大人のピアノ

大人のピアノ そのはちじゅう 幽霊との戦い?

「インターネット賭博と振り込め詐欺…僕がそれをやるんですか」

 必死に話の出口を見つけようとする武志は藤井に真剣な面持ちで尋ねた。

 藤井と南方は顔を合わせて愉快そうに笑った。武志の混乱は深まるだけだった。


「いや、そういうことじゃねえよ。いくらなんでもお前みたいに切れるヤツに、そんなハンパなシノギをやらせるつもりはねえよ。なあ、南方」

「ええ、まあ…」

 南方はまた面白そうに笑った。





「お前、半グレって分かるよな」藤井が武志に語りかける。

「はい。朝青龍の引退騒動や海老蔵の暴力事件で背後で糸引いてたのが半グレですよね。もともとは関東の大きな暴走族が連合した組織だったとか」

「そうだ、いまじゃ暴力団顔負けのやりたい放題だ。あの時も裏でそれぞれに手打ち金が数千万動いてるが、半グレどもの本職はそういう脅しじゃねえ」

「そうなんですか」

「ああ。あいつらが日常金を儲けてるのがさっき言ったインターネット賭博と振り込め詐欺よ」

「はい」

「知ってたか」

「いえ、知りませんでした」

「そうか。まあ、いいだろう。今はっきり言ってヤクザは暴対法の影響でジリ貧だ。みかじめ料や借金の取り立てなんかも全て規制されているし、かと言って俺たちが半グレと同じことをやろうとしても上手く行かない。」

「それは…」

「まあ、はっきり言ってそういうのが得意じゃないというところは大きいだろう。ヤクザは暴力の駆け引きは本職だが、サラリーマンを煽ってネット賭博に引き込んだりするノウハウもないし、年寄りに猫なで声使って実の息子のように信用させて騙すとかいう手の込んだ演技派もいないしな…」

「それは…なんとなく分かります」

 武志は藤井の反応を恐れながらも相槌をうった。




「しかし最大の違いはな、あいつらが幽霊だってことよ。今ヤクザの最大の敵は他の敵対する暴力団じゃなくて半グレどもなんだが、幽霊相手の喧嘩にはヤクザは勝てねえんだ」

 藤井はまた武志に理解し難い言葉を発した。幽霊…?南方の方を見ると、南方はふんふんと頷いている。南方には半グレが幽霊だという藤井の意味するところが分かっているのだろうか。





 武志と南方の目があった。

「幽霊…。分からんか」南方が武志に言った。

「はい」

「おい、南方よ。もともとその幽霊っていう言い方はお前が俺に教えてくれたんだったよな。俺はお前の半グレ幽霊説を聞いて全部がわかったぜ。あれを武志にも話してやってくれねえか。どうも俺はお前と違ってそういう言葉の使い方がうまくねえ」

 藤井の言葉を受けて南方が頷いた。

「分かりました。じゃあ少し長くなりますが、うちの組の中国マフィアとの話と一緒にしましょうか」

「ああ、そうだな。それがいい。中国マフィアとの抗争も幽霊との戦争だったな。それも一緒にに話してくれたら分かりやすい。昼飯が少し遅くなったが寿司でも食いながら話すとしよう」

「了解しました。」

 南方は武志に足を崩せと目で合図した。





続く

大人のピアノ そのはちじゅういち 藤井城

 武志は細長い廊下を藤井と南方の後に従って通り抜けた。百畳もある座敷から昼メシを食べるための部屋に続く階段を上っている。

「迷路みたいだろ。サツががさ入れに来た時や他の組に万が一カチコミかけられた時にわざと通りにくいようにしてある。戦国時代の城と同じだ」

 先頭を歩く藤井が一番後ろの武志に向かって前を向きながら大きな声を出す。

「はい。話には聞いたことがありますけど、本当だったんですね、ヤクザの本拠は忍者屋敷みたいだって」

「あほ。忍者屋敷じゃなくて戦国大名の城だ。この屋敷の作り方も先代の藤井組組長、つまり俺の親父が兵庫の姫路城を手本に作ってある」

「姫路城ですか」

「そうだ世界遺産の姫路城。お前行ったことがあるか」

「いえ、ありません」

「神戸あたりに遊びに行くことがあったら一度足を伸ばして見るのもいいぞ。俺が初めて行ったのはまだ小学校に上がる前だったが、自分のこの家とそっくりなんで驚いたもんだ。もちろん大きさは違う。しかし造りはそっくりだ。例えば姫路城では外門から入って行って急なカーブの上り坂を上がって内門に行くまでに、左右の道脇に白い小さな窓が空いた壁が張り巡らされている」

