地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街 46 西村の手紙〜告白

「まずは、そもそもなぜ君のお父さんが僕と会って話をすることになったのか、それを説明しないといけないよね。

 お父さんからの最初のコンタクトは教団の方にあったんだ。信仰に興味を持った人に教団のことを説明する広報の窓口が電話を受けたんだけど、僕と直接話がしたいということみたいだった。
 電話を受けた者が言うには、息子さんが僕と同じ学校だということで直接話がしたいという。だったら学校が編纂している父兄の連絡簿にある電話番号にかけてくればいいのになと思ったのね。逆に純粋に信仰の相談なら僕を指名するのもなんか変な話だし。

 だから僕は家の応接間も教団のカウンセリングルームも使わずに、近所の喫茶店を待ち合わせの場所に指定したんだ。

 会って少し話をしてみるとお父さんがそういう曖昧な行動をとったわけはすぐにわかったよ。僕自身はすっかり忘れていたんだけど、僕は以前君のお父さんと会ったことがあったんだ。お父さんの方ではそのことを覚えていたみたいだ。

 昔さ、小学生の時、君の弟さん、健太郎君ね、学校に行きたがらないときあったでしょ。クラスにドラえもんに出てくるジャイアンみたいなのがいて、健太郎君に限らずそいつのせいで不登校気味になってる生徒が沢山いたんだよね。
 市会議員のバカ息子だったかな。小学校は君たちとは違うのになんで僕が知ってるかというと、その迷惑していた生徒のうちの何人かの家がうちの教団の信徒さんだったのさ。

 あまりにもそのジャイアンの粗暴さが目に余るから、被害を受けている親同士で団結して学校とその市会議員宅に抗議をしてみてはどうだろうかということみたいだった。その発起人もうちの信徒さんだったので、その集会場として教団の施設を使ったんだ。15家族くらい。ご両親とも参加っていう家も多かったからそこそこの広さが必要だったみたいでね。それでうちがその場所を提供したんだ。

 カルト教団じゃないからさ(笑)、信者さんの主催する野球チームの反省会みたいのに使ったりとかね、そういうのはよくあるんだ。そんな雰囲気だから、当時別の小学校に通ってた僕も意味もなくチョロチョロ顔を出してたのね。
 実は一人すごく可愛い子がいてなんとなく気になってたというのが本当の理由なんだ。まあ、ありていに言えば好きになっちゃったわけだ。大人たちも話し合いしている時に僕がその子と遊んでるのを見てて別になんとも言わなかったかな。もちろん君のお父さんもね。

 一二ヶ月で当初の目的は達成できて、市会議員の息子の問題は一件落着したようだったよ。結局事を荒立てないようにっていうことで、学校に集団で抗議に行くというのもやめにして、担任の先生と生活指導の責任者の学年主任、そして市会議員の親、当人のジャイアンを、作戦会議やっていた集会場に呼んで話し合いをするっていう形に落ち着いたんだ。

 しかし市会議員というか政治家っていうのは抜け目ないね。うまいというかなんというか、やっぱ普通の人間じゃかなわないかもしれない。当日挨拶もそこそこに、バカ息子をみんなの前で殴りつけたあと、一緒にみんなの前でいきなり土下座したんだよ。よくやるよね。
 しかもみんながあっけに取られている間に、こうやって教育問題について地域の親が連携して話し合うことはなんと素晴らしい事であるか!と持ち上げて、こういう会には自分たちもぜひ参加させて欲しい、真の教育はこうした地域の活動からこそ生まれるのだ!という演説会にしてしまった。
 笑っちゃうね、自分たちを糾弾する集まりだったのにねえ。ついでに自分の選挙対策の後援会のパンフレットまで置いて行く始末だった。それもごく自然にそういう雰囲気をつくってたから、子供ながらにすごいと思ったよ。僕も教団を継ぐまでにはああいうのも覚えた方がいいかな。
 いや、冗談だよ、もちろん。僕はもっと違うやり方で人心を掌握するのが得意だと思ってる。いま弟さんと一緒の陸上部でやってるみたいなね。学校のバカなやつらは腰巾着だとか言ってるようだけどあれはまさにみんな予定通り僕に騙されてるわけであって、実は…おっとごめん、話がそれちゃった。

 君のお父さんは市会議員の演説をフンフンと熱心に聞いて頷いていたよ。結局、ジャイアン糾弾集会は教育に関する悩みを話し合う会に形を変えてその後も続く事になった。君のお父さんも毎回出席してたな。毎回一人発表者を決めて、自分の家の教育問題について話せる範囲で告白したあとみんなで話し合うというものなんだ。

