「だいたいね、こんな話だったわ」
母親の慶子はコーヒーを飲みながら、職員室の様子をなつみに語って聞かせた。
- 「今回の君の教室での暴力、まあ私的制裁と言っておこうか。それについては君は悪いことだとは思っていないわけだね」
教頭は伊佐夫に静かに語りかけた。
「はい。思ってません」
伊佐夫がそう言った瞬間、生活指導の教師と担任の教師が我先にと伊佐夫を非難する言葉を発しようとした。しかし教頭はむしろ怒ったような顔をして二人を制した。教頭に『黙って聞きなさい』という風に首を横に振って言葉を遮られた二人は不承不承頷いて、今度はそのバツの悪さを伊佐夫を睨みつけることに転嫁した。
「では、君に聞いてみたいんだが、暴力には良い暴力と悪い暴力がある、こういうことかね。自分のとった暴力は良い暴力だと、そういうことか」
教頭は試すような言葉で伊佐夫に訊ねたが、その目はむしろ二人の教師に向けられた目よりも伊佐夫をしっかりと見ていた。
「いえ、そうは思いません。僕はあれが良いことだとも思っていません」伊佐夫は教頭に淀みなく応えた。
「ふむ」
二人の教師は理解できないといった不機嫌な顔をし、対象的に教頭は"ほう"という表情で伊佐夫を興味深そうに見た。
「僕は暴力には肉体的な暴力の他にも、精神的な暴力もあると思っています」
「ふむ。例えば今回の黒板の落書きのようなものだね」
「はい」
「しかしいきなり怪我を負わせるような制裁はまずいのではないかな」
教頭の言葉に二人の教師は我が意を得たりとばかりに頷き、憎しみの混じった侮蔑の視線を徳に向けた。
「はい。まずいと思います」
「ほう。では自分の非を認めるかね」
意外なほどあっさりとした伊佐夫の受け答えに教頭は拍子抜けした様にも見えた。二人の教師はやっと自分たちのペースに伊佐夫が嵌まってきたことに満足した顔をした。
しかしその直後だった。
「教頭先生は去年転校して行ったK君のことを覚えていますか?」
「K君。いじめを苦にしてというまことに不本意な形で学校を去ってしまった生徒だね。もちろん覚えているとも」
伊佐夫はここで二人の教師に視線を向けた。二人は伊佐夫の冷徹な目の中に殺意のようなものを感じてたじろいだ。
「Kはこの二人の先生に精神的暴力で殺されかかったんですよ。そのこともご存知ですか」
応接室は9人の沈黙で支配された。
「どういうことか教えてくれるかね」
教頭先生は二人の教師を一瞥したあと、柔和な顔を伊佐夫に向けた。
つづく