大人のピアノ

大人のピアノ その百にじゅういち

 硝煙の匂いの立ち込める屋上から無臭完全防音の地下室に降りてくると、三浦は壁に縦横に多数埋め込まれているモニター類にスイッチを入れた。

 数チャンネルのテレビ放送、屋上の様子とそれに主要地点の地上と空中の映像だった。

 さっきまで田原慎之助がフリップを使ってさかんに事件の裏を説明していた『徹夜で生テレビ』を含めて、テレビ各局は今しがたの二機目のヘリ撃墜の模様を興奮気味で報道していた。




「あ、三浦。おめえがいっぱい映ってるじゃねえか」

 テレビ各局は、警察のヘリが一暴力団の攻撃であっさり空中で大破撃墜されたことに一様に驚き、その理由として藤井組の豊富な資金源と確かなルートからの最新鋭の武器を推定を交えながら解説していた。
 また、武器だけがあってもそれを使いこなせる人間がいない場合にはこのような事態は起きないことは一般の視聴者にも容易に理解できる。
 各局の番組は藤井組のナンバーツーが元自衛隊機甲課陸士であることを素早く突き止め、それを三浦の顔写真入りで盛んに報道していた。






「しかしそれにしても江頭さん、元自衛隊士長が内部にいるとはいえ、こんな風に民間の家屋から発射されたミサイルが警察のヘリコプターを撃ち落とすなどということがあり得るんでしょうか」

 江頭と呼ばれた軍事評論家は、二十代の綺麗な女性アナウンサーに一九分けにした髪の毛を弄りながら粘着質の表情でうんうんと頷いた。

「ミサイル発射と言いますと一般市民の方はとてつもない職人芸だと思われる方もいらっしゃると思いますが、実はそうでもないんですよ」

「それは驚きです」

「ええ。自衛隊に入隊しますとすぐに前期研修というのがありまして、これはまあ言ってみれば試運転期間みたいなものなんですが、その後直ちに後期研修課程が始まります。この時「MOS」資格を三ヶ月で最低一つ取得します。いくつも取る隊員も大勢いますが、その中に迫撃砲の訓練も入っています」

「その「MOS」というのはこちらですね」

 女性アナウンサーがフリップカメラに向けてオープンした。

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「Military Occupational Spesiality」
「ミリタリー・オキュペイショナル・スペシャリティ」
◼︎軍事用特技区分

◻︎語学:国賓に対する通訳支援・諸外国からもたらされた出版物等の翻訳に従事
(基礎情報隊の任務)
◻︎地誌:公刊情報の収集・整理等
(情報処理隊の任務)
◻︎地理空間情報・測量・地図作成
(地理情報隊の任務)
◻︎シギント:電波情報の傍受
(情報本部通信所、方面通信情報隊等)
◻︎スパイ・防諜
(情報保全隊の任務)
◻︎ヒューミント:現地情報隊
(中央情報隊下部隊の任務)
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「こちらですが、これらが資格みたいなものでしょうか」

「そうですね。つまりそういうことができるようになることが二年の任期の最終目標なのではなくて、研修期間を終わって配属されるまでに取っておくべき前提みたいなものなんですよ。それぞれの資格がないと部隊に配属されてもその実務ができないことになっていて、必要に応じて舞台配属後に短期研修で取得するということも普通です」

「迫撃砲もそうなんですか」

「ええ。自衛隊では例えば手榴弾ひとつにしても、通常「アンコ」と呼ばれる決して爆発しないものを使用してて、二年の任期の中で爆発する手榴弾を手にとる隊員はほとんどいません。迫撃砲も操作方法に習熟するのに実際にミサイルを打つ必要は全くないんです」

「そうすると、扱い方を知っている人が一人いれば、誰でも迫撃砲を打てるようになるということでしょうか」

 女性アナウンサーが大げさに怖がる顔をして江頭を見る。

「そうですね。あとは実際の迫撃砲があればいい。重要なのはむしろ実弾の性能で、現代のミサイルは相手を探しながら命中させる技術が仕込まれていますから」

「そうすると、今回のような信じられない光景も起こりうるということですね」

「はい。十分あり得ます。しかしそれよりも民間人がこうした軍隊が持つような武器をどうやって入手し、しかもそれを警察当局に押収されずにこうして保持し続けていたのかということの方が驚天動地のあり得ないことだと私は思いますね」

「それについては、警察組織自らが自作自演の拳銃取り締まり件数実績向上のため、藤井組を利用していたという疑惑が上がっていますが、これについてはまた後ほどお伝えいたします」

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「三浦の言ってたとおりだな。それにしても自衛隊ってのも資格社会か。なんか拍子抜けする気もするな」

 藤井組長は豪快に笑って武志を見た。

 武志はなんと反応して良いやらわからず、あいまいに頷いていた。

「良くも悪くも一般社会と同じですよ。全員が国防意識に燃えてるわけじゃないですし、脱走する奴、隊では脱柵っていうんですが、そういうのも初期研修中には結構いますし、見学や体験入隊した人がみんな驚くのはセキュリティは基本セコムです」

