朝子は混乱した頭を整理するためにもう一度ベッドに横たわって布団を浅くかぶった。そして台湾屋台で武志とおしゃべりしていた時のことをぼんやりと思い出していた。
「あたしが最後は何とかする」 なぜ自分はあんな言葉を口にしたのだろうか。一週間後には自分の身の安全、命すら危ぶまれる武志に何か言ってあげたかった。武志があんな状況の中、自分ができる限り最大限周りの人間のことを慮り、なんとか最善の結果を作り出そうとしているのが痛いほど切ないほど分かった。今から思うと確かにあの場の雰囲気から口にしたこととはいえ、自分は武志に対して母性本能のようなものを感じていたような気がする。
奇妙な言い方かもしれないが、優等生の子供がたんに学校で勉強ができるというだけではなくて、大人になるということにも優等生であるというのがあると思う。そういう意味で自分に期待される若者像を察知してそれをいち早く身につけることに関しても武志は優等生なのだと思った。それは年配者に対してだけではないとも思う。武志は高校時代までおそらく同年代の女の子に半端じゃなくもてたと思う。それは武志がおそらく同世代の女の子が期待する大人の男性像を察知して身につける能力が抜きん出ていたからのような気がする。
ここ数日接していて思ったのは、武志はとにかくいわゆる「ツボ」を抑えるのがうまかった。的確に相手の考えていることを読み取って、そこに目立たない程度の自分らしさを加えて相手に切り返す。自分の両親にしても、おそらくあの石橋というヤクザや南方という親分さん、姉のなつみ先生、父親に対してもそうだった。
でもそのクールな大人らしさは、本当の武志なのだろうか。朝子はかすかにそんな気持ちを抱いていた。
ピアノを弾いている時の武志は完全な大人のピアノを弾いていた。それは大人びた演奏ではなくて、どこか突き抜けて大人だった。子供だった自分を遠くから大人の視線で優しく包み込むような演奏だった。かつて子供だったことを忘れない、しかし子供であることを一度は完全に忘れた、忘れることが必要だった大人の諦観のようなものが漂っていた。
武志はその人間としての「大人びた自分」と、ピアニストとしての「大人のピアノ」を弾く自分のアンバランスさに気がついていると思う。気がついてそのことに何か息苦しさを覚えている。
それは大人のピアノを弾く自分から見れば、大人びた自分がおそらく背伸びをした偽物のように感じられるのではないか。
背伸びをしようと思ったことは実際には武志には一度もないと朝子は思う。なぜなら武志の器用さは背伸びなどせずにも、あっさりと大人や男友達や女の子の期待する人間として振る舞うことができてしまうからだ。
『自分はこうやって「大人のピアノ」を弾く資格があるんだろうか。たまたままぐれでそういうことが出来ているだけじゃないのか』
武志の苦悩、武志が南方に答えを見出そうとしてヤクザ組織の中に身を置いた理由はそこにあるという気がした。千葉の藤井組で会った南方という人には多分大人のピアノを弾く十分な資格があるのだろう。
左右の小指をさりげなく見たけど、確かに武志が言っていたようにそこにはピアノを弾くにはあってしかるべき小指がなかった。それでも武志は南方の演奏が凄まじいと言っていた。
それは南方が自分とは違ってごく幼少の頃から、「大人のピアノ」のなんたるかを知っていたためではないだろうか。どうすれば大人びた自分が弾く大人のピアノではなくて、南方のように自然に大人のピアノを弾くことができるのか、南方はいったいどんな生き方をしてきたのか、それを武志は何とかつかもうとして一年以上も南方のそばにいたのだ。
眠れない夜、両親の目を盗んで武志と夜家の周りを散歩した時に武志が言っていた。
南方さんの右手の小指は今から十年ほど前組織同士の抗争の折、止むに止まれぬ事情で落とすことになったらしい。しかし左手の小指は南方さんがまだ中学の時に自分から落としたものだという。南方さんはそれについては多くを語らなかったようだった。ヤクザがらみの事情ではなくて南方さんの大切な初恋の相手のため、ということらしかった。
武志は南方さんが中学の時に小指を落とすことになったことと、小指のない南方の弾く究極の大人のピアノに関連があると確信しているようだった。「自分に決定的に欠けている世界がそこにある」と言っていた。「それに気がつくことができなければ、僕のピアノは必ず近いうちにダメになってしまう」武志は苦しそうな顔で何度もそう言っていた。
朝子は布団をかぶり直して藤井組にまだなお軟禁状態の武志の顔を思い浮かべた。
つづく