三
特に商工会議所の青年部のやる気のありそうな数人に、手を替え品を替え、熾き火をたきつけるように心をくすぐるような会見を和十はこなした。手応えはあったのだが、実働に移せるかどうか。
翌日、ほとんど忘れていた高校の同窓会を汀子に注意された。地元に残っているのは半分もいないので、もちろん和十が出世頭だが、二代目だというので余り尊敬されていない。しかしちょうど時間の都合が良かったので、じっくり参加できそうだった。
その夕刻のことである。居酒屋の、白いむくげの花がたくさん咲いている入り口で、自分ほどの大男が佇んでいた。肩幅といい、分厚い胸板といい、あれは由井耕造にちがいない。
近寄って顔を見る。顔の造作こそ似ていないが、半白の髪の具合も同じだ。両方からしばらく見つめている。おお、という動きが向こうの顔に浮かんだ。
「石野和十か?」「そうだ、耕造」一緒に、久しぶりだなあ、と叫んだ。
高校の前半はよくつるんでいたのだが、次第に暮らしの違いからだったろうか、あるいは世間への批判の態度の違いからであったか、道が別れた。噂では、その後耕造も実家のある近接の市議選に打って出たのだが、落選となり、そのご連絡が途絶えたとなっていたのだ。共産党支援だったととかくの噂であった。
「しかしあまり変わらんなあ。ちょうどいい体格じゃないか」
「お前こそ。市長二期とはな、悪い噂はないようじゃないか」
「はは、俺はまあな、俺の実力じゃあないのだが、だからこそ、真面目にやりたいと思ってんだよ」
「そうなのか」
耕造がじっと和十の眼を見つめた。和十は耕造の洗い立ての粗い目の織のシャツの背をさわった。相手が女性だとなかなかタッチは難しいが、男性にはよくやる。暖かい。
「入ろう、中が涼しいだろ。で、何をしてる?」
同窓会によくあるように、挨拶や雑談にまぎれてその返事を聞いたのはずっと後になった。しかも耕造がみんなを前に滔々と説明を始めたのでわかったのだ。
彼はすでに長くNPO法人で活動していて、社会全般そうであるけれども、とくにこの領域では色々なフィールドの連携が必要であり、それなしでは意味が薄れるし効果も少ない、したがって是非、この集まりの面々にも理解を頂きご尽力、とくに人的資金的支援をたまわりたい、と耕造は深く頭を下げた。みんなが思わず頷きながら拍手してしまったのは、由井耕造がその前にこんな演説をぶったからであった。
四
「ご無沙汰しておりました。やっとここに顔を出すことが出来るようになりました。みなさん、十分間だけ時間を下さい、ちょっと僕のことをお話ししたい。
親父が早死にしてですね、国立大学だったので学費をバイトで工面して、お情けで卒業させてもらいました。この間の飲食店、新聞配達などの時給生活が僕の第一段階でした。
就職にも窮しましてね、典型的な古い中小企業で働かせてもらったんですが、そこでは中卒でこきつかわれ、辞めてうろつくような生活をしていく若者を多く見ました。そして会社の倒産。これが第二段階の経験です。
庶民の生活をなんとかせねば、と急に張り切って、政党に参加、共産党ではなく社会党でした。そして立候補、落選、これが第三段階。
その後借金は出来るし、前途を見失い路傍生活に陥りました。辛かったです。しだいに絶望のあまり動けなくなり、救急病院にいくはめになりました。これが第四段階。
精神病院にしばらく入ることが出来たのは母や叔母のおかげです。僕の身元引き受け保証人ですね。そこでは色々なケアをうけ、底辺の人を支えている職業を知りました。そのひとりと幸いにも家庭をもつことができたんですけどね。これが第五段階。
もう自分のことはいい、これだけ地を這い回るように生きている人に何か手助けをしたいと思うようになりました。
まずは、子供です。当時は深夜になっても路上で遊んでいる、あるいは乱暴をしている少年たちが流行りでして、かれらに話しかけるグループで修行しました。
しかし、次第に家に引きこもる子供がふえていったのです。社会からはみでていく子供たち、これをなんとかするのが急務だと、その手の NPO法人のボランティアになりました。第六段階、修業時代です。
そしてもう二年経ち、さて、この子たちが少し元気になったときどうしたらいいのか、社会に受け皿があるのか、社会には助けを必要としている人が大勢居て、行政だけでは手が回らないし小回りがきかない。この子たちはそこで善行を積むのだ。助けることによって自分を強くしていくのだ、とわかりました。
しかし、赴いて手助けをするべき場所を僕は知っていますが、そこをコーディネートしてくれる人材と情報と資金とが不十分なのです。政府から資金はもらえますが、それでは数人しか生きて行けません。
ここからが僕の第7段階、ちょこまか動いて人々にわかってもらうという活動を始めました。おちこぼれていても、稼いで食べていける働き場所、おちこぼれている人を慰めながら自分でも自信と経験を積める場所、たくさんあるはずです」
由井耕造は、第一第二と話が進むごとに指を突き出していたが、ここで折りたたんでいた紙をとりだし、がさっと拡げた。
よく見るとD3用紙を貼り継ぎしてある、その紙には、サインペンで書かれた大きなキャッチコピーが踊っていた。
「ボランティアで生活できる社会構造」
その下には「最低時給でも助け合ってそこそこ家庭も仕事も運営できる社会関係」
その下にはチャートのような図形が描いてある。
和十は、う~む、これじゃ固すぎるな、と思いつつ覗き込んだ。
