昨夜もそうだったが、朝も涼しい。
バカなもので、コロンビア行きが決まってしばらく経ってからも、メキシコあたりを赤道が通っているとおもっていた。中米というくらいだからそこが真ん中だろうと、漠然とおもいこんでいた。
実際はメキシコは赤道よりずっと北で、驚くことに南半球だとばかりおもっていたコロンビアも九割がた北半球に位置する。
一月末のメキシコが涼しいのは当たり前だ。
しかし、北米イコール北半球、中米を赤道が通過し、南米は全部南半球とおもっている人はぼくだけではなさそうだ。
朝、掃除の手伝いをさせてもらう。トイレやなんかを掃除したが、とにかく水を大事に使う。水を捨てるということはしない。掃除し終わった後の水は、庭の木や花にまくという徹底ぶりだ。これもメキシコの気候と水事情で、そうなっているらしい。というより日本人が雑に使いすぎなのかもしれない。「湯水のように使う」ということわざも、ここでは意味が逆になるだろうと思う。
朝食の後シャワーを浴び、着替えて、空港に向かう。ここからは一人旅だ。
何も分からない者同士でも、二人というのはなぜか、心強い。不思議なことに、一人になると不安感は二倍より大きくなる。
空港内でトイレに入る。用を済ませて出ようとすると、手洗いのところに紙コップが置いてあり、その中に小銭が入っているのに気付く。目の前の人が、そこにいくらか小銭を入れて、出て行った。なるほど。チップか。
こまった。メキシコの硬貨は持っていない。ドルならいくらか持っているが、紙幣だ。こんなところで、日本人がチップにドル紙幣を入れて、それを変な人に見られたら、金持ちにおもわれてしまうかもしれない。言葉は悪いが、「人を見たら泥棒とおもえ」というくらいの国なのだ(と、聞いていた)。警戒していてし過ぎるということはない。
しかし、そうだとしたら紙コップの中の小銭はとっくに盗まれているはず。今になると初の海外にビビりすぎていたとおもう。
「小便するにもめんどくさいところだな」とおもい、知らんぷりして出た。
当然ながら空港内のアナウンスはスペイン語で、ぼくが乗る飛行機の乗り場が変更になったらしい。それは分かるが、どこへ行ったらいいものか皆目分からない。メキシコ空港はとても広い。案内の掲示板を見ても良く分からない。ああ、成田空港は分かりやすかった。
空港職員にチケットを見せて尋ねる。
「この飛行機はどこですか?」
「あっちです」
指し示した方向は、変更前のゲートのある方。変だなとおもって訊き返す。
「でも、変更になったでしょ」
「…あらそうね。こっちよ」
というやりとりを、やたら化粧の濃い二、三人の職員と交わして、なんとかパナマ行き飛行機に乗り込む。
乗ってしまえば恐くはない。パナマでの乗り継ぎもうまくいき、無事コロンビア、カリ空港行き飛行機に乗る。
安堵して出されたジュースを飲む。
これがマズかった。オレンジジュースだとおもうが妙な匂いというか、変な味がする。
食事もうまくない。口に合わないというのではなく、安っぽさがみえみえで愛情のこもったサービスというのとはかけ離れている。
とどめはデザートのつもりのお菓子なのだが、これがもう口がひん曲がるほど甘い。寒気がするくらい濃厚。究極の味音痴が、ハチミツに溶かせるだけの黒砂糖を溶かし込んで、生キャラメルと混ぜて固めた、スイーツのコブラツイストみたいな代物だった。あごが外れそうな一品。日本のお菓子は、これに較べるとまるで甘ちゃんだ。とおもいつつ完食した。
昨日までとはエライ違い。エライ違いだが、お菓子というのは甘いものを食べたくて作ったのであるから、甘くて当然だ。
飛行機のサービスにしても、飛行機は移動手段なのであるから、ちゃんと着きさえすればよろしい。こんな基本的なことが、日本にいると勘違いしてしまう。
甘さ控えめのチョコとか。甘いのが嫌なら、チョコなんて食べなけりゃいいのである。塩でもなめていればよい。(これはいいすぎか。)
サービスにしてもそうで、もちろんカユイところに手が届くようなサービスは、日本人の誇るおもてなしの気配り、心配りだ。それはいいけど、利用客の方が、「そのくらいのサービスはあって当然だ」と、おもっている気がする。それはおもい上がりではないだろうか。
「お客様は神様です」というのは店側・サービスする側の言葉であって、客のセリフではない。そこを自分の都合のいいように解釈してしまうから始末に悪いとおもう。
要は限度というか、妥協点をどこにするかだ。日本式と中南米式、どっちも両極端なようにおもえた。
まあ、どちらでもよい。サービスの悪い飛行機に乗ってしまったら乗ってしまったで着くまでは降りるわけにいかないので、まな板の上の鯉よろしく大人しく、お利口にしていればよい。
さて。飛行機はカリブ海上空を飛んでいるわけだが、青い海はまるで見えない。一面真っ白い雲。幼稚な発想だが、あの上に降りて歩けそうな気がする。
雲海。これはこれで見応えがある。
カリ着。荷物を受け取る。
暑い。さすがに暑い。周りを見ても、ネクタイをしているのはぼくぐらいで、ほとんどの人は涼しそうな格好をしている。
と、入国する人たちが列をなしている。しかもスーツケースから手荷物まで、全て出してチェックを受けている。なんだこれは! メキシコではそんなのなかったぞ!
