「皆川くんはね、ザビエル皆川っていうのがあだ名だったんだ」
僕がそのあだ名を口にするのも中学の時以来だった。
「ザビエル?フランシスコザビエルさん?」
誰でもまずそれを思い浮かべるだろう。中高生の僕達にとって教科書に必ず載っているザビエルのあの肖像画は馴染み深いものだ。
「うん。そう。社会の時間にそのページ開いてる時に誰かが言ったんだ。『これって皆川そっくりじゃねえ!』ってさ」
皆川くんが死んでしまってから、僕は図書館で彼のあだ名になったザビエルの肖像画を何度も何度も繰り返し見たので今でもくっきりとあの絵を目に浮かべることができる。
ザビエルは斜め上の方を遠くに見ている。異国の地での好奇の視線を遮断するような黒いマント。でも自分の殻に閉じこもっているのじゃなくて、マントの下から両手を十字形に交錯して出している。自分の手で作った十字架は武士の二本差のようにも思えた。抜かないけれどそこに魂がある。何をされようとも決してけがされない世界を自分は持っている、それをマントの内側からきちんと外に見せているんだ。
「普段着ていた服とかがあんなとかじゃないよね」
姉さんは少し笑いながら言った。
「ねえさんさ、学校のいじめで一番究極にいじめられちゃう人間ってどんな子供か分かるよね」
僕はそれには答えずに、僕はザビエルの肖像画の赤い心臓に突き立てられた十字架を思い出しながらつぶやいた。
「そうだな・・・。最初はいじめがいのある子かな。少しだけ気が弱かったり、運動が出来なかったり、先生の質問に対する答えがちょっとピントがぼけてたり、気が付かないうちにクラスのお約束やぶってたり・・・とか?」
でも、ザビエルのキャラじゃないよね、姉さんの目がそう言っていた。頭の回転の良い姉さんは僕の話の行く先を自分で想像しはじめたようだった。
「もちろんザビエル皆川くんはそうじゃなかったんだ。服装も顔もあの肖像画の写真とはぜんぜん違う。でも教室でザビエルと皆川は似てるって誰かが言った時、教室中はやっと皆川の正体がわかったって感じでもりあがったんだよね」
姉さんは黙って頷いた。
「究極にいじめられちゃう子ってさ、いくらいじめても全然こたえないやつなんだよな、やっぱさ」
姉さんが何度か頷く。
「皆川くんがまさにそうだったんだ。いじめは最初はコミュニケーションの一つって、大人はとんでもないというけど、やっぱそういうところも確かにあると思うんだよね。最初はいじめのつもりじゃなかったって言い訳みたいに聞こえるけど、じっさい学校で生活してるとそういうところはあるよね」
「まあね。線引きは難しいよ実際」
「それが明確にいじめに、それもとてつもないいじめに変わる瞬間ってさ、からかわれたりしたほうが、自分の許容範囲の中で傷ついたりとかカッコ悪い思いしてるところを晒したりとかさ、そういうこと一切拒否った時にでてくると思うんだよね、やっぱ」
「逆にいじめてるほうが無視されたみたいに傷つくわけか」
僕ははっとした。なるほど、姉さんはうまいことを言う。
「そういうことなのかもしれない。」
僕の頭の中でその時初めて皆川くんの陸上競技大会三位の意味がわかった気がした。
「考えてみたらさ、400メートル走のタイムでだれが1秒早いとか1.2秒早いとかってどうでもいいっていえばどうでもいいよね」
「まあ、関係ない人にはね」
「皆川くんは一事が万事そういう雰囲気を醸し出してたんだよ。自分が足が遅いから悔しがるとかじゃなくて、そもそも早く走るのに意味があるの?みたいなさ」
「ああ・・・。それはちょっと反感買う時もあるかもね」
「まあね、皆川くんの場合はそれが徹底してたんだ」
姉さんは「どんな?」と目で聞いてきた。
「最初は冗談のつもりではじめた皆川くんへのいじめにも、そのいじめそのものに対しても皆川くんはそういう態度で対応したんだ」
姉さんは納得がいったという顔をした。僕自身も自分で話を始めておきながらはじめてそのことの意味がわかった気がした。
『俺へのいじめなんてそんなことにどんな意味があるんだ』
姉さんが皆川くんの心中を想像しながらそうつぶやいた。
そっか。
いじめることを無視されて傷ついたクラスの人間は、まるで皆川くんがいじめに根を上げるまでそれを続けることが何かの必要な義務であるかのようにいつしか思えてきたのかもしれない。
僕の中で、授業をサボって何度も図書館でページを開いたザビエルのあの肖像画が、あらためて皆川くんとくっきりダブって見えた。