大人のピアノ

大人のピアノ そのじゅうはち 朝子の思いと武志

 初めはテキトーに話に加わったものの、篠崎はすぐに二人の話に置いてけぼり状態になっていた。

 二人とも実に生き生きといろんな曲や作曲家の話に興じていた。武志がそうした話を出来るのは当然として、驚きだったのは朝子が武志と対等…にというと何か変な言い方だが、楽しんで会話をしてることだった。そしてどうやら話の流れだけ追っていると、武志が一方的に朝子に話を聞かせているのではなくて、朝子の方から話をすることに対して武志が深く頷いたり、朝子の言葉を確認したりすることも多いようだった。

「あれなんだな、お前ずいぶん音楽に詳しいんだね」

 篠崎は思ったままを口にしたのだが、たちまち朝子のしらっとした視線にたじろいだ。

「いや、朝子さんの視点は面白いです。今まで気がつかなかったことをいろいろ考えさせられます」朝子の代わりに武志が真面目な顔をして篠崎に応えた。

「さっき言ったこと本当だったんだから」朝子は少し怒ったような顔を篠崎に向けた。

「…というなんだったっけ?」

「ああ、もうやんなっちゃうな。ピアニストになりたかったっていうことよ」

「あー。そっか。ごめんな気がついてやれなくて」

 篠崎は何と言って良いやら分からず、とりあえず謝ってみた。かと言ってその当時何をどんんな風にしてやればよかったのかは皆目見当がつかなかったのでそんな月並みなことしか言えない自分がもどかしかった。

「ま、いいけどさ。中学の時やめちゃった後もずっとピアノが好きで、お父さんのいない時にはずいぶん練習してたんだ」

「何でまた俺のいない時になの?」久しぶりの会話だ。篠崎は話が途切れないように懸命に相槌をうった。

「だって、真剣に弾いてるときオナラしたり、急にリモコンでテレビのスイッチ入れたりするんだもん」朝子は少し悲しそうな顔をした。

「あああ、ごめん。悪かった、気がつかなかったよ」

「小さい頃はね…じつはあたしお父さんのこと結構好きだったから、お父さんに聴かせたいという思いでこのリビングで練習してたんだよ」

「…そっか。それも気がつかなかったんだな、お父さん…。ひどいお父さんだよな…」篠崎はショックだった。




 しばらく沈黙が支配したあと、朝子が明るい声で言った。

「ねえ、せっかくの機会だから明日ピアノが弾ける時間になったらミニコンサートしようよ。お父さんも来週発表会とか言ってたから予行演習したらいいじゃん」

 魅力的な提案だったが、いかんせん状況はそれを許しそうもなかった。ここまでよく武志を引き止めた朝子だったが、かえってこの積極的な提案が、武志に今の状況を思い起こさせた。

「あ、ごめん。せっかくなんだけどやっぱりそれは無理そうです。いま朝の四時五十分。ずいぶん話し込んじゃったけど、あと三十分したら始発が動き始めるから僕はお暇しなければならないです」リビングの柱時計を確認して武志が沈痛な面持ちで言った。


 再び沈黙が訪れた。今度の沈黙は深く長かった。このまま三十分が過ぎれば、今度こそ武志は朝子の引き止めなど意に介さずこの部屋を出ていくだろう。




 今度も沈黙を破ったのは朝子だった。しかし今度は明るい声でではなく、泣き声だった。

「ごめんなさい。どんな状況に置かれてるか考えてもみないようなこと言って。でもあたしにはどうしたらいいか分からなかった。無理にはしゃいでみたりしてあなたの気をそらそうと頑張ってみたけど、頭の中にはヤクザに捕まっちゃって小指落とされて腕も切られちゃって、結局どこかに連れていかれちゃうみたいな怖いシーンが浮かんできて、それでとうとうパニックになっちゃって、ミニコンサートだなんてノーテンキなこと言っちゃった。ばかみたいです。ごめんなさい」

 そこまでいうと朝子はソファの背もたれに顔をうずめて泣き崩れた。嗚咽がしんとしたリビングに寒々と響いた。

「朝子さん、ごめんなさい。僕も勝手に押しかけて来て、結局自分の都合ばかり言ってます。優しいお父さんの気持ちもご提案もきちんと受け止めずに、ただ『帰る』の一点張りだったかもしれません」

