大学に入り中学や高校に友人とは疎遠になっていたが、中学1年の時に仲良くなり中学時代は共に過ごした4人グループで一緒に成人式に行こうと声がかかった。
その時はとてもうれしかった。
家では勉強しろ、教会にいけ、命令、小言、否定、叱責、陰険な皮肉を浴びせられていた私にとって、冗談やちょっとしたことで笑い合える中学時代の友人は大切な存在だった。
当時はそこまで大切だとは意識していなかったが、母親譲りの嫌なところがある私を寛容に受け止めてくれた友人たちは本当にありがたい存在だった。
私はうれしくてすぐに母親に言ったと思う。詳細は覚えていない。
その後で母親は父親に言いつけたと思われる。
父親からこう言い渡された。
私は2月生まれの早生まれだから、今年の成人式の段階で20歳になっていないから行ってはだめだと。
そして来年の成人式に出席しろと。
私の誕生日は2月の初旬だから、成人式からは3週間くらい遅い。
その時私は抗議した。今から思えば小学生並みの抗議の仕方だったが。
同級生のほとんどが参加するのになぜ行ってはいけないのか。
来年の成人式には友人たちはいない。
来年に行けというなら成人式には行かなくていいと。
抗議は認められなかった。
ちなみに現在(2015)調べてみると当時の私の居住地していた地方自治体では学年ごとの成人式となっている。
当時の私には地方自治体に問い合わせて調べるというような考えは持ち合わせなかった。
しかし、たとえ調べたことを親に伝えても、それでおいそれと両親が考えを変えたとも思えない。
しかして結果は私の言ったことへの全否定となった。
―翌年の成人式に参加する。―
不満が顔色にでている私の着物姿を父が撮った写真がある。
その着物も両親が用意してくれたものではなく、伯母がつくってくれたものである。
遠隔地ゆえに私は着物の柄を選ぶということもなく、送られてきて用意されたものを着た。
そしてなぜか、その着物は身幅がかなりあり、かなり体格のよい人向けだった。
着物の事など何もわからない私は美容師さんにそういわれたことを覚えている。
着物を着ても一緒に行く友人がいない私はどこに行けばいいのか。
どういういきさつだったのかよく覚えてもいないが、男友達のつてで隣市の成人式に出席したように思う。
この頃の私はかなり荒んでいた。
はっきりとした覚えはないが、大学に通い、親の手の届かないところで自由に行動する私に、母があの手この手の意地悪を仕掛けていたのではないかと思う。
当時から30年以上経て、年老いた母の性格を大人になった私の目で観察した結果、何故このような顛末になったのかの真相を理解した。
それはひとえに母の嫉妬である。
母はお洒落や美しいものが嫌いである。その気持ちの奥底には先ほども言った嫉妬がある。
私が友人たちと着物で美しく着飾って楽しく成人式に出席する、それが母には許せなかったのだ。
故に父に私のあることないことを言いつけて、私が友人たちと一緒に成人式に行かせないようにした。
自分で言わずに父に言わせるところが巧妙で薄汚いやり方である。
けれど成人式そのものを否定したのでは、自分に非があると咎められる恐れがある。
それで翌年に行かせることにした。
また着物を作ってやることも口惜しいので、お金に困っているわけでもないのに伯母(父の姉)に作らせた。
さらに私が太目であると伝え、表向きは長く着させるために今後太るからと身幅を多くとった。
私の体重は産前産後の増減はあるが、20歳当時とほぼ変わっていない。
何気ない言葉の端々に出るからわかるのだが、母は私が醜く太ることを心の底で望んでいる。
着物を伯母に頼んで作ってもらうことで、とりあえず母親としての対面は保った。
そして翌年、もう成人式なぞに楽しさや希望も何も持てなくなっている娘に美容室に行かせ着物を着せた。
なぜ自分の娘にそんなに嫉妬し、巧妙なやり方で娘を陥れ、苛め、否定しなければならないのか、私自身も今年二十歳を迎えた娘を持つ母親だが全く理解できない。
けれど母親の精神年齢が小学校低学年か幼稚園年長ぐらいだと考えれば納得する。
戦時中に育った母は自分が受け取れなかったものを受け取る娘が許せないと僻んで嫉妬している5~7歳児なのだ。
自分よりも若くて美しくなっていく娘が許せないと僻んでいる幼児的精神の持ち主なのだ。
その割に手口が巧妙なのが非常に厄介だ。
その辺を考えると単純に幼児と同じとは言えない。
このような母の屈折し歪んだ幼児的精神と狡賢い手口によって、私の大人への門出は完全にぶち壊された。
私の両親は子どもにもっともっとと際限なく要求した。
学業での成績、教会に通うこと、品行方正であること。
子どもにはそうやって際限なく要求するが、親は子どもに共感、肯定、承認、等は与えなかった。
それどろこか子どもを惨めな境遇におき、自尊心をずたずたに傷つけて自己肯定感を徹底的に剥奪した。
それを親は愛情表現だと思っていた。
そして子どもである私は、傷つけられ、徹底的に否定され、自分の意志とはまるで違うことをしなければならなかったのに、親には感謝しなければならないと教育、社会通念や常識から思い込まされており、それに、逆らうことができなかった。
苛められているのに感謝しなければならない。
こんな倒錯した精神状態の日常生活を続けていれば、自分自身がわからなくなってしまうのも無理ない。
私は幼いころから寝込んだり、入院するほどではなかったが、湿疹などの皮膚疾患を持ち、胃痛・便秘などの腸の不調等に悩まされていた。
それらの原因は、苛められているのに感謝しなければならないという倒錯した状況からくるストレスによるものだだろう。。