地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街38 夢の中のビデオテープ

 夢を見た。




僕が通っていた学校の制服がベッドの脇に脱ぎ捨ててある。同じ学校の女生徒の制服がきちんとたたんでその横に揃っている。

 季節は夏の終わりのようだった。

 画像は鮮明ではないが、閉めきったレースのカーテンを通して夏のギラギラした日が室内に差し込んでいた。

 あれは幻聴だったんだろうか。

 聞こえるはずのない蝉の鳴き声。


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 ジッジッジッ

 どこで鳴いているのかはわからない

 制服を脱いだ男と女は切ない声を上げながら絡み合っている。

 背になっている男。顔は見えない

 でも誰かは分る。あれは僕だからだ。

 そして、もう一人は・・・




 不思議だ

 僕は僕の行為を見ている




 思い出した

 これはあの時のビデオテープだ。

 西村にあれを見せられた時には頭の中が真空になった。

 よく頭の中が真っ白になるって言うけれど、あれは嘘だ

 そういう時は脳みそが呼吸困難で窒息しそうになるから色なんてないんだ。




 蝉の鳴き声

 ジッジッジッ



 なぜ西村があの僕達の秘密を撮影したビデオテープを持っていたかはわからない。

 でも話の行く先は簡単だった。

 脅迫の矛先はむしろ僕じゃなかったから・・・

 ビデオテープに僕の顔は写っていない

 西村が薄笑いを浮かべながら指を差した先には・・・

 姉さん・・・

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「ずっとずっと苦しかったね、健太郎・・・」

 ベッドの上?山の上ホテル?

 どれくらいたっただろう。僕は眠ってしまっていたようだった。姉さんの膝の上でいくら揺さぶっても目を覚まさなかった僕をタクシーに乗せて、姉さんは予定していた山の上ホテルにチェックインしてくれていたようだった。

 ベッドから状態を起こすと、うす暗がりの中ベッドの横に姉さんが座っていた。

「随分うわ言を言ってたわ。覚えているなら続きを話してもいいし、このままこうしていてもいいの」

 姉さんは優しく言った。

 うわ言?

 ビデオテープの脅迫の夢を見た。あらゆる手段を使って皆川くんを追い込むこと。それができないのならビデオテープを学校中にばらまくこと。中学だけではなくすでに姉さんが卒業し、そのまま進学している高校にも・・・。

 僕はそのことをすべてうわ言で喋ったのだろうか・・・?


 僕は頭が混乱して、再び眠りに落ち込みそうになった。正気でいることに耐えられないとき人は死んだように眠るという。じゃあ、きっと今がその時なんだ。


「もう少し寝たほうがいいみたいね」

 姉さんの言葉に多分僕は頷いた。でもその時には僕はベッドに沈み込み、すぐにまた夢の続きが始まった。


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 悪いのはおまえじゃない
 悪いのは、だれでもないんだ
 誰も悪くない
 だから誰も責められない

 ほんの冗談
 冗談を誰も責められない
 おまえもそうだよな
 冗談を否定したら、こんどはお前が標的だ

 自殺はしないよ
 自分のためじゃない
 おれが自殺したら、お前が困るだろ
 悪いのはばらばらにされて組み立てられたすりかえられた関係性の悪意さ

 どうしてこんなことするんだ、なぜこんなことになるんだ
 おまえにこういえたらどんなに楽だろう
 でも、誰に言ったらいいんだろう
 いつもおれをいじめるおまえか?