「はい。このお屋敷にもありました」

「そうだろ、姫路城はその小窓から弓矢で敵を狙い撃ちで打てるようになっとるんだ。それと同じでお前が見たうちの組の城も、あの小窓の内側には地下の武器弾薬庫に通じるエレベーターがある。抗争の時にかりに外門を突破してもそこから先の内門に入ることはヘリでも使わないとほぼ不可能だ」

 藤井は自慢げに言った。




「実際に使ったことはあるんですか」

 藤井と南方の大きな笑い声がした。

「あるぞ。まだ暴対法が施行される前だったがな。対立する組と銃撃戦をやらかしたことがある。死傷者四十七名。まだ服役してるうちの若いもんも沢山いる。今でも他の組や警察とはいつでも戦争ができる状態だ」

 急に生々しい話になって武志は口をつぐんだ。




 ゆるい螺旋のような細い階段を三階分ほど上がったところにある広間は、船橋の市街を抜けて一面のガラス張りから千葉港の先につながる太平洋が見渡せる眺望だった。高級ホテルの最上階のラウンジのような雰囲気は、戦国大名の城で言えば天守閣に相当するものだろう。

 大きなテーブルの上にはすでにこれまた大きな寿司桶がいくつも並んでいた。椅子もあり、今度は正座しなくてもいい。

「祝い事の時にはここに寿司職人呼んで握らせたりするんだ」

「すごいですね」

 武志は圧倒されていた。姫路城まではいかなくても、鉄筋コンクリートのこじんまりした要塞の南方組事務所とはスケールが違った。

「ああ。でも南方の実家の京都の城はもっとすごいぞ。あれは本当の城だ」

 再び京都の話になると南方は口をつぐんでいる。

「京都は帰ったりするのか」

 ソファの対面に座った南方に藤井が語りかけるが、南方は首を振った。

「中学の時以来帰ってません」

「そっか、そりゃ残念なこった」

 藤井がそういいながら、武志にも座るように手で合図した。

「失礼します」武志は腰を下ろした。




 南方は武志にテーブルに固めて置かれていた瓶ビールを指差した。武志が詮を抜き南方が藤井にビールをつぐ。

「ほんなら、南方先生にもういっぺんレクチャーしてもらおか。幽霊との抗争について」

 南方は軽く会釈をした。






つづく

大人のピアノ そのはちじゅうに 暴対法と幽霊

「先生っていうのは冗談でもやめてもらいたいんですが、それじゃ話しましょう」

 南方は藤井と武志の両方に視線をやってそう言った。



「暴力団員が今まで一番多かった時が警察庁の発表で21万人。警察庁指揮の頂上作戦で半減してだいたい10万人になってる。その後の暴対法の施行でさらに半分の4万人台、これが今のヤクザのおおよその人数だ」

 南方は寿司には口を付けず、藤井組の若い衆が用意したポットのお茶で喉を湿らせながら語り始めた。

「ものすごい減り方だったんですね」

「だったじゃない。現在進行形で続いてる。もっとも数ばっかり多くてもしょうがないけどな。それにしてもここ数十年で四分の一は凄まじいだろ」

「はい」

 武志のつぶやきに南方が応える。藤井は苦い顔で寿司を口に放り込んでいた。

「ディズニーランドのある浦安市の全人口が15万人だ。それよりはるかに多かったヤクザが今ではたったの4万人。藤井さん、この城がある海神は人口どのくらいですか」

「ふん。確か約2万人かな」

「海神町よりはまだ多いが、これもあと数年すれば全国のヤクザをかき集めても千葉の一つの町より小さい集団になる」

「暴力団対策法のせいですね」

「それが大きいな。実際にうちの南方組でも本家の蜷川会でも構成員は減っているし、その大きな原因は1992年に施行された暴力団対策法だ」

「はい」




「しかしよ、武志」

 藤井が旺盛に寿司を平らげながら武志にしゃべりかける。

「はい」

「減りましたっていうのも、考えてみればなんか不気味じゃねえか。お上はまるでパソコンのデータを消したみたいに『暴力団はいなくなりました』って言ってるけどよ、海や山に埋めたわけでもねえし、江戸時代の所払いみてえに海外に追放したわけでもねえ」

「それは確かにそうですね」

「一体どこに行っちまったんだよ、そいつら」

「…」




 警察署や派出所の前のポスターで、暴力団排除実績というのを時々見かける。武志はなんとなく数字がすごい勢いで減っているんだなとは思っていたが、減ったと言っても警察が留置場に収容したわけではない。考えたことはなかったが、確かに不思議な気がした。

