席に着いて落ち着いたと思ったらすぐに同僚のおんなの子が耳打ちしてくれた。
「君島さん、課長のところに行ったほうがいいわよ」
「え?」
僕は慌てて問い直す。
「昨日の税務の書類ミスだらけで、課長が今朝直したみたい」
そんな馬鹿な。
「自分から行った方がいいわよ」
「そうなんだ。ありがとう」
朝からこれか・・・。おかしいなあ、完全にチェックしたんだけど・・・。おかしいな。
「課長、昨日提出した書類ですが」
課長はしばらく顔も上げず自分の仕事をしていた。
「優秀な部下を持ってうれしいよ」
課長はようやく顔を上げてそう言った。
「なんだねここの部分、初歩的なミスじゃないか。今の会計基準に合っていない。税効果会計で処理するべきところが20年位前の会計基準になっている。」
あれ、おかしい、こんな書類は書いていない。誰かが改ざんしたんだろうか・・・
「すみません」
「まあ、いいよ。ただ私の立場も考えてくれよ。上から叱責されるのはこの私なんだから」
「すみません」
僕はおうむのように繰り返した。
でもおかしいな…どうしてこんな書類が出来上がったんだろう。4人のチームで作成して、最終的にぼくがチェックしたんだけどな。ちらっと社内を見たが、だれも悪意を持っている人間など見当たらなかった。
「最近顔色がすぐれないね。きちんと寝てるかい。」
課長が不機嫌そうな顔のまま言う。
「はい」
「まあ、資格試験の勉強もほどほどにな。業務に支障が出たら困るよ」
なぜ知っているんだろう・・・。資格試験のことは会社の中でも親しい数人しか知らないはずなのに・・・。
だれが何を誰に言ってるのだろう。どこからか課長の耳に聞こえたんだろう。いや・・・こんなことは人が集まるところにはつきものだ。しょうがない、か。
「分かりました」
「いいよ、仕事に戻って」
「はい」
カタカタカタカタ、とキーボードを打つだけ。
何も考えなくていい、ただ完璧にやればいいんだ。それで午前中は終わってくれる。
何も考えないと冷静に何かを考えられる。
何も考えないことだ、大切なのは、それだけだ。
誰が誰に
そんなこと、もう無理だよね。
それはとっくの昔に終わってる。
誰に語りかけても、だれも自分のことは言ってくれない。
誰も、いない。
ある種の関係だけがあるだけだ。
この人間関係の連鎖のなかで、自分の役割を果たせばいいんだ。
ただ。
これまでしてきたようにこれからも。続く