東野圭吾作品論

東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』夏目漱石と東野圭吾

パラレルワールド・ラブストーリー (講談社文庫)/講談社
 親友の恋人を手に入れるために、俺はいったい何をしたのだろうか。「本当の過去」を取り戻すため、「記憶」と「真実」のはざまを辿る敦賀崇史。錯綜する世界の向こうに潜む闇、一つの疑問が、さらなる謎を生む。精緻な伏線、意表をつく展開、ついに解き明かされる驚愕の真実とは!?傑作長編ミステリー。
(Amazon紹介文より)





 『パラレルワールド・ラブストーリー』で描かれるのは奇想天外な世界です。

 奇想天外なとは例えばこんな世界。

 ある朝起きたらゆっきーは男になっていました(~.~)。
 飛び起きてビングに行って「どうしよう、あたし朝起きたら男になっていた!」と騒ぐ私に「本当だ!こりゃ大変だ!」と騒ぐ家族。
 ライトノベル向きの楽しいドタバタが見えてきます。

 はたまた、「げ!いつからこうなっちゃったの?」と慌ててリビングに行って「あたし朝起きたら男になってた。どーしよー」と半泣きしてるのに、母親は「何バカなこと言ってるの、ユキオ(笑)は生まれた時から男の子じゃないの」と平然言う。父は「バカな事言っていると学校に遅れるぞ」とか言っちゃって忙しそうに新聞を斜め読みしてる。独り呆然と佇むわたし。
 こっちは、みんなで共有するドタバタじゃなくて「え?うそ。そもそもあたしって誰なの?」みたいに視線が孤独な個人の内面に行ったりするシリアスな小説向きかも。




 今回の『パラレルワールド・ラブストーリー』は…?

 そこはさすが東野圭吾さん。そのどちらでもありません。サスペンスタッチの夏目漱石。これが読み終わった瞬間の私の読後感でした。



 まずさっきの「ゆっきー朝起きたら男になっていた」ストーリーで言うと、お父さんとお母さんが、実は娘は女だと知っているのに【示し合わせて昔から男だったと嘘をつき通そうとする共犯関係にある】という、サスペンス的なスリルのあるひねりが入ってます。

 記憶捏造の【共犯者】はバイテック社とバイテック社の付属研究機関MCA。主人公の敦賀崇史、親友の三輪智彦、三角関係の要のヒロイン津野麻由子の三人が勤務する米国資本のある企業だ。





 ここで俄然小説世界は厚みを増します。

 バーチャルリアリティや記憶といった人間の本質に関わる事柄を莫大な予算を使って研究し、秘密裏に製品化して収益をあげる国際企業。その研究員である三人。後輩の篠崎研究員はその極秘実験台となったために、自分の記憶に齟齬をきたしパニックに陥った果てパーティーの席上で暴れ出してしまい、その後行方不明になる。
 そして、親友の三輪智彦は何時の間にか米国に赴任してしまって敦賀崇史の前から姿を消している。さらに奇妙なことに、親友のその赴任の事実に敦賀が気がつくのは、渡米後数ヶ月もたってからの事だったのだ。

 敦賀崇史が朝目覚めるといつものように横に寝ている女性は、確かに自分が以前から付き合っていた同じ会社の研究員津野麻由子だ。でも、何かがおかしいと思わせる事が次々に起きる。麻由子にも会社の人間にも敦賀崇史はその違和感をぶつけてみる。しかしみんなは一様に、崇史が感じているような違和感は存在しないと断言するのだ。

 自分の記憶にも知らないうちに何か異常が起きている?主人公の敦賀崇史は不安で狂いそうになりながらも、その謎を解明しようとしていく。

 これが大まかなストーリーです。事実を隠蔽工作をしようとする企業とのスパイ小説みたいなスリリングなやり取りで話はテンポよく進み、ページをめくるのがもどかしいほどです。


 そして、この小説のもう一つの厚みが東野圭吾ならではの人間描写です。敦賀崇史はそのパラレルワールドの中で、津野麻由子を巡って激しい恋の葛藤を経験します。
 津野麻由子は親友三輪智彦のかけがえのない恋人だ。敦賀はその麻由子にどうしても抑えきれない恋心を抱いてしまう。そしてとうとう三輪もそのことを知ってしまい、麻由子にどちらを選ぶかを迫るのだ。しかし麻由子はその時すでに敦賀に半ば強引に求められ、体を許していたのだった。


