姥拾い

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第一章( 3 / 3 )


 戦後二十年経たころ、山村聡子は大学生で薬学部に所属していた。やたらと成績がよく、かつ自分の思い通りに自分を律していくことが出来た。色白で細面の優しい顔立ち、美しい頭の形をしていた。

 合理的でありながら、一方では無邪気な世話好きなところがあり、その取り合わせが面白い。今は古希を前にしている聡子の人生で、二度だけ自分の感情に翻弄されたことがあった。


 上級生の、野暮なのかスマートなのかよくわからない変人の当間信輔に恋情を抱いてしまったのである。これには参った。聡子の勉強計画がはかどらなくなった。初めての恋だった。しかし友人以上の関係にはならず、それどころか、文学部生の上田麻子によこどりされてしまった。


 しかし失恋はありがちなものだ、とそのうちに思い直した。そして夫となる人に巡り会い、順調に女の道を歩んでいくはずだった。聡子には障害物があっても克服出来るという自信と、実際その能力もそなわっていた。

 実際、聡子は恋愛結婚をした。すべて条件も整っている男だった。子供も生まれたが、薬局で働くのは続けた。ひとつ思いもかけない展開があった。


 世に言う嫁姑関係がすぐに破綻したのである。聡子はけっこうこの制度に従順に対応するつもりでいた。それが困難を避ける方法だとわかっていたからだ。

 ところが、それは姑と夫との問題であった。夫は母親に弱かったのだ。自分がなにか彼女に敵対する言動ととったともわからぬうちに、あるいは夫との関係でいつのまにか彼女を排除することになっていて、聡子ひとりが否定さるべき人物になっていた。


 聡子自身が体験した母子関係が非常にクールな自立的なものであったゆえに、聡子の合理的な頭にはどうしても浮かばない情動がそこを支配していたと言えただろうか。今となればそこの兼ね合いは見通せるものとなったが、その時には聡子の心臓と胃がストレスから虚弱になってしまっていた。


 落胆はあっても、男としての夫に未練は残っていたが、聡子はいわゆる家庭内別居を受け入れざるを得なかった。もっとも孫が増えるごとに、夫婦で対処する必要が次第に多くなってきたので、対話がなかったり思いやりがないという関係ではないのだが。


******


「聡子さん、九州はもう暖かいようね。図書館ボランティアや植物研究会の観察旅行など、多忙でしょうね。こちらおとといからの腹痛が憩室炎だとわかってね、イヤになっちゃう。健康には気をつけてるのに~~」 


 云々とメールを書いてきたのは、若かりし頃、男を取り合った旧姓上田、当間麻子である。ここ三年ほど急接近となった。同窓会のリストを手にして、双方ともにコンタクトを切に欲したからであった。

 当間信輔の若い頃の、実に魅力的ないくつかの表情は今でも聡子の心に大切なポスターのように飾られている。切ない恋心は、もう思い出せないがそれも自分の大事な核心であることはわかっている。

 一方、麻子の言葉の端々には、夫への失望がかいまみえた。大人物然とした夫はそこそこ出世して定年退職、浮気などもなく、三人の男児はそこそこの出来だったし、不満があるはずがないような結婚生活、と見えた。

 

「わたしって、かごの鳥。空の巣なのに、家に閉じ込められてるから。今はね、彼が病身だからなおさらだけど、昔からよ。私に許される活動は主婦と育児、家事だけだった。今はなおさらよ、どこに用事で行くにもたえず携帯でチェックされて」


 意外な関係になっていたらしい。元々、なにかプロになって社会で認められることが麻子の目標だった。それを実現しようとして飛び出しそうであったのが、夫側の不安というか嫌疑の動機であったのかもしれない、と聡子は思う。

 麻子はますます反発を強め、さらにはフェミニズムに染まって、自らの「とらわれの」環境の中で悶々とする度合いが強くなっていった。家事をすることさえ厭わしくなり、散らかすだけの夫への軽蔑と怒りが増した。

 爆発しそうなそんな気持ちは持ちながら、世代的なものが麻子の言動を外見的には、「普通の」無職の主婦という姿に抑えていた。


「姑とは、いい関係よ、こんな私でも。そもそも大人物なのよ、おかあさんて。人間として昔から好きだったわ。私はフェミニストだけど、彼女と一緒にあれこれするのが人付き合いとして純粋に好きだった、墓参りでも墓掃除でも。こちらの言うこともよく耳を傾けてくれた。私の新しさも珍しいって、笑っていてくれた」


 おかしなものだ、と聡子は首を傾げた。嫁姑も人間の好き嫌いに左右されるのか。そうか、その選択の自由がなくて、押し付けられる関係だからイヤだ、という風に感じるのだろう。


 聡子にしてみれば、姑が、孫である一人息子の栄西を溺愛して聡子からまさに奪おうとしたことが、一貫して憎悪の応酬を引き起こしたのであった。幼児が最初にママと言葉を発した時、姑のサトの嫉妬は隠していたが異常なほどだった。十分に幼児の機嫌を取り、印象づけるよう努力し、ばあちゃん、といつも繰り返して笑いかけていたのに、負けたとでも思うらしかった。その背後には、息子を奪った嫁、という構図があったのだろう。姑が近づくと聡子の心臓は、バクバクと鳴り、恐怖に襲われた。


 聡子が夫にそれとなく伝える、すると彼は気にし過ぎだよ、お袋は可愛がってくれてるんだからそんな意地悪を言うなよ、と聡子を非難した。



第二章( 1 / 1 )

   第二章


 藤村有子はとうとうオーストラリアから帰国した。夫の葬儀のあと、いつ終わるとも知れない手続きを終えて成田空港の到着ロビーに出た。夢の国、ウェットな人間たちが細やかな心遣いを交わしながら、手探りするように近くに住み分けている故郷。


