コンピューターの罠

まえがき( 1 / 1 )

 人を惑わし、夢中にさせる機械があります。

 電動式パチンコ台のことです。

 人の思いをいつもすり抜け、千変万化、多々、驚きのたちい振る舞いで人に迫っては、確実に人の上前をはねていきます。

 人にとって捉えどころなく、かなり手強い動きをします。

  ところで、電動式パチンコ台と言えば、ハンドル部分と言わず、いたる所、コンピューターに繋がるコードと電子基板で溢れています。まるで、コンピューターロボットの形そのものです。

 そこからすると、電動式パチン台の人を夢中にさせ、手強い振る舞い方は、単純に機械的動きというより、コンピューターのプログラムからくるのではないでしょうか。

 どのようなプログラムを書けば、そのような振る舞い方をするロボットが可能になるのでしょう。

 けれど、電動式パチンコ台という機械は、その見た目にかかわらず、おおく、コンピューターロボットとすら言われていません。

 巷、電動式パチンコ台の動きは、ほとんど運や偶然として片付けられています。

 それは、本当のところ、その調子の変化など、盤面がどのように制御されているか雲をつかむような感じで、人は考えてみるすべのないところにあります。

これがコンピューターロボットとすれば、人はハンドルを握る前から、すでに、このロボットに大きく後れをとっており、事にあってはそのロボットのなすがままです。まったく、人の上を行くかのようなロボットです。

 人にとってとらえがたい振る舞い方に、電動式パチンコ台のロボットとし

ての核心があるようです。

 この機械が、ただの機械なのか、ロボットなのかは、ものの考方、対応の

仕方でたいへんな違いが出てきます。

 本書では、電動式パチンコ台が、どのようなプログラムで情報を処理し

己の正体を見せず、人を巧みに惑わす振る舞いに及んでいるかを明らかにし

います。

 チューリップが開く手動式パチンコが続いている頃、時代はとうにコンピューター化の時代に入っていました。熟練者の技能さえ必要とせず、集中制御、集中管理のロボット工場ようなものが次々と造り出されていってました。パチンコ台とて、この様な時代の流れの例外たりえません。

 パチンコ台は基本的にはパチンコ玉の弾き方ですから、そのロボット化は、そんなに難しい技術ではありません。けれど、パチンコ台をロボット化するには、別の大きな問題があったのです。

人にすぐ飽きられるようでもなりませんが、何よりも、そのプログラムを人にたやすく読まれて、その先行きを予想されてもならないのです。

ただ、パチンコ玉を正確に制御するだけのロボット化なら、やらないほうがましです。見え見えのプログラムを組んだロボットというわけにはいかないのです。

電動式パチンコ台は、その姿、形どおり、盤面に飛び出るパチンコ玉の一発一発から、役物の動き方、出玉の流れまで、何もかもコンピューターが制御できるようになったロボット機械と、私は捉えています。オールマイティに盤面を制御できるコンピューターロボットです。

  明らかにすべきは、そこから先のこのロボットの緩急に富んだ振る舞い方です。

 アシモ君のように、動き回るロボットは、その時々、周囲からリアルタイムに情報を摂取して、自らを最適に自動制御して動いています。

 電動式パチンコ台というコンピューターロボットも、何らかのパターンを単純に表現するだけの簡単なロボット機械ではなく、リアルタイムな情報に基づいて自動制御するロボットと言えます。 

 そのようなリアルタイムな自動制御ということに、このロボットの、多々、人を驚かす大胆で、捉えどころがなくなる振る舞い方の秘密があります。

 盤面の思いもせぬ急な調子の変動、何かと変わる手ごわい出玉の流れは、たいがい、それらリアルタイムな情報に基づいてコンピューターがその時々決定しています。

 そこで、電動式パチンコ台とは、いかなる情報空間を動き回るロボットなのか、何が有効な情報となっているか、それはどのように処理されているか、ということを知る必要があります。

 そこで、初めて、この電動式パチンコ台とはどのようなロボットなのか、その本当の姿、形が明らかになってきます。

  それとともに、日頃、電動式パチンコについて抱いていた疑問から、考えてみなかった謎めくことまで、悉く氷解していくのを感じるはずです。

 何故、電動式パチンコは、ある日いともたやすく勝てるようでも、のめり込んで続けると、結局、手ごわくなって負けが込んでしまうのか、何故、かなり、いつも玉は気易く出てくるようでも、その後どうして、その出した玉を無くしてしまうことが多いのか、

