宮城県山元町個人災害ボランティア「源ボラ」の奇跡

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【はじめに】

本作品は宮城県山元町で活動している「一般社団法人ほほえみみやぎネットワーク」が刊行しました。

内容は、当時この自宅跡地を個人ボランティアの拠点として、毎週末に災害ボランテイア活動をしていた記録です。

当時のリーダー的存在だった通称「源さん」がある日、「もう前のブログを消したい」と申し出てきました。

しかし私たちは、何かの形でブログの内容を残しておきたい、と思い電子書籍という形で残すことを決意し、

「源さん」にも了承を頂き、有料にして活動費に当てればいいよと、おっしゃって頂きました。

ここに私たちなりに、東日本大震災によって集った個人ボランティアの記録を残す決意を固めました。




※所々、記事が重複していたり、写真が抜け落ちている箇所があります。
 編集の過程で失敗しているものと思います。
 ご了承頂ますよう、お願いします。


【編集にあたって・まえがき】

2011年3月11日14時46分。
東北の、日本の、そして日本人の運命が大きく変わりました。

「大東亜戦争以来、『初めての戦後』のようになってしまった・・・」

自宅兼店舗を津波被災で失くし途方に暮れた、山元町のある小さな居酒屋
店主の言葉だった、と私は聞いています。

店主さんの娘さんは当時、町立東保育所の年長さん。
卒園式を明日に控えて、仲良しな同級生だった2名の園児と
まだ2歳の園児が、津波に飲まれ帰らぬ人となってしまいました。

店主さんの奥様は当時保育所の「親の会会長」さんをしており、
震災の日から4日めに自宅まで戻った店主さんが初めてやったことは
遺体捜索だったそうです。

その日から「個人ボランティア」としての活動が始まっていたのかも知れません。
それは、ご本人にお聞きしないと分かりませんから。
もしかしたら、「ボランティア」という括りではないのかもしれません。

「もう、ボランティアのブログを閉じたい、削除したい。」
と言いだしたのは2014年3月になってからです。
twitterのアカウントも閉じて、「ボランティア」から離れたい。
そのほうが楽になるなら、そうすれば良いと、私は言いました。
ただ、ひとこと言わせて頂きました。
「そのブログ記事、私に下さい。一任して下さい」

電子書籍として隅から隅まで書き写しますから、
それから、ブログを閉じて下さい。
「勝手にしろ・・・」

ここに、「源ボラ」の歴史を残すことを決意致しました。




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