「それがよ、幽霊なんだよ。幽霊がやめた組員のところにやってきて、そいつも幽霊にしちまうんだぜ。だから浦安の人口に匹敵するような幽霊がうようよとこの日本に歩いていることになる。足のある幽霊だぜ。ぞっとするよな」

 南方が藤井にビールをつぐ。南方も藤井に強いられて寿司とビールを口にした。



「それだけじゃなんのことか分からんだろ。例えば蜷川系列の歌舞伎町に事務所にある組が去年丸ごと幽霊にされたんだ。構成員80人ほどで蜷川直参じゃないがそこそこ名の通った組だ」

 ビールで寿司を流し込んだ南方が再び話を続ける。

「80人が幽霊に…?」

「ことの発端はその組の中堅幹部が中国人マフィアに殺傷された、「歌舞伎町爆竹事件」というヤツだ」

「はい」






 続く

大人のピアノ そのはちじゅうさん 歌舞伎•中国人•半グレ•幽霊

「武志は歌舞伎町は行ったことあるな」

 南方が横に座っている武志に話しかける。

「はい。何度かですけど」

「朝までいたことあるか」

「あ、はい。船橋の店の先輩たちと飲んで終電がなくなって花園神社で座ってたことあります」

「オカマに襲われなかったか」

「え?いえ先輩たちと一緒でしたから」

「冗談だよ」

 南方と藤井が笑い、武志は少し赤くなった。



「武志、寿司食えよ」

 藤井が機嫌のいい顔で武志の座っているテーブルの前にに大きな寿司桶をグッと突き出す。三人前くらいありそうだが、藤井はすでに自分の桶はほとんど空にしていた。

「はい。いただきます」

「あ、おめえはお上品に箸使うんだったよな。ほら」

 テーブルに割り箸を探して目をキョロキョロさせた武志に、藤井が自分の近くにあった割り箸を差し出した。

「あ、すいません。ありがとうございます」

 武志は少し落ち着いた気持ちになって鉄火巻きを口に運んだ。




「朝までいたんなら、歌舞伎町の一番不気味な空気は知ってるわけだ」

「はい?」武志は箸を置いて聞き返した。

「お前は歌舞伎町が一番怖い時間はいつだと思う?」南方が聞く。

「怖い…。以前南方さんと知り合う前に高校の友達とフラフラ遊んだ時は、夜の街はどこか怖かったです。暗闇に飲み込まれそうで、少し気を許すと吸い込まれそうな気がしました」

「うん。それが普通だ。ガイドブックやノンフィクションや歌舞伎町を舞台にした暗黒小説やらをちょろっと読んで歌舞伎町が分かったような気になっている人間が一番危ない」

「そうだな。だいたい金にもならんトラブル起こしてみかじめ料も赤字にしてしまうのがそういう困った自称不良サラリーマンや通ぶったフリーターだ」

 南方の言葉に藤井が加える。

「はい。なんとなく分かります」



「でもお前は今は夜はそれほど怖くあるまい」

「はい。今南方さんに聞かれて思い出してみたんですけど、今は怖くないですね」

「それはお前が闇の側の世界と繋がったからだな。お前が南方組の名前を出してイキがるようなアホだとはさらさら思ってはいないが、万が一なにか事があっても俺の名前を出せば大丈夫だ、という安心感みたいのがどこかにあるだろ」

「はい…。確かにあると思います。すいません」武志は恐縮した顔をした。

「いや、お前の性格だとすいませんと言いたくなるんだろうが、それば別にいいさ」

 南方は笑ながらそう言って寿司を幾つか口に入れ、武志にも促した。



「話は戻るが、そういうお前がまだ怖い、というか新しく怖くなった時間がないか?」

「やっと分かりました。通りからも人が消えてカラオケの漏れ聞こえてくる音も無くなって、店が路上に出した生ゴミの袋に朝の白い空からカラスが降りてくるあの時間。さっき南方さんが不気味と言った時間ですけど、なんか不気味とは違った感覚があったんです」



「おう。それよ。それそれ、やっぱりおめえには分かるか」

 すっかり寿司を平らげた藤井が爪楊枝で歯をくりくりしながら武志に言った。

「はい。憑き物が落ちたように歓楽街がしんとしているのに、見えないところで誰かが活動しているような気配を感じます。昼夜逆転したシャブ中の人間や売り上げを数えている店長とかじゃなくて、その時間が正規の活動時間みたいな人たちが、昼間の住人の見えないところで透明人間みたいに整然と存在してるみたいな…」


