腰に無理がかかるのは骨盤が傾いているからだ。それが問題なのだよな。
これは寝てもらわないとなあ。
「背骨が歪んでいてですね、骨盤もちょっとね。今少し凝りをほぐしてから、肩にいきますから」
凝りをほぐすとは血行を良くすることだが,これだけではまだ足りない、リンパ液も活発にしなくてはならないのだが、今日はそのことを告げるに留めておこう。 奥さんはなるほど、とすぐに納得する。
そこで四十肩の小さな筋肉を鍛える動きを教える。なんのこともない。もっとも肩口をそうしてつまむことも痛みが妨げる。奥さんはそれに耐えて頑張って数回ずつ肩を回した。
「暇を見て、回してみるときっと痛みがとれてくるはずです。でも余り一生懸命しないで下さいよ。過ぎたるはなんとかってね」
立ち上がって、肘を回していた奥さんは、少し声をひそめて言った。
「あのね、また寄ってくださる?」
「火曜日に寄りましょうか」
「お願いします。あ、ちょっと待って」
奥さんは冷たいプラムをひとつ呉れた。ボクは深々と一礼して立ち去った。12時。
○月○日 土最高気温33℃ ハ小売店
少し遅めに家を出た。お袋が弁当を作るのを止めた。この暑さでは止めた方がいいかも、と言って。
お袋はがんと頭を殴られたように動きを止めた。やっぱり、何も言わないけどおれって心配かけてんだよなあ。
申し訳ない気がして、いや、実はこれまで申し訳ない、とかあまり考えが至らなかったのだ、「いつもごめんな、コンビニ弁当買うから」と、付け加えた。
うちわをぱたぱたさせていた何でも屋のご主人が、自分から呼びかけて来た。自分から人に寄って行くのは勇気がいるが、呼ばれたら素直に相手ができる。
たちどころに三人の凝りをほぐした。そこの奥さんと、魚屋さんのご夫婦と。
それぞれの匂いのする老年の肩を最後にすっすっと撫でて終わる。
いやあ、今日はよく働いた。それにしても只、という効果は凄い。それに自分もけっこう上手いからなあ、と自画自賛も少し。
しかし、と歩きながら考えた。これで生活して行くのは簡単ではない。お袋は今でも清掃会社のスタッフだ。これでボクさえ自分の分を稼げばなあ、只じゃあなあ。
ま、いい。今のところは引き蘢りを脱することに集中。
ボクはだらしなかっただけだ。
現実の生活のいろいろなことを体験して、脳に刺激を与える、ゲームの世界は刺激的だったけど、生身の人間や社会の情報がボクには完璧欠けてしまった。これからは自分の意思を働かせて、自分を制御して行くのだ。
決意だけはある。十二時半、公園の木陰でコンビニ冷麺。
○月○日 月 最高気温27℃ イ農家
もう時には秋風が吹く。日誌は途切れている。
最初の一週間を真面目にこなした後で、まあ無理も無いけどどっと疲れて、ショック状態だった。暑さも暑し。しかしあの一週間をこなした、ということはハードルを上げることになった。
このふた月は、籠っていたのではなく、午後をパートに使っていたのだ。
週に三日、夜にかけてのうどん屋勤務だった。
注文はアイパッドを使って間違いも起こらず、ボクはこの手のことは勘が働くし、丼洗いも綺麗好きなので問題無し。
接客は、余りにうやうやしくて、へりくだった感じがちょっといやだった。
そのうち、お客さんひとりひとりの良いところを引き出すのが接客だと気付いた。こちらが心を開けばただの店員と客ではなくなる。
数秒のコンタクトでも楽しめるし、親しい感情を抱く、笑顔と率直さがうまくミックスするとわかった。
しかし、あの引き蘢り状態、億劫さ、他人への恐怖、自信の無さ、無力感、逃避、何だったのだろう。明日への圧倒的な絶望。
待てよ、そんな心理は要因じゃないとわかったんだ。
放送大学で何気なく見始めた認知脳神経学講座で、心理はむしろ脳神経の不具合の結果の症状だと悟ったのだ。
結果だけをみて変えようとしてもなかなかうまくいかない。
かと言って、脳の仕組みはなかなか解明が難しいので、こうしろという案があるわけではない。ただ、わかっているのは脳神経は可塑性があり訓練できるということだ。
少しずつ何度も試せば、出来ないと思っていたたとえば外出機能も強化されて来るのだ。
「自分の大脳皮質にコントロールと回復の仕事をさせるんだ」という、感情に巻き込まれない認識が得られたことが大きな一歩であった。
認知行動療法とこの内的な発見がボクを引揚げてくれた、あのメタメタな生活から。
「急」
「馬場さん」
その声は昭の心を浮き立たす。満面の笑みが湧いてくるままに振り返り、いつまでも眺めていたい顔を見つける。
じっと目を話さない。梨絵も視線をはずさない。
住宅地域で最初に昭を使ってくれた山市さんの娘である。
梨絵の兄、時人があれから昭と接触し、今も治療中である。同じひきこもり状態であった。昭のようにゲームに引き込まれたのではなく、勉学に打ち込み過ぎ将来を考えすぎ、悲観して対人恐怖になったということだった。
