皆川君!?そこにいるのは皆川君かい?
向こうを向いて下を向いていったい何をやっているんだい?
おかしいんだよ、みんながね、僕に「ありがとう」って言うんだよ。
何のことだか君にはわかるかい?
そういえば変だね…。
さっき地下鉄の踏切の中で僕が轢かれそうになった時に、君だけいなかったね。ここでこうしていたのかい?一体何をやってるんだよ。何かを一生懸命書いているんだね。一体何を熱心に書いているんだい?
何を書いているんだか見てもいいかい?
「僕を見ててよ」
「僕に追いつけるかな」「みんな今生まれたばかりだから」
「だから大丈夫さ」
「見えすぎる目は閉じていい」
「聞こえすぎる耳はふさげばいい」
「過去は忘れればいい」
「たまには本当のことを言ってもいいのさ」
「隠さなくてもいいよ」
「きっとゆるしてくれるさ」
「敵の神も泣いている」
「失うことできっと見つかるさ」 これは…
姉さんと僕がタイムトリップの中で聞いた君の声だ。
「僕が見えるかい」
「見えるならまだ大丈夫」
「観ることは赦すことだ」
「そして、君がやることが分かるはずだ」
「君が僕を追い越す時、それを一番大切な人に見てもらうんだ」
「その瞬間はくる。見ることは赦すことだから」
「世界の速さが消える時、君は君の依存していたものから自由になる」 これはさっき姉さんが読みながら泣いていたあの『地下鉄のない街』じゃなか。じゃあ君がこの物語をずっと書き綴っていたのかい?
ねえ、皆川君!
顔をあげて答えてくれよ!
皆川君!!
「君がそれに気づく時、過去は未来に接続され、未来はここでないあそこに移動する」
「その時君はすべてを知る」
「すべてはもともとそこにあったんだ」
皆川君!皆川君!
聞こえてるんだろう!皆川君!
顔をあげて返事をしてくれよ!皆川君!
「君も僕も、ただそれがたまたま君であり、僕であったという以外になんの意味もない。そしてつらい過去も現在も、それが過ぎ去った日々であり、今であるという以外になんの意味もない。
忘れたくないことを忘れないでおくことが尊いことなのではないんだよ。むしろずっそれを憶えておこうとすることこそが、その人を決定的に遠ざけてしまうことなんだ。眠ろうとすることが、深い眠りから人を遠ざけていくようにね。」 眠りだって?
一体誰が眠っているんだい?
「それはだから別れとは違うんだ」
「僕を見ててよ」
「その時君には分かるはずだ」
「ホントはね…」
「追いつく必要なんてなかったんだ」 僕はなぜだか分からないけれど、生きている場所が揺さぶられるような不安を感じて、大泣きしていた。
生まれてくる赤ん坊はきっとこんな風になるんだろうなと思った。
いま、子宮という自律的で自己完結的な世界が崩壊する
きっと僕の図と地が反転するんだ
外のない世界に閉じ込められていた僕は何かを知ろうとしている
この異世界の本当の意味を、姉さんの導きの意味を…。
皆川君がそっと顔をあげた。
「いま僕が書く分はこれでおしまいだ」
「え…どういうことだい?」
「春日井先生に渡してくるよ」
「なぜ」
「次は春日井先生が書く番だからさ」
「みんなでこの『地下鉄のない街』というファイルを完成させるのかい?」
「そうさ。みんな君のおかげで救われるんだ」
「みんなって?」
「さっき君にありがとうって言ってたみんなだよ。そしてもちろん僕もさ。今回は僕の順番だったから僕はさっきの踏切事故の様子を含めてここに記録した」
「いったい何のために?」
「それ最後に分かる。最後に完成させるのは君だからさ」
「……」
「君は深い深い眠りからもうじき醒めるんだよ、君島健太郎君」