地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街~4白い雲が見ていた

「神田ー神田ー」

 車掌の声だ。

 またうとうとしてしまったようだ。課長の言うように、すこし勉強もセーブした方がいいのかもな。

 あれ・・・。確かに神田駅と書いてある。でもちがう、こんな街じゃない。神田は・・・。

 案の定だ。

 駅の中だけじゃない。駅前の風景が全く違っている。自分がどこをあるいるんだかまったくわからないや。先生の事務所どこにいっちゃったんだろう・・・。




「すみません」

「はい?」

「菊地会計事務所というのはどこですか」

「ああ、そこの角を曲がって、道をあがったところですよ」

 人のよさそうな、サラリーマンだったな。人見知りのするぼくもなぜだか自然と話しかけられた。なぜだろう・・・。不思議な懐かしさがある人だ。

 しかしおかしい、場所が違う。そんなところにあるわけがない。




「ありがとうございます」

「いいえどういたしまして」

 おかしいなあ・・・。まあ、とりあえず行ってみるか。

 そういえば、おやじのの会社がこの辺にあったな。離れて暮らしてから一度も会ってないけど。どうしてるかな・・・。まあ、関係ないやあんなやつ、俺には。

 死んでくれていれば一番すっきりするのに。何もかもが・・・。





     坂道をあがるときに蝉が鳴いていた。
     自分が蝉になって遠くから自分を見ていた・
     雲が白い
     白い雲が遠くから自分を見ていた。

     だれもいない
     この世には

     ただ人間関係が網の目のように重なり合っている。
     ぼくもいない
     だれもどこにもいない
     ずっと分かっていたことだよな


       そうだよね、姉さん・・・

小説 『音の風景』





続く

地下鉄のない街~5男との再会

 あった。

 不思議だ。菊地会計事務所と書いてある。随分昔風の事務所だな。

「ごめんください。書類お持ちしました」

「ああ、君島さんご苦労さん。まあまあ、冷たいお茶でも飲んで。」

「はい」

 なにかが違う。それに菊地先生ではないんだな今日は。

「あの、今日菊地先生はお留守ですか」

「何言ってるんですか、私がちゃんと対応してるでしょう」

え。この人菊地先生・・・。菊地先生を名乗る人は、ぼくが会社で懸命に直して持ってきた書類に目を通していた。


「うん、なんですかこの書類は」

 柔和な顔だったけど、少し困惑した表情だった。

「は?どこか悪かったでしょうか・・・」

「わたしもわからん訳じゃありません。この会計基準は現在制度を整備しようと会計士や税理士が努力しているところですから。しかし制度ができていないのに、いきなりこういう書類を作ってもらっても困りますなあ」

「え?しかしこの制度趣旨は一昨年から施行されていますが」

 先生はどういうつもりなのだろう。僕をからかっているのだろうか。

「ははは、何を言ってるんですか、まだ学者先生の頭の中だけですよ。これを実際にやるには20年はかかるでしょう。いい方向だとは思いますがね。会計学と税法を融合させるというのは」

「すこし君島さんはお疲れですか。」

 菊池先生はやさしくの僕を見る。


「すみません、作り直します」

「悪いけどお願いしますよ。実務家と学者は違いますからね」

「はい」おかしいな、最新の会計基準で税務処理したのに・・・。





 まあいいや、いっぺん会社に戻って課長に相談しよう。






 あ、父の会社だ、ここがそうだったのか・・・。

 来るときにはわからなかったな。坂の途中にあったのか。あれ、今朝道聞いた人が出てきた。お礼言っておこう。


「先ほどは大変ありがとうございました」

「ああ、あなたですか」

「はい。大変助かりました。申し遅れましたが私こういうものです。あついですね、まったく」

「あ、わざわざお名刺までいただきありがとうございます。ああ、会社で経理を担当されているのですね。それで菊地会計事務所ですか。私はこういうものです。偶然ですね、あなたも君島さん、私の苗字も君島ですよ」

 男は懐かしい笑顔でそう言った。



「本当ですね、びっくりです」

「またどこかでお目にかかりましょう」

「ぜひ。今日はありがとうございました」

「いえいえ、それでは」


 男の格好や表情はあまりにも記憶の中の若いころの父親に似ていたが、あり得ないことに僕はそのことには一瞬とらわれただけで、すぐに忘れてしまった。


$小説 『音の風景』




 とにかく早く帰ろう。しかし、地下鉄はどこにいったんだろう。

 坂道を降りるときにまた蝉が鳴いていた。

 今はもう10月。鳴いているはずのない蝉だ。

 自分がその蝉になって遠くから自分を見ていた。


 雲が白い。

 白い雲が遠くからまた自分を見ていた。

 まるで、こんどは僕が白い雲になったみたいだ。



 ぼくは誰なんだろう。



 この世の中には誰もいない。

 いい人も、悪い人も。

 そして人間そのものもどこにもいないそんなこと知っているのに、いつも忘れている振りをしている。

 交通ルールのように生きていかないと、生きていけないから




 でも姉さんは違った生き方をしていたね。

 交通ルールみたいな社交辞令で生きなくていい人だった



     姉さん

     いつか教えて。生きることの本当の意味。




続く

地下鉄のない街~6 気になるY.K

「課長、書類届けてきました」

「ご苦労さん。菊地先生OKだって?」

 課長は確認というよりもついでにそう言ったみたいで、僕はOKではなかったことを言い出しにくくていきなり困ってしまった。

「それが、この会計基準だとだめだということでした」

「なに?」

 そらきた。

「参照した税効果会計を適用しましたが、会計処理そのものがそれでは新しすぎるということで、いったん作り直してくれということです。その後正式にチェックするということでした。」