ぼくの直前の男のスーツケースの中から、大量の女性用サンダルが出てきた。お土産にしたって、スーツケースが一杯になるサンダルはおかしい。おまけにサンダル以外、自分が着るような衣類すら入っていない。どう見ても異常。
検査官とその男が問答している。何を言っているかは分からないが、検査官がサンダルを手にして(たぶん)これにドリルで穴を開けて調べる、というようなジェスチャーをしている。
まさか、こやつ運び屋か!
息巻く検査官。
これじゃあ、ぼくまで色々聞かれそうだ。別に変なものは持っていないが、日本から持ってきたラーメンやふりかけや、メキシコで渡されたお菓子など、聞かれたらどうやって答えたらいいのだ。それ以前に
「食品は持っていませんか?」
の質問に
「いいえ」
と答えたぼくなのだ。
検査官はサンダルを持って、持ち主と別室に向かうらしい。その時ぼくがいることに気付き、
「あ、この日本人がまだいたのか」
という、めんどくさそうな顔をした。そしてその場に居あわせた空港職員に
「このアジア人、見てやれ」
というようなことを言った(とおもう)。任された方はあからさまに
「え、なんで俺が?」
という顔。なぜなら任された方の彼は、服装からして荷物チェックの職員ではなく普通の警備員だから。
「こんなの、俺の仕事じゃないよ」
という態度が見え見えで、ぼくのスーツケースをちらっと見て、
「行っていいですよ」
となった。
めでたくゲートを抜け、迎えに来ていた学校の車に乗り込んだ。夜のカリ市を走った。窓を開けて煙草を吸う。外の空気はサトウキビの甘いような、むん…とする匂いがして、ちょっと臭かった。空港から学校までは約四十分。
道路は舗装されているが、あちこち穴があいていてデコボコ道だ。それに街灯が少なくて暗い(日本の道路が明るすぎるのかもしれないが)。運転手の林紺さんという職員さんが
「あれ、ここ、いつの間に工事始まったんだよ、道分からないぞ」
と、ぼやいている。へー、大変だなー、とおもった。まさかそれが自分のことになるとは、この時おもっていなかった。
冒頭で、「ぼくは日本語を教えたり…」うんぬんと書いたが、もう少し詳しく。
ここに出てくる学校は、宗教施設に併設された日本語教室である。ぼくを含め職員の多くは学校(あるいは教会)に住んでいた。
ぼくの主な仕事は、現地の人に日本語を教えること。
子どもクラス、大人クラス、日系人クラスがある。
朗読大会、生徒送迎バスの運転、生徒たちとの触れ合い、思春期を迎えた日系人クラスの生徒の心のありようなど、実体験を元に書いた小説が別にあります。
だから、これから書く中では日本語教室については触れません。
日本語教室以外の部分について書こうと思います。
服屋に行った。
Tシャツを何枚か買う。ここでは一年中着るから、Tシャツは何枚あってもいい。「Colombia」とか「Cali」とかプリントしてあるのを選んだ。
そう言えばカリでこういうTシャツをたくさん売っていた。服だけでなく、帽子、アクセサリーなどもコロンビアの国旗の黄色、青、赤を基調にしたものがたくさんあって、愛国心が強いんだなあとおもった。
一枚のシャツが目にとまった。カリのサッカーチームのロゴが入ったTシャツだった。デポルティーボ・カリというチームだ。チームカラーは緑色。
コロンビアに限らず南米全般、人気のスポーツは何かと言えばサッカーだ。
これを着ていれば、学校に来る人たちとすぐに仲良くなれるのではないかとおもって買った。店主が
「お客さんは、デポルティーボのファンですか?」
と訊いてきた。
まぁ、今日からファンになるのだからいいだろうとおもい
「はい」
と、答えた。すると店主は我が意を得たりとばかりに破顔し、
「では、これもお付けしましょう」
と言って、デポルティーボの小さい旗をくれた。いきなり好反応ではないか。
翌日、調子に乗って学校でもそれを着ていた。学校を訪れたディアナさんというおばちゃんがぼくを見て
「ああ! アルバリート。あなたもカリのファンなのね!」