右端には中層、下層とおおまかに社会層区分が書かれている。上部には、行政(税金)、NPO法人(税、寄付)、これはお金の出所らしい。
中層以上の人々は懸念の外なので、紙面は下層の分析に集中している。
左端には、現状、近未来、目標と分けてあり、これは小さく書いてある説明によると資本主義の格差社会が現在から更に極まって行くのであろうが、人々の利己主義と儲けすぎ主義が是正されるとして、当座の未来の妥当な近い目標を描きつつ、しかし、遠い未来には新しい経済社会の仕組みがより良い社会のために必ず現れるはずである、となっている。
まあ、一種の理想主義運動だな、と和十は頷いた。
しかも下層内部での自助努力という前提であるらしい。社会のほとんどが下層か、それに近く、ごく一部が上層に属して、一部寄付をしてくれる、それを当てにしている訳か、と和十はまたひとりごちた。
要支援対象一番の弱者、もっぱら支援を受ける人たちに属するのは老人と心身に重度の傷病を得た人たちである、のだが、その言葉を使うのをなるだけ避け、イラストにして気を遣ってある。
こういうところは役人にはない心遣いだと、和十は思った。この話をたたき台まともに論議しようという気になっていた。
五
「さて、支援する側にまわるのに僕が一番当てにしているのは、こんな人々です」
新たな展開を期して、由井耕造は息を吸い込んだ。
「若者が家に引きこもってしまうという重大な情勢が広まっております。しかるべき社会的背景あってのことなのでしょうが、その改善を待つ間にも、やれることが我々にもあるのではないか、出来なくて元々でやってみよう、数打ちゃ当たると」
耕造は片方の口角をゆるめた。それが絶妙で笑いを誘った。
「物の本によりますと、脳内への働きかけは体からの信号でも有効だということですが、世にけっこうある指圧鍼治療院ですね、あの方々に、つまりけっこうな数の若者があの道に入っていて、しかもそんなにも成功しているように見えないのが辛いところなのですが、この種の若者に、引きこもりの人へマッサージのサービスを行ってもらうのです。
接触するのはその道のNPO、それに市の福祉、教育関係の方がまず、その情報をもって徐々に指圧師が自宅へと手配されて行きます。成功率はまだわかりませんがね。これが第一段階」
耕造はまた、指を突き出し始めた。ふっと失笑が漏れたが好意的なものだった。同時に紙片の、それらしきイラストを指し示した。素人っぽさもけっこう使えるな、とその図を和十は見ている。
「カウンセラーは数も少なくお金がかかりますから、是非この手も使いたい訳です。
さて、ひきこもり陣が外へでてもいいかな、と思い始めますでしょう。でも何をする。これから第二段階ですが、とりあえずは余り人と関わらない手仕事、配達、庭仕事、片付けなど、とくにシルバー人材センターと協力していきます。
そうそう、先の指圧師陣、ならびにこの軽労働旧ひきこもり陣にも、いくばくかの日当が是非必要ですね。ボランティアではあっても、生活の足しにはなるべきです。そのお足の出所を打診して回るのが、うちのグループの重要な仕事でもあります。
みなさん、たばこ銭の一箱分でもお願いしますよ」
「ほんとうに一箱分でいいの? それともワンカートン?」
「あ、田川君、ありがとうございます。その恰幅だとツーカートン?」
「ワハハ、いいぜ、俺も手伝ってもいいよ」
耕造は満面の笑みでこたえた。本当に嬉しそうだ。
「そうなんですよ。この子たちにはね、田川君のような、太っ腹な、あ、体格のことじゃなくですね、自然体の大人がほんとうに必要なんです。世界がそんなに怖いものでもない、と実感させてくれるようなネ」
第三段階もあるのかい、と大きな声がかかった。ありますとも、と耕造が指を三本突き出したので、案の定、と笑いが起こった。
「根本君、聞きたがってくれてありがとう。そうなんですよ。これからが佳境です。
えーっと、ここですね、この部分。サービスの対象者、介護保険などがカバーしてくれる範囲は行政に任せる。しかしそのはざまのお年寄り、孤老。そこへお助け隊を派遣したい。それはこの元ひきこもり隊ですよ。彼らが働きの本部隊になっていく、ここがミソなんです。市長さん」
いきなり呼ばれた和十は反っくり返っていた椅子に座り直した。「俺?」
意図した訳ではないのだが、笑いを呼んだ。
「君だよ。あのね。政府肝いりの例の空き家有効利用策ね、この子たちの職業教育もかねて修繕なんかにつかってくれない? 少し費用も組んで」
「ふ~ん、僕もねえ、ちょうど女房と話し合っていたのさ。こちらの要望とあちらの条件がそこそこのところで合う働き手がいないかしらんてね」
「奥さん、お変わりない?」
「お、変わりなくシビアな人ですよ。耕造、汀子を知ってた?」
耕造はにやにやして黙っていたが、誰かが
「当然知ってるさ、秘かなピカピカの女性だったからね」
と、茶々を入れた。ひとしきり妻の噂話になって、和十は自分のうっかりな面をまた知ることとなった。
家柄や押し出しの良さ、家同士の付き合いなど夫婦にとっては当然のような結婚だったのだが、妻が男たちの酔眸の的であり高嶺の花であったことをほとんど意識することがなかったのだ。耕造が最後にまとめるように言った。
「こんな俺でもさあ、女房がいるんだぜ、帰ると。嬉しいねえ。話を聞いてくれるし、意見も言うし、俺の背骨だよ」
「ああ、そう言えば僕にとっても妻は物差しですよ。時にはそれでお尻を叩かれますよ」
みんなの頭が、頷いていた。
「それから?」