東野圭吾作品論

東野圭吾『同級生』謎と倫理(中)『ノルウェイの森』の言い落とし

 前回、江戸川乱歩「二銭銅貨」の読者へも向けられた(対読者言い落とし)と違って『同級生』では作中人物が、西原君の言い落としにやられてる(対作中人物言い落とし)と書きました。

 ここで余談的(*)に、村上春樹『ノルウェイの森』の中の対作中人物言い落としを見てみましょう。


『ノルウェイの森』では、ふつうだったら三角関係になるはずの男女三人の関係が、三角関係になっていない。何かを隠蔽するというか、真空化することによって三角関係にならない小説になっている。そこが実をいうとなかなか不思議なところなのだと思う。
 あれは「僕」がいて直子がいて、そこに緑という女の子が登場してきて、「僕」が直子を捨てる話ですよね。でも三角関係にはなっていない。ここにあるのは、どういう問題なのか。
(発言者:加藤 典洋)

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 故意になにか重大なこと言わないでおくわけですね。実際の『ノルウェイの森』の該当箇所をみてみましょう。


 直子は僕の生活のことを知りたいと言った。僕は大学のテストのことを話し、それから永沢さんのことを話した。僕が直子に永沢さんの話をしたのはそれが初めてだった。彼の奇妙な人間性と独自の思考システムと偏ったモラリティーについて正確に説明するのは至難の技だったが、直子は最後には僕の言わんとすることをだいたい理解してくれた。僕は自分が彼と二人で女の子と盛り場に行くことは伏せておいた。ただあの寮において親しく付き合っている唯一の男はこういうユニークな人物なのだと説明しただけだった。そのあいだレイコさんはギターを抱えて、もう一度さっきのフーガの練習をしていた。彼女はあいかわらずちょっとした合間を見つけてはワインを飲んだりタバコをふかしたりしていた。
村上春樹『ノルウェイの森』


 加藤氏の説明を引用します。

 僕の言い方でいうと、レティサンス、故意の言い落としがここにある。
 後で、最後近く、自分は緑を愛していた、たぶんそのことはもっと前にわかっていたはずなのだ、ただその結論を回避していただけなのだ、と「僕」が語る箇所がありますが、そういうなら、このときすでに、「僕」は緑に惹かれはじめている、ただそのことは、小説の奥深く、見えない形で定置網のように沈められている。つまり三角関係的葛藤が二十歳の主人公「僕」中にないのではない。しかしそれは小説には現れない。それはないこととされている。そしてこのことは、たぶんこの小説にとって本質的な意味をもっているという感じを受けます。

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 <言い落とし>が推理小説のみならず、純文学でも大きな仕掛けになっているようです。

 というわけで今回は寄り道でしました(実は重大な寄り道なんですがそれはまた後ほど。文末の(*)をご参照下さい)。

 (下)で再び『同級生』に戻ります。

つづく(o^—^)ノ




(*)「探偵小説•カチンコ問題」の、なぜ村上春樹の「謎」は解かれないのか(人間の謎、ミステリの謎|【音の風景第二別館】ゆきちゃんの創作の秘密ブログ http://amba.to/QDaLXB)にも関わってきますが、今は比較だけとします。それとこの東野圭吾シリーズで『パラレルワールド•ラブストーリー』の三角関係について書くときまたこの『ノルウェイの森』のこの部分を参照予定です。

東野圭吾『同級生』謎と倫理(下)作中人物の自意識に回収される嘘

ネタバレあり

 西原荘一がなぜああいう嘘をつき続けていったのか。西原荘一本人の言葉を聞いてみよう。




 緋絽子、と俺はもう一度呟いた。だが今度は声にならなかった。
 俺は認めなければならない。今度の一連の出来事を通じて、わざと緋絽子を苦しめようとしていたことを。由希子の妊娠の相手が自分だと名乗り出たのも、殺人事件の容疑者にされたときもなお由希子の恋人のふりをしたのも、緋絽子に見せつけるという目的を含んでのことだった。おまえのために俺はこんなひどい目にあってるんだぞ、そういう見苦しい主張をしていたわけだ。何のことはない。ふられた腹いせに嫌がらせをするのと、大差なかった。
『同級生』




えーーーーー(ノ∀`)
ちょっと待ってよ、じゃあ妊娠させて中絶のために病院に行って事故死した由希子ちゃんのことはどう考えてたのよ!?