 まだ成田空港の中にいるときに、地震の揺れが始まった。いつまでも続く。これはまた母国からの激しい挨拶だなあ、と苦笑いして耐えた。

 岩手県の実家近辺に住む弟妹のところに、一時身を寄せてのち、今後の身の振り方を決めるつもりだ。一人息子のジェフは飛行機のアテンダントとして、日本にくる機会も多いのである。


 テレビの画面に、震源地福島沖、震度8、とテロップが流れたので、有子は驚いて連絡をとろうとした。勿論電話はつながらない。すべてが途絶したようだ。人々が走り回っていた。空港内のホテルをとっておいてよかった。しばしののち、つながらないと覚悟していた電話器から妹の声が聞こえた。岩手は大丈夫だったらしい。

「きいちゃん、じゃあ一晩して帰るから」

「だめよお、姉さん」

「え、」

「列車も飛行機も動けないって。とちゅうも道もめちゃくちゃだって。戻らないで。西日本方面に行ってなさいよ」

「そんなに?」

「どうも津波があったらしいよ」

「あ、そうかあ。福島っていえば原発があるよね」

「そこまでは何も聞いてないけど」


 翌日、籠っているかのように人々が群れている空港内のレストランで、相席になった老夫婦が自然に語りかけてきた。福島に旅行に行っていたという。有子も身を乗り出した。


「もう、ホテルの壁ががらがらと崩れるんですよ」

「ほんとにもう、命からがらここまで帰ってきました」

 口々に訴える。これから千葉県まで帰るそうだ。

「コスモ石油などが爆発したみたいですね」

「そうそう、うちの借家がその近くでねえ、ちょうど地震の日に借家人が入居ということになってたですがねえ」

「どうなったやら」

 老夫婦は顔を見合わせ、有子を見て茫然としていた。

 

 その後、福島地方の惨状が放映され、就中福島原発の恐ろしい様が映った。まさに天罰のように有子には見えた。拡散する放射生物質の程度はわからないながら、飛行機が関西に飛ぶようになると有子は成田を去った。

 ジェフが幼い頃、公園で子供連れの女性と知り合った。彼女は一年で日本に帰国したが、しっくりくる関係が築かれていた。当間麻子とは、帰省のたびに都合がつくと数時間でも顔を会わすのが楽しみだった。関西に住んでいるので会えるだろう、と思った。


******


 伊丹空港とつい今でも呼んでしまう大阪国際空港で、手頃なホテルをまず予約した。有子は旅慣れている。携帯も手に入れた。ただ、銀行からの引き出しには制限がかかっていた。まあ、毎日少しずつ落とせばいいんだから、と焦らぬところもある。


 やっと麻子に電話が繋がった。

「あらまあ、有子さ~ん。どうしたの、どこから?」

「大阪よ、今」

 麻子はそれを聞いて、妙に焦っていた。しどろもどろで、

「日本にいるの、今?」

と、当たり前なことを訊ねる。

「地震だったのよ、知ってる?」

「知ってる、成田で出くわした、それでこちらに逃げてきたの。東北には帰ろうとするなって妹たちが言うから」

あああ、と言葉にならぬ声を発している。近くで当間信輔の声が聞こえた。少し嬉しかった。


 麻子は、実は上の空で有子と話していた。家への道順を教えた。信輔の気分がすぐれなくなって、急いで買い物から帰ってきたところだ。


「ちょっとダンナが具合悪いから、近くに来たらさあ、電話して、道に出て立ってるからね」


 マンションのドアを開けると、あんなに雑然としていたのに美しいほどにからっぽの空間がある。すぐ左の寝室には、古い汚れたマットレスと捨てる予定の掛け布団が置いてある。何もない。

 いつも汚れていた廊下も掃除しておいたので、居間までの部分も居間そのものも床がすべて見えている。古い椅子が2脚、ストーブ、机代わりの段ボール、書斎もなにひとつない。

 三月末に引っ越しが終わる時に捨てるものばかりを使って暮らしている。


 有子が椅子のひとつに座り、三人で顔を見合わせて何となく笑い合った。有子は引っ越しのことを知らなかったので、勿論驚いていた。


 話は簡単である。信輔の肝臓が悪化の一途をたどり、ついに仕事を続けられなくなったので、息子の居る近くで家賃の安い千葉県に移る決心をしたのだ。


「で、その荷物を運び込む日が、なんと」

「あの日だったんでしょ!」

 有子が瞳をくるくるさせて明るい声をあげた。笑い事ではない、とはわかっているがとりあえず笑うべき偶然だ。

「そうなのよ、同じ日に近いところに居たのよ、三人とも」

「それで逃げ帰ったの」

「そうだけど、もともとまたこちらで2週間ほど過ごさなくちゃならなくて。それそうと、貴女の方は?」


 半年以上もお互いに連絡する暇もなかったので、有子の別居中の夫が死んだと初めて聞いた麻子も信輔も、冗談半分、よかったあ、よかったねえ、と笑った。

 ジェフの父親ではあったが、金持ちの日本人有子にいわばたかって暮らし、そのくせ女癖が悪かった。

 ふと魅惑されて結婚したことを後悔しても、ジェフが成人するまではと有子は耐えた。男って問題だらけだわ、と老女二人が言った。信輔は澄まして黙っている。


 信輔にとらえどころのない魅力があるのはわかっている麻子だ。重々わかっているが、一方その日常的行動には憤懣やるかたない麻子だ。もっとも自分の不満は無い物ねだりであることも分かっている麻子だ。信輔は日本人の男の典型でもある。


