一の鳥居から10分ほどで浅間神社の正門に到着した。
そこには石造りの二の鳥居と、旧国幣中社時代の社号標。
揮毫は鹿島神宮や香取神宮と同様、東郷平八郎元帥によるものだ。
甲斐国一之宮の浅間神社は「あさまじんじゃ」と読む。
ここより遥か北の上信国境でフツフツと滾っている活火山「浅間山」と同じ「あさま」だ。
一方、駿河国一之宮の「富士山本宮浅間大社」は「せんげんたいしゃ」と読む。
「あさま」の語源は古語の「火山」に由来している…という見方が一般的だという。
肥後国一之宮「阿蘇神社」の「あそ」もまた、同じ語源にルーツを持つと言われている。
「あさま」も「あそ」も火を噴く山を意味し、それらを鎮めるために祀られたのが甲斐と肥後の一之宮なのかも知れない。
鳥居をくぐると随神門、通り抜けると左側に社務所と参集殿。
その奥にトイレがあり、ちょっと拝借。
用を足しながら目の前にある窓を覗くと、視線の先には浅間神社が経営する保育園が広がっていた。
随神門から参道を奥へ進むと、突き当りではなく途中左手へ折れたところに拝殿が鎮座している。
境内の案内図を見ながら考えてみると、北向きの参道に対して左側に位置しているわけだから、社殿の正面は東を向いていることになる。