(ふられた後)それから俺のやけっぱちの日が流れた。俺は嫌なことを忘れようと野球に熱中し、練習が終わってからもなかなか家に帰らなかった。世の中すべてに腹を立てていた。
 そんな時宮前由希子が、俺の心の隙間に入ってきたのだった。
『同級生』




 って…。おいおい¤\(๑•ૅㅁ•๑)/¤
 はっきり言ってこの真相は許せない!

 東野圭吾シリーズを始める時に私はこう書きました。

 ミステリ面白いところはいろいろありますが、私は日常世界にどっぷりつかった読者が、登場人物の(多くは犯人の)何か全く別の世界に触れて、自分が無意識に当たり前と思っていたことが、「あ、そうじゃなかったな」と思える瞬間が好きです。

 単に犯人が分かっただけじゃなくて、それまで見えていなかった何か全く別の世界が、すぅっと目の前に広がって、自分の社会常識みたいなものが揺さぶられたり、壊されたりする快感かも。

東野圭吾『魔球』謎と倫理(中)別の世界|【音の風景第二別館】ゆきちゃんの創作の秘密ブログ http://amba.to/W5eTMH




 東野圭吾作品にはこれを感じることが多いのですが、『同級生』にはまったく感じませんでした。

 読んでる途中でも、この西原荘一ってヤな男だな~と思いながら読んでたのですが、その真相を知ってイヤ!にとどめが刺された(爆)。



 「二銭銅貨」の怒りと違うのは、叙述トリックに騙された自分に戸惑いながらも、「うまくやられたな。ニヤリ( ̄▽ ̄)」という感触、つまり騙される自分も悪いな~という思いがあったのですが、この場合にはそれがありません。

 徹底的に自分のためだけに嘘を突き通して捜査を混乱させた西原荘一みたいな人物をよくぞ東野圭吾さんは書き上げたなあ、という敬意(?)で、いちおー初期傑作群というくくりにしてるんですが、『魔球』『放課後』とはちょっと違う思いです(笑)。

 この私の思いを一言でいうならば、表題の作中人物の自意識に回収される嘘ということになります。
 嘘には騙されても何か何か全く別の世界を垣間見せてくれるような嘘があるのだと思います。それは作中人物の自意識に回収されない嘘=読者に向けられた、読者を巻き込んだ嘘と言い換えられると思います。

 それが叙述トリックの可能性じゃないかなと思うのですが、それについてはまた稿を改めたいと思います。



東野圭吾『同級生』謎と倫理(下)自意識に回収される嘘

(o^—^)ノ

東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』夏目漱石と東野圭吾

パラレルワールド・ラブストーリー (講談社文庫)/講談社
 親友の恋人を手に入れるために、俺はいったい何をしたのだろうか。「本当の過去」を取り戻すため、「記憶」と「真実」のはざまを辿る敦賀崇史。錯綜する世界の向こうに潜む闇、一つの疑問が、さらなる謎を生む。精緻な伏線、意表をつく展開、ついに解き明かされる驚愕の真実とは!?傑作長編ミステリー。
(Amazon紹介文より)





 『パラレルワールド・ラブストーリー』で描かれるのは奇想天外な世界です。

 奇想天外なとは例えばこんな世界。

 ある朝起きたらゆっきーは男になっていました(~.~)。
 飛び起きてビングに行って「どうしよう、あたし朝起きたら男になっていた!」と騒ぐ私に「本当だ!こりゃ大変だ!」と騒ぐ家族。
 ライトノベル向きの楽しいドタバタが見えてきます。