 だから寡婦となって長い玲子さんや、この有子さんが信輔を必要以上に少し長く、つまり憧れの瞳で見るのはわかっている麻子だ。そしてよければどうぞ、と今では思っている。


******


 有子は一年ほどオーストラリアに戻り、息子の家に居たがとうとう岩手の実家近くに落ち着いた。ただ一人の妹絹子の癌は悪化してはいなかったのに、突然意識を失ったのはそれからまた一年後のことだった。

 数日の後、意識がもどったのだが、うつらうつらという状態が続いた。ある日、気分がいいわ、と眼をはっきり開けたそうだ。家族や親戚をひとりずつ呼んで、少し話をし有り難うと別れを告げたという。

「そ、それで、えっとその、亡くなったのね」

 有子の電話に、麻子が声を上げた。


「そう、次の朝には呼吸が次第に間遠になってね」

「そんなことってやっぱりあるのね、いわゆる大往生よねえ。すごいよ」

 麻子の声にはうらやましい、という響きが籠っていた。

「妹さんは何か打ち込むものがおありだったの」

「あの子は昔から俳句に夢中だったのよ。凄い多作でねえ、十分創作したんじゃない」


「そうかあ、私ね、最近思うんだけど、死ぬことが待ち遠しいということにならないかなって。つまり、苦しいから死にたい、という理由ではなくね、自分をむち打ちむち打ち、能力の限界へ挑戦する闘いのうちに、ああ、やっと力尽きて死ねる~~みたいにさ」


「ふ~ん、それは珍しい考えねえ。で、どんな能力を開発するの」

「私の場合、多種多芸が得意かな。広く浅くよね」

「それもいいわね。また詳しく話しましょ」


******


 麻子とそんな話を交わして、それから三年も過ぎていた。有子は完全に居を日本に移し、一族の相談役的な立場になっていたので、麻子とは滅多に会えなかったが、家族を親身になって思いやることで、自分の幸福感をも得ているのは確かだった。長い海外放浪ののちの故国の味わいを得ていた。有子はすでに古希を過ぎ、麻子はまもなく古希である。


 「ちょっとお久しぶり。老いを知らない有子さん、ますますおしゃれに暮らしていることでしょうね。(麻子さんたら、その白髪の縞もようもいいけどちょっとわざとらしくない?)

 実は相談。和彦が(息子がどうした?)今のマンションを売って少し田舎に家を建てるっていうんだけど、十四階のマンションを私、使ういい計画を持っててね。勿論和彦には家賃を払ってだけど。(どんな計画? 麻子さんちょっと世間からずれているからなあ)

 計画はまた話すけど。

 問題は信輔なの。(今でもいい男かしら)


 いい加減、辛抱の限界でね、私。(異性装趣味ね、美しいでしょうに) 私があれこれ趣味を持つように、彼には何故だかそれが必要なんだって、あなたに言われて受け入れてきたけどさ、もうイヤだと言う感情を無視することできなくて。(さあ、きた。で、私にどうしろと?)助けて。なんとかして。(率直だわねえ。そりゃ私はむしろそんなのが趣味よ。昔からひそかに。それで信輔さんに惹かれるのかなあ)

 近く、二人で遊びに行っていい?

 そして、その際に有子さんがとても理解があり、彼を社会からかくまってくれることを信じさせてくれない?

(ふ~ん、彼の病からすると最後の旅になるわけだ)」


 麻子からのとんでもないメールに相づちを打ちながら、有子の決意はすっと豆腐からおからへと固まった。ふたりで遊べる、好きな布で素敵なデザインを手縫いして、男女関係なくただ美しいと思う格好をするって好きだ。


 信輔は老いた美しい人形のようだった。男でもなく女でもない、中性の美。しかし服を全部脱ぐと男だった。有子も中性的にみえても裸の体は女だった。双方の肉体的条件において出来る限りの性愛もありえた。その願いがあると、話は簡単に整理がついたのである。和彦はほとんど興味を示さなかった。


 有子は、小さなマンションに信輔と引きこもった。家族に呼ばれると出て行くのみで、さまざまな布や小物、糸やミシンにあふれた生活を始めた。もともとデザインが本職だった有子は、その歳で再び中性的でありながら、どちらにでも移動出来る新しいコンセプトを創発したのである。信輔にも寄与出来る才能があることがわかった。


******


「遊びにおいでよ、聡ちゃん。いいよ~。最上階だから、天窓があるのよ。そこに一軒だけだから四方に窓があってね、戸建て感覚よ。眺めがとてつもなくいい。西には富士、北には東京タワーにスカイツリー、南のはるかに海だよ~。ご主人は自炊出来るし、第一実家があるのよね。いつまでもいいよ。孫の世話以外自由でしょ」

 聡子はその招待に逆らえないと思った。

 

 聡子の決して消えない記憶の中で、初恋はやはり輝いている。信輔に会えるという希望が心を高ぶらせた。よくあることだし、と聡子は自分に言い聞かせる。

「なんだよ、俺だって暇だから一緒に行くよ」


 聡子は夫の譲の顔を見上げた。

「二人で泊まったら迷惑でしょうに」

「まあそうだね、俺はじゃあ一晩くらいお世話になってあとは好きにするよ」

 信輔に次いで好きなタイプ、好きな性格だったのだが、こんなあっさりしたところもつき合いやすかったのだが、ひとつの欠点が強力すぎた。


 麻子はそれを聞いてむしろ嬉しげな声を出した。

「譲さんって、この前の写真でみたけどちょっとした、なんというかインテリ風でかっこいいよね。信輔は今はここに居ないんだけど、貴女が来るのなら帰ってくるんじゃない」


「別居なの、本当に敢行したの」

「まあね、その話はまた会ってから」

 聡子は複雑な気持ちになって、鏡台に座っていた。鏡の中にはかくしようもない年齢がみられる。麻子の写真にも、頬の線がくずれまぶたが落ちているのがありありと見えていた。