と、ぼくを抱擁してくれた。作戦大成功。シャツ一枚着ているだけで、いきなり親しくなってしまった。
カリの中心街でそれを着て歩いていると、若いやつに声をかけられた。握りこぶしの親指を上に立てて、ナイス! というポーズをしてきた。
別の日、そのシャツを着ていたらアントニオさんというおじさんが近づいてきた。
「いいシャツ着てるな」
と言ってくれるとおもっていたら、
「アルバリート…なんて××な服着ているんだ…」
と、これ以上ないくらい渋い顔をした。この世で一番の苦虫をかみつぶしたような渋い顔だ。
「アメリカじゃないとだめだよ」
という。なんのことかまるで分からない。
なぜだ。このシャツさえ着ていれば、可愛がってもらえるんじゃないのか?
よくよく聞くと、カリには緑のデポルティーボ・カリと、赤のアメリカ・デ・カリ(通称アメリカ)というチームがあると言う。当然ながら二つはライバル。巨人と阪神みたいなものだと言えよう。
さらに、シャツに書いてある文字が単にカリの応援をしているのではなく、アメリカをかなりくさすような、過激な内容らしい。
このTシャツは両刃の剣なのだった。
これを着て中心街を歩いた話をしたら
「それは危険だ」
と言われた。
その時はたまたまカリのファンだったから好意的だっただけで、もしその日がカリ対アメリカの試合の日でガラの悪いアメリカファンに見つかったら、何をされるか分からないという。巨人戦のある甲子園球場で阪神ファンが集まっている中、一人で巨人の服を着てバカ面下げてにこにこしながら歩いているようなものだ。
知らないというのは、こわい。
コロンビアに行く前、つまり日本でスペイン語や日本語の教え方などを勉強していた頃。コロンビアに行くためになにが必要か、ぼくの前任者の九九田さんに問い合わせ準備した。
その中に国際免許というのがあった。日本の普通免許を、免許センターに持って行って申請すれば良いとのこと。早速作りに行った。係りの人が
「ちなみに、どちらへ行かれますか」と訊いた。
「コロンビアです」
「コロンビア…」
「南米です」
ええ、といって、その人はやや怪訝な顔になり、書類をめくり始めた。そして
「あのですね…」と言って国際免許の説明をしてくれ、とどのつまりコロンビアではこれを持っていても意味がないと言われた。
なんでも、この免許のための条約が定められていて、それを締約している国では有効。しかしコロンビアは締約していないという。説明には少しもおかしなところはない。しかし、ここまで来てそのまま帰るわけにはいかない。ぼくは必要な理由を簡単に述べ、作るだけでも作ってもらえないかダメもとでお願いしてみた。
「もちろん、作るだけなら作れますが…。少なくともコロンビアでは、意味がありませんよ」
「ええ。説明は十分わかりました。でも、持ってくるように言われてますので…」
それで国際免許はできた。無意味と知りつつ、何かの時のお守り替わりというつもりだった。
そのことを、コロンビアに着いてから九九田さんに訊ねてみた。
「ああ。おれも同じでさ。意味ないですよって言われたんだけど、持ってこいっていうからさ。作ったよ。代々、みんな持ってきてるっていうからさ。それで、こっちでまた新たに免許の書き換えしてもらった」
「じゃあ、ぼくもその内、こっちでの運転免許を作りに行くわけですね」
「そうなるな」
九九田さんは一度、路上で検問にかかり免許を出すように言われたことがあるらしい。その時国際免許を出したら、検問していた警官が国際免許はコロンビアでは無効ということを知らず
「すごいですね」
と言って通してくれたと言った。
それを聞いてぼくも是非同じことをしてみたいとおもい、いつも国際免許を持って運転していたが、幸か不幸か検問にかからず、ぼくの国際免許は遂に一度も日の目を見なかった。
後日、身分証明証や運転免許などを用意する準備で、証明写真を撮りに連れて行ってもらった。
公的な物になるので、ネクタイとまではいかなかったけれど一応襟のあるシャツを着て行った。
