「おかえりなさい」
「ただいま」
「今日は遅かったのね」
「西村がね、問題を起こした」
「問題って?」
「陸上部の下級生を殴って病院送りにしてしまった」
「え?」
「幸い後に残るような大きな傷はなさそうだけど、殴られた皆川は、ああ、皆川っていう途中入部の二年生なんだけど、そいつはしばらく自宅療養だ」
「どれくらいの怪我なの?」
「二週間ってところかな」
「まあ、そんなに…」
「ああ、西村もその期間は停学自宅謹慎という決定がさっき緊急職員会議で決まった。加害者だけが学校にきているというのもまずいからね…」
「…お疲れさま…。ビールでも飲む?」
「ああ、缶の方でいいから」
「…ふぅ。やっと人心地ついたよ」
「それでどうして西村くんが。そこまで感情をあらわにする西村くんというのも目面しいと思うけど」
「いや、そうでないだろ。俺も同じように殴られたじゃないか」
「あれは…ごめんなさい」
「君が謝ることないさ」
「だってあの時は…」
「うん。たしかに君に関係がなくもない。西村は君のこととなると冷静さがなくなってしまうからな」
「…そんなこと」
「いや、まあそんな顔をしなくてもいいさ。今日もよくよく事情を聞いてみれば神崎の名前が出た瞬間にキレてしまったらしい」
「神崎くんの?」
「俺と神崎、西村が陸上部を食い物にしてるっていう皆川のセリフでキレたらしい」
「そんな…」
「西村にとっては木島と一緒にするなという思いもあっただろうな」
「確かにあなたと神崎くんと西村くんは、それぞれまったく別の思惑で陸上部をああいう形で運営してるわ」
「ああ。そうだな」
「特に西村は自分の思っていた女子部員への思いを尊敬する神崎のために断念したということもある」
「…」
「そして神崎と付き合っていたはずのその女性は…」
「やめて、今はそんな話…」
「『教え子の女奪るのが真実の愛ですか?』って何度も口走りながら俺のことを殴ったな。今日の皆川への暴行と同じように…」
「あの時は穏便に済ませてくれてありがとう」
「いや、君に礼を言われることもないと思うよ。僕は僕で自己保身の意味もあったからね。何せ退学したとはいえ元教え子とこうして同棲しているわけだから」
「…うん」
「まあ、いろんなことが絡み合っている。いつかすべてが解決するのかもしれない。ただし最悪の形でな…」
「最悪の?」
「ああ、なんだかそんな気がする…」
「やめてよ、そんなこと言うの…」
「いや、おどかしているわけじゃない。なんというか、天罰みたいなもの…」
「天罰があなたに?」
「そう…。
むかし調子に乗って高校時代に青田くんを踏切での投身自殺に追い込んだ時からずっと続いている俺の間違った所業に対して…」
「そのことまだ…」
「ああ、俺にとってはすべてはそこから派生してる」
「あたしとのことも?」
「あるいはね…」
「保健室の春日井先生も?」
「彼女もまたある意味そこからかもな。少なくとも大学でカウンセラーの資格と教職をとって今の職業ついているのはそのせいだよ」
「…。あたしは先生の苦しみを楽にしてあげることはできないの?」
「そんなことはない。感謝してる。感謝してるけど…」
「けど何?」
「神崎から君を奪うようなことになってしまったのはやはりまずかったかもしれないな」
「やめて、いまさらそんなこと言うの」
「…」
「あたしは先生の本当の姿がみたいんだよ。先生が悩んでいることを一緒に考えたいだけ」
「みてどうする?」
「いろんなことが分かるかもしれない」
「それで?」
「何もかも赦せるかもしれない」
「そうか…」
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『健太郎、あの人って確か…』
『ああ、僕もびっくりしたよ。
神崎さんの元彼女、陸上部マネージャーだった佐藤淳子先輩だ…。木島先生と一緒に暮らしていたのか…』
僕と姉さんは城島の住むアパートの窓越しに二人の話を聞いた。
窓は半開きだったけど、僕たちにはその声が明瞭に聞こえたし二人のつらそうな息づかいも感じられた。あるいはこれも時空を移動した中で僕たちが獲得した能力なのかもしれない。
皆川くんはいったい僕たちに何を観せようというのだろうか…。