 今は今、と聡子らしく思い切った。


******


 羽田空港で手荷物を受け取り、外に出ると四十年以上の年月を経た顔が双方から笑っていた。おおげさに騒ぐようなことは起こらず、静かに挨拶を交わした。聡子が譲を紹介し、麻子は初めまして、と言って。知らぬ人が見たら、お互いに友人のカップルは、あるいは感じの良い初老の男女であったろう。からくも人生を無難に乗り切って静かな生活にありついた男女と見えただろう。現にからくも生活は成り立っていた。


 おそい昼食をそこでとり、バスで15分の高層マンションに落ち着いて、うわさの四方の窓をさすがに感嘆しながら眺めて回った。家具は余り無い。


 リビングの高い天窓から、あらゆるものと繋がる予感が流れ込むような気がして、聡子の心は思わず舞い上がった。

「ねえ」

と、玲子が聡子に体をくっつけてきた。


 玲子は、麻子が引っ越してからは、毎日のように喋ったり料理を運んだりできなくなったのだが、そのかわり泊まり込んでいくようになった。不定期ながら、次第にトータルな日数が増えていった。


 麻子と聡子は娘時代、友情の始まった頃は、女同士数人で芋虫のようにくっついて動いて遊んだものだ。掛け値無しの親しさであったが、知り合ったばかりの玲子が同じようにくっついてくるので、聡子は驚いた。自分を即、受け入れて信頼している、人恋しさのようなものが感じられた。


「聡子さんの彼って、けっこういい歳の取り方をしているじゃない?」

「うちの? そう見える? 外面だけよ」

「そうかあ、そうかもね。外面だけの付き合いならいいのかなあ。夫婦だと結局甘えなのよ、それが深刻な不満になるのもしかたないしさあ」


「そうそう、甘えが深刻な言い争いにならざるを得ないという、そんな関係よね,夫婦って」

「どこか無理がある。あたしらみたいな程度の人間にとって結婚制度はね」

「玲子さんのご主人は四十代で亡くなったのですってね。それ以来自由なのはどんな感じ?」

「寂しい。けんかしたりイライラしたり、看病したりだったけど一人はイヤよお。息子一家はもう別家族だもの」


「ここに居着いたらば? 麻子さんは料理ヘタだから」

と、聡子は麻子を見た。麻子は苦笑いして頷いている。

「玲子さんってとてもお料理が好きなのね。おうちではさせてもらえないし、食べさせてもらってるという楽隠居なのに、残念ながら簡単料理ばかりなんだって」

「腕がなってる、ふふ」

「そう、腕がむずむずよ。それにもう居着いてるようなもの。ヨメさんもほっとしてるでしょう。うざったい姑がいないとね」


「代々、繰り返されるこの無理強い。私、娘ばかりだからまあその苦労は少ないけどね」

 そう言ってから、聡子はさり気なく尋ねた。

「で、信輔さんはどこにどうして?」

「ああ、あの人明日来るわよ、荷物を徐々に持っていってる」

 麻子の返事には何の感情も無かった。

「来るってどこから」

 聡子が少し胸を突かれた様子なのを感じて、麻子は付け加えた、感情無く。

「彼が幸せでいてくれたら、私は満足よ。一番いいことだわ。あ、東北新幹線でね」


 その夜、麻子の賃貸マンションに玲子も泊まった。聡子夫婦の家庭内別居についてすでにおおよそ聞き知っていたせいか、玲子は余り遠慮せずに聡子の夫、譲に愛想を振りまいた。

 意識してのことではないようだったが、好意が自然に溢れていたので、饒舌ではない譲が思いもかけず頬を紅潮させて自分の事を語った。

 麻子と聡子は、時々笑い半分、いぶかしさ半分の視線を交わしては部屋の準備をした。玲子はすでに彼女の仕事の分担を果たしていたのだ。

 麻子と聡子は同じ部屋に寝て、つもる話をした。


******


 翌日になると、やはり信輔が戻って来るらしかった。

 キッチンは狭いので二人がやっとなのだが、その分効率がよく食事が済むと同時に綺麗に片付いてしまい、麻子はすっかり満足している。自分がこれまで手際が悪かったのが不思議にも思えた。要するに信輔がもう少し協力してくれたら信頼を失うことは無かったのだろう。

 双方が家事を好まなくても、分担したり協力すればきっとうまくいったのだろう。今更そんな解決方法がわかっても、もう遅すぎた。有子とはうまく手伝い合っているのかもしれない。そうなのだろう。

 乾いたシーツにアイロンをかけている聡子の横で、すんだ分を畳みながら麻子がそうひとりごちていると、チャイムが鳴った。

 

 有子の独特な歌うような声が聞こえた。やはり、一緒に来たのだ、と麻子が戸惑いを感じたのはやはり聡子の手前だった。まだそのことを言いそびれていた。

 まず信輔がのっそりと入ってきた。すぐ後ろから小柄な有子が、美しい青い服を着て小粋に現れた。


 麻子が紹介する。誰からどんな順番に、と戸惑いながら、手近にいた玲子に向かって言った。

「旧夫よ、信輔。こちらはね、玲子さん、顔は知ってるよね。そして彼のお相手が有子さん」

 麻子は元気よく、何も感じない風に両手を広げて双方を差した。


「メールで情報はおおよそわかっているわよね。それから、ほら、聡子さんよ、あなた。こちらがご主人、譲さん」


 聡子と譲は呆気にとられていたはずだが、すぐに事情が分かった、という風に世慣れた挨拶を交わした。

「あ、信輔さんって50年代に関西方面でお会いしたんじゃなかったでしょうか」

 信輔は思い出せないような顔だったが、譲が詳しく話しだしたので、自然にソファーに座ってしまった。


 聡子はお久しぶり、お変わりなく、と信輔に挨拶はしたものの、やはり衝撃を受けたようだった。そして有子が若々しく気軽に話しかけてきた時、話に聞いていたとおり日本人離れした雰囲気に圧倒されそうになった。しかし、向かい合って気候の違いなどについて話しだした時、有子が実はかなり歳上らしいことを思い出し、かつ確認出来た。