 武志はそういって朝子の丸くなった背中を最初はためらいがちにそっと撫でた。

 しばらくすると嗚咽も止んできて、朝子はこちらを向いた。目が真っ赤だった。最初一瞬まさかこれも引き止め工作か?と思った篠崎はまたもや自己嫌悪に襲われていた。朝子はもしかすると、武志に一目惚れのような状態なのかもしれないなと篠崎は思った。



「待ってくださいね。お二人のおかげでだいぶ僕も冷静になれました。南方さんに一本直接メールを打ちます」

 そう言って武志は真剣な面持ちで親指を動かした。時々手を止め、時々考え込み、時々窓際まで行ってまだ暗い庭をじっと見つめたりした。悠に三十分はかかっただろう。武志が予定していた始発電車が動きだし始めた頃、大きな深呼吸と共に武志が「送りました」と言った。

 篠崎も朝子もいったいどんなメールを書いたのか心配そうな顔をして、武志を顔を覗き込んだ。でも内容は聞かなかった。

 武志は何か一点に賭けたようだった。その賭けが成功したかどうかはおそらくこの後の南方からの返信でハッキリするのだろう。

 三人はテーブルの上の空になったウイスキーの瓶の横に置かれた武志のケータイのバイブレーションが振動するのを祈るような気持ちでじっと待った。




つづく

大人のピアノ そのじゅうきゅう 余命一週間!?

 ケータイが振動した。

 篠崎と朝子がびくっとした顔で武志を見る。

 ためらいがちに武志がケータイがのバイブレーションを止めた。

 またしばしの沈黙だ。篠崎と朝子はただ武志がメールを読み終わるまで待つ他なかった。



「OKです」武志がふぅっと息を吐き出した。

「OKって、どうなったの、もしかして許してもらえることになったの?」朝子が切なそうな顔をしてケータイと武志を見る。

 武志は朝子には笑って小さく首を振り何も答えずに、篠崎に向かって軽く頭を下げた。

「ご心配をおかけしました。今すぐには出頭しなくても大丈夫になりました」右手に握りしめたケータイをまたテーブルの上に戻しながら武志が頷いた。

「どんな話にしたんだい?」なおも心配そうに篠崎が尋ねる。

「探していただかなくても、自分から必ずそちらに行きます。南方さんの顔を潰すようなこと、つまり逃亡したり絶対にしない。ついては最低限のところにケジメを付けたいので少しだけ時間をください、と伝えました。」武志は落ち着いた、すこし晴れやかな顔で言った。

「そっか、それは良かった。…でどれくらい時間が残されてるの?」篠崎は娘の顔をちらっと見ながら聞いた。朝子も今はそれが一番気になるところのはずだ。

「こちらからはいつ迄、とは言わなかったんですが、南方さんから一週間という期限が切られました」

「一週間…か」

「はい。叔父貴の手前多分それでもかなり無理してくれたと思います」

「うーん、そうかもな。ただ逃亡生活というある意味捕まらなりさえしなければ無限の時間があった状態から、こう言っては何だけど最悪余命あと一週間という状態になってしまったわけだ」

 悲痛な顔をして篠崎がいうと、朝子が啜り泣きを始めた。

「でも、その代わりに一週間は自由の身です。南方さんがそう言ったからには叔父貴の所の若い連中も不満があっても我慢してくれます」



 ここまで説明をして、今度は武志は朝子話しかけた。

「朝子さん、ミニコンサートできるよ。お父さんにもここで君の前で弾いてもらおう。君も小さい頃の夢、お父さんの前でオナラもせずテレビのリモコンもなしでしっかり聴いてもらおうよ」

 武志がそう言って朝子の肩に手をかけると、朝子はたまらずに武志の胸に顔をうずめてオイオイと声をあげて泣き出した。

「ごめんなさい。あたしの我儘で今度はこんなことになっちゃった。もしかしたら逃げ切ることもできたかもしれないのに、あと一週間になっちゃった」途切れ途切れに朝子がやっと声を絞り出した。