「そうだ。それだ。それが幽霊だよ。その中には消えた蜷川会の80人の息遣いも混じってるんだ」


「誰なんですかそれは」

「戸籍を消して顔も整形したこの世に存在しないはずの人間の息遣いさ」

「戸籍?整形?」

「ああ。戸籍は引き継いだ中国人が持っている。例えば斎藤武志っていうお前とは何の縁もゆかりも無いない人間が、お前の戸籍を持って日本の何処かで暮らしている。戸籍と顔を失ったお前は明け方の花園神社でお前が感じた息遣いの中で幽霊のように活動をしているのさ」



 武志は話の内容をまだ理解できていなかった。しかし自分になり変わった人間が斎藤武志として存在していることを見ている自分を想像してみた。


 それを見ている自分は一体何者だろう…。すうっと自分の足元がぽっかりと底を抜けてしまったような気がした。

 その感覚は死の恐怖だった。死んだ自分がまだ生きている自分を見ている。正確には自分と認識されている赤の他人を見ている。この世界にもあの世にも自分の居場所はどこにもない。

 死の恐怖。それも極めて純度の高い死の恐怖…。




「武志、死人のような顔になってしまったぜ」

 藤井が話しかける。

「あ、はい。いえ…僕は…」




「中国人が日本人の戸籍を買ってそれを売って儲ける。生きながら幽霊となった人間はどうなると思う?」

 南方が武志に尋ねる。

「いえ…分かりません」

「半グレどもが幽霊を仕込んでインターネット賭博やオレオレ詐欺やらせるんよ」

「ええっ?」



「暴力団対策法が施行されて、警察は組員の過去はもちろん親類縁者、オンナ、ヤクザになる前の友達も全部把握して警視庁の犯罪者データベースに入れている。これがある限りは暴力団をやめても警察に監視され続ける。元ヤクザっていうのは一生消すことができない。極道のしのぎはできず、カタギにもなれない。どうするか」

 南方が厳しい表情をする。

「もうカラクリがわかったよな」

 藤井もまた怒りを顔ににじませている。

「中国マフィアと半グレがタッグを組んで、暴対法で行き場のなくなった人間を絡め取ってビジネスにするサイクルががっちり出来上がってるんだよ。なめたまねしくさりやがって。人身売買や臓器の売買なんてもんじゃないぜ、これは、借金の取り立てだって戸籍奪って顔整形させて、人を生きながら幽霊にして金にするなんて悪魔みたいなことはしない」

 藤井が吐き捨てるように言った。



「「歌舞伎爆竹事件」ってのはな、中国人マフィアが日本のヤクザに通りがかりにポケットの中に火をつけた爆竹を入れるっていう嫌がらせから名前がつけられたんだよ。そういう名前を捜査本部に付けた警視庁キャリアのバカどもは、裏で日本の法律を恐るべき方法で悪用した陰謀があるのを把握していない。把握していたとしても何もできない。やるのは、暴対法を盾に同じ日本人の首を絞めて自分の出世の成績を上げることだけさ」

 南方は静かに話をしているように見えたが、よく見ると怒りを抑えながらのようだった。




「爆竹を入れられた方はどうしたんです」

「そりゃもちろん喧嘩だわな。喧嘩も殴り合いでは終わらないようにわざと向こうが挑発する。ついには死人も出る」

「はい」

「きっかけを作ったのも挑発したのも中国人と日本人の半グレどもだ」

「はい」

「しかし、検挙されたのは全員ヤクザだ」

「なぜ…」

「暴力団対策法とはそういう法律なんだよ。抗争になったら組は国家に潰される。潰された組はあいつらが丸ごと引き受ける。これが80人がこの世から消えたカラクリだ」

「…」

「中国人マフィアと半グレはその法律の盲点をビジネスモデルとして確立しやがったというわけだ」





「話はわかったか」藤井が武志を見る。

「はい」

「寿司食う前の話だがよ、おめえにインターネット賭博やオレオレ詐欺をやって欲しいというわけじゃねえんだ」

 藤井が南方の話を引き継ぐ。南方は役目が終わったという風で口を閉ざす。

「……」武志は無言で藤井の言葉を待った。



「おめえにこのうす汚ねえビジネスを潰してもらいたい。それがおめえを藤井組にスカウトする狙いだ」





 武志は自分の顔から血が引いて行くのを感じた。






続く
ゆっきー
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