姥拾い

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第三章( 1 / 2 )

第三章


 みんなで何かを始めたい、ということになった。それぞれの趣味はあるのだが、音楽活動が欠けていると麻子がきづいた。今更カラオケという娯楽には興味がわかない、かといって、歌を唄うとなると絶対的に声のついてこれない人物も多い。

 音楽を聴くのは好き好きだが、それはそれ、などと目的の無い対話をするうちに、NHKの放送大学の番組をみていた麻子と有子と玲子が、一斉に

「なあるほど、これだわね」

と、手を叩いたのである。


 それによると、現在の西洋楽器、および声楽はその波長を調べると見事に人間の可聴領域二十ヘルツにとどまるように作られている。つまりデジタル音とでも言える。これに対しレコード、東洋の弦楽器、太鼓、歌唱法などを測ると、波長は細かく不定に動いていて、聞こえない高周波四十ヘルツまで含んでいる。


 この不定常の音域を聞いていると活性化する中脳という部位は、心性に快い影響を長く与える、そういう仕組みになっている部分なのだ。しかも、イヤホンだけで聞いても効果はなくて、体でその振動を感じなければならない。伝統的な民族音楽の楽器はすべてこの要素をもっている。曰くハイパーソニックエフェクト。


 有子さんは、アボリジニ独特の打楽器を持っていた。元々は在り合せの枝と枝を打ち鳴らしていたのらしいが、経験を重ねて太さを部分的に変えて、相手方の棒を複数にし、面白いいろいろな音を出す。麻子さんは琴を少々つま弾く。聡子さんはハモニカ、玲子さんは息子が使っていた縦笛、眉子さんは鈴と声と舞踏。


 とりあえずはそんなものを持ち寄り、有子さんがいくつか叩いて音を鳴らした。一呼吸置いて、みなが自由に計画無く十秒ほどかきならした。それでおわり。みながちょっと呆気にとられ、息を吸い込んで止めていたが、最後はわっと笑い出した。楽しいおかしな音が作られた。


 何しろ一回限りの即興演奏なので、ビデオにできるだけ収め、研究を重ねることとした。無限に豊かな未来が開けているのを感じて誰もが浮き立った。



 それぞれの趣味、パソコン、水彩画、書道、写真、料理、裁縫編み物、詩歌などに勤しみつつも、都会生活には自然、本当の自然がないことに、特に里山生活の長い眉子さんが少し苦しがった。彼女の写真にみるうっそうとした景色や鈍色の日本海に触れたい、と次第に思う気持ちが強まって行った。その頃、玲子さんの従妹の一人が都会から田舎へ移る計画を立てていた。


 その場所を決めかねていたのだが、その珠美さんもこんな姥集まりの試みに興味をもって、ちょくちょく話しにきていた。すると、すぐに全員一致で決まったのは、眉子さんの、つまり南条氏の家のある京都市北部の里山に別拠点を作るということである。


 眉子さん宅は二、三人の収容は可能だが、長期にわたるとなるとやはり家が必要である。こんなことのためにせっせと東京で働いてお金をもっている珠美さんが、どうせ古家を買うと言い切ったのである。ひとりで見知らぬ田舎で暮らすのは、望んでいても心細い。その問題がすでに解決済みなのだ。


******


 地元に詳しい南条氏のつてで、かなり広い敷地を持つ家を格安で手に入れることが出来た。改装費はかかったが、カンパを募るまでもなく珠美さんの予定出費に入っていた。主なリフォームは水回りとネットの配線、網戸、テラスなど。そのかわり、畑仕事を全員でするのである。


 農業の経験はだれもなかったが、周囲の同年代の人々が黙ってはいなかった。たちまち見事な畝が立ち、あれこれ苗や種が施された。見る間にそれらは青々と育った。大人数でも食べきれないほど収穫があった。おまけに近所からも頂くのである。


 そうするうちに、一年経った頃には、それぞれの知人友人がぞくぞくと「入所」を希望するようになった。

「人数が増えすぎると、ちょっと大変かなあ」

「そうね、麻子さん、自然発生的な、気の合う既知の数人というところでしょう」

「多いと、配膳だけでも無理があるし、画一的になっちゃうよね。私の独創料理も腕が鈍っちゃうかも」


 聡子さんが、だとすると、と言い始めた。

「小さな下部組織、支所が各自でできればいいのよ。そこを中心に、もちろん自由に訪問し合って新しい友人関係を作れるし」

「そう返事しようね、ますます孤独な姥たちが増えるばかり、自分たちで助け合わないとね」


「自助組織作りだったのねえ。私、そんなことまで考えなかったけど、最初は」

「そうそう、友達と一緒に居たら、娘息子といるよりワクワクした。家族が大事でない訳ではないけど」

「ひとつ、考えなければねえ」

「え、なに、有子さん」

「だってね、私が最年長でしょ。いつ認知症とか、癌とか始まるかもしれない、そのときのことよ」

「有子さんたら、あなたが一番生き残りそうよ」

「そうそう、若々しいったらないもの」


 それは最後の大事な話題であった。

 すでに里山の家で、珠美さんが捻挫、南条氏は虫に刺された、という事件が起こっていた。眉子さんがフォローに当ったが、珠美さんの娘も数日たちよるそうだ。もともと聡子さん夫婦がまもなく畑仕事をしに行く予定だったので、玲子さんもその気になっていた。