「いや、そんなこと気にしないで。冷静に考えたら彼等から逃れるなんて誰もできないんだよ。彼らはある意味警察よりもすごい捜査能力を持ってる。だから逃亡してたとしたら、一週間もしないうちに捕まって有無を言わさずそのままこの世におさらばだったと思う。だからそれに気づかせてくれた朝子さんにはむしろ感謝してるよ」

 武志がそう言っても朝子は泣き続けていた。



「あのさ、もし朝子さんさえよかったらなんだけど、ミニコンサートは一週間後にしよう」

 泣きじゃくる朝子に武志が遠慮がちに声をかけた。

「それで…?」

「あと一週間のうちにもし良かったらその…君と一緒にピアノを弾きたい。」

「うん…」

「それと…」

「…それと?」

「うんいや、それは…」

 武志は少し照れたように笑った。






「あのさ…」篠崎が申し訳なさそうに口を挟んだ。

「あ、お父さん、すみません」

 武志が篠崎を呼ぶ呼び方が、篠崎さんからお父さんに変わっていたのに誰も気がつかなかった。篠崎にも朝子にも武志にもそれが自然だったからだ。

「うん、いいんだ。基本大賛成だ。武志君がいうように一週間あればいろんなけじめがつけられる。だから朝子のことは嬉しいけれど、それだけに一週間を使うということではなく過ごして欲しいんだ。もちろんそれまではここにいてもらって構わない。ただ一つだけ条件がある」

「はい。なんでもおっしゃる通りにします」

「仲違いをしたお父さんと仲直りをしろ、って命令はできないけど、きちんと顔見て話ししてくれ。なつみ先生も一緒に。これが一週間かくまう条件だ」篠崎が真面目な、そしてめずらしく厳しい表情で言った。

「…分かりました。でもどうやって…」武志が苦渋に満ちた顔をした。




「いい考えがあるわ」朝子がやっと笑顔を取り戻して言った。

「聞かせてくれ」武志が朝子を見つめる。

「一週間後にこの家のミニコンサートであたしと武志さんがピアノ弾くんじゃなくて、お父さんの出る『大人のピアノ発表会』で弾くの。そこに武志さんのお父さんとお母さんもご招待したらいいわ。あたしも武志さんも二十歳すぎて、大人のピアノってことでもいつわりはないわ」

「あ、それは大ホームランのアイディアだよ、朝子」

 篠崎が朝子の手をとって握手をした。手を触れたのは小学校の卒業式以来だったかな、と、どうでもいことが篠崎の頭に浮かんだ。

「なるほど、それは…。うん…なるほど…」武志もゆっくり確かめるようにうなずいた。



「よし、じゃあとりあえずオレが昨日からの事情をかいつまんでなつみ先生に報告するよ。心配してるだろうから。その後姉弟で直接お父さん関係の作戦を話してくれ」篠崎の声も生き生きしてきた。

「分かりました。何から何までありがとうございます」武志が深々と頭を下げると、横の朝子も頭を下げたのには篠崎も苦笑した。

「じゃあ、オレちょっと電話してくるから」




 廊下の電話に向かって篠崎がリビングを出ていくと、武志と朝子は静かにお互いの顔を見つめあった。





つづく

大人のピアノ そのにじゅう 子と親、親と子

 明け方にもかかわらず、なつみ先生はすぐに電話に出た。「もしもし」と篠崎が言った瞬間に「武志の様子はどうですか」という言葉が帰ってきた。普段のなつみ先生にはこの不躾な態度は想像もできないが、篠崎はかえってそれが自然でなつみ先生らしいと思った。

「ご連絡遅くなり申し訳ありません。結論から言いますと現在武志君は無事で、少なくとも一週間は彼らにも拉致される危険性はないと言って良さそうです」

 篠崎の言葉になつみ先生は「ありがとうございます」と泣かんばかりの声で反応した。

「いえ、もちろん私がどうこう手を回したということではありません。武志君の冷静な判断で、南方さんと交渉をして自分から出頭するという条件で一週間の自由をもらったというわけなのです」