 自分の方が若いことに自信をもったとか、そんな気持ちではなかった。

 有子がかなり信輔より歳上だということが、何故か聡子を冷静にさせたのだった。

 信輔が有子に保護されているとうことに安心した。つまり、聡子の人間愛が、昔日の初恋の名残の感情を上回ったということになる。そしてさらに、聡子自身がそれを感じて自分に満足したのであった。

 麻子はいつものように、人の思惑を無視する性癖を大いに発揮して、聡子を詮索しようとしなかったが、そのうち自然にわかってくるはずだった。


 信輔と譲は、どことなく気が合ったらしく、譲が聡子を置いてひとりで発って、知人を訪問するという時には、またこんな機会を持ちましょう、と握手していた。


 玲子は隠しようも無く譲に親近感を抱いていて、帰りにまた寄ってくださいな、とこれまた握手していた。


 麻子は、思いがけない展開に頭をふっていた。これから何かが起こるのだろうか、と思案してみた。有子のように行動力と責任能力はないだろうから、まあ気持ちだけの「恋?」と笑いがもれた。お気に入り、って言えばいいのかな、それくらいありうるよね、と自分に納得させた。


 いつからか、老女の館、というような妄想ができつつあった麻子の頭に、男がうろうろするという可能性はなかったのだが、あまり困惑してもいなかった。今更、本気になることは考えられないし、万が一有子のように本気なら、一緒に暮らせばいい、それがダメになったらまた姥同士のこの暮らしに戻るのだ。


******


 眉子からは、メールで逐一日々の泣いたり笑ったりの報告が届いていた。結婚して近くの市に移ってからも、眉子の感心は嫁との確執でありつづけた。眉子が育てたと言っても過言でない孫のひとりが、そのあおりを受けて親と祖母との板挟みになっていたのである。


 眉子が母親を批判すると息子が怒り、孫との接触を禁じた。それで父子の関係がこわれていき、孫は一家の厄介者になりかかっていた。眉子は一層やきもきし、無能な母親を批判し、息子が怒り、と同じ輪の中をみなが苦しみながら回っていた。


 眉子の新しい夫、南条均は最初、写真を見せてもらった時から、麻子の気に入った風貌である。なんらかの魅力があるというのではなく、成熟した平穏な年輪が刻まれていたからだ。

 よく知り合ってという訳でもない眉子の、複雑な心理や境遇によく理解を示し、愛しているようなのが微笑ましかった。

 妻に病死された彼にも、新妻への夢や期待があったはずだが、眉子の苦悩に寄り添ってしだいに自分の期待度を下げていく余裕を見せたのには、麻子はますます感心した。


 その南条夫妻がついに麻子の老女の館を訪問すると言ってきた。その頃には、いつの間にか眉子の嫁が折れてきた。そこには南条均の言葉と説得がなんらかの効果を発揮したと麻子は見ていた。嫁姑の間がゆるやかになると、家族の中で眉子の大事な孫が大切にされ始めた。今度は善の輪が回り始めていた。


 おおかたの老女たちの人生と同じく、楽しみの少なかった庶民生活を送っている麻子が、いつになく浮き浮きした気分でいた。これほど精神が高揚するのは珍しい。まるで何も起こらないのにひとりで盛り上がり満足していた少女時代のようだわ、とひとりごちた。

 その頃の麻子は病弱だったために朝夕に養命酒を飲まされていた。つまり常に酔っぱらっていたのだ。


 「珍しく、立派な男性にお目にかかるのよ。利己主義でも甘えん坊でもない、心の大きな男らしい人にね」

 玲子に説明した。玲子は大きな眼をパチパチして、

「それ、南条氏のことでしょ。他人のご亭主のファンになってどうすんの」

「いいのよ、別に。何かの慾がある訳でもないし、実行力も無いし」

 麻子が横目をしたので、玲子がくすっと笑った。 


「あたしだったら、彼に一度くらい抱かれてもいいかな」

「ふふふ、ハグしてもらいなさい、譲さんに」

「恥ずかしいよね、お互いに。老残、老残。暗闇ならいいかも」

 麻子がとうとう大笑いした。そんなことも珍しい。


「じゃあ、どんな御馳走しておく? 今週はあたしの出費だけど彼らにも少し出させるの?」

「言わなくても出すわよ。眉子さん、ほんとはここに居着きたいのよ。最初のアイデアの頃からね」

 そのころの住人は、二人以外には聡子の三人だけなのだが、数日孫が泊まりにきていた。麻子の孫も来ていて、もちろんその経費は別会計である。


 車は駐車場代が高いので、流行りつつあるシェアカーにしていた。運転は玲子が主である。運転好きなのでみんなでドライブに行くことも多い。予約日の今日は羽田まで一走りだ。


******


 眉子に会うのは半年ぶりである。南条氏は歳に似合わぬスタスタした歩調で麻子たちの前に現れた。麻子は、ついに尊敬すべき人物に会えたので感激していた。


 その雰囲気は彼女の予想を裏切らなかった。両手の振り方がふと、麻子の父を思い出させた。そうなんだ、父のような包容力とは正反対の男に惚れがちだったと思う。外見でも何と無い魅力でも、セクシーさでも金でもない、真人間と出会った。


 眉子には、南条氏のちょっとした癖が気になるそうだった。貧乏揺すりとか歩き方、知的な話題に疎い、色の趣味など。変な食べ物が好きでも、そんなころは個性だからなあ、他の人間に対する大らかさ、信頼、騙されても期待に反しても、自分を変えることが出来る、そんな面は滅多にあるものじゃない。