 課長の表情が見る見る不機嫌になっていくのが分かった。

「何を言ってるんだよ。聞き間違いだ。君の去年までしか通用しない古い会計基準で仕上げられた書類をわざわざ私が最新のものに朝から作り直したんだ。今年はあれでないと監査は通らない。私の労力も考えてもらいたいね。」

 課長は一気にまくし立てる。

「いえしかし。すみません。はい。申し訳ございません」

「まあもういい。私から電話しておくから」

「分かりました。よろしくお願いいたします」





 やっと終業時間だ。

 昨日まで頑張ったから今日は残業なしで帰れるな。帰ってゆっくりできる。
 今なら課長は席を外している。帰るなら今だな。まあ、こういう態度がそもそも問題なのかもしれないけれど・・・。

$小説 『音の風景』


 地下鉄のつり革の手すりを掴みながら思った。昼間どうして地下鉄は消えていたんだろう・・・。真っ暗のトンネルの中まっすぐ向いた僕の視線の前には窓に写ったもう一人の僕がいた。見慣れた・・・顔。これまでも、これからも・・・。




 そういえば、あの子と知り合ってから何かがおかしい・・・。

 偶然チャットで知り合ったおんなのこ。

 Y.Kっていうハンドルネームだったな。

 宇宙人としゃべっているみたいで、楽しいけどどこか分からないところもある。

 今夜今日あったこと話してみよう。

 僕はわくわくした。

 今日の出来事は彼女と話すためにあったようなものだ。




 帰りの地下鉄の中、不思議な時間が疲れた頭の中を心地よく通りすぎていった。







続く

地下鉄のない街~7 三人目の君島

「ふう、やっと自分の自由な時間が来たな」

夕飯を終えたこの時間が自分の一番ほっとする時間だ。あ、もう接続されているや、あの子のパソコン。

「こんばんわ、Y.Kだよー。まあ、そろそろいいや、本名由紀子だよ」

僕宛の文字がすでにディスプレイに浮かんでいた。

不思議な子だ。

いつも唐突に現れて、顔も見えないのに僕を明るくしてくれる。



僕はすぐ下の行に自分のメッセージを打ち込んだ。

「ああ、こんばんわ。こっちから呼ぼうとしてたんだ。由紀子ちゃんていうんだね」

「その名前でいいよ、これからは。もうしょうがない。だんだん近づいてきちゃったから。」

「近づいて?」



 カーソルがそのまま点滅している。反応がない・・・。

 由紀子ちゃんはその文字を見てないかのようだった。

「お父さんに会ったんだね、今日」

「お父さん?誰それ?まあいいや。今日不思議なことが沢山起きてね」

「うん。そうみたいね」

不思議だ。チャットなのに由紀子ちゃんの声がひどく沈んで聞こえた。




「今日さ、取引先にいこうとしたら地下鉄がなくなっちゃってね」

 やっと本題に入れた。この話に彼女、いや由紀子ちゃんはなんて反応するだろう。キーボードを打つのがもどかしい。

「ハハハハー。疲れてるね」

 やっぱりそうきたか。

「いや、本当なんだ。」

「まあ、不思議なことは人生に沢山あるさ」

「まあね」


 またカーソルだけが点滅している。





「お父さんに会えてよかったね」

「え?」

またお父さん?

「あなたのこと、いろいろ聞いたから」

「え?ぼくの父に?」

「うん。小さいころから。あたしの知らないことも」

「どういうこと?」



 カーソルはまるで由紀子ちゃんの息遣いのようだった。

 心臓の鼓動のような秘密めいたカーソルの点滅がなぜだか僕には懐かしかった。これと同じ時間を前にも過ごしたような気がする。その時確か僕は泣きながら?





「まあ、それはまたあとで。今日は何かいいことあった?」

「いやべつに何にも」

「そうか」



「君はいいことあったの」

「いや別に何にもないよ。あたしには何もないの」

 どういっていいか分からなかった。しばらくアイドリング状態が続いた。話題を変えなきゃ。



「会社の女の子のこと話したよね」

「ああ。由貴さんね」

「うん。控えめで、とてもよく気がつくこなんだ」

「あたしと正反対ねえ」

「控えめかどうかはわからないけど、君もいい人だとおもうよ」


 由紀子ちゃんは答えてくれない。カーソルだけが点滅している。





「由貴さんとはどうしてるの?」

「どうって」

「昨日あなたの誕生日だったでしょ。お祝いしてくれた?」

「あれ?どうして知ってるの?そんな話してないけど」

「あなたの誕生日忘れるわけないでしょう」

「どういうこと」

「あたしのイニシャルのKは君島よ」

「え?」

「それで、Y.Kさんか。しかし偶然は重なるものだね。今日これで君島が三人揃ったことになる」


 カーソルの点滅に息が感じられた。




「そうだね」

「その今日あったもう一人の君島さんってどんな人だった?」

「うーん、エネルギッシュで、優しかったな」

「そうでしょ。ちょっとこわいけど、不器用で誠実な人。厳しいことも多いけど、あなたのこと思ってのことなんだから。銭湯に行ったときに男湯の脱衣場で飲んでたコーヒー牛乳覚えてる?あたしの中ではあなたとあれとワンセットなんだよね。あたしは男湯には入れなかったけど目に浮かぶわ」






「ちょっと待ってくれ、そんな話どこから聞いたの?」

「だから、お父さんから。」

「君いっただれなんだ」





 カーソルがぬくもりさえ感じられるほどにやさしく点滅し始めた。





続く
ゆっきー
地下鉄のない街 第一部完結
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