 篠崎は話の流れをかいつまんでなつみ先生に聞かせた。聞き終わったあとのなつみ先生はしばらく黙っていたがやがて「それが最悪の中では一番良かったように思います」と静かに言った。

「はい」

 一週間後出頭した後のことを考えると、まさに最悪よりは一つだけ良い、ということには変わりなかった。

「つきましては、大変おせっかいとは思ったんですが、武志君を一週間このまま家に置く条件として、武志君がお父さんとキチンと顔を見て話をするということを納得してもらいました」

「ああ、そこまで考えていただいたんですか。ありがとうございます」電話越しになつみ先生が啜り泣く声がした。

「今武志君と替わりますので、その段取りについて簡単に打ち合わせしてもらえますか」

 篠崎は「はい」というなつみ先生の言葉を待ってから武志を呼んだ。武志は頭を下げながらリビングのドアを抜け、朝子と一緒に電話口まで歩いてきた。






 篠崎は心配そうな顔で泣き出しそうな朝子の肩をそっと抱きながら話の様子を聞いていた。

 15分ほども話をしていただろうか。

「分かった。篠崎さんに代わる?」話の大体のところは終わったようだった。

「いや、君から聞くからいい」篠崎が小声で武志に伝えると武志は小さく「はい」と唇を動かし、「じゃあまた連絡する」と言って電話を切った。

「父親には、まず状況を姉の方から話すということになりました。いきなりいろんなことを直に話しするよりも、まずはこの状況を冷静に受け止めてもらった後でないと、話し合いにすらならないかもしれない、そんな風に僕ら思ったものですから」

 武志の言葉に二人はうなずいた。

「武志君。もし一週間後の『大人のピアノ発表会』をシャバとの最後の思い出にしたい、ということであれば、そのこともみんなのコンセンサスが必要だ」

「はい。勝手な思いつきだと重々承知してます」武志は恐縮そうに頭を深々と下げた。

「いや、アイディア自体はいいと思うんだけど、参加者の方の同意が大前提になるのは当然だ。だからどうだろう、今日明日はお休みだし、都合がつけば昨日の神田さんと平林さんにここに来てもらうというのは」

「ご迷惑じゃないでしょうか」

「まあ、そうかもしれない」篠崎は笑った。

「しかし今日来てくれないということだったら、当然発表会に君が一曲弾くというのはもっとご迷惑かもしれないよ。」篠崎がそういうと朝子がまた泣きそうな顔になる。

「だからさ、きみもクールな武志君というのをいったん捨てて、お父さんとのこと、本当は怖くてたまらないはずの内心のこと、なつみ先生のことや朝子とのことやいろんなことを、神田さんと平林さんにぶつけてごらんよ。君がその上でわがままを聞いて欲しいというんだったら二人も考えてくれると思う。いいかい?」

 武志は少し顔を赤くしてうなずいた。

「はい。もしかしたら篠崎さんはお見通しかもしれないなと、いまはっきり思いましたが、僕は今怖くてしょうがありません。朝子さんとしゃべっているうちに、今度こそはっきりと逃げ出したいとさえ思いました。朝子さんとのことがあって欲が出たのかもしれません。あるいはそれは本当の僕なのかもしれないけど…。」少し声を震わせて武志が言った。

 

 篠崎は昨日からずっと感じていた武志の気丈さ、いや気丈さというよりもどこか自分の重大事を他人事のようにクールに処理しようとする武志のことが気になっていた。クールなのは大いに結構なことだ。しかしそれが何かを犠牲にし、何か武志の判断の軸を微妙にずれたものにしてないだろうか、そんな気がしていた。
 しかし今のこの武志ならお父さんともキチンと向き合えるかもしれない。お父さんとここで取っ組み合いになってもいい、と篠崎は思った。