 何故、電動式パチンコは、知れば知るほど調子が難しくなってくる、と言われ、実際本格的にやり辛くなるのか、手動式パチンコの時代のパチプロが、姿を消していったのは何故か、電動式パチンコ台で勝てる時は、繰り返しスムーズに、淀みなく勝てるようでも、確立した方法なり、やり方が出てこないのは何故か、電動式パチンコ台の現すパターンを、何故、人は読めなくなってしまうのか、等等、

  全ての現象は、このロボットのプログラムが産みだしていることです。

 人が結果として感じ、思うであろう多くのことが、ありのまま、そのプログラムに書かれているはずです。

 運や偶然としてではなく、このロボットの動きを捉える観点を人は得ることができるようになるでしょう。

  さらには、ミクロな盤面の変化から、マクロなパチンコにまつわる社会現象まで、そのプログラムの内容から、一連のこととして、自然な流れの中で考えていくことができるようになるでしょう。

 己の正体を人から隠し、人に対抗するようにプログラムされた、このロボットの本当のことを知ることは、また、そのようなロボットと初めて真摯に向き合っていくことにもなります。

  本書は、わたしの実際のパチンコの体験記として書かれています。

 右のような考えに至るようになった契機から、電動式パチンコ台を制御するコンピューターが、どのような情報を、どのように処理しているのかということまで、実際の盤面の展開をとおして詳述しています。

 もし、人が電動式パチンコ台を、そのようなロボットとして捉えるなら、場内の全台を集中制御、集中管理し、人を罠にすら嵌めようと試みるコンピューターの圧倒的力を目の当たりにするでしょう。

 

目次( 1 / 1 )

目次

         

 

 第一章 盤面の迷宮

 

 第二章 意識下の回路

 

 第三章 間合いなき罠

 

 第四章 洗脳の構図

 

 第五章 影なき采配      

  

 

第一章 盤面の迷宮( 1 / 10 )

 

 

 

 その日、わたしは、昨日に続き、横浜の菊名にある新装開店まもないパチンコ店に入った。

 客は、もう、開店前から店のシャッターの前に並んで、すっかり取り憑かれた連中をはじめ続々と入りだしている。

  平日にどういう連中だという自分を棚に上げた何時もの思いもそこそこに、わたしは零ファイターの島に迷いもなく向かった。

  零ファイターという機種に、わたしは、最近、すっかり病みつきになった。暇ということになれば、まずはパチンコ、そして零ファイターという意識状態だ。一度ならず夢に出てきたことさえあった。

 パチンコ台が、それまでのパチンコ玉を一発、一発指で弾く手動式からモーターで玉を弾く電動式に代わって、人気を博しだしたのが、この零ファイターという機種だった。

 盤面の役物の中心に、ゼロ戦の戦闘機が据わっている。

 パチンコ玉が一発、盤面のVゾーンという所に入りこむや、ゼロ戦の長い翼が、次のVゾーンに入るまで連続的に十八回まで開閉し、それが八回まで繰り返される。

 それまでのチューリップが開いたり、閉じたりする手動式パチンコ台からすれば、驚嘆する盤面の動き方である。

 零戦の役物が始動して一挙に出る玉の量も、雲泥の相違がある。

 けれど、わたしはこの菊名のパチンコ店に通いだすまで、その零ファイターという機種のハンドルを握ったことがなかった。

 戦記物の読みすぎかもしれないが、心理的に引っかかった。

 そんな零戦が、こんな節操のない所に出てきていいのか、という感じだ。

 しかし、パチンコをしていれば、しばしば誰でも直面するが、どの台も、この台も、まったく調子が出ない時があった。その時、わたしがその零ファイターを試しにやってみると、何故か零戦の翼は活発に動きむやみに調子よかった。

 その後も、たびたびそんな具合が続き、その零ファイターの調子強さに誘い込まれるように、ほどなく、わたしは、零ファイターの盤面にすっかりのめり込んでいった。

 三々五々、客のつきだした零ファイターの島にわたしは割り込んだ。

 ギュン 、ギュン

  鋭い電子音、盤面の光の明滅、

  玉を買いハンドルを握るや、ゼロ戦は盛んに翼を広げ期待どおり調子いい。

  なにか、待ってました という感すらおぼえる。いやおうなく眼前の世界に強い期待がわきあがる。

  が、さすがに、翼に弾かれた玉は、ゼロ戦の役物の斜面を転がっても、おいそれとは、真ん中のVゾーンの穴に転げ落ちない。左の穴に転がり、右の穴に入る。

 見た目、弾み踊るパチン玉に、いつ真ん中の穴に転がってもおかしくはないと、盤面に飛び出す一球、一球に、ついつい感じたりするもののなかなかだ。

 パチンコ店に入ってハンドルを握り、何時、最初のVゾーンに入るかは金のかかり加減の重大な問題、最も苦労する思いだった。たまに、すぐ、Vゾーンに入る時もあるが、しばしば、どうにもVゾーンに決まらない。ゼロ戦の台を替えてみても、おうおう同じ具合が続いたりする。ひたすら元手を次々減らしては玉を弾くことになる。この金が、しばしば、取り返しのつかない額になり、深刻な思いが始まりだす。

