急処置をほどこし、容態安定したところで、東京の病院に移送したが、1週間と経ずして、亡くなった。個々にみれば、年齢から考えて、亡くなってもまったく不思議ではないが、同じグループ全員がほとんど同時期、死に至ったため、マスコミ報道もあり、かなりの騒動となった。迂会は、施設長の立場上、警察とも医師とも話し、わかりやすく言えば、エネルギー切れ、オーバーヒート状態、老衰が突然襲った稀有な死亡との認識で一致した。年齢から考えれば、いつ死んでもおかしくない。むしろ、年齢の割りには、アクティブ過ぎて、その「つけ」が突然やってきた。アクティブさが稀有なので、死亡がめずらしいのではない。 
 島田すえ、占い師森田由紀の母親のほうも、80過ぎからの趣味となった俳句が入居後から急激な上達をみせ、朝比奈新聞投稿欄にも掲載され、句集を自主出版したばかりだった。旅行好きの すえ は、由紀から 米寿のお祝いに 豪華客船 飛鳥 の 日本一周クルーズをプレゼントされ、船が横浜港に戻った日、「夢の里」で夕食に降りてきたときに倒れ、緊急入院して帰らぬ人となった。十月のことである。

 


十五夜
作家:K
そして、消えた
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