大人のピアノ

大人のピアノ そのななじゅうきゅう インターネット賭博と振り込め詐欺

「武志を藤井組でどう使うおつもりで?」

 南方は淡々とした口調で藤井に尋ねた。南方が藤井の提案に乗りかかっていることが武志の頭の中を掻き回した。南方は自分の手の内から俺を手放そうとしている…。武志は座っている畳の底が抜けてそのまま自分が落ちて行くような感覚にとらわれた。

「ふむ」

 藤井はとぼけた顔を武志に向けた。求められれば理路整然と自分を語り、状況を把握している気になっている。自分の立てた見たての中で予想を立てれば、こういう人間は一見沈着冷静で的確な判断をするように見える。しかしその前提が崩れた時にこのてのタイプは弱い。ガラガラと崩れて初めて自分の土台が砂上にあったことに気がつく手合いの若造…。

「どうした武志、南方が『武志をお前なんかに渡すもんか!』とか啖呵をきって自分を守ってくれるとでも思ったか」

 武志が黙ってうなだれていると、藤井は床几についた腕を支点にやおら立ち上がり、足を崩している武志の前にやってきてそのまま胡座をかいてすわった。

「頭はいいがパニクってるお前さんに状況とやらを解説してやるとこういうこった。聞きたいか」

 武志は悲痛な顔で頷いた。

「教えて欲しかったらその崩した足きちんとたたんで正座せえ」

 藤井の平手打ちが容赦無く武志の顔面に飛ぶ。口の中を切った武志が手の甲で口の端の出血を拭った。

「すいません」精一杯の大きな声を出して武志が座り直した。






「南方はな、俺の弟分だ。この世界親や兄のいうことは子や弟は絶対に服従だ。まあ、しかしいろんな事情があってこいつとの関係はそういう杓子定規のもんじゃねえ。組織の違いや伝統から言って六四の杯だが、実質は五分と五分。一見仲は悪いがおれは南方のことを認めてるし、五分のつもりでおるわ。南方は今、俺が武志を自分の組みに入れて何をさせようとしているのか見極めようとしてる。その上で一番いい形を探ろうと、こういうわけやな。したたかさのなかに冷静に頭働かして一瞬の流れを読むことができるんだ、こいつは。さすが京都の老舗博徒の元後継だけのことはある。どっかの若いもんとはわけが違う」

 藤井はそう言って皆方を見た。南方は苦笑しながらもまんざらではない顔を返した。

「京都の老舗博徒の後継…ですか?」




 武志は藤井に聞き返し、そして南方を見た。

「藤井さん、まあ、その話は今はいいじゃないですか」


「そっか。武志は南方の出自なんかは知らんのか」

 藤井は面白そうに二人を眺めた。

「京都のことはうちの石橋にもほとんど話してませんよ」

「ほう、そっか。もっとも俺もお前から直接聞いたんじゃなくて俺のオヤジ、先代藤井組組長から聞いたんだけどな。老舗博徒の後継が中学の時親の仕切りを無視してして学校で大暴れして家で同然で関東に流れて。中坊の時の学校乱闘事件話はその背後に女の影もあってなかなかいいんだ、これが」


 南方は一瞬自嘲気味に笑ったように見えた。しかしすぐに藤井のおしゃべり封じるような強い口調で聞いた。

「それより、何企んでるんです。武志を引っこ抜こうとして…」





「うむ。あれだ。インターネット賭博と振り込め詐欺だ。あれを何とかしたいと思ってる。武志ならなんとかなるんと違うか」

「ああ、なるほど」

 南方は得心がいったという顔で頷く。

 武志は依然として話が見えなかった。ただ『京都の老舗博徒の後継』という言葉が頭の中にぼんやりと舞っていた。





続く

大人のピアノ そのはちじゅう 幽霊との戦い?

「インターネット賭博と振り込め詐欺…僕がそれをやるんですか」

 必死に話の出口を見つけようとする武志は藤井に真剣な面持ちで尋ねた。

 藤井と南方は顔を合わせて愉快そうに笑った。武志の混乱は深まるだけだった。


「いや、そういうことじゃねえよ。いくらなんでもお前みたいに切れるヤツに、そんなハンパなシノギをやらせるつもりはねえよ。なあ、南方」

「ええ、まあ…」

 南方はまた面白そうに笑った。





「お前、半グレって分かるよな」藤井が武志に語りかける。

「はい。朝青龍の引退騒動や海老蔵の暴力事件で背後で糸引いてたのが半グレですよね。もともとは関東の大きな暴走族が連合した組織だったとか」

「そうだ、いまじゃ暴力団顔負けのやりたい放題だ。あの時も裏でそれぞれに手打ち金が数千万動いてるが、半グレどもの本職はそういう脅しじゃねえ」

「そうなんですか」

「ああ。あいつらが日常金を儲けてるのがさっき言ったインターネット賭博と振り込め詐欺よ」

「はい」

「知ってたか」

「いえ、知りませんでした」

「そうか。まあ、いいだろう。今はっきり言ってヤクザは暴対法の影響でジリ貧だ。みかじめ料や借金の取り立てなんかも全て規制されているし、かと言って俺たちが半グレと同じことをやろうとしても上手く行かない。」