 ちがうよな。おまえはそんなにひどいやつでもない。
 だれににやらされているわけでもない
 やらせているのは、もっと違う不気味な何かだよな
 相手のいないところへ向かって自己主張はできない

 敵はどこにもいないんだ
 ただ、悪意だけが亡霊のようにあたりを支配している
 何かをすることは不毛なんだ
 悪意は、目で見えないし、胸ぐらもつかめない

 しゃべっていないと、何考えてるのといわれる
 何も考えていないとは、だれもいえない
 たとえ、何も考えていなくても
 何かしゃべらないといけないように

 だれか嫌いな人間いないのか、おまえは
 だれもいないとは誰もいえない
 たとえ、そいつのことを嫌いじゃなくても
 だれかを標的にしないと生きていけないからね


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「健太郎…お城を抜けだしたお姫様はね、どうやらもう一つ夢から醒めないといけないみたい。夢から醒めた夢。蝉は鳴いていたんだよ、幻聴じゃなくて。あたしには健太郎のうわ言で全部てわかっちゃったんだ。あなたがずっと気がついていなかったことも・・・。あたしがこの世界に来たわけも・・・」


 夢に落ちていく中で、姉さんの声が嗚咽と一緒に聞こえたような気がした。

地下鉄のない街 39恋人たちの過去

夢を見た。


「木島くん、教育委員会に本当に行ってきたの?」

「ああ。このまま泣き寝入りじゃ、きっと僕は一生ダメになる。僕にはそれがわかるんだ。僕はきっと人に対しても世の中に対しても何の怒りもぶつけることができない腑抜けになる。そんな自分にはなりたくないんだ」

「わかるけど…」

「それでどうだったの?」

「腐ってるね、ゴミダメを抜け出して出口にたどり着いたらまたゴミダメさ」

「うまくいかなかったのね」

「ああ。逆に説教されたよ。『学校は教師や学校制度と戦う場所なんかじゃない。共に理想を追求し、一生の財産となる師弟関係を育む場所です。仮に君のいうように一部の生徒に体罰があったとしても、それは話し合いの中でお互いの行き違いや誤解を解いていくのが正しいのです。どこで仕入れた知恵か知りませんが、自分でそういう努力もしないで裁判所に駆け込むように教育委員会を訪問するというのは論外です』だってさ」

「そう。青田君を守りたかっただけなのにね」

「学校内のドメスティックバイオレンスだよ。教師がグルになったらもう生徒は逃げ場がないよ。確かに青田は最後の最後まであいつらの言いなりにはならなかった。だからって学校の秩序を乱す元凶が青田だっていうあの流れはどうみてもおかしい。教師のいうことを聞かないということで、自分たちのメンツが潰されるという恐怖感で教師集団で青田を陥れている。そんな管理教育があっていいはずがない」

「うん。その通りだね…」

「あれ、春日井さん…どうしたの」





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…高校生の頃の木島と春日井先生か…。

僕とトニーが衝立のかげから聞いていた二人の思い出話のあれだな…。あの時の夢をみてるのか…。

二人にとってはいろんな意味で忘れられない思い出らしい。僕もトニーも断片的な話から二人の高校時代の一日をありありと、まるで舞台をみているように想像できたな。

二人が恋人同士だったとは驚いたよな、あの時は…。

それに教師の木島と正反対の高校生の木島…。それもびっくりだった。

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「あのね…木島君が教育委員会に行っている間に、おたくの生徒が来ましたってことで教育委員会から学校に電話があったみたいなの。それで青田君が木島君に教育委員会に洗いざらい暴露してくれって頼んだんだろうっていう話になって、青田君が朝からずっと職員室に軟禁状態にっなっちゃったんだ。どんな状態になったかは怖いけど想像できちゃうよね。青田君は隙をみて職員室から逃げ出して、そのまま屋上に階段を駆け上って飛び降りようとしたわ」

