そして、消えた

 ジャケットとネクタイを椅子に無造作にかけて、何時間もパソコンに向かっているワイシャツ姿の河野晴夫の目はくぼみ、隈が出来き、全身から疲労がにじみ出ていた。
 連日残業までして、山内先輩のパソコンにハッキングを試みている。自分に与えられたパソコンにはない秘密の情報が山内さんのパソコンにはあるのではないかと…・・。
 

21世紀地球暦 2014年晩秋
 終点の車内アナウンスが流れる中、次々と乗客が降りてゆく。入口近く窓際席に男性が一人うつむいて座っている。声をかけようかと迷ったふうな視線を投げかけながらも乗客たちは足を止めることはなかった。
 カシミヤのコートが黒の深みを品良く際立たせている。車掌は、終着駅恒例、残っている乗客に声をかける。が、返事がないので、そっとコートに手を触れながら、再度呼びかける。男性客が前倒しになり、思わず車掌は支えた。この乗客が死亡していると気づくまで、わずかな間であったと思うが、あとで考えてもよくわからなかった。それほど思いがけない予想外の出来事であった。



 あの日から日本小説大賞受賞まで、成瀬は実に精力的に書き続け、自分でもたっぷり成果の上がる仕事に充実感を味わった。受賞パーティーからの帰路、突然立っているのもシンドイくらい疲れが襲ってきた。
 どうやって家にたどり着いたかさえ覚えていなかった。食欲も落ち、人に会うのも億劫だった。日がな一日呆然としたまま引籠もり、息だけはしているような日々が続いた。
 なにも感じられず、きょうが何日かもわからず、ただ時が過ぎてゆく。しんしんとした冷えに久しぶりに気持ちに張りが戻った。外は白いものが舞い降りていた。降り続ける雪を眺めるうちに突然「小樽の冬の海」に惹きこまれるような焦りにも似た想いが湧き上がった。

 特急寝台列車「北斗星」に身を横たえた成瀬は、車輪の音とレールの振動に沈み込むように眠りつづけた。
 列車は、函館で夜明けを迎えていた。昔、十一月の初めに北斗星に乗車したことがあったが、雪景色には早く紅葉には遅く、なにもない殺伐とした北海道との前触れに反し、盛りを過ぎようとする紅葉に間に合ったことがある。函館を発車してすぐ、大沼を通るのだが、食堂車で和食に舌鼓を打ちつつ、右をみても左をみても紅葉の樹々と湖のコントラストに言葉を失った。このときは、札幌市内の北海道大学も植物園も大地を赤と黄色の葉が覆いつくし、樹々も彩りあざやかで、期せずして最高のもみじ狩りとなった。晩秋の思い出に包まれたせいかコートに降りかかる雪ひらを払うこともなく札幌で小樽行きに乗り換えた。海岸沿いに走るころ、窓ガラスの曇りを拭う。車窓に舞う雪は、ガラスにあたって消える。どんよりとした空を映して海は暗く深い色に揺れ、岩に砕ける。
 凍てつく海に魅入りながら、きらめく海を眺めてコーヒーの香りに寛いだあのカフェを思い出していた。
 


