地下鉄のない街 第一部完結

地下鉄のない街~1地下鉄の出口

1地下鉄の出口


$小説 『音の風景』 終点の地下通路の中でようやく解放された。

 ラッシュ時の電車の中のこの空気は徹夜明けのぼくにはしんどい。年をとるのは年齢ごとに早くなっていく。何も考えないことだ。とにかく気を取り直して出社しなきゃ。
 試験まであとすこし。頑張らなきゃなならない。目をふさいで、鼻をつまんで。いつもやってきたようにだ。

「よ、おはよう」

 駅を降りて早足で会社に行くぼくの後ろから先輩が肩をたたいてくれた。会社で唯一心を許せる尊敬できる神田先輩だ。最近子供さんが生まれて、寝不足だって言ってたっけな。時々遅刻するようになったな。

「おはようございます。先輩遅刻ですよ。急がないと。」

「大丈夫だよ、何分か遅刻したって」

 以前は違ったんだけど、子供ができてから大胆になったみたいだ。家庭をもった人の貫禄ってこういうものなのかもな。ぼくは少しうらやましくなった。

「そうよ、関係ないじゃない、そんなの。たまには」

 ひそかにあこがれている同僚由貴さんが、肩に手を回した。

 離婚経験者で子供を保育園に預けてから出社だったよな。この明るさと天真爛漫さは子供がいるからなんだろうな。

「とにかく急ぎましょう」

 ぼくは動揺を覚られるのが嫌で足早にロビーへ向かった。

「おはようございます」

 タイムカードを見ると二分遅れだけど、まあ、許容範囲か。






続く

地下鉄のない街~2叱責

 席に着いて落ち着いたと思ったらすぐに同僚のおんなの子が耳打ちしてくれた。

「君島さん、課長のところに行ったほうがいいわよ」

「え?」

 僕は慌てて問い直す。

「昨日の税務の書類ミスだらけで、課長が今朝直したみたい」

 そんな馬鹿な。

「自分から行った方がいいわよ」

「そうなんだ。ありがとう」

 朝からこれか・・・。おかしいなあ、完全にチェックしたんだけど・・・。おかしいな。

「課長、昨日提出した書類ですが」

 課長はしばらく顔も上げず自分の仕事をしていた。

「優秀な部下を持ってうれしいよ」

 課長はようやく顔を上げてそう言った。

「なんだねここの部分、初歩的なミスじゃないか。今の会計基準に合っていない。税効果会計で処理するべきところが20年位前の会計基準になっている。」

 あれ、おかしい、こんな書類は書いていない。誰かが改ざんしたんだろうか・・・

「すみません」

「まあ、いいよ。ただ私の立場も考えてくれよ。上から叱責されるのはこの私なんだから」

「すみません」

 僕はおうむのように繰り返した。

 でもおかしいな…どうしてこんな書類が出来上がったんだろう。4人のチームで作成して、最終的にぼくがチェックしたんだけどな。ちらっと社内を見たが、だれも悪意を持っている人間など見当たらなかった。

$小説 『音の風景』「最近顔色がすぐれないね。きちんと寝てるかい。」

 課長が不機嫌そうな顔のまま言う。

「はい」

「まあ、資格試験の勉強もほどほどにな。業務に支障が出たら困るよ」

なぜ知っているんだろう・・・。資格試験のことは会社の中でも親しい数人しか知らないはずなのに・・・。
だれが何を誰に言ってるのだろう。どこからか課長の耳に聞こえたんだろう。いや・・・こんなことは人が集まるところにはつきものだ。しょうがない、か。



「分かりました」

「いいよ、仕事に戻って」

「はい」

 カタカタカタカタ、とキーボードを打つだけ。

 何も考えなくていい、ただ完璧にやればいいんだ。それで午前中は終わってくれる。

 何も考えないと冷静に何かを考えられる。

 何も考えないことだ、大切なのは、それだけだ。



 誰が誰に

 そんなこと、もう無理だよね。

 それはとっくの昔に終わってる。

 誰に語りかけても、だれも自分のことは言ってくれない。

 誰も、いない。

 ある種の関係だけがあるだけだ。

 この人間関係の連鎖のなかで、自分の役割を果たせばいいんだ。

ただ。

これまでしてきたようにこれからも。





続く

地下鉄のない街~3微睡み

「よし、できたぞ」
 これを税理士事務所に届けたら、午前中の仕事は大丈夫だ。
「じゃ、外出してきまーす」
 やっと明るい声が出せた。
 いまのは上出来だな。
「行ってらっしゃい」
 と同僚の声。誰だかはわからない。皆同じ声をしているように聞こえる。 神田、14:00帰社。さて、行ってこよう。ホワイトボードに行く先を書くと、いつも開放感がある。