「何だって?!」

「取り押さえられて無事だったからそれは安心して」

「分かった。無事だったんだね。よかった。…だからこうして学校の外で待っていてくれたのか」

「うん。今学校に戻ったら大変なことになるから…」

「ごめん、ありがとう」

「いいの。それとあたしも騒ぎの後職員室に呼ばれてね。あたしもそのまま軟禁状態になりそうだったから隙をみて逃げ出してきたの」

「え?どうして?」

「遺書が見つかったの」

「え?青田の?」

「うん。突発的な行動だったみたいなんだけど、いつでも死ねるようにって遺書を持ち歩いてたらしいんだ」

「そうか…、そこまで思いつめてたのか。でも何で春日井さんが呼ばれたんだろ」

「遺書にね…。死ぬのはあたしに冷たくされたからだって書いてあったみたい」

「……どういうことなの?」

地下鉄のない街 40 踏切の手招き

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 衝立の向こうの二人はしばらく無言だった。

 箸を動かしていうのか、ビールのグラスを傾けていたのかは僕もトニーにも分からなかった。

 トニーと僕は時折目を合わせた。

 もちろん声を出して隣の話に内容についてしゃべることはできなかった。でももし仮に話せたとしても、まだ中学生の僕たちにはそれから先の内容はどんな風に話にしていいかも分からなかっただろう。

 二人の思い出話が迷い込んだ重たい沈黙を破ったのは木島の方だった。

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「青田が飛び降り自殺騒動を起こした後、一ヶ月だったね。あの踏切のことは」

「そうね。今度は木島君のことも書いてあったね。遺書の内容全体が書き直されていた」

「すべては木島のありがた迷惑で、どんどん標的にしやすい自分が教師たちから追い詰められていったということが克明に書かれてたね」

「あたしについては、親身になって一緒に考えてくれていたのに木島と付き合い出すようになってから手のひらを返すように冷たくなったっていうその過程がびっしりと」

「うん。幸せなカップルが級友の難題を解決しようとそのこと自体を二人の時間の楽しみにしている。誰が読んでもそういうことへのバカにされた恨みが自殺の動機だったと読めた」

「誤解を解きたかったね」

「うん。青田自身が最後は本当にそう思っていたのだとしても、途中までは青田もそうじゃなかった。僕らの幻想なんかじゃなかったよ」

「そうね。でも結果的にはあたしも木島君もあの日まで気が付かなかったことになる」




「今度は本当に踏切に飛び込んで死んでしまった」

「あの後あの踏切で何度も自殺未遂が起きたのよね」

「ああ。未遂に終わった人が警察で事情聴取を受けると、決まって誰かにこっち側に来いって手招きされたように感じたって。それでついフラフラっと…」

「本当に怖いわ。青田君の霊がそうさせてるってあたしたちの間ではもっぱらだったわね」

「まったくなあ。当時は俺も春日井さんもそう思ってしまってたよね」

「うん。普通じゃない状態は卒業するまで続いたよね」

「ああ。今でも時々あるらしいよ」

「そうね。つい誰かに手招きされてるみたいに…」




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僕は喉が殻からにになった。トニーもそうだったんだろう。二人ともテーブルの上に並んだジュースの瓶をそれぞれ掴むとラッパ飲みで一気に飲み干した。

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「今こうして僕が、学校体制にロボットのように順応できる生徒を作り出すことを自分の教師としての役割だと感じてることは…」

「あたしが保健室を必要とする生徒にとことん付き合おうとして、あなたたち学校側と対立することと同じなのね」

「中途半端な体制への反抗は結局人を不幸にするだけさ」

「それが木島君の悩み抜いた末の答えなのね」

「ああ。だから君を見ていて危険だと心底思う。生徒は卒業するまでにどこに出しても順応できるいい意味での部品にしてしまうことが教師の役割だと思うんだ・・・」

「あたしはやっぱり、あの時中途半端に青田君に接したのがいけなかったんだと思う」

「自分の恋人でもないのにかい?ましてや自分の家族でもないのに」

「そうよ。クラスの仲間として」

「人間が取りきれる責任は常に有限だよ。どこかで線を引かない途方も無い責任を他人に感じる必要はないんだと思うし、無限に責任を負えるっていう幻想、もっと言ってしまえば僕らの思い上がりが青田君の誤解を産んだんじゃなかったのかい?」


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 また衝立の向こうに重たい沈黙が訪れた。

 僕は皆川君のことを思い出していた。

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地下鉄のない街 41大人たち

「もともと木島君は無責任な大人たちの尻拭いをやってあげたんだよね」

 衝立があるから、木島の表情も春日井先生の表情もこちらからは分からなかった。

 でも、その空気、落ち着いた間のとり方から、春日井先生と木島との間には静かな信頼関係が流れているのが伝わってきた。考え方ややり方は違っても、二人は高校生の時の同じ体験からその後の人生を生きているんだということが分かった。多分一日も忘れることのないほどにその日のことを振り返りながら生きている。