「症状はいろいろ出ますけどね,ボクもよくわかります、どうしてこんなに自分は、とか訳分からないでしょう。ちょっと頭の配線が偏ったんじゃないですか、絶対治りますよ,自己治癒力を確信してくださいよ」
昭は、相手のいつ髪を洗ったかわからない悪臭を気にせず、その肩に触れた。
まずはストレッチだな、と思った。つぎは深呼吸だ。そしてマッサージとリンパ節プラスツボ押しだ。
「ボクに任せてください、できるだけ頭はシャットアウトです」
一時間も施療すると、時人が、お風呂にはいろうかな、と呟いた。山市のお母さんは狂喜した。
一進一退の日々が続いたが,肝心なのはそれに心を惑わされないことである。誰かがそう忠告してくれると、ついはまり込んでいた絶望から脱出できる。
昭の両親は、口うるさくなかった。それをいいことにふとゲームに陥り怠惰に沈んだのだったが、時人の場合、万全の教育体制がしかれ、素直な時人がそのレールを問題なく進んだ時、ふと親も知らなかった現実が立ちはだかっていたのだ。
研究職に残る厳しさであった。彼がそこでひるんでしまったのは、性格やこれまで余りに庇護されてきたことからくるストレス耐性の弱さであったろう。
時人は自分を全否定してしまった。
すぐに、何か明るい色が山市家に存在するのに昭は気付いた。
時人の妹、梨絵の服や笑い声、そして時々挨拶する目と歯の輝きであった。
最初はその一瞬だけで、目が合わないようにしていた。じっと見詰めていても合いそうになるとさっとそらしたものだ。
そのうちに、時人は馬場治療院に通うことになった。梨絵がついて来た。
その時,昭と梨絵はこころゆくまで瞳を見詰め合った。はずれてもすぐにすがるように戻った、たがいの瞳の中に。
「薬はお医者さんにもらってるんですね」
院長である昭の父が、横たわった背中を押しながらたずねた。時人が頷く。
「薬は苦しみを穏やかにしますからね,言われた通りに服用して下さいね。でも一方ではね、こうして体の方から働きかけるんです。
フィードバックとかいうらしいですけどね、極端な話、犬が怖がって尻尾を足の間に入れている時、しばらく人間が尻尾を上にあげておいてやるんです。すると犬の気分がそれにふさわしいものに変わるんですよ。
ほら、ここ、背骨周囲の筋肉に強弱があるんです。こっちが凝っていて、血流が悪い、すると首筋でも同じ問題が起こっているだろう、すると脳内でも血流や活性がスムーズにいってないだろう、というわけですね。
ほらね、もう筋肉の凝りがほとんど解消しました。首の脈がはっきりしてきましたよ」
父親が適当なことを行って、時人を安心させ、希望をもたせているのを昭は観察している。やる気がこうして出てくる。それは自信へとつながる。それは成果へと結びつく。
彼ほどに勉強した人が社会にその場所を見つけられない筈が無い。試してもみないうちにすっこんでいては損だ。いつの間にか、昭は自分に向かって言っていた。
梨絵は昭と同窓のまだ大学二年だった。文化人類学を専門にしたがお情けで論文を通してもらった昭だったが、梨絵は人気のある英文学科にいて、自分に何が出来るかわくわくしながら探している娘だった。
何でもこなしてみせる、という自信に充ちていた。結婚はまったく頭に無いようだった。
時人と梨絵が並んで帰って行く姿を見送っていると、いかにも梨絵の全身からエネルギーが立ちのぼっていた。昭の身内からも何かに打ち込みたい、という充実を求めるエネルギーが湧き起こるのだった。
昭と梨絵がほどなく、当然のごとく結ばれた時、すぐに婚約という言葉が浮かんだ。結婚については、空に輝く入道雲のような、中のわからないものなのでとりあえず、お互いに離れないという意思表示のためであった。
二人の道は別れそうだった。
昭が受験勉強を始めたからである。梨絵も又、留学準備を始めたからである。
昭の目標は西洋医学を修めることだと言う。しかし本当の目的は、ホリスティックな(人間全体を診る)医療に従事することだった。
それはまだ認められたとは言い難い、代替医療を漠然と差していた。生活習慣病も癌も自己免疫病も、医学的解明や技術の改善はあるとしても、治療という面では、あるいは発症を押さえると言う面では行き詰まっている。
生かすことのみを重要視する医学において、人間の尊厳はしばしば無視される結果となる。よく死ぬことを提供できる仕組みと医者も必要だ。
一方、生きている貧しい人にとって次第に医療の格差がみえている現時点で、病の予防が第一の関心事となり、次に病を得た場合の心身の癒しと身の置き場、などの社会全体の仕組みが、すでに始まっている老齢社会において焦眉の、多数のための大問題である。