イエスの真実  6

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はじめに( 1 / 2 )

  

 

          は じ め に

 

 

    すでに前巻からもお解りのように、イエスは 『 旧約 』 にこそ基づく、神の救いの顕彰(けんしょう)と、師ヨハネの霊(れい)にも導かれて、敢(あ)えてもエルサレム上京を果たしました。

 

     しかし、それに随(したが)う弟子たちにとっては、ヨハネ譲(ゆず)りの 『 神の国 』 の教えさえ、専(もっぱ)ら師イエスを通してのみ、信仰するばかりでもあったに他ならなかったのです。

 

     さては、自らの贖罪(しょくざい)の途(みち)をも求めて已(や)まない、イエスの切実さと、概(おおむ)ね、イエスに説かれるまま、その教えの救いに頼るばかりであった弟子たちとの、その信仰心の差異こそが、ついぞ解消し難い隔(へだ)たりとして、自ずと不審(ふしん)の芽すらを育てかねない、いわば温床(おんしょう)ともなり得ていたと想われてなりません。

 

     それゆえ、イエスの言動の一つ一つにさえ、その都度(つど)ごとに自ずからにも、感服(かんぷく)と疑念の疼(うず)きを、交互にも覚えずに措かれなかったに違いないのです。

 

    ところが、そうした実際の現実こそを、聖書は一切拭(ぬぐ)い去って、代わりに揺(ゆ)るぎ無いかの信仰心のみに、ものの見事に飾り立ててもしまえばこそ、却(かえ)って矛盾の際立(きわだ)てられて、いわば無理圧伏(あっぷく)のさながらに、『 定め 』 の一語をして説き伏せるより手立てが無い、それこそのイエスキリストの、後講釈(あとこうしゃく)にもすぎない、紛(まぎ)れもない真相にして実情にも他ならないという訳なのです。

 

     さて、その苦心且(か)つ窮余(きゅうよ)の一策は、はたして功を奏(そう)したといえるのでしょうか?

はじめに( 2 / 2 )

 

  

    なるほど、今にも在るキリスト教の盛況(せいきょう)を見れば、確かに大いにも功を奏して余りあるかに認められてもなりません。

 

     しかし、その趨勢(すうせい)のどうかといえば、それこそ絶大なる権勢(けんせい)を誇(ほこ)りさえした、あの中世の全盛期(ぜんせいき)が、もはや夢のように、特にも科学の黎明(れいめい)になる、16世紀に始まるその権威(けんい)の失墜(しっつい)は、18世紀以降さらにも加速されて、もはや凋落(ちょうらく)の一途(いっと)を辿(たど)るばかりかにさえ、思い遣(や)られてもなりません。

 

    はたして、それこその何故でもありましょうか!?

 

    時代を顧(かえり)みさえすれば顕(あきら)かに、外(ほか)ならぬ無知蒙昧(もうまい)の闇にこそ、さも絢爛(けんらん)と咲き誇りもした虚飾の徒花(あだばな)の、時代の進歩をしてこの世の明るまされればこそ、漸(ようよ)うその実体の知れもして、もはやかつての魅力も夢幻のさながらに、目敏(めざと)く惑(まど)わされる人の減りもした、そうした当然の成り行きがためにも違いないのではないでしょうか?

 

     さては、闇夜の時代にこそ、世を照らしては迷える人々を導いた、まさにせめてもの救いの光ですらあった、いわゆる神話に端を発する伝統宗教の、今や改めても白日の下に、その真偽こその糺されるべく、顧(かえり)みられなければならない時代(とき)こその、すでに久しくもあるのではないでしょうか!?

 

     実に2千年の伝統を誇る、他ならぬ 『 新約聖書 』 をして、けしてその例外ではなく、況(ま)してや、それにも先立つ 『 旧約聖書 』 の当然ながらに言うに及ばず ・・・。

 

 

 

 

 

 

                         著 者    主 代 宗 元

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作家:主代 宗元
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