「若い頃は、愛してるか愛されてるか、そればかりで男をみてたじゃない」

 麻子があとで玲子に言うと、

「それはそうだけど、でもあたしはお見合いだったから、性格や家族関係やいろいろ重要視したわよ」

と、玲子が言う。そうか、それは恋愛結婚では意識して無視しちゃうんだなあ、そのつけが回って来る。

 信輔が自分を女として愛したかどうか、自信はなかった。最初はそれでもめた。そのうち病弱となった信輔が麻子を束縛するようになったとき、麻子には自由を願う気持ちしか無くなったのだった。愛云々はもう論外だった。


「そうして、人は人としてお互いに価値を求めるようになるんだなあ、性別を問わなくなり基本に至る」


 ひとつき近く南条夫妻は老女ハウスに暮らして、やがて南条氏のみが帰った。別れたわけではなく、自由な決定だった。

 信輔も時には、しばらくこちらで過ごした。有子と別れたのではなく、双方気軽に好きなように過ごした。聡子たちもそうだった。信輔はもはや麻子を束縛などしない、柔らかな普通の人柄をとりもどした。

 譲は意外にも自由で面白い人物であることがわかった。おそらく彼にも新しい発見だったろう。畑仕事や釣りや、バイク旅行など楽しんでいた。

 女ばかりの暮らしの気軽さがよかったし、また誰かの夫が現れたときはそれはそれで、少し華やいだ。慕わしい気持ちになるのではなく、少し楽しく明るくなるのだ。


「さあ、できたよお」

 譲が得意のバーベキューの準備を済ませて、みんなをベランダに呼んだ。


 各自の部屋で好きなことをしていた人々が出てきて集まる。目下の予定住人が全員集まっているので,少々ごったがえしてきた。ベランダはそんなに広くないので、お皿と飲み物を手に、好き好きに偶然任せで居間にも居場所を作る。

男性陣がこうまでそろうのは珍しい。それには三人が五月にそろって誕生日だという理由があった。玲子と眉子が古希となり、また南条氏が七十五歳となる。


 譲がサーモンとサバを焼き、玲子が野菜を取り合わせた。南条氏も肉の味付けなど堂に入ったものだ。

 それにしても、みな健康である。少々の薬は各自必要としているが概して良く食べ、良く眠る、良く散歩する。それはやはり仲間が居るからに違いない。一年に二、三回旅行できなければならないが、融通しあえるとみんな思っていた。

 この中で余り財政に余裕の無いのは、麻子と聡子たちだが、それぞれ役割があり異論は全く出ていない。


 麻子は住まいを提供し、かつ太極拳を全員に強制的にさせている。

 聡子はちょっとした医療関係者だし、それ以外にも記憶係でもある。

 玲子は料理、有子は相談役兼美化担当、気の合った女同士の役割は自由に決まるのだ。


 玲子は譲のそばに座る。聡子は信輔がみえる位置に座る。麻子は南条氏と話すのに余念がない。有子は眉子の相談を受けている。



第三章( 1 / 2 )

第三章


 みんなで何かを始めたい、ということになった。それぞれの趣味はあるのだが、音楽活動が欠けていると麻子がきづいた。今更カラオケという娯楽には興味がわかない、かといって、歌を唄うとなると絶対的に声のついてこれない人物も多い。

 音楽を聴くのは好き好きだが、それはそれ、などと目的の無い対話をするうちに、NHKの放送大学の番組をみていた麻子と有子と玲子が、一斉に

「なあるほど、これだわね」

と、手を叩いたのである。


 それによると、現在の西洋楽器、および声楽はその波長を調べると見事に人間の可聴領域二十ヘルツにとどまるように作られている。つまりデジタル音とでも言える。これに対しレコード、東洋の弦楽器、太鼓、歌唱法などを測ると、波長は細かく不定に動いていて、聞こえない高周波四十ヘルツまで含んでいる。


 この不定常の音域を聞いていると活性化する中脳という部位は、心性に快い影響を長く与える、そういう仕組みになっている部分なのだ。しかも、イヤホンだけで聞いても効果はなくて、体でその振動を感じなければならない。伝統的な民族音楽の楽器はすべてこの要素をもっている。曰くハイパーソニックエフェクト。


 有子さんは、アボリジニ独特の打楽器を持っていた。元々は在り合せの枝と枝を打ち鳴らしていたのらしいが、経験を重ねて太さを部分的に変えて、相手方の棒を複数にし、面白いいろいろな音を出す。麻子さんは琴を少々つま弾く。聡子さんはハモニカ、玲子さんは息子が使っていた縦笛、眉子さんは鈴と声と舞踏。


 とりあえずはそんなものを持ち寄り、有子さんがいくつか叩いて音を鳴らした。一呼吸置いて、みなが自由に計画無く十秒ほどかきならした。それでおわり。みながちょっと呆気にとられ、息を吸い込んで止めていたが、最後はわっと笑い出した。楽しいおかしな音が作られた。


 何しろ一回限りの即興演奏なので、ビデオにできるだけ収め、研究を重ねることとした。無限に豊かな未来が開けているのを感じて誰もが浮き立った。



 それぞれの趣味、パソコン、水彩画、書道、写真、料理、裁縫編み物、詩歌などに勤しみつつも、都会生活には自然、本当の自然がないことに、特に里山生活の長い眉子さんが少し苦しがった。彼女の写真にみるうっそうとした景色や鈍色の日本海に触れたい、と次第に思う気持ちが強まって行った。その頃、玲子さんの従妹の一人が都会から田舎へ移る計画を立てていた。


 その場所を決めかねていたのだが、その珠美さんもこんな姥集まりの試みに興味をもって、ちょくちょく話しにきていた。すると、すぐに全員一致で決まったのは、眉子さんの、つまり南条氏の家のある京都市北部の里山に別拠点を作るということである。