   最初に通りがかったときは、すぐにはカフェとは気づかなかった。通りからカフェのエントランスへは、花々が導き、ドアを開けると、暗い廊下の先に、海が眩しく広がっていた。廊下の両サイドは、天井から床までの造り付けの本棚で、びっしりと本が詰まっていた。カフェのエリアは、どの席からも眼前に海が輝いていた。
 そのカフェは、客が選ぶのではなく、マスターお任せのメニューがあるだけだ。
 一度目は、帰宅の道すがら、コーヒーを飲んだ。夕日がオレンジ色に海に霞み、見ている間に沈んで、一気に暗くなった。次は、朝散歩に出たとき、パンの焼ける香ばしさに惹かれて入った。焼きたてパン、フレッシュジュース、フルーツ、グリーンサラダ、カリカリベーコン、目玉焼きの朝食を平らげ、おかわりのコーヒーを飲みながら、新聞を広げ、ノートパソコンを持ち込み、いつの間にかほとんど仕事場にしていた。ランチに 鱈子パスタとサラダ、3時にマスター手作りケーキと抹茶、夕食にビーフストロガノフといった具合に1日中カフェで過ごしているときさえあった。
 物書きを生業とする成瀬にとって、ブックカフェは、大いに役立った。オーナーよりも蔵書を把握しているかもしれない。かつては、新聞の連載も手がけ、そこそこ名の知られた作家との自負もあったが、最近は、大学講師の報酬のほうが勝っていて、随筆等は、書いているが、まとまった作品は書けていなかった。
 あの日、
海からの風は塩気を含んで、重く体に当たる。カフェのドアを抜けた途端、温かさに頬が緩むんだ。あれは、ほとんど毎日通うようになって、3ヶ月くらい経った春先だったと思う。カフェのエントランス前の花壇に咲いた水仙が揺れるたびに香りを漂わせていた。いつもの席にパソコンを広げたものの筆が進まず、本棚エリアをあてもなく眺めた。一番奥の暗い書棚が気になり、目を凝らした。初めて見る古書だった。広辞苑より厚さがあり、ほこりを掃うとルーン文字と思しき解読不明の表紙が現れた。開こうとして鍵穴に気がつき、「しおり」がはみ出しているように見えた紐先に鍵が結ばれていた。鍵を指すと 音?というか 声が聞こえたような気がしたのだが、手のほうが先に鍵を回していた。
 あとから思い出そうとしても鍵を回した後、「まぶしかった」という記憶以外残っていない。読んだ覚えはまったくない。中身は不明のままだ。
 だが、あの日から、書きたいことが降るようで、筆が(PC入力が)追いつかないくらいだった。書いたものは、すべてベストセラーとなった。
 日本小説大賞受賞決定に、誰もがむべなるかなと納得し、大手出版社主催の受賞記念パーティーは、誠に盛大であった。

 JR函館本線終着函館駅で発見された男性遺体の件は、翌々日の朝刊に掲載された。乗客の手荷物の中に明海出版社差出封筒があり、宛名から男性の身元が判明した。「日本小説大賞受賞作家 成瀬元就氏 逝く」の見出しのもと、警察コメントとして「外傷は見受けられず、事件性の有無について調査中」と報じられた。


 寝転んで新聞を広げ、三面記事から読む。森田由紀の休日の愉しみのひとつだ。この習慣を由紀の母 すえ は快く思っていない。目の前で、娘が、というより、いい歳をした大の大人が、テレビを見るにも、新聞を読むにも、朝夕四六時中ごろごろ寝転がっている姿は正視に耐えない。由紀が定年退職を迎え、毎日が日曜日になり、正視に耐えない光景が連日となってしまった。小言もいいたくなる。
 由紀は母の小言から逃れ、自分の部屋でパソコンにむかっていた。新聞報道の日本小説大賞受賞作家が死亡したという記事がなんとなく気になり、ネットで検索をかけた。「突然死」のキーワードからは、小説家 成瀬元就 だけでなく、フランス人モデル マリー・キャンベル、写真家 パク・ヨウエン など世界的著名人の死亡記事にたどりついた。いずれも活躍の真っ只中、突然、原因不明で死亡している。単なる偶然だろうか?共通するのは、有名人と原因不明の突然死だが、関連性はないのだろうか?

 毎日が日曜日の由紀は、漠然とした疑念ではあるが、気にかかり、図書館で調べてみることにした。まず、ファッション誌「パリス」にマリー・キャンベルのグラビアを見つけた。スペイン、セビーリャのカテドラルで撮影されたものだ。中世にタイムスリップしたかのような大聖堂の風情がモデルの憂いを含んだ華やかさを引き立てていた。カメラマンは、パク・ヨエンだった。次に週刊エクスの最新号で「有名作家の謎の突然死を扱った」記事を見つけた。双方の記事のコピーを手に入れて帰宅した。

 
十五夜
作家:K
そして、消えた
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