店に着き、カーテンと薄いベニヤ板で仕切られた撮影用の狭い空間に通された。
撮影はすぐに済んだ。デジタルカメラで撮った画像をパソコンに取り込んでいる。他にお客はいないようだし、すぐにプリントするだろうと思っていたら、店員がぼくの写真を加工している。
まず服が変わった。写真のぼくはいつの間にかネクタイを締めている。それくらいならまだ分かるけど、今度は顔を直している。ニキビの痕も消え、全体的に肌ツヤが良くなった。唇も赤みがちょっと濃くなり、プリプリしている。
ありがたい気もするが、これじゃあ証明写真にならないのじゃなかろうか。そう思い林紺さんに訊いてみたが、
「大丈夫だろ。どうせこっちの人にとったら、東洋人の顔なんて全部同じに見えるし。しかし、おれの時はこんなサービス、なかったなあ。お前、ついてるじゃん。おれも今度の書き換えの時はここで写真撮ってもらおう」
と言って笑っている。
「でも、ここまでしてくれなくても…。あんまりいじったら何のための証明写真か分からなくなっちゃいますよ」
「せっかくだから、やってもらえって」
「そ、そういう問題ですか」
「コロンビアって、そんな感じだぞ」
「…じゃあ、分かりました」
写真が出来上がった。役者のような、とまではいかないが、いくらかキリッとした顔になっていた。
「いい写真でしょう」
店員が言う。
「うん。どうもありがとう」
「また来てください」
店を出て、車に乗り込む。
「林紺さん、ぼく、今日からなるべく、あの顔になれるように、頑張ります」
と言って、キリッとした顔で林紺さんを見た。
「うん。頑張りな」
けれど、おかしくて、ニヤけてしまい、ついに二人で大笑いした。そしてとうとう、あんなキリッとした顔にはなれなかった。
コロンビアに着いて数日後、洗面道具や、タバコ、飲み物など当面の生活用品を買いにスーパーに連れて行ってもらった。
店の横のATMのすぐそばに散弾銃らしきものを構えた警官(ガードマン?)が立っていたのにはビビった。
駐車場も店もあきれるほど広い。
コロンビアの国土は日本の約三倍。そこに日本の人口の約三分の一の人が住んでいる。当然、建物は横に広がる。
日本に来たコロンビア人が立体駐車場に感心し「日本の技術はすごい」と写真を撮っていたが、仕方ない。これだけ面積があれば、スーパーが高くなる必要はないし、わざわざ金をかけて立体駐車場を作る必要もないな。
それにカートもバカでかい。人が入れるほどだ。これは、大きな声では言えないが実際に召し使い用の黒人奴隷やインディアンを買うためである。
うそである。
ただ、子どもが乗れるくらいカートが大きいのは本当で、そのため通路も広くしてある。
店内が広いので見て回るだけで疲れる。
ジャガイモ、トマト、マンゴーなどはカゴにどっさり入って売られている。しかもそれぞれの種類も豊富。やはりこういうものはこっちが本場なんだなと納得した。
店内で目当ての物を探し始めて数分。どこに何がおいてあるか分からない。なんというか、品物の並べ方の意図が良く分からない。
日本のスーパーであれば、野菜・魚・肉などの生鮮食品、調味料、ラーメンなどの乾燥食品、酒・ジュースなどの飲料、乳製品、菓子類、台所用品、掃除道具、文房具、衣類…といった具合にコーナーが分けられていて、せっけんなら、台所用品か掃除道具のコーナー、そこになくても、その近くにあるだろうという見当をつけることができる。
その見当というやつがなかなかつかない。
もちろん、おもちゃ箱をひっくり返したみたいに完全にめちゃくちゃな並べ方をしているわけではない。ある程度かたまって置いてあるのだが、お菓子売り場に突如としてビールが出現していたり、野菜売り場にバーベキュー用の炭が大量に並べられたりしている。それも、冷風が出ている野菜の陳列棚の下に置いてあるので、炭を探そうとしていてはまず気付かない。商品というより隠しアイテムにちかい。
それ以外にも分けの分からない並べ方の商品があったのだが、今になるとおもい出せない。というより二年のうちに慣れてしまって、最初は変だとおもったことがあまり変だとは感じなくなったのだろう。