 がっ、勢い込んだ思いに疑問が懸かりだしたころだった、いきなり、盤面の一発のパチンコ玉が、翼に弾かれたとみるや、コロコロと役物の斜面を転がり、見事、真ん中のVゾーンに入った。

 疑心暗鬼、先の展望を見失いかけたやさき。やっぱり零ファイター、また、期待がよみがえる。

 ギュルン、ギュルン

  盤面いっぱいに溢れる光の明滅、心に刺さる電子音、 翼は、十八回の連続開閉にうつりだした。

  勢いよく玉はゼロ戦の翼に弾かれ、役物の斜面を転がっていく、が、なかなか再度Vゾーンに転がらない、役物の小さいガラスの突起ある斜面を転がっては、微妙に右にそれ、左にそれ、どうにも真ん中の穴に入らない。翼の開閉は十八回目の終わりに近づく、

 あっけなく終わってしまいそう、成り行きにわたしは焦りだした。せっかくVゾーンに入っても、先行きの展開になお気は休まらない。が、その懸念も、なんのその、玉は、再びコロコロと銀色の鈍い光を放って斜面を転がり、うまくVゾーンに落ち込んだ、

 一回しか続かないのでは、やっとこさのVゾーン入賞もどうにもならない。打ち出していく玉が少し増えるぐらいのもの、せっかくの入賞に諦めがたく、またすぐ玉を注がねばならない。わたしは、ひとまず安堵した。さらに翼の開閉の一からの始まりとなる。

  ギュルン、ギュルン

 盤面はますます勢いを得たか、むやみと役物の中に玉が入っていく。こうなると、まるで生き物のよう、これでもか、これでもかと、ひたすら調子強くなる。心は、もう、すっかり光の明滅、脈打つ電子音のままだ。

  ギュルン、ギュルン

  今度は、たちどころにVゾーンに玉が転がりだす、さらに、二度、三度と翼が玉を役物の中に放り投げては、また、Vゾーンに入った。まるで、もう、あらゆる調子の波がそろった感じだ。

  ギュルン、ギュルン ―、

第一章 盤面の迷宮( 2 / 10 )

 さらには、翼の連続開閉中、めったやたらとアクション釘の間を玉がすり抜ける。そこに玉が入っても出玉が僅か増える意味しかない。翼に拾われた玉は出玉が十五個だが、そこは出玉が五個にすぎない。アクション釘の間には、しばしば玉が良く入ったり、なかなかだったり、調子の波に苦労する。が、もう、ためらいも見せず、この際、次々玉がすり抜けていく。かって気まま、何もかもあらん限りの調子良さだ。ちょっとした不思議、が、深くは考えない。ひたすら、玉が出るか、出ないか、いいか、悪いかだ。盤面世界の満願、初っ端の疑念など、影も形もない、うさの一切が飛んでいく。それにつれ、ジャラ、ジャラと、下の受け皿にパチンコ玉が溜まり出す。やがて、小箱に玉が溜まりだした。

  その日、パチンコ屋に入り、出だしはほどほどに良かった。最初の入賞は八回の満了までVゾーン入りを繰り返し、その後も、苦もなく入賞を繰り返した。損と得では大違い、今日、明日の生活に明るさを感じだしてくる。

電気会社で部品の検査技師をしていたが、たいしたことでもないのに、若気のいたり、止めてしまった。が、気にいった勤め先はなかなか決まらず、もう、ほとんど気まぐれなフリーター、なんとかするしかないのアルバイト生活中、何年か忘れていたパチンコという世界にはまり込んだ。

  が、一本調子に行かないのが、この盤面の世界、調子の波はあれよあれよと、どのようにも変わってしまう。

 好調台も、何もかも火の消えかかったように不調になったり、調子強そうでも見掛け倒れで、持ち玉を減らすばかりだったりと、おうおう、正体不明に先行きはとらえどころがない。好、不調のまったく捉えどころのない波に、ついつい、否応なく金を使いすぎる。