 だからごめん。君の家の家庭事情の一部もその時に聞いてしまっていたんだ。

 いや、言い訳なんだけどさ、僕が好きになってしまったその小学生の女の子も毎回親に連れられて参加してたものだから、僕も何となく毎回参加しちゃったというわけ。だからお父さんの視点から語られた君の家の事情というのも少しだけ知る事となってしまった。話を続ける前にいちおう謝っておくよ。

 ごめんね。」


続く

地下鉄のない街47 西村の手紙〜母親 

「お父さんもね、僕と会うにあたっては随分逡巡したみたいだよ。だってそうだよね。娘に付き合いたいという手紙を送ってきた学校の同級生に、あの子は君の手に負えないってわざわざいいに来るというのは誰がどう考えてもおかしい。
 うん。おかしい。娘可愛さと言っても度が過ぎている。だって僕は別に君にしつこくいいよるようなことはしてない。手紙を一通出しただけだよね。
 内容的にも別に思いがかなわなかったら君を殺して僕も死ぬとか、そんなロマンチックなことが書いてあったわけでもない。君への思いはそうしたいくらいのものはあるんだけど、好きだという思いの大きさとその行動を一致させて自己満足に浸るほど僕はバカじゃないよ。

 そもそもなんでそのラブレターの存在をお父さんが知っているかということなんだけど、話は簡単で実は謎でもなんでもない。君の家の君の部屋なんだけど、君に内緒で部屋の合鍵は作られているし机の引き出しの合鍵も君の知らないところに保管されている。
 という信じ難い現実さえ受け入れてしまえば、きみは、「ああ自分の日記を見たのね、許せない!」というよくある(あっちゃいけないけどね)怒りのストーリーに自分を重ね合わせるところまではたどり着く。

 でもそれで終わるんだったら、こうして僕がこの手紙を書く理由はないんだ。だよね。

 まず合鍵の件で君が怒りをぶつけるのはお父さんではない。そんな合鍵を作らざるを得ない状況を作った自分をまず見つめなさい。なんてことは今ここでは言わない。今のは悪い冗談だ。でもうちの教団に来て悩みを打ち明ける人に対しては僕らはまずそういうんだよ。

 でもそれはバカにしているわけじゃないんだよ。だって信仰とはそういうものだから。信じるということはまず第一に自分を疑うということだから。

 君はもちろん信者さんじゃないから単刀直入にいう。この場合君が怒りをぶつける矛先はお父さんではなくてお母さんなんだ。

 そう。

 これでお父さんの行動の突拍子もなさに説明がつくんだ。お父さんは深く悩んでいた。

 お父さんは「あの子と付き合うな」ということを言い残して行ったわけなんだけど、それを言いに来たわけではないということなんだ。

 少し僕がお父さんから聞いたお母さんのことを書くね。君が知らないことだ。そう、お父さんが言ってた。あの子はまだ何も知らないって」

続く

地下鉄のない街 48 献身する母親

 君のお母さんは普段からお父さんを大変に立てていたみたいだね。僕はね、そういうのに素直に憧れる。強い父って僕の憧れなんだ。明治の素朴な家父長制の家。司馬遼太郎の『坂の上の雲』に出て来るみたいなさ。

 父親であることって大変なことだと思うんだ。

 戦前は女性が家に縛られていたっていうけど、それはどうかな。間違いだとは言わないけれど、とても一面的なものの見方だと思うのね。だって家に縛られていたのは女性以上に男性だから。これは間違いなくそうさ。旧弊な家を飛び出すことは女性のように自立とはもてはやされず、単なる家業の責の放棄でしかなかった。例えば文筆で身を立てようなどとすれば家から放蕩息子の烙印を押されて当然だったよね。

 それでも昔のお父さんは、それがフィクションであったとしても家長としての威厳とか立場の尊重という、一家の母から支えられる立場というものがあった。最終的には、「お父さんに決めていただきましょう」というお母さんの魔法の言葉ですべてがしっくり行く。そんなそんな世界は実在してたよね。

 戦後はこのお父さんは、そういう母たる存在からの後ろ盾のないままに依然として強い父親らしさを求められてるんだ。拳銃を携行できない保安官、警察官の哀しさ、つらさと言ってもいいんじゃないかな。大変だよね。都合のいい時だけ父親の役割背負わされてさ。

 ああ、何でこんな話になるかも書かないといけないね。

 うちはね、父親がいないんだ。いや、いることはいるんだけど存在として去勢された状態なんだよ。
 うちの教団はね、曽祖母が開祖したんだけど、それ以来ずっと教組は女が務めるんだ。僕の母親、つまり今の教団の代表ももともとうちの教団の信徒だった。父親は一番教祖として見所のある人を掟に従って妻にしたわけ。だからね、一言でいうと情けない単なる種馬なわけ。信者からも格下に見られ、イベントの時なんか広報や教務の部長連中からさん付けで呼ばれて雑用やらされたりとかね。自分の教団の金も一切自由にはならないし。
 前にこんなことがあったんだ。お布施みたいのをイベントで集めた時、集金係だった父親が最終計算しても寄付されたお金の計算が合わなかったことがあってね。たしか二万円くらい。それを小遣い欲しさに父親が集金の時にネコババしたんじゃないかって信者からつるし上げにあったことがある。さすがにこの時は見かねた教団の部長連中がかばってたけどさ。