 はたまた、「げ!いつからこうなっちゃったの?」と慌ててリビングに行って「あたし朝起きたら男になってた。どーしよー」と半泣きしてるのに、母親は「何バカなこと言ってるの、ユキオ(笑)は生まれた時から男の子じゃないの」と平然言う。父は「バカな事言っていると学校に遅れるぞ」とか言っちゃって忙しそうに新聞を斜め読みしてる。独り呆然と佇むわたし。
 こっちは、みんなで共有するドタバタじゃなくて「え?うそ。そもそもあたしって誰なの?」みたいに視線が孤独な個人の内面に行ったりするシリアスな小説向きかも。




 今回の『パラレルワールド・ラブストーリー』は…?

 そこはさすが東野圭吾さん。そのどちらでもありません。サスペンスタッチの夏目漱石。これが読み終わった瞬間の私の読後感でした。



 まずさっきの「ゆっきー朝起きたら男になっていた」ストーリーで言うと、お父さんとお母さんが、実は娘は女だと知っているのに【示し合わせて昔から男だったと嘘をつき通そうとする共犯関係にある】という、サスペンス的なスリルのあるひねりが入ってます。

 記憶捏造の【共犯者】はバイテック社とバイテック社の付属研究機関MCA。主人公の敦賀崇史、親友の三輪智彦、三角関係の要のヒロイン津野麻由子の三人が勤務する米国資本のある企業だ。





 ここで俄然小説世界は厚みを増します。

 バーチャルリアリティや記憶といった人間の本質に関わる事柄を莫大な予算を使って研究し、秘密裏に製品化して収益をあげる国際企業。その研究員である三人。後輩の篠崎研究員はその極秘実験台となったために、自分の記憶に齟齬をきたしパニックに陥った果てパーティーの席上で暴れ出してしまい、その後行方不明になる。
 そして、親友の三輪智彦は何時の間にか米国に赴任してしまって敦賀崇史の前から姿を消している。さらに奇妙なことに、親友のその赴任の事実に敦賀が気がつくのは、渡米後数ヶ月もたってからの事だったのだ。

 敦賀崇史が朝目覚めるといつものように横に寝ている女性は、確かに自分が以前から付き合っていた同じ会社の研究員津野麻由子だ。でも、何かがおかしいと思わせる事が次々に起きる。麻由子にも会社の人間にも敦賀崇史はその違和感をぶつけてみる。しかしみんなは一様に、崇史が感じているような違和感は存在しないと断言するのだ。

 自分の記憶にも知らないうちに何か異常が起きている?主人公の敦賀崇史は不安で狂いそうになりながらも、その謎を解明しようとしていく。

 これが大まかなストーリーです。事実を隠蔽工作をしようとする企業とのスパイ小説みたいなスリリングなやり取りで話はテンポよく進み、ページをめくるのがもどかしいほどです。


 そして、この小説のもう一つの厚みが東野圭吾ならではの人間描写です。敦賀崇史はそのパラレルワールドの中で、津野麻由子を巡って激しい恋の葛藤を経験します。
 津野麻由子は親友三輪智彦のかけがえのない恋人だ。敦賀はその麻由子にどうしても抑えきれない恋心を抱いてしまう。そしてとうとう三輪もそのことを知ってしまい、麻由子にどちらを選ぶかを迫るのだ。しかし麻由子はその時すでに敦賀に半ば強引に求められ、体を許していたのだった。


 …と、明治の文豪夏目漱石の『こころ』のような緊迫した倫理劇がピタッとはまっているのです。
 そこがこの作品をライトノベルや通俗シリアス劇と違ったものにしているポイントでしょう。

 三人にとって生きて行く事すら辛い、それぞれの三角関係。『こころ』においてはKが自ら命を絶つ事で事態は後戻りできない運命の歯車を回しました。
 この小説では恐ろしいことに、彼らが携わっていた人間の記憶を改変してしまう技術が運命の歯車をもてあそびます。