 今朝駆け込んだエレベータを降りると、ロビーはしんとしていた。ふう、やっと落ち着いた。自動ドアを出ると風がすっと頬を撫でる。あれ、なんだか変だな。街の景色がどこか変だ。こんなに緑が多かったっけ。あんなところに小学校がある。随分か小さく見えるな。でもそんなことより小学校なんてないはずだ。あそこは廃校になった後電機メーカーが市から手に入れて工場にしたはずだったけど。

 $小説 『音の風景』あれ?地下鉄じゃなくて普通の路線になっている。駅舎もどことなく古びているように見える。
 徹夜明けで、頭が変になったかな。まあ、いいや、相手先の事務所がある駅名はそのまんまだから、乗ってみようか。

「おかしいな、駅名が微妙にちがっている」

 切符売り場の路線図を見て、ぼくは思った。まあいい、急がなきゃ。



 電車の中で夢を見た。



 悪いのはおまえじゃない
 悪いのは、だれでもないんだ
 誰も悪くない
 だから誰も責められない

 ほんの冗談
 冗談を誰も責められない
 おまえもそうだよな
 冗談を否定したら、こんどはお前が標的だ

 自殺はしないよ
 自分のためじゃない
 おれが自殺したら、お前が困るだろ
 悪いのはばらばらにされて組み立てられたすりかえられた関係性の悪意さ

 どうしてこんなことするんだ、なぜこんなことになるんだ
 おまえにこういえたらどんなに楽だろう
 でも、誰に言ったらいいんだろう
 いつもおれをいじめるおまえか?

 ちがうよな。おまえはそんなにひどいやつでもない。
 だれににやらされているわけでもない
 やらせているのは、もっと違う不気味な何かだよな
 相手のいないところへ向かって自己主張はできない

 敵はどこにもいないんだ
 ただ、悪意だけが亡霊のようにあたりを支配している
 何かをすることは不毛なんだ
 悪意は、目で見えないし、胸ぐらもつかめない

 しゃべっていないと、何考えてるのといわれる
 何も考えていないとは、だれもいえない
 たとえ、何も考えていなくても
 何かしゃべらないといけないように

 だれか嫌いな人間いないのか、おまえは
 だれもいないとは誰もいえない
 たとえ、そいつのことを嫌いじゃなくても
 だれかを標的にしないと生きていけないからね

 黙っていることができるところ
 姉さん、あなたはこの世の中で唯一のやすらぎの場所だった
 でも遠いところに行ってしまったね
 いつか、教えてね 死ぬことの意味を


      おしえて、姉さん・・・

      ・・・・・・



続く

地下鉄のない街~4白い雲が見ていた

「神田ー神田ー」

 車掌の声だ。

 またうとうとしてしまったようだ。課長の言うように、すこし勉強もセーブした方がいいのかもな。

 あれ・・・。確かに神田駅と書いてある。でもちがう、こんな街じゃない。神田は・・・。

 案の定だ。

 駅の中だけじゃない。駅前の風景が全く違っている。自分がどこをあるいるんだかまったくわからないや。先生の事務所どこにいっちゃったんだろう・・・。




「すみません」

「はい?」

「菊地会計事務所というのはどこですか」

「ああ、そこの角を曲がって、道をあがったところですよ」

 人のよさそうな、サラリーマンだったな。人見知りのするぼくもなぜだか自然と話しかけられた。なぜだろう・・・。不思議な懐かしさがある人だ。

 しかしおかしい、場所が違う。そんなところにあるわけがない。




「ありがとうございます」

「いいえどういたしまして」

 おかしいなあ・・・。まあ、とりあえず行ってみるか。

 そういえば、おやじのの会社がこの辺にあったな。離れて暮らしてから一度も会ってないけど。どうしてるかな・・・。まあ、関係ないやあんなやつ、俺には。

 死んでくれていれば一番すっきりするのに。何もかもが・・・。





     坂道をあがるときに蝉が鳴いていた。
     自分が蝉になって遠くから自分を見ていた・
     雲が白い
     白い雲が遠くから自分を見ていた。

     だれもいない
     この世には

     ただ人間関係が網の目のように重なり合っている。
     ぼくもいない
     だれもどこにもいない
     ずっと分かっていたことだよな


       そうだよね、姉さん・・・

小説 『音の風景』





続く
ゆっきー
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