「それは…」

「まあ、はっきり言ってそういうのが得意じゃないというところは大きいだろう。ヤクザは暴力の駆け引きは本職だが、サラリーマンを煽ってネット賭博に引き込んだりするノウハウもないし、年寄りに猫なで声使って実の息子のように信用させて騙すとかいう手の込んだ演技派もいないしな…」

「それは…なんとなく分かります」

 武志は藤井の反応を恐れながらも相槌をうった。




「しかし最大の違いはな、あいつらが幽霊だってことよ。今ヤクザの最大の敵は他の敵対する暴力団じゃなくて半グレどもなんだが、幽霊相手の喧嘩にはヤクザは勝てねえんだ」

 藤井はまた武志に理解し難い言葉を発した。幽霊…?南方の方を見ると、南方はふんふんと頷いている。南方には半グレが幽霊だという藤井の意味するところが分かっているのだろうか。





 武志と南方の目があった。

「幽霊…。分からんか」南方が武志に言った。

「はい」

「おい、南方よ。もともとその幽霊っていう言い方はお前が俺に教えてくれたんだったよな。俺はお前の半グレ幽霊説を聞いて全部がわかったぜ。あれを武志にも話してやってくれねえか。どうも俺はお前と違ってそういう言葉の使い方がうまくねえ」

 藤井の言葉を受けて南方が頷いた。

「分かりました。じゃあ少し長くなりますが、うちの組の中国マフィアとの話と一緒にしましょうか」

「ああ、そうだな。それがいい。中国マフィアとの抗争も幽霊との戦争だったな。それも一緒にに話してくれたら分かりやすい。昼飯が少し遅くなったが寿司でも食いながら話すとしよう」

「了解しました。」

 南方は武志に足を崩せと目で合図した。





続く

大人のピアノ そのはちじゅういち 藤井城

 武志は細長い廊下を藤井と南方の後に従って通り抜けた。百畳もある座敷から昼メシを食べるための部屋に続く階段を上っている。

「迷路みたいだろ。サツががさ入れに来た時や他の組に万が一カチコミかけられた時にわざと通りにくいようにしてある。戦国時代の城と同じだ」

 先頭を歩く藤井が一番後ろの武志に向かって前を向きながら大きな声を出す。

「はい。話には聞いたことがありますけど、本当だったんですね、ヤクザの本拠は忍者屋敷みたいだって」

「あほ。忍者屋敷じゃなくて戦国大名の城だ。この屋敷の作り方も先代の藤井組組長、つまり俺の親父が兵庫の姫路城を手本に作ってある」

「姫路城ですか」

「そうだ世界遺産の姫路城。お前行ったことがあるか」

「いえ、ありません」

「神戸あたりに遊びに行くことがあったら一度足を伸ばして見るのもいいぞ。俺が初めて行ったのはまだ小学校に上がる前だったが、自分のこの家とそっくりなんで驚いたもんだ。もちろん大きさは違う。しかし造りはそっくりだ。例えば姫路城では外門から入って行って急なカーブの上り坂を上がって内門に行くまでに、左右の道脇に白い小さな窓が空いた壁が張り巡らされている」

「はい。このお屋敷にもありました」

「そうだろ、姫路城はその小窓から弓矢で敵を狙い撃ちで打てるようになっとるんだ。それと同じでお前が見たうちの組の城も、あの小窓の内側には地下の武器弾薬庫に通じるエレベーターがある。抗争の時にかりに外門を突破してもそこから先の内門に入ることはヘリでも使わないとほぼ不可能だ」

 藤井は自慢げに言った。




「実際に使ったことはあるんですか」

 藤井と南方の大きな笑い声がした。

「あるぞ。まだ暴対法が施行される前だったがな。対立する組と銃撃戦をやらかしたことがある。死傷者四十七名。まだ服役してるうちの若いもんも沢山いる。今でも他の組や警察とはいつでも戦争ができる状態だ」