「嫌なこと、悲しいこと、辛いことを経験したことによる心の痛みを、すべて忘れるという方法で解決していいものだろうか。むしろ人間はそうした心の痛みを、一生抱えて生きていくべきではないのか」








 最後に敦賀崇史は、その歯車を回す前にこうつぶやきます。そかしそれを聞いた津野麻由子の決断は…

 人間の記憶が変わってしったとしても、この小説の中で唯一最後の最後まで変わらないものがあったかもしれない。

 それは『こころ』の中の先生が「お嬢さん」に抱いたような、敦賀崇史の津野麻由子への愛だった。このどうしようもない愛を貫くために、敦賀崇史は三輪智彦との関係、そして彼らの生きる世界そのものを壊したのだ。

 しかし、その愛は果たして変わらぬ真実の愛だと言えるだろうか。
 それは漱石が『こころ』で描き切ったように、人間精神の根本にある業、エゴイズムと言えないだろうか。



「俺は弱い人間だ」
 彼女は目を伏せ、少しの間黙っていた。やがて顔を上げた彼女の睫は濡れていた。
「あたしもよ」



 東野圭吾のパラレルワールドは、最終的に三人にどんな世界をもたらすのだろう。



つづく(o^—^)ノ

東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』と村上春樹のハードボイルドワンダーランド

東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』謎と倫理(中)
村上春樹『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』との比較




 夏目漱石を引っ張り出してみましたが、純文学の平行世界ものといえば有名なのは村上春樹のこの作品でしょう。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド/新潮社
 舞台は近未来の情報戦争社会。この時代では、情報は厳重に保管されるばかりでなく、いったん人間の脳を通過させて簡単にその情報が解読できないような暗号化を施すことがなされている。主人公はそうした情報のフィルタリングをおこうなうことを職業としているが、ある日自分の意識の核を焼き切るプログラムを脳にインストールされてしまう。

 この主人公が実際に生きる世界で非常事態に立ち向かうのが「ハードボイルド•ワンダーランド」だ。

 一方「世界の終わり」は焼き切られた意識の核が作り出す閉ざされた街だ。
 主人公の意識はここに幽閉され、この虚偽の街から一緒に脱出しようという影や、街に住む優しい図書館の女の子との交流の中に揺れ動く。

 ざっと要約するとこんな感じでしょうか。





 物語の終局は主人公がその街にとどまる事を決意する事で終わる。

 いったんは影に「君の言う通りだ。ここは僕のいるべき場所じゃない」と言い、一緒に街の外に出る(平行世界の外に出る)ことに同意する主人公だが、最終的には影に告げる。

「僕はここに残ろうと思うんだ」

 影はまるで目の焦点を失ったようにぼんやりと僕の顔をみていた。

「よく考えたことなんだ」と僕は影に言った。



 ゆっきーが泣く場面です(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)




 これを東野圭吾『パラレルワールド•ラブストーリー』と比較してみよう。

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』主人公のこの決断は、『パラレルワールド•ラブストーリー』の下記の心情に近い。


「嫌なこと、悲しいこと、辛いことを経験したことによる心の痛みを、すべて忘れるという方法で解決していいものだろうか。むしろ人間はそうした心の痛みを、一生抱えて生きていくべきではないのか」
『パラレルワールド•ラブストーリー』


 しかし最後の最後が違う。

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』では、影は一人もとの世界に戻り、『パラレルワールド•ラブストーリー』では二人一緒に違う世界に行くので、そこにあった世界は消滅するのである。

 だから『パラレルワールド•ラブストーリー』のラストはこうなる。
「俺は弱い人間だ」
 彼女は目を伏せ、少しの間黙っていた。やがて顔を上げた彼女の睫は濡れていた。
「あたしもよ」
『パラレルワールド•ラブストーリー』





 この違いは重大だ!

 と思うのであった(´ー`)。

 このラストの違いは、作風の違いのみならず純文学の「謎と倫理」、ミステリ小説の「謎と倫理」の違いの核心だからだ。



続く
ゆっきー
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