 年齢を重ねると、視力による認識範囲が狭まり、のろくなるので、足元のなにかによく躓いたりする。その時大腿筋とすねの筋肉をきたえておくと、不思議なほどとどまることができる。それは麻子さん指導の太極拳でみな練習しつつあった。



第三章( 2 / 2 )


「きゃあ」

 玲子さんが台所で叫んだ。数人がかけつけると、包丁が足のそばに突き立っていた。危なかった。数日前は、火のついたコンロで服を少し焼いた。


 麻子さんは一緒に炊事することにした。お互いに危なっかしいのだが注意し合うことは出来るはずだった。玲子さんが野菜を刻むのを、をかきませながら麻子さんは観察していた。このごろ特に同じ話を繰り返すようになったと思う。

 料理は脳を使うので老化にはいい影響を与えるのだが、危険がある場合、シルバー人材センターなどの六十代の助けを借りるのもいいかな、と考えを巡らした。


 癌、循環器病などの重大な病気、骨折もありうるし、入院や、リハビリなどと長引いたり、痴ほうやパーキンソン病などゆっくり進むものもある。最後は寝たきりとなり、食事と排泄、清潔の世話がくる。年寄りばかりでは早晩この共同生活も成り立たなくなる。


「待てよ、そうだ、若い人も入ってもらえばいいんだわ。そうそう、りさちゃんを誘ってみよ」

 麻子さんはこのごろ、とても思い切りがよく、決断が速い、というより考えが浅くなったのかもしれない。とりえず、従妹のりさちゃんに電話をかける。

 ベルを音を聴きながら、そうだよなあ、絶えず誰かがこんな協力体制を必要とするんだもの、老人ホームもあるにはあるけど、見知らぬ人ばかり、あるいは痴ほうの人ばかりの中では苦しいものねえ、と独り言を呟いていた。


 従妹のりさちゃんというのは、生まれてすぐの脳炎のせいで、知恵おくれがある。

 麻子さんが家庭教師のようにして学業を手伝ったのだ。天使のような子だったが、今は母親を看病している。昔から、麻子さんはもしこの子がひとり残ったら、引き取れるものなら引き取って面倒を見たいと思ってはいたのだった。


 叔母と電話口で、麻子さんは固い口約束を交わした。他の兄弟はいるのだが、その家族に入って行ける訳でもないので、そんな共同体があることを知り、彼女は一も二もなく頼みこむのだった。りさちゃんもまもなく還暦になるのだ。私に万一の場合は、息子たちにも言い聞かせておくから、りさのことはお願いします、安心して死ねるわ、と叔母は涙声で言った。


 二千二十年、日本は高齢化少子化社会に特有の社会保障費赤字、それがますます増大するひとつの極限をむかえていた。


 姥拾い、と冗談で名付けた友人たちの家では、男性陣は死に絶えていた。

 信輔も譲も南条氏も、最後に心地よい交遊相手に恵まれたのである。心置きなく好意を示し合いながらも、多分、節度を護るしか無いプラトニックな関係を楽しんだはずだ。

 玲子さんは少し痴ほうがでてくると、ますますおおっぴらに譲さんに近づいた。二人が手を握っていても誰も見ない振りをしていた、あるいは気づきすらしなかった。


******


 聡子さんは、信輔さんをときどき眺めるだけでほっと笑っていた。有子さんだけが長いこと東京や里山に逗留したりしているうちに、別に喧嘩したということでなく、双方が自然に疎遠になって行き、好きに暮らしていた。ある朝、信輔さんは東北の自宅で、ひとりで眠るように亡くなっていた。


 ちょうどその日に、虫の知らせか、聡子さんを伴って戻っていた有子さんがすばやく必要な手続きをとっていった。

 聡子さんは、少し涙を流した。信輔さんが結局のところ、どんな欠点があったにしろ人間として清らかなであったこと、その清らかさををいまでも自分が見ていることを感動的に思ったのだ。

 聡子さんが清らかなのかも知れない、あるいは、人間は本来清らかな存在であるではないか、そんなことまで思わせてくれる信輔さんの存在が、聡子さんにはただ有り難く後光がさすようにも感じられたのだ。