 …と、明治の文豪夏目漱石の『こころ』のような緊迫した倫理劇がピタッとはまっているのです。
 そこがこの作品をライトノベルや通俗シリアス劇と違ったものにしているポイントでしょう。

 三人にとって生きて行く事すら辛い、それぞれの三角関係。『こころ』においてはKが自ら命を絶つ事で事態は後戻りできない運命の歯車を回しました。
 この小説では恐ろしいことに、彼らが携わっていた人間の記憶を改変してしまう技術が運命の歯車をもてあそびます。







「嫌なこと、悲しいこと、辛いことを経験したことによる心の痛みを、すべて忘れるという方法で解決していいものだろうか。むしろ人間はそうした心の痛みを、一生抱えて生きていくべきではないのか」








 最後に敦賀崇史は、その歯車を回す前にこうつぶやきます。そかしそれを聞いた津野麻由子の決断は…

 人間の記憶が変わってしったとしても、この小説の中で唯一最後の最後まで変わらないものがあったかもしれない。

 それは『こころ』の中の先生が「お嬢さん」に抱いたような、敦賀崇史の津野麻由子への愛だった。このどうしようもない愛を貫くために、敦賀崇史は三輪智彦との関係、そして彼らの生きる世界そのものを壊したのだ。

 しかし、その愛は果たして変わらぬ真実の愛だと言えるだろうか。
 それは漱石が『こころ』で描き切ったように、人間精神の根本にある業、エゴイズムと言えないだろうか。



「俺は弱い人間だ」
 彼女は目を伏せ、少しの間黙っていた。やがて顔を上げた彼女の睫は濡れていた。
「あたしもよ」



 東野圭吾のパラレルワールドは、最終的に三人にどんな世界をもたらすのだろう。



つづく(o^—^)ノ

東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』と村上春樹のハードボイルドワンダーランド

東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』謎と倫理(中)
村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』との比較




 夏目漱石を引っ張り出してみましたが、純文学の平行世界ものといえば有名なのは村上春樹のこの作品でしょう。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド/新潮社
 舞台は近未来の情報戦争社会。この時代では、情報は厳重に保管されるばかりでなく、いったん人間の脳を通過させて簡単にその情報が解読できないような暗号化を施すことがなされている。主人公はそうした情報のフィルタリングをおこうなうことを職業としているが、ある日自分の意識の核を焼き切るプログラムを脳にインストールされてしまう。

 この主人公が実際に生きる世界で非常事態に立ち向かうのが「ハードボイルド•ワンダーランド」だ。

 一方「世界の終わり」は焼き切られた意識の核が作り出す閉ざされた街だ。
 主人公の意識はここに幽閉され、この虚偽の街から一緒に脱出しようという影や、街に住む優しい図書館の女の子との交流の中に揺れ動く。

 ざっと要約するとこんな感じでしょうか。





 物語の終局は主人公がその街にとどまる事を決意する事で終わる。

 いったんは影に「君の言う通りだ。ここは僕のいるべき場所じゃない」と言い、一緒に街の外に出る(平行世界の外に出る)ことに同意する主人公だが、最終的には影に告げる。

「僕はここに残ろうと思うんだ」

 影はまるで目の焦点を失ったようにぼんやりと僕の顔をみていた。

「よく考えたことなんだ」と僕は影に言った。



 ゆっきーが泣く場面です(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)




 これを東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』と比較してみよう。

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』主人公のこの決断は、『パラレルワールド•ラブストーリー』の下記の心情に近い。


「嫌なこと、悲しいこと、辛いことを経験したことによる心の痛みを、すべて忘れるという方法で解決していいものだろうか。むしろ人間はそうした心の痛みを、一生抱えて生きていくべきではないのか」
『パラレルワールド•ラブストーリー』


 しかし最後の最後が違う。

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』では、影は一人もとの世界に戻り、『パラレルワールド•ラブストーリー』では二人一緒に違う世界に行くので、そこにあった世界は消滅するのである。

 だから『パラレルワールド•ラブストーリー』のラストはこうなる。
「俺は弱い人間だ」
 彼女は目を伏せ、少しの間黙っていた。やがて顔を上げた彼女の睫は濡れていた。
「あたしもよ」
『パラレルワールド•ラブストーリー』





 この違いは重大だ!

