「のぞき……」
私は茫然としながら、彼女の肩から手を離した。「それが動機か」
「先生たちから見れば、大したことないかもしれない。今頃の女子高生は買春するくらいだからっていう意識があるものね。でも、それとこれとは全く違う。あたしだって、買春をしてやろうかなと思った時期はあったけれど、無警戒なところをのぞかれたりするのは絶対にイヤ。それは心の中に、土足で入って来られるようなものよ」
「しかし……何も殺さなくても」
「そう?だけど、もしのぞかれた時、恵美がオナニーをしていたとしたら」
その言葉は、直接脳に響いたように鋭い感覚を私に与えた。
内容が衝撃的で一瞬思考停止状態になるので別の例を考えてみる。
親が子供の日記をこっそり盗み見たら、そこに買春の事実が書いてあった。親は子供を問い詰める権利はありそうだ。しかし、日記を盗み見たということに対して子供は親に抗議する権利があるだろう。それがもしないのならば、
世界中の警察の違法捜査はすべて正当化されてしまうだろう。
苦し紛れの親にしてみたら
「売春なんやましいことをしていなければ、日記を見られたって別に痛くも痒くもない、日記を見られて困るようなことをしているお前が悪い」という論理かもしれない。
しかし恵美のしていたことは、犯罪でもないし、犯罪に発展する危険性もない。非難されるべきは一方的に盗み見た方にある。
恵美の感じた思いは多分、レイプされたことを告訴する時のジレンマと似てるようにも見える。法廷で二度レイプされることを覚悟で事実を明るみにすることはすべての女性にとって躊躇われるはずだ。
でも少なくともレイプ告訴の場合には、被害者には「世間」の同情が集まるだろう。この場合の悲劇は、恵美は悪くないにもかかわらず、事実を公にすれば同情を買うどころか好奇な嘲笑を買うことだろう。
そしてそっちこそが
「世間」の正体だ。
法廷では裁判官が法律の条文と過去の判例を
検索して量刑を課す。
精神科医やカウンセラーは、精神障害の診断と統計の手引き(DSM) - Wikipedia http://bit.ly/VUfdT1 を
検索して病名を決定する。
だが、この時の恵美の苦しみは
検索しても決して見つからない。データベースに登録されていないからだ。そしてレイプが世間の人の同情を集めるのは、
検索可能な形で感情のデータベースに登録されているからだろう。
しかし、データベースに登録されている社会的に認知された苦しみが苦しみのすべてではない。そして、データベースに登録できない感情とは、苦しむに値しない苦しみというわけではない。
私はむしろこの
データベースに登録できず、人から検索もされない苦しみこそ人間にとって一番救われるべき苦しみなんじゃないかと思う。
「 二学期が始まって、ある日恵美が電話をかけてきたわ。『今目の前に青酸ソーダがあります。飲んでもいいですか』って彼女は言ったの」 恵美は新学期が始まってからのぞきをされた教師たちに、授業中にも「あの夜のあられもない姿を思い浮かべている目」で視姦され続けていたのだった。
読者はここに至って殺人の動機に慄然とする。なぜか?読者もまた、過去の判例を職業的に想起する法廷の裁判官や、マニュアルを参照するだけの治療を行う精神科医のように、犯人の犯罪をデータベースの
検索で読み解こうとしていた自分の無力を発見するからだ。
- 典型的な探偵小説マニアは、読みながら推理などしない。彼らはこれまでの読書体験に基づいた、トリックを格納したデータベースを持っていて、それを検索するだけなのだ。
例えば、密室ミステリを読む時、「ドアのしたに隙間があった」という描写が出てくると、読者は、自分が過去に読んだミステリから、ドアの隙間を利用した密室トリックを検索する。
飯城勇三『エラリー•クイーン論』
犯罪を犯す人間の動機、精神を病んでしまう人間の魂の姿は、
本来常に「世界初の苦しみ」なのではないかと私は思う。
しかしこの苦しみは
「共感」などという手垢のついた薄っぺらいツールで捉えられるようなシロモノでは決してないのだ。
前島先生に犯罪の告白をした恵美の親友のケイは、恵美の苦しみに
「共感」などしたのではない。検索不可能な苦しみを
「共犯」で引き受けたのだ。
検索不可能な「真相」に直面した時、もしその対象をそれでも理解したいと思ったら、その時人は自分
相手の人生の共犯者になることを覚悟せねばならないだろう。
果たして日記を盗み見る親に、子供の人生の共犯者になる覚悟があるのかどうか…。
社会化できない苦しみを目の当たりにした時、検索不可能な真相は他人事でない真実として発見者の目の間に立ち現れる。
しかし大抵の人は、それを新しいデータとしてデータベースに登録してしまう。司直に委ねたりカウンセラーに委ねたり。
そして言うまでもなく
検索可能になったデータはもはや真実の姿を失っているのだ。
検索時代を生きる我々は、真実忘却、存在忘却の時代(ハイデガー)を今日も生きている。
東野圭吾『放課後』謎と倫理(下)検索不可能な「真相」とは何か
了
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