 ま、そんなわけで強い父親像っていうのに憧れたりしちゃうのね。だってさ、大して好きでもない父親だけど、ありゃあんまりだよなって思うから。なんかこう…ね。

 まあ、自分がその同じ立場に一直線にレール引かれてるってこともあるんだけど。ははははははははははは…。はは…

 だからね、君のうちっていいな~って思ったわけ。


 ところで君のお父さんは若いころ、ずいぶん吃音で悩んだそうだね。

 お母さんが献身的にお父さんを支える存在となっていったのはそのことが大きいんだよね。

 お父さんはそんな風におっしゃってたよ。

地下鉄のない街 54 姉さんの部屋で

「目が覚めたかな」

 僕はベッドの上で跳ね起きた。確かさっきホテルの窓から僕たちの住んでいた部屋を姉さんと一緒に見てたはずだ。そして、遠眼鏡から覗いた先には横にいるはずの姉さんがいた。窓から手を振って、まるでこちらが見えているみたいだった。いや、思い出したぞ。見えていたんんじゃなくて、見たんだ。同じ遠眼鏡を使って。秘密を覗き込んだ僕たちの遠眼鏡が、もう一度あちら側の姉さんから覗き込まれたんだ。

 そして僕は気が遠くなった。

「姉さん?」

「気がついたね」

「ここは僕たちが住んでた家の二階?」

 僕は部屋を見渡した。オーディオの装置と、その横白い本棚。棚の中には隣の僕の部屋と行ったり来たりする二人のお気に入りの小説家の本が並んでいる。

「そうだよ。久しぶりだね」

 姉さんはさっきまでそばにいた姉さんだけど、服が違っていた。出かけの服ではなくて、白いチュニックのようなラフな普段着だった。クローゼットの取っ手には僕たちが通っていた学校の女生徒用の制服が掛かっている。さっきまで着ていたのだろう。

「父さんと母さんは、下に居るわけか」

 僕はやっと頭の整理がついてきた。あの話の続きならば、今父さんと母さんはあのビデオテープの話をしている事になる。

「今日は何日?いや、日にちを聞いてもしょうがないな」

「うん。健太郎がお父さんに叩かれて入院しちゃった日だよ」
 姉さんは窓のさんに腰を掛けてこちらを見て言った。

「ああ。そうか、あの日か」

 父さんが吃音で苦しんでいたと知った日。つまり僕がそれと知らずに漫画に出てくる吃音の少年の真似を父さんの前でしてしまった日だ。口の中の血の感触を思い出して僕は舌で口の中を舐めてみた。

 話が聞けるわけか…。僕は小さくつぶやいた。もちろん知りたくもある。でもやはり怖い。これ以上知らない事を知ってどうなるというのだろうか、そんな気もしないでもなかった。

「あたしはどっちでもいいよ」
 姉さんは僕のこころの中のつぶやきを引き継ぐように言った。

「いや…。姉さんは怖くないのかい」

「まあね。でも知りたいんだ。」

「うん」

「違う。何を話していたのかもだけど、何であたしたちがこうして二人揃ってこういう体験をし始めたのかってことを最後まで知りたい」

 真面目な顔をして姉さんがそう言った。

「分かった。そうだね。僕もそう思う。でも下の声をどうやって聞くんだい?」

 姉さんは本棚の上にある小型のモニタを指差した。さっきまでは、そんなものはそこになかったはずだ。

「今のあたしはさっきまではこの部屋にいた学校から帰宅したばっかりのあたしと入れ替わってるの。だから少し不思議な力も使える。」

「ああ」

「と言っても大した事じゃない。お母さんの鏡台の棚に隠してあったモニターを貸してもらった。応接間には前からビデオカメラが仕掛けてあったみたいだからそれを使えばいい。下の様子はここに居ても良くわかるよ。」

 僕は姉さんの言っている事を理解した。母さんだったのか、ビデオを撮影したのは…。

「びっくりしたよ、あたしも…。この部屋にいたあたしと入れ替わった後、健太郎がまだ気絶している間に頭の中に声がしたのね、あたしの。寝室の鏡台の棚の奥だって…」

 それが、これだったのか。

「いいよね」

 僕が頷くのを待って姉さんがモニタのスイッチを押した。
ゆっきー
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