ぱるす通信〜こころのくすり箱〜第25号

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旅〜世界遺産の平泉へ〜( 1 / 1 )

 世界遺産登録を果たしたばかりの岩手県平泉へ、7月の三連休に、JR東日本を利用して訪れた。

 朝一番、自由席車両がある東北新幹線やまびこ271号6時04分発で一ノ関駅へ。東北本線に乗り換え、平泉駅で下車。駅右手に観光案内所、周辺2カ所に貸し自転車屋がある。平泉観光には自転車が手ごろだが、巡回バス「るんるん」や、タクシーという手段もある。あるいは車のなかった往時を思い、のんびり歩いてもいいだろう。

 平泉の見どころは、なんといっても中尊寺と。ほかにも平泉文化遺跡センター、観自在王院跡、高館義経堂などがある。中尊寺を見て回るだけでも2時間、毛越寺は1時間ほど余裕をみたい。

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金色堂はまばゆい神々しさ


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 中尊寺月見坂入口まで車で5分ほど。ここから徒歩で、大きな杉の木が並ぶ参道を上がって行く。本堂、、(宝物館)が見どころの中心となるが、月見坂沿いに、地蔵堂、弁慶堂、薬師堂など十数カ所のお堂が連なっている。

 中尊寺は天台宗東北大本山。寺伝によれば、平安時代の嘉祥3年(850年)に、比叡山延暦寺の高僧によって開かれた。その後、12世紀初頭の長治2年(1105年)に、奥州藤原氏の祖・が釈迦如来と多宝如来を安置する多宝寺を建立したことが今に至っているとされる。

 この折、清衡は50歳。11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」と呼ばれた辺境の東北地方に、仏の教えによる平和な理想社会を建設することを願ったという。

 本堂まで徒歩10分ほど、本堂から金色堂まで、さらに徒歩5分ほどと境内は広い。

 奥州藤原氏三代ゆかりの寺である中尊寺には、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた多くの文化財が残されている。清衡によって建てられた唯一の現存する建物である国宝・金色堂(こんじきどう)は、金箔、螺鈿細工、蒔絵と贅沢で、その名のとおり金色に輝いていた。

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 金色堂を出て月見坂の奥には中尊寺の鎮守・白山神社と能舞台が建つ。茅葺の能舞台は、江戸時代の嘉永6年(1853年)に伊達藩によって再建されたもので、東日本に唯一の近世の能舞台遺構として重要文化財に指定されている。

 能舞台奥の「かんざん亭」でちょっと休憩。甘味や軽食があり、平泉町を展望できる。また、1階では、ハイビジョン「皆金色の極楽浄土」が随時上映されている。




中尊寺から毛越寺へ

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 月見坂を下り、緩やかな風景の中を、毛越寺へ向かう。月見坂入口から毛越寺まで車で5分ほどだ。

 毛越寺もまた、中尊寺と同年に慈覚大師円仁が創建したと伝えられている。藤原氏二代から三代の時代に多くの伽藍が造営された。最盛期、建物の数は「四十余宇、禅坊五百余宇」とも言われ、中尊寺をしのぐ規模だったという。

 現在の本尊は薬師如来、両脇には日光菩薩、月光菩薩が安置されている。

 毛越寺の庭園は平安時代を代表する浄土式庭園。東西に長

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い「大泉池」の南東に出島があり、出島の先端から数mの池の中には州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、橋のたもとを飾る橋引石、枯山水風の築山、遺水などの石組が設えられている、日本最古の庭園書である『作庭記』に基づいて作られた学術的にも貴重な庭園だという。庭園は今も変わらぬ美しいをたたえている。





 今回は日帰り観光だったが、東北の奥深さや人々の優しさが感じられた。地元では平泉の世界遺産登録が復興の弾みになることを期待している。東北へ出かけ、その空気感や頑張っている人たちに出会うことが東北応援につながるだ。この秋は平泉へ出かけまよう。(下西)

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