 せっかく出したばかりのパチンコ玉だったが、わたしの台はたちどころに元に戻すだけの雲行きになった。しばしば、出した玉をそっくり戻してしまう。パチンコ店を出るまで、結果のほどは容易に定まらない。いつもどおり、新たな難儀が始まった。どうにもパチンコ玉はVゾーンに入らない。なにからなにまで絶好調の盤面の世界にすっかりのめり込んでいたが、一場の夢から覚めたように、急に様変わりしたことの成り行きに、しだいにわたしは焦りだした。

 ギュン、ギュン

  鋼球はアクション釘をすり抜け、その信号は瞬時コンピューターに流れ込み、即ゼロ戦の翼をはためかす。が、又、なかなかVゾーンに決まらない。さっきから、執拗にそればかりを繰り返す。

 この辺が勝負の分かれどころ、そのまま、Vゾーンに玉は転がらず、たちどころに一転、溜まった玉を無くし盤面のあらん限りの調子良さも見てくれだけの結果に終わる。どっちに転ぶか、持ち玉が増えていくか、無くしてしまうか、何時もハラハラものだ。よってすがるは、跳ね飛び、めくらめくパチンコ玉へのわずかな期待。

 ギュン、ギュン 、どうだ、今度はどうだっと翼に弾かれる玉に期待はするものの、役物のパチンコ玉は、その斜面を転がっては、右の穴に入り、左の穴に入る。知ったことか、とばかりに、真ん中のVゾーンの穴だけにはどうしても入らない。その計りがたい采配に時に呆れかえる。

 翼はしばしば空を切り、持ち玉はしだいに減りだしていく。儲けたと思ったばかりの玉を、上の受け皿に注いでは、出したパチンコ玉を戻してばかりいる。

 Vゾーンに、さほど苦もなく入った前の調子と大違い、すっかり盤面の世界にのめり込んでしまったが、はしごを外されかけている。いらっ、いらっと、感情ばかりが高ぶり出す。

  よくあることとはいえ、そういう煮え切らない現象に、パチンコ玉がアクション釘の間をすり抜けるたび、わたしは、じっと握っているハンドルを、右に、左に回してみた時があった。

周りを見ても、そんなことをする客は何処にもいない、誰もかれも、じっとハンドルを握っている。わたしはそれが最初不思議だった。パチンコ玉は、推しはかりがたい微妙な加減で、真ん中のVゾーンに転がると感じられたから、何時までもVゾーンに入らないなら、いっそ、玉を弾くハンドルを何とか動かしてみてはどうかと思えた。しかし、それは、この世界のど素人がやることだった。

 確かに、そのハンドルを動かした途端、その微妙な加減だろうか、パチンコ玉が、Vゾーンに入る時がある。また、ハンドルを動かすと、盤面の調子がその時から変わって、アクション釘の間にパチンコ玉が入り易くなったりする時がある。しかし、それで、その調子に乗り同じやり方を繰り返そうとしても、何故か、ほとんど続けてうまくいくことはない。

 それどころか、入らないとなったら、どうハンドルを動かしてみてもパチンコ玉はVゾーンの右にそれ、左にそれるだけで、頑迷に真ん中のVゾーンに入らない。もう、確率がどれほどになろうが、入らないとなったら、入らない。それでも、なお、しつこくハンドルを動かしてみると、調子がすっかり悪くなったように、たいがい、翼のアクションがだんだんしなくなってくる。アクション釘の間をパチンコ玉がすり抜けなくなる。

 たまにやれば、愛嬌よろしく調子が変わる。が、それにつられて、どうがんばってみてもほとんどうまくいかない。ついには、肘鉄をくらう。まことに推し量りがたい。まれには有効なハンドル操作だが、それはその時だけ、同じ事をやろうとしても、あとは、まったく役立たず、期待に反することがかたくなに高まりだしてくる。

 だから、盤面の調子が悪かろうが、どの客も下手にがんばらず、じっとハンドルを握ったままでいる。そうして、しばしば何かの加減、推し量りがたいきっかけで展開が変わるのを待つしかない。常に、軽快な変化を感じさせ、期待を抱かせはするが、たいがい、それだけのこと、薄っぺらな愛嬌を振る舞いはするが、思い通りのことをやろうとしても決して通用しない。

 調子の波はとらえどころなく、時に激しく変化し、時に頑迷に動きを止め、人を翻弄し、人の予測を拒み、めくらめく、釘と玉との絡み合いのようにその正体を定かには明かさない。

和賀 登
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