お菓子とビールがセットで都合がいいじゃないかという具合に、一つ一つ納得していったらしい。
バーベキューの炭も、どのスーパーに行っても必ず野菜の棚の下にあった気がする。だから慣れると探しやすかった。慣れるというのはすごい。
店員にたずねたくても、欲しい品物がスペイン語で言えないぼくは「はじめてのおつかい」もいいところで右往左往していた。
それでもなんとか欲しいものは見つかった。後は会計だけ。
しょっちゅう買物に出られるわけではないというのと、好奇心も手伝って、日本では見たことがない食べ物などがあると、ついカートにいれてしまう。
気が付くと、カートの中にはかなりの量の商品が入っている。
レジに行く。いくらぐらいだろう…。
「オチェンタイセイスミルクワトロスィエントスペソス」
だと言う。
ぼくは「あわわ…」という感じで呆然としていた。
「オチェンタ! イ! セイスミル! クワトロスィエントス! ペソス!」
今度は大きい声で言ってくる。
別にぼくは耳が聞こえなくて反応しないのではない。分かるのが最後のペソス(コロンビアの通貨単位)だけなので、いくら出したらいいか分からなくて立ちすくんでいるのだ。
これはけっこうなプレッシャーで、つめたい汗がツーと流れていくのが分かる。
コロンビアは慢性的なインフレ状態で、ちょっと買物をしても金額が大きくなる。
例えば、タバコが一箱(二十本入り)二千ペソ。
初めは高いなとおもったが、およそ百円。
この時の「オチェンタイセイスミル…ペソ」も、八万六千四百ペソで、日本人がこんな数字を聞くと逃げ出したくなるようだが、円にすると四千三百円くらいだ。
さらに余談だがコロンビアのお金は上から五万ペソ、二万ペソ、一万ペソ、五千ペソ、二千ペソ、千ペソ。これらが紙幣。
硬貨が五百ペソ、二百ペソ、百ペソで、一番小さな額の硬貨は二十ペソ硬貨(約一円)。一ペソ硬貨というのはない。ほとんど価値がないから(二十分の一円)。だから「398ペソ」みたいな値札はつくことがない。こんなことをしていてはお釣りが出せないし、400ペソとまるでかわらない。398値札をつけるとしたらむしろ高額商品の方で、例えばテレビやパソコンなんかに「3980000ペソ」というような、ゼロの数を数えなければならない値札がついている。
レジで固まってしまったぼくは、持っているお金を大きい方から一枚一枚財布から出し、レジのおばちゃんの顔を伺いながら並べた。
本当に「はじめてのおつかい」といい勝負だ。
レジのおばちゃんが「もう足りるわよ」というジェスチャーをしてくれたのでお金を引っ込めた。どうにも情けなかった。
スペイン語の聞き取りを、もう少しなんとかしようとおもった。
おばちゃんは、受け取った紙幣を軽く擦ってみたり、角度を変えて睨んだりしていた。にせ札の対策なんだろう。
スーパーマーケットのことは、ほかにもある。
林紺さんと買い物に行った。林紺さんはコロンビアに来て二年以上経っている。当時、三十代前半。日本人の奥さんと学校で働いていて、こちらに来てから生まれた男の子がある。
林紺さんは買い物にも慣れていて、どこに何が置いてあるか大体頭に入っている。サクサク歩いて商品をホイホイとカートに入れていく。
で、並んでいるペットボトルを手にしてプシュッと開け、ぐびっと飲んだ。
いや、まさかな。そんなことするはずない。気のせいさ。目の錯覚さ。そうに違いない。
しかし林紺さんの手の中のジュースは明らかに減っている。そしてまた飲んだ。
「マジですか」
ぼくは半笑いで訊いた。
「ああ、これ? いいんだよ。最後にちゃんとレジ通せば」
さらりとそう言い、またぐびっと飲んだ。ぼくが不審な目で見ていたので、林紺さんは笑い、嘘じゃないって、お前もやってみなよと言ったが、ぼくは遠慮した。
この時はかなり衝撃を受けた。海外だからなにかとカルチャーショックというやつには出くわすのだろうとおもっていたが、日本人にそれをやられるとは全く想像していなかったから。