 眉子さん宅は二、三人の収容は可能だが、長期にわたるとなるとやはり家が必要である。こんなことのためにせっせと東京で働いてお金をもっている珠美さんが、どうせ古家を買うと言い切ったのである。ひとりで見知らぬ田舎で暮らすのは、望んでいても心細い。その問題がすでに解決済みなのだ。


******


 地元に詳しい南条氏のつてで、かなり広い敷地を持つ家を格安で手に入れることが出来た。改装費はかかったが、カンパを募るまでもなく珠美さんの予定出費に入っていた。主なリフォームは水回りとネットの配線、網戸、テラスなど。そのかわり、畑仕事を全員でするのである。


 農業の経験はだれもなかったが、周囲の同年代の人々が黙ってはいなかった。たちまち見事な畝が立ち、あれこれ苗や種が施された。見る間にそれらは青々と育った。大人数でも食べきれないほど収穫があった。おまけに近所からも頂くのである。


 そうするうちに、一年経った頃には、それぞれの知人友人がぞくぞくと「入所」を希望するようになった。

「人数が増えすぎると、ちょっと大変かなあ」

「そうね、麻子さん、自然発生的な、気の合う既知の数人というところでしょう」

「多いと、配膳だけでも無理があるし、画一的になっちゃうよね。私の独創料理も腕が鈍っちゃうかも」


 聡子さんが、だとすると、と言い始めた。

「小さな下部組織、支所が各自でできればいいのよ。そこを中心に、もちろん自由に訪問し合って新しい友人関係を作れるし」

「そう返事しようね、ますます孤独な姥たちが増えるばかり、自分たちで助け合わないとね」


「自助組織作りだったのねえ。私、そんなことまで考えなかったけど、最初は」

「そうそう、友達と一緒に居たら、娘息子といるよりワクワクした。家族が大事でない訳ではないけど」

「ひとつ、考えなければねえ」

「え、なに、有子さん」

「だってね、私が最年長でしょ。いつ認知症とか、癌とか始まるかもしれない、そのときのことよ」

「有子さんたら、あなたが一番生き残りそうよ」

「そうそう、若々しいったらないもの」


 それは最後の大事な話題であった。

 すでに里山の家で、珠美さんが捻挫、南条氏は虫に刺された、という事件が起こっていた。眉子さんがフォローに当ったが、珠美さんの娘も数日たちよるそうだ。もともと聡子さん夫婦がまもなく畑仕事をしに行く予定だったので、玲子さんもその気になっていた。


 年齢を重ねると、視力による認識範囲が狭まり、のろくなるので、足元のなにかによく躓いたりする。その時大腿筋とすねの筋肉をきたえておくと、不思議なほどとどまることができる。それは麻子さん指導の太極拳でみな練習しつつあった。



第三章( 2 / 2 )


「きゃあ」

 玲子さんが台所で叫んだ。数人がかけつけると、包丁が足のそばに突き立っていた。危なかった。数日前は、火のついたコンロで服を少し焼いた。


 麻子さんは一緒に炊事することにした。お互いに危なっかしいのだが注意し合うことは出来るはずだった。玲子さんが野菜を刻むのを、をかきませながら麻子さんは観察していた。このごろ特に同じ話を繰り返すようになったと思う。

 料理は脳を使うので老化にはいい影響を与えるのだが、危険がある場合、シルバー人材センターなどの六十代の助けを借りるのもいいかな、と考えを巡らした。


 癌、循環器病などの重大な病気、骨折もありうるし、入院や、リハビリなどと長引いたり、痴ほうやパーキンソン病などゆっくり進むものもある。最後は寝たきりとなり、食事と排泄、清潔の世話がくる。年寄りばかりでは早晩この共同生活も成り立たなくなる。


「待てよ、そうだ、若い人も入ってもらえばいいんだわ。そうそう、りさちゃんを誘ってみよ」

 麻子さんはこのごろ、とても思い切りがよく、決断が速い、というより考えが浅くなったのかもしれない。とりえず、従妹のりさちゃんに電話をかける。

 ベルを音を聴きながら、そうだよなあ、絶えず誰かがこんな協力体制を必要とするんだもの、老人ホームもあるにはあるけど、見知らぬ人ばかり、あるいは痴ほうの人ばかりの中では苦しいものねえ、と独り言を呟いていた。


 従妹のりさちゃんというのは、生まれてすぐの脳炎のせいで、知恵おくれがある。

 麻子さんが家庭教師のようにして学業を手伝ったのだ。天使のような子だったが、今は母親を看病している。昔から、麻子さんはもしこの子がひとり残ったら、引き取れるものなら引き取って面倒を見たいと思ってはいたのだった。


 叔母と電話口で、麻子さんは固い口約束を交わした。他の兄弟はいるのだが、その家族に入って行ける訳でもないので、そんな共同体があることを知り、彼女は一も二もなく頼みこむのだった。りさちゃんもまもなく還暦になるのだ。私に万一の場合は、息子たちにも言い聞かせておくから、りさのことはお願いします、安心して死ねるわ、と叔母は涙声で言った。


 二千二十年、日本は高齢化少子化社会に特有の社会保障費赤字、それがますます増大するひとつの極限をむかえていた。


 姥拾い、と冗談で名付けた友人たちの家では、男性陣は死に絶えていた。

 信輔も譲も南条氏も、最後に心地よい交遊相手に恵まれたのである。心置きなく好意を示し合いながらも、多分、節度を護るしか無いプラトニックな関係を楽しんだはずだ。

 玲子さんは少し痴ほうがでてくると、ますますおおっぴらに譲さんに近づいた。二人が手を握っていても誰も見ない振りをしていた、あるいは気づきすらしなかった。


******


 聡子さんは、信輔さんをときどき眺めるだけでほっと笑っていた。有子さんだけが長いこと東京や里山に逗留したりしているうちに、別に喧嘩したということでなく、双方が自然に疎遠になって行き、好きに暮らしていた。ある朝、信輔さんは東北の自宅で、ひとりで眠るように亡くなっていた。