「あたしもねえ、聡子さんの感じ方をよくわかる。自分に正直で自己中心的だったけど、利己主義じゃ無かったわ。自分にストレートだった。麻子さんがそれをわからなかったわけじゃないけど、彼女の立場ではそれ以上が必要だったでしょうね。

 彼女は結婚すべきではなく、恋人のままで仕事に存在価値をみつけていくべきだったのでしょう。それは実はどんな女性でもそうなんだけど」

「よくわかるわ。現代女性には伝統からはみ出す部分がとても多い。だからといって、子供はやはり特別よね。矛盾はあるわ。そこらへんはまだまだ確立されてない、どう対処すべきか。保育園が完璧になり、労働時間が過酷でなければ、両立も可能なはずだけど。そんなことと資本主義とはぶつかるのよね」


「多分国際化の影響だけど、資本主義すなわち民主主義、と信じて先進国は経済活動をますます重要視してきた。資本主義のもたらす負の面は、富の格差。労働の質。いっぽう民主主義的選挙も、実際最近では疑問になってきている。国民の考えが多様化すると、多数決という選挙の意味が失われて行くよねえ」


「若い頃から、もっと人を助ける仕事をしたらよかったって思うわ。自分のしたいこと、できることだけを追求してきて、なんだか恥ずかしいのよ」

「情報は行き交って、地球はひとつであるのに、個人個人はその違いを重要視し、個人情報を護ろうと際立っている。なのに本当は情報はつつぬけ」


「麻子さんとも、こんな話をして、本当に厄介な、わからない世界になったねえって言ってる。混沌として、人類には、地球にはもう未来はないような」

「早く死にたい?」

「早く死んでもいいよね」

「もう余り子孫を作ってほしくない。生物はこんな世界で殺し合って生きてる訳だし」


 聡子さんと有子さんは、信輔さんの遺体を前にえんえんと厭世的な話を続けた。


******


 男たちへの葬送の曲を媼たちが演奏する日が来た。

 信輔さんだけが風葬を指定していた。

 

 里山の家で、媼たちが日々研究し練習した自由律民族音楽「即興曲 人は花たれ」だ。聴衆がいつもより多いのは親戚が集まっていたからだが、音楽を聴いたら彼らがきっと驚くであろうと思ってほくそ笑みながら、媼らは青色で一応統一した衣類をまとい、皐月の風を受けて円形に陣取っていた。 その向かいには、白い花の中に埋もれるようにして、三葉の写真の中で、大きく笑っている顔が並んでいる。


 麻子さんが、いきなり左腕を高くあげ、全員を集中させた。お琴のもっとも低音部分をかきならした。その音階に合わせて、他の楽器も憂鬱な音を唱和した。

 鈴の音が涼しく響いた。

 ゆっくりしたリズムがまた十呼吸ほど自由でかつおどろおどろしく続く。

 鈴と太鼓がかけあいをした。

 木が打ち鳴らされた。激しく。

 お琴が全音階をかけめぐった、激しく。

 またおどろおどろしい主題がくりかえされ、急にさわやかな笛の高音が響き渡ったが、すっと消えた。


 南条氏のために、妻の眉子さんと麻子さんが越天楽を唱和した。なんとか唄える音階であり、声の続く限りゆったりと唄った。

 譲さんのためには、妻の聡子さんと玲子さんが早春賦を唄った。

 信輔さんのためには妻の麻子さんとパートナーの有子さん、それに聡子さんがお別れに平城山を唄った。


 その後は、軽い食事が出て、泣くひともなく思い出話をそれぞれの輪の中で紡いだ。穏やかで興味深いおもい残すこともない最期といえただろう。

 彼らは遺産の半分を媼の家の下支えにと寄贈した。たいした額ではないのだが、最低の年金しかない媼には何よりのものであった。

 夕焼けの気配がしてきたころ、お開きになる。参加者はそろそろ家路につかねばならないからだ。 媼たちの子供たちが孫付きで帰って行く。しかし、その前にもうひと演奏あるという。人々はにやにやしながら、彼らの前に立つ媼たちを見詰めた。


 まだ誰も介護保険の世話にはなっていなかった。お互いにフォローすれば、社会保障に対して要求される原価の高い介護料もいらないかもしれない。みな栄養がよく、運動も行き届いて、楽しげで安心していた。


 最期の演奏がまたふるっていた。親戚たちの語り草になったほどだ。


 低音ないしは雑音に近い楽器は、その特性を発揮して思い切り重厚な音をかき鳴らし、太鼓は力の限り打ち鳴らされた。しかし、高音を出せる楽器は最高の音で弾き鳴らし、吹き鳴らし、振り鳴らした。

 麻子さんのやや本格的なお琴が明らかな音階を響かせていた。

玲子さんの縦笛がつぐみのようにメロディアスに響いた、雲の彼方まで届けとばかり。   了




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東天
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