「今で言うモンスターペアレントだったわけだな、青田君のお母さんは」

「野球部の特待生だったよね。実際エースの青田くんのお陰でうちの高校は甲子園に初出場。」

「そうだね、それも一年生の夏からあの事件のあった三年の春まで連続3回出場だ」

「あの噂ほんとなのかな。二年生の時にお父さんとお母さんが学校にやってきて『うちの子は特別ですから、授業で寝ていてもうるさいこと言わないで欲しい』って学校に言いに来たの」

 木島のかすかな笑い声がした。

「そうだなあ、ある時点から実際に授業に居眠りしていても何も言われなくなったし、試合が近づくと授業にすら出てこなくなったもんな。昔はかなりきつく注意していた教師も何も言わなくなった。じっさいに青田が、『校長先生と話はついてるはずだろ』って咎めた教師を逆に皆の前で一喝したっていう事件もあったしな」

「そうね。あの時の屈辱的な先生の顔はあたし今でも覚えてるよ。さすがにあれはやっちゃいけないことだと思ったけど、やっぱりそういうことだったのか」

「まあ、青田くんの天下は長く続かずに、二年の夏の大会の後肩を壊して練習試合で全く勝てなくなった。今までの反青田の教師連中は結束してそれまでの恨みを晴らしにかかったわけだ。勝手なもんだよな、青田君のこと擁護して、うちの高校の希望の星だみたいに言ってた連中も増長しすぎでちょうどいいところに天罰が下ったみたいな言い方して攻撃側に回ってたね」

「話の流れからすると分からなくもないけど、でも先生たちのいぢめは露骨だったもんね」

「そうだな・・・」



 二人は沈黙していたので教師からどんないじめがあったのかは分からなかった。でも、そういう事情なら教師からの集団いぢめというのもありえるんだろうなと僕はぼんやり思った。



「結局親も・・・」

「そ。あいつに聞いた話じゃ、お前が学校にそう言ってくれって頼んだから無理して頼んだんだ、っていうことで、教師からのいぢめについては一言『自業自得だろ』って父親に言われたらしい。青田君にしたってそんなことはわかり切ってたわけで、それでももう自分の手に負えなくなってしまって最後の頼みの綱で他ならぬ親に頼ったということなんだけど」

「父親がそういう言い方っていうのはひどい話だよね。」

「母親も隣で深々とそうだそうだと頷いていたらしいぜ」

「ボロボロだったよね、青田君」

「それでなんとなく春日井さんが話しかけて・・・」

「三人でいくらなんでもこの状況はひどすぎるって話になったんだよね」

「そうそう。あの時はまだ青田君も冷静で、自分がアホだったわけだけど、って自分を客観的に笑える余裕もあったんだけどな」

「行くところまで行っちゃったね」

「そうだね・・・」


 二人はまた黙った。今度黙ったわけはすぐに分かった。春日井先生のすすり泣きが聞こえたからだ。僕は驚いた。でも木島は何も言わなかった、ただ沈黙だけがゆっくり流れていった。

 じっと静かに沈黙している木島はその涙のわけを知っているだけじゃなくて、それが十数年たった今でも涙を流すもっともな理由があるのだという、そのことを知っているに違いない。そして春日井先生は木島の前ではそういう涙を隠そうとしないのだということも分かった。

 それほどその沈黙とかすかなすすり泣きは、変な言い方けれど事情を全く知らない僕とトニーを納得させるものだった。

 僕はここに来る前、学校の有能な下僕の木島が、心の悲鳴をあげる生徒が皮膚感覚で探り当てる保健室の春日井先生と会うということがどうしても信じられなかった。

 でも、今ではそれがとても自然なことに思えた。

 理由はまだ完全には分からなかったけど・・・。
ゆっきー
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