 ちょうどその日に、虫の知らせか、聡子さんを伴って戻っていた有子さんがすばやく必要な手続きをとっていった。

 聡子さんは、少し涙を流した。信輔さんが結局のところ、どんな欠点があったにしろ人間として清らかなであったこと、その清らかさををいまでも自分が見ていることを感動的に思ったのだ。

 聡子さんが清らかなのかも知れない、あるいは、人間は本来清らかな存在であるではないか、そんなことまで思わせてくれる信輔さんの存在が、聡子さんにはただ有り難く後光がさすようにも感じられたのだ。


「あたしもねえ、聡子さんの感じ方をよくわかる。自分に正直で自己中心的だったけど、利己主義じゃ無かったわ。自分にストレートだった。麻子さんがそれをわからなかったわけじゃないけど、彼女の立場ではそれ以上が必要だったでしょうね。

 彼女は結婚すべきではなく、恋人のままで仕事に存在価値をみつけていくべきだったのでしょう。それは実はどんな女性でもそうなんだけど」

「よくわかるわ。現代女性には伝統からはみ出す部分がとても多い。だからといって、子供はやはり特別よね。矛盾はあるわ。そこらへんはまだまだ確立されてない、どう対処すべきか。保育園が完璧になり、労働時間が過酷でなければ、両立も可能なはずだけど。そんなことと資本主義とはぶつかるのよね」


「多分国際化の影響だけど、資本主義すなわち民主主義、と信じて先進国は経済活動をますます重要視してきた。資本主義のもたらす負の面は、富の格差。労働の質。いっぽう民主主義的選挙も、実際最近では疑問になってきている。国民の考えが多様化すると、多数決という選挙の意味が失われて行くよねえ」


「若い頃から、もっと人を助ける仕事をしたらよかったって思うわ。自分のしたいこと、できることだけを追求してきて、なんだか恥ずかしいのよ」

「情報は行き交って、地球はひとつであるのに、個人個人はその違いを重要視し、個人情報を護ろうと際立っている。なのに本当は情報はつつぬけ」


「麻子さんとも、こんな話をして、本当に厄介な、わからない世界になったねえって言ってる。混沌として、人類には、地球にはもう未来はないような」

「早く死にたい?」

「早く死んでもいいよね」

「もう余り子孫を作ってほしくない。生物はこんな世界で殺し合って生きてる訳だし」


 聡子さんと有子さんは、信輔さんの遺体を前にえんえんと厭世的な話を続けた。


******


 男たちへの葬送の曲を媼たちが演奏する日が来た。

 信輔さんだけが風葬を指定していた。

 

 里山の家で、媼たちが日々研究し練習した自由律民族音楽「即興曲 人は花たれ」だ。聴衆がいつもより多いのは親戚が集まっていたからだが、音楽を聴いたら彼らがきっと驚くであろうと思ってほくそ笑みながら、媼らは青色で一応統一した衣類をまとい、皐月の風を受けて円形に陣取っていた。 その向かいには、白い花の中に埋もれるようにして、三葉の写真の中で、大きく笑っている顔が並んでいる。


 麻子さんが、いきなり左腕を高くあげ、全員を集中させた。お琴のもっとも低音部分をかきならした。その音階に合わせて、他の楽器も憂鬱な音を唱和した。

 鈴の音が涼しく響いた。

 ゆっくりしたリズムがまた十呼吸ほど自由でかつおどろおどろしく続く。

 鈴と太鼓がかけあいをした。

 木が打ち鳴らされた。激しく。

 お琴が全音階をかけめぐった、激しく。

 またおどろおどろしい主題がくりかえされ、急にさわやかな笛の高音が響き渡ったが、すっと消えた。


 南条氏のために、妻の眉子さんと麻子さんが越天楽を唱和した。なんとか唄える音階であり、声の続く限りゆったりと唄った。

 譲さんのためには、妻の聡子さんと玲子さんが早春賦を唄った。

 信輔さんのためには妻の麻子さんとパートナーの有子さん、それに聡子さんがお別れに平城山を唄った。


 その後は、軽い食事が出て、泣くひともなく思い出話をそれぞれの輪の中で紡いだ。穏やかで興味深いおもい残すこともない最期といえただろう。

 彼らは遺産の半分を媼の家の下支えにと寄贈した。たいした額ではないのだが、最低の年金しかない媼には何よりのものであった。

 夕焼けの気配がしてきたころ、お開きになる。参加者はそろそろ家路につかねばならないからだ。 媼たちの子供たちが孫付きで帰って行く。しかし、その前にもうひと演奏あるという。人々はにやにやしながら、彼らの前に立つ媼たちを見詰めた。


 まだ誰も介護保険の世話にはなっていなかった。お互いにフォローすれば、社会保障に対して要求される原価の高い介護料もいらないかもしれない。みな栄養がよく、運動も行き届いて、楽しげで安心していた。


 最期の演奏がまたふるっていた。親戚たちの語り草になったほどだ。


 低音ないしは雑音に近い楽器は、その特性を発揮して思い切り重厚な音をかき鳴らし、太鼓は力の限り打ち鳴らされた。しかし、高音を出せる楽器は最高の音で弾き鳴らし、吹き鳴らし、振り鳴らした。

 麻子さんのやや本格的なお琴が明らかな音階を響かせていた。

玲子さんの縦笛がつぐみのようにメロディアスに響いた、雲の彼方まで届けとばかり。   了




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