 急に生々しい話になって武志は口をつぐんだ。




 ゆるい螺旋のような細い階段を三階分ほど上がったところにある広間は、船橋の市街を抜けて一面のガラス張りから千葉港の先につながる太平洋が見渡せる眺望だった。高級ホテルの最上階のラウンジのような雰囲気は、戦国大名の城で言えば天守閣に相当するものだろう。

 大きなテーブルの上にはすでにこれまた大きな寿司桶がいくつも並んでいた。椅子もあり、今度は正座しなくてもいい。

「祝い事の時にはここに寿司職人呼んで握らせたりするんだ」

「すごいですね」

 武志は圧倒されていた。姫路城まではいかなくても、鉄筋コンクリートのこじんまりした要塞の南方組事務所とはスケールが違った。

「ああ。でも南方の実家の京都の城はもっとすごいぞ。あれは本当の城だ」

 再び京都の話になると南方は口をつぐんでいる。

「京都は帰ったりするのか」

 ソファの対面に座った南方に藤井が語りかけるが、南方は首を振った。

「中学の時以来帰ってません」

「そっか、そりゃ残念なこった」

 藤井がそういいながら、武志にも座るように手で合図した。

「失礼します」武志は腰を下ろした。




 南方は武志にテーブルに固めて置かれていた瓶ビールを指差した。武志が詮を抜き南方が藤井にビールをつぐ。

「ほんなら、南方先生にもういっぺんレクチャーしてもらおか。幽霊との抗争について」

 南方は軽く会釈をした。






つづく

大人のピアノ そのはちじゅうに 暴対法と幽霊

「先生っていうのは冗談でもやめてもらいたいんですが、それじゃ話しましょう」

 南方は藤井と武志の両方に視線をやってそう言った。



「暴力団員が今まで一番多かった時が警察庁の発表で21万人。警察庁指揮の頂上作戦で半減してだいたい10万人になってる。その後の暴対法の施行でさらに半分の4万人台、これが今のヤクザのおおよその人数だ」

 南方は寿司には口を付けず、藤井組の若い衆が用意したポットのお茶で喉を湿らせながら語り始めた。

「ものすごい減り方だったんですね」

「だったじゃない。現在進行形で続いてる。もっとも数ばっかり多くてもしょうがないけどな。それにしてもここ数十年で四分の一は凄まじいだろ」

「はい」

 武志のつぶやきに南方が応える。藤井は苦い顔で寿司を口に放り込んでいた。

「ディズニーランドのある浦安市の全人口が15万人だ。それよりはるかに多かったヤクザが今ではたったの4万人。藤井さん、この城がある海神は人口どのくらいですか」

「ふん。確か約2万人かな」

「海神町よりはまだ多いが、これもあと数年すれば全国のヤクザをかき集めても千葉の一つの町より小さい集団になる」

「暴力団対策法のせいですね」

「それが大きいな。実際にうちの南方組でも本家の蜷川会でも構成員は減っているし、その大きな原因は1992年に施行された暴力団対策法だ」

「はい」




「しかしよ、武志」

 藤井が旺盛に寿司を平らげながら武志にしゃべりかける。

「はい」

「減りましたっていうのも、考えてみればなんか不気味じゃねえか。お上はまるでパソコンのデータを消したみたいに『暴力団はいなくなりました』って言ってるけどよ、海や山に埋めたわけでもねえし、江戸時代の所払いみてえに海外に追放したわけでもねえ」

「それは確かにそうですね」

「一体どこに行っちまったんだよ、そいつら」

「…」




 警察署や派出所の前のポスターで、暴力団排除実績というのを時々見かける。武志はなんとなく数字がすごい勢いで減っているんだなとは思っていたが、減ったと言っても警察が留置場に収容したわけではない。考えたことはなかったが、確かに不思議な気がした。

「それがよ、幽霊なんだよ。幽霊がやめた組員のところにやってきて、そいつも幽霊にしちまうんだぜ。だから浦安の人口に匹敵するような幽霊がうようよとこの日本に歩いていることになる。足のある幽霊だぜ。ぞっとするよな」

 南方が藤井にビールをつぐ。南方も藤井に強いられて寿司とビールを口にした。



「それだけじゃなんのことか分からんだろ。例えば蜷川系列の歌舞伎町に事務所にある組が去年丸ごと幽霊にされたんだ。構成員80人ほどで蜷川直参じゃないがそこそこ名の通った組だ」

 ビールで寿司を流し込んだ南方が再び話を続ける。

「80人が幽霊に…?」

「ことの発端はその組の中堅幹部が中国人マフィアに殺傷された、「歌舞伎町爆竹事件」というヤツだ」

「はい」






 続く
ゆっきー
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