「いや、いいんだよそれで」篠崎は武志の肩をポンと叩いて優しく笑った。

「それにね、君がどうやら本当に朝子のことが好きになったんだと分かってうれしいんだ」

 篠崎はいかにも年頃の若い娘を持った父親といった顔で朝子を見て満足そうにうなずいた。




つづく

大人のピアノ そのにじゅういち 逃亡生活不安なスタート

 午前六時三十分。

 とりあえずの一段落がついて、篠崎は神田、平林に連絡できる時間まで横になろうと二階のベッドに行った。ツインのベッドの横には妻の冴子がむこうを向いて寝ている。下に来客があり泊まったことについてまったく気がつかなかったのだろうか、結局一度も下に降りてこなかった。

 武志を一週間預かることは事後承諾になってしまうが、まあ、多少文句を言われるくらいでなんとかなるだろう。今回は朝子とつるんで進めているので冴子も不承不承でも納得せざるをえないはずだ。それ以上のことは篠崎は美幸に何も期待していなかった。

 朝子と武志はまだ少し話をしたいとのことだった。まさか二階に朝子の父と母が寝てるこの家で変な間違いもないだとろうと篠崎は二階に上がることにしたが、さて今日の夜から武志の寝るところをどうしようかな、などと考えているうちに寝入ってしまった。



 ピアノの音で目が覚めたのは十時前だった。下のリビングに降りるとさっそく二人が並んでピアノを弾いている。朝子は弾けるように笑いながら熱心に弾いていた。武志はその左隣に立って朝子の指や譜面台の譜面を見ていた。

「おはよう」

「おはようございます」リビングのドア口から声をかけた篠崎に武志が反応する。

「あ、お父さんおはよう」娘と何年振りかで朝の挨拶が成立した篠崎は、ひそかに小さく感動してしまった。

「あれ、母さんもう出掛けたのか」テーブルの上に食べ終わったあとの三人分の朝食のプレートがあったので篠崎は朝子に言った。

「うん。毎週土曜の陶芸教室ね。朝は武志さんと一緒に三人で食べたよ。かいつまんで事情は話しておいた。もちろんヤクザがどうのは言ってないけど。お父さんと大げんかして家を飛び出しちゃったってことで」朝子が明るい表情で言った。

「おお、そっか。そりゃお父さんから説明する手間が省けてよかったけど、よく納得したな…」

「そうね。何で男友達のところじゃなくてうちなんだって顔してたけど、お父さんのピアノの先生の弟ということで、お父さんのことも前からよく知ってるからってことにした」いたずらっぽい顔であさこが言った。

「なるほど。それでおっけーか」

「多分ね」舌を出す朝子を見ながら武志がが恐縮した顔で頭を下げた。





 午後からは神田と平林がやって来た。一週間という余裕ができたことと、一週間しか残された日がないということについて、二人は沈痛な表情で聞いていた。武志は篠崎のアドバイス通り、自分の煩悶や朝子と知り合っていろんな未練が感じられるようになったこと、そんな本音を二人に話した。その上で、自分のピアノを人に聴いてもらう最後の機会として、一週間後の「第七回斎藤なつみ 大人のピアノ発表会」に弾かせて欲しいというお願いをした。
 二人はあっさり承知して、なつみ先生にも確認したあと平林は他のメンバーに連絡、神田はパンフレット最終原稿の調整にかかることとなった。

「いろいろ考えて眠れない一週間になると思うけど、頑張って」二人はそう言って帰っていった。一週間しか残された時間がないという武志は二人にとって余命を宣告された入院患者のお見舞いのような感じだったのかもしれなかった。




 三時を回った頃なつみ先生から連絡があって、取り敢えず父親には話はしたので、自分が一人で篠崎宅に行って話をしたいとのこと。もちろん篠崎は了承し、三人はなつみ先生を待つことにした。


 たんたんと物事が表面的には穏やかに、事務的にと言ってもいいくらい順調に進んで行くことに対して、朝子は残された時間が刻一刻と減っていくことを逆に鮮明に感じた。

 朝子は三人でリビングで話をしたり、武志とピアノを弾いたりする中、時々どうしようもない不安感と恐怖心、一週間後に確実に失ってしまう武志の喪失感にさいなまれた。その度ごとにそっと廊下に出て深呼吸をした。この精神状態が深呼吸で最後まで収まるだろうか。朝子はパニックを起こしそうな気がして何度も何度も深呼吸を繰り返した。



つづく
ゆっきー
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