敵から攻撃されるのは予想していたが、見方に裏切られたような気分だ。それだけにショックもでかかった、というか痛烈だった。
別の日。
蛍光灯を買いに行ったら、点かない蛍光灯が置いてあった。どうして買う前に点かないのが分かったかというと、売り場にテスト用の電気スタンドが置いてあるから。それで確かめてから買うわけだ。
つまり不良品がまぎれているのが前提(中には完全に、蛍光灯の端の金具が潰れているのもある)ということ。
不良品を持って、店の人に
「これ、使えないよ」
と言った。すると化粧の濃い店員は、
「それがどうした?」
という、不機嫌なようなぼくのことが分からないような顔をして、再びそれを売り場に戻していた。
まだある。
日本語教室の朗読大会の賞品を買いに行った時のこと。おもちゃの卓球道具を買おうとおもって手にとって眺めてみると、ピンポン球がへこんでいた。
やはり店の人にそれを言うと
「ああ、でもお湯につければ元に戻りますよ」
と言って、直し方を教えてくれた。
コロンビア人はとても親切だ。(これは皮肉だ。しかし実際、本当にコロンビア人は親切な人が多い)
でも買うのはやめた。これをもらった子どもに
「お湯につければ戻るよ」
と言う図太さは、当時のぼくにはまだなかったから。
学校では月に一度のボランティアの日、というような日があった。
教会の信者さんたちはもちろん、学校の生徒、卒業生、その親などが来て校内の掃除や校庭の草刈などしてくれる。あちらではボランティアが盛んだ。カトリックが根付いているのに由来するらしい。
朝からお昼まで作業をする。男性陣は主に校庭で草刈や剪定など。女性陣は校舎や教室内の掃除などすることが多かった。また、昼食の準備もしてくれた。
この時、休憩時にアグアパネラという飲み物が出された。黒砂糖を溶かした水にレモンを絞ってよく冷やしたもの、だったとおもう。これがうまい。
シンプルな飲み物だが黒砂糖独特のコクのある甘味とレモンの爽やかな香りがナイスコンビ。スッキリと飲みやすい風味で、炎天下で汗みずくになって作業している身には抜群にうまい。
ボランティアの日は参加者全員でお昼を食べる。それだけ昼食の量が多くなるので、食材、調味料は大量に買っておく。砂糖や塩もたくさん買う。何度か、その買い出しに行った。
それで、値段はどのくらいだったかまるで覚えていないが、例えば塩一キロが二千ペソだとする。同じ商品の五キロの袋が一万ペソなのである。
当たり前だけど、当たり前すぎないかとおもった。大袋の方が値段がお得になるんじゃないのかな、そうおもった。ビッグサイズがお得にならないのがコロンビアでは通常だった。
買ってきたそれらを袋から出していると、袋の破れているのがある。買うときに気をつけていても、どうもぽろぽろとこぼれている。お菓子なんかは包装がしっかりしているのに、なぜか塩、砂糖、小麦粉なんかの粉物の袋は非常に貧相だった。
専売公社だけで扱っているから袋がいいかげんでも売れる、というようなことではないとおもう。いくつかのメーカーがあった。
理由は結局分からずじまい。そんなことでいちいちカリカリしていたら、たちまちノイローゼになってしまう。
これはコロンビアだけではないとおもうが、むこうの品物はたいがい日本のものより大きい。ぼくが驚いたのは、三リットルのコカコーラだ。
これは実際に目にするとかなりのサイズで、冷蔵庫に入れると王様然として君臨する。そもそも、もはやペットボトルを入れるための、あの冷蔵庫のドア裏のスペースには納まらない。
そのくせプラスチックが薄く、持つとペコッとへこむので、片手では注げないという扱いづらさ。
これだけあればかなりの日数持ちそうなものだが、そんなことはなかった。
日本語教室を終了した文十屋少年が職員見習いとして、ぼくと同部屋で起居することになった。
ぼくはコーラ好きの文十屋少年に、その三リットルコーラを買ってやった。彼のコーラ好きはこの若さにしてなかなか堂に入っていて、その飲みっぷりは、ある種の狂気すら帯びていた。
三リットルは、二日でなくなった。