一巡せしもの―東海道・西国編

甲斐國[浅間神社] ( 4 / 22 )

甲斐國一之宮[浅間神社]04



おかげで国道20号線は大渋滞。

これまで高速道を使っていたトラックなどが一斉に一般道へ押し寄せてきたのだから、当然といえば当然の話。

ただでさえ時間のかかる一般道の走行が、さらに輪をかけてノロノロ運転になっている。

それでもまだノロノロ運転は我慢できるが、交通量が激増した国道沿いの民家にとってはいい迷惑に違いない。

バスの車内がガラガラなのも、甲府ならJRの特急で行ったほうが例え運賃は高くても、バスとは比べ物にならないほど早く到着するからだろう。

それでもこのバスを利用したのは、ひとえに浅間神社へのアクセスが圧倒的に楽だからに過ぎない。

笹子川を挟んだ反対側の中央本線を、特急列車がスイスイ走っていく。

もし甲斐国一之宮が鉄道駅の近くにあるのなら、迷わずJRを使うのだが。

なかなか進まないバスは晴天の日差しを浴び、車内は気温が上がって生温い空気が充満。

そんな暖かい車内で微睡んでいたせいか、それほど渋滞にイラつくこともなく。

やがてバスは笹子トンネルの左下に差し掛かった。

さすがに微睡みも霧散する。

右側上部の入口付近には夥しい数の工事車両が並び、作業員用のプレハブ小屋が林立している。

このトンネルの中には、まだ救出されていない犠牲者がいる…それを思うと、やりきれなさを感じる。

亡くなられた方々の冥福を祈り、トンネルに向かって手を合わせ黙祷した。

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甲斐國一之宮[浅間神社]05



その先で国道20号線は新笹子トンネルに入る。

こちらは吊り天井がないので落ちてくる心配はない。

笹子峠をトンネルで抜けると中央道が今度は左手に現れ、その向こう側には白い冠雪を頂いた南アルプスの峰々が聳立している。

一方、手前は一面の葡萄畑で、甲斐国に来たという実感を味わっているうちに勝沼へ到着。

それから間もない9時20分、国道20号線沿いにある一宮バス停に到着した。

時刻表では8時40分着の予定だったので、約40分の遅延。

しかし、あれだけ激しい渋滞に遭遇した割には、意外と早く着いたような気もする。

バスを降りて停留所の周りを見渡すと、すぐ近くに掲げられていた案内板を発見。

左上には「日本一桃の里」、右下には「一宮町役場」と記されている。

山梨県一宮町は平成16(2004)年に平成の大合併で笛吹(ふえふき)市となり、現在では存在していない。

国道20号を跨ぐ歩道橋を渡る。

好天には恵まれたが、空気が冷たい。

歩道橋の上からは南アルプスに連なる雄大な峰々が一望できた。

吹き抜ける風が塵を飛ばして空気が澄んでいるせいか、遠くの景色までクリアに望め、冠雪もクッキリ見える。

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甲斐國一之宮[浅間神社]06



国道から側道に入り、桃畑の中を浅間神社へ向かって歩く。

さすが「日本一の桃の里」だけあって、見渡す限り桃林が広がる。

まだ蕾すら見当たらない冬木だが、春になれば桃の花で一面ピンク一色に染まることだろう。

桃の花を愛でつつ浅間神社に参拝するのなら、4月上旬が最適かも知れない。

桃畑から国道20号線へ戻り「一宮浅間神社入口」交差点に立つ一の鳥居と社号標を眺める。

普通の明神鳥居で、扁額には「第一宮」とだけあり非常にシンプル。

塗りは鮮やかな朱色ではなく、少々くすんだ赤錆っぽい色をしている。

ちなみに鳥居は道路全体ではなく、歩道にのみ架かっている。

その一の鳥居を通り抜け、表参道を進む。

少し先に鳥居と同じ色合いをした「さくら橋」があり、渡った先に天神様が祀られている。

白い鳥居と小さな祠、右側には実をつけたままの柿の木、後背の遥か彼方には南アルプスの峰々。

それらが絶妙なバランスを取りながら一体となって、一幅の絵画のような風景を描いている。

道の奥に白い鳥居が見える。

だが、沿道の両側には大きな神社の参道に有りがちな食べ物屋や土産物屋などは一切ない。

あるのは煙草屋と銀行ぐらいで、道の左側には古びた石碑が立ち並ぶ、ある意味“ストイック”な参道だ。

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甲斐國一之宮[浅間神社]07



一の鳥居から10分ほどで浅間神社の正門に到着した。

そこには石造りの二の鳥居と、旧国幣中社時代の社号標。

揮毫は鹿島神宮や香取神宮と同様、東郷平八郎元帥によるものだ。

甲斐国一之宮の浅間神社は「あさまじんじゃ」と読む。

ここより遥か北の上信国境でフツフツと滾っている活火山「浅間山」と同じ「あさま」だ。

一方、駿河国一之宮の「富士山本宮浅間大社」は「せんげんたいしゃ」と読む。

「あさま」の語源は古語の「火山」に由来している…という見方が一般的だという。

肥後国一之宮「阿蘇神社」の「あそ」もまた、同じ語源にルーツを持つと言われている。

「あさま」も「あそ」も火を噴く山を意味し、それらを鎮めるために祀られたのが甲斐と肥後の一之宮なのかも知れない。

鳥居をくぐると随神門、通り抜けると左側に社務所と参集殿。

その奥にトイレがあり、ちょっと拝借。

用を足しながら目の前にある窓を覗くと、視線の先には浅間神社が経営する保育園が広がっていた。

随神門から参道を奥へ進むと、突き当りではなく途中左手へ折れたところに拝殿が鎮座している。

境内の案内図を見ながら考えてみると、北向きの参道に対して左側に位置しているわけだから、社殿の正面は東を向いていることになる。
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作家:経堂 薫
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