 と思うのであった(´ー`)。

 このラストの違いは、作風の違いのみならず純文学の「謎と倫理」、ミステリ小説の「謎と倫理」の違いの核心だからだ。



続く

東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』「自分の中の世界」と「世界の中の自分」

 人は「謎」に直面した時、本能的にその謎が生じた「原因」と「結果」との結びつきを解くことに意識を向ける。

 ところが、そうして解けた謎にいったんは納得しても、私たちはまた別の可能性を考えてしまう。

 本当に謎は解けたんだろうか。解けたように見えて、もっと全然別の原因と結果を私は見逃しているのではないだろうか。こうではない結果は絶対にありえないのだろうか。もしくは、自分がスッキリしたいから一番お手軽な原因と結果を探し出して満足しているだけなんじゃないだろうか…。





読者はどこにいるのか--書物の中の私たち (河出ブックス)/河出書房新社
 哲学者の黒崎宏は、因果関係は任意に設定されていると論じている。たとえば、家が倒壊した。ところが、その原因は一つには決められないと言うのだ。家が倒壊した原因は「地震のため」と答えることもできるし、「家のつくりが弱かったから」と答えることもできるし、あるいは「地球に重力があったから」と答えることさえできるはずなのだ。すなわち「原因」として何をあげるかは、客観的に決まっている訳ではない、ということを物語っている。「原因」として何を挙げるかは、基本的には、それに関わる人間の問題意識に依存するのである。」
(「カッコ」は黒崎宏『ウィトゲンシュタインから道元へ』)
石原千秋『読者はどこにいるのか--書物の中の私たち』より








 ミステリ小説の「謎」の解明にスッキリしても、読み終わった後ふとその「解決」に「本当にそれで謎は解けたんだろうか」と感じてしまう人は案外多いように思える。

 おそらく純文学に慣れ親しんだ人にこの感想を持つ人が多いのではないだろうか。

 東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』では、主人公の記憶の混乱の原因と真相が終盤で明らかになる。会社ぐるみの隠蔽工作と、親友の思惑、三角関係にあった彼女の板挟みの思いが交錯して悲劇は起きた。

 なぜ地震が起きたのかは、東野圭吾の鮮やかな手つきで見事に解き明かされるのだ。

 しかし東野圭吾は一方で読者に対して「解けない謎」を置き土産として残して行く。最後の最後に自分の記憶を記憶改変装置を使って作り変え、その堪え難い三角関係の起こした悲劇の苦しみから逃れることにした主人公のこの悲痛な独白がそれだ。

「嫌なこと、悲しいこと、辛いことを経験したことによる心の痛みを、すべて忘れるという方法で解決していいものだろうか。むしろ人間はそうした心の痛みを、一生抱えて生きていくべきではないのか」
『パラレルワールド•ラブストーリー』


 これは、親友の彼女をとったとかいう三角関係の「道徳的」問題よりももっと深い、「倫理的」な問題だ。
 言い換えれば、主人公は「自分の中の世界」の問題には自分なりに筋道をつけられたのだが、もっと大きな「世界の中の自分」の抱える「謎」には明確に自分を納得させられる「原因と結果」を見出せていないということになる。


 純文学とミステリ小説に明確なジャンル分けの線を引くことはだんだん難しくなってきているし、そもそもそんな区分けはナンセンスなのかもしれない。
 しかし、あえて図式化すれば、この『パラレルワールド•ラブストーリー』の倫理的置き土産のパンドラの箱を開くことにこだわるのが純文学なのかもしれない。

「僕はここに残ろうと思うんだ」

 影はまるで目の焦点を失ったようにぼんやりと僕の顔をみていた。

「よく考えたことなんだ」と僕は影に言った。

村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』






『パラレルワールド•ラブストーリー』の主人公の過去の記憶は消滅し、その瞬間に世界は終わりを告げ、「自分の中の世界」は完結する。

 一方『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の主人公は薄れゆく記憶にこだわり「世界の中の自分」と向き合う。





 そして、読者の私たちは小説を閉じた後、なんとも言えない余韻に浸りながら、私自身が抱える「自分の中の世界」と「世界の中の自分」の「謎」に思いをめぐらせるのだ。





東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』謎と倫理(下)「自分の中の世界」と「世界の中の自分」

(o^—^)ノ
ゆっきー
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