 これには南方も笑い出した。

「国家の安全を守る自衛隊のセキュリティがセコムか。何かあったらセコムが駆けつけるのかよ」

「ええ。唯一例外は弾薬庫で、そこを守るのは自衛隊員ですが実弾は一人三発だけしか供与されていません。ここでもまず敵が発砲してから応戦せよの原則が抜かれてます」

「ふーん。なんというかいかにも戦後日本だな」

 呆れながらも藤井は面白そうに話をしていた。





「戦後日本…。そうですね」

 やや間があって三浦が口を開いた。

「どうした」

「組長はさっきなんで自衛隊を辞めたのか聞いてみたいとおっしゃってましたよね」

「ああ」

「私も組長にお話ししたくなりました」

「おう。聞こうじゃねえか」







続く







参考資料(自衛隊を描写する各回共通)
後藤一信『自衛隊裏物語』basilico
坂本明『現代の特殊部隊』文林堂
杉山隆男『自衛隊が危ない』小学館新書

大人のピアノ その百にじゅうに

「きっかけは陸自のトップである幕僚長が商業誌に発表した「太平洋戦争の真実は日本にあり」っていう文章でした」

 三浦がポツリポツリと話し始めた。

「…続けろ」

「はい。自分は難しいことはさっぱりわかりません。幕僚長が論文に書いた時にはそれこそ上の人たちは蜂の巣を突ついたようになってました。現在の日本政府の公式見解とはかなり違ってて、わかりやすく言えば戦前の公式見解ほぼ同じだったからです」

「ふーん。俺も難しいことはさっぱりわからねえが、あれか、太平洋戦争は聖戦だったってやつか」

「はい。いえ…自分は読んでもわからなかったんで頭のいい同僚に内容をかいつまんで教えてもらったんですが、要するにそういうことです」

「何だよ頼りねえなあ。じゃあ別にそんな読めもしねえ文章で自衛隊やめなくちゃならねえってのはおかしくないか」

 藤井は大きな声で笑った。

「いや、まあそうなんですけどね」三浦も頭を掻いた。

「まあいいや、それで?」

「辞めたくなったのは、幕僚長がマスコミや政府や世論に突き上げを食った時の反論だったんすよ」

「なんて言ったんだ。俺はそういうことには疎いんだが、南方知ってるか」

 話を振られた南方は思い出そうとしてるようだった。




「確か自衛隊のトップにだって言論の自由はあるんだ、とかいう反論じゃなかったっけ」

 南方が三浦に言うと、三浦は目を輝かして喜んだ。

「そう!それです。南方の兄貴もやっぱり変だと思ったでしょ」

 三浦の打ち解けた態度に南方は少々戸惑った。おそらく自分が幕僚長の言葉を覚えていたことを、自分と同じ感じ方をしたのだと理解したので、「ああ」と言っておいた。

「なんて言うか、言論の自由っていう言葉がものすごい違和感があったんですよ、俺」

 さっきまで使っていた「自分」という言葉がいつに間にか「俺」になっていたが、三浦は気がついてはいないようだった。

 しかし三浦の熱気につられて南方も今度は本当に幕僚長の弁明の記者会見の様子をテレビで見たことを思い出した。

「確か基本的人権がどうのとかも言ってたよな」

「あああ!それです、それです!それで一気に辞めたくなったんでした」

 南方は三浦が言わんとしていることが多分すべて分かった。その違和感は多分自分が幼年時代の頃から感じ続けていたあの違和感だったからだ。




続く

大人のピアノ その百にじゅうさん

「なるほどな。確かに自衛隊のトップが基本的人権だの言論の自由だの言うのはなんだか違和感がなくもねえな」

 藤井はそう言って三浦と南方を見た。

「思い出しましたが、実際藤井さんのように言う人間も多かったですよ」南方が言った。

「ほう」

「ただし、恐らく全然違う意味でですが」

「どう違うんだ」

 南方は改めて当時アジアばかりでなく、欧米の諸外国のマスコミを巻き込んだ陸自幕僚長論文問題を思い出していた。





「メディアや政治家や識者と呼ばれる人間の大方の反応は、痛いところを突かれたという苦々しいものだったと記憶してます」

「まあな。数万人の陸上自衛隊のトップとはいえ憲法で保障された表現言論の自由を否定するわけにゃいくまい。個人的な歴史観を表明するのは誰にも止められねえはずだ。それをやってしまったら、自分たちの言う基本的人権ってのがいかに自分たちに都合のいい偽物の薄っぺらいルールかってことがバレちゃうもんな」

 藤井はおかしそうに笑った。

「そうですね。万人の生まれながらの権利とか言いながら本音では自分たちの決めたルールに従わない人間には認めたくないっていうのが透けて見えます」

「ああ」

「そんな中で少し面白いこと言うのもいました。そいつは言論の自由っていうのは本来何も武器を持たない丸腰の人間に、いわゆる弱者に認められた権利であって、数万の兵士に命令できる立場の人間には制限があってしかるべきだと」

「ほう」

 藤井は鋭い目を南方返してよこした。そしてしばしの沈黙の後口を開いた。





「そのジャーナリストは多分自分じゃまったく気がついてないだろうが、とてつもない危険なことを言ってるな」

「…はい。私もそう感じました」

「強者であるから弱者の武器の言論の自由は認めない。この論理でいけば、強者はいつその強者の武器を使用するのか、それはもっぱら強者の側の行使自由な権利だという論理になるはずだ」

 聞いていた武志はハッとした。武闘派のヤクザの親分としか見てなかった藤井は多分このことの本質を一瞬で見抜いてると思った。横で聞いている三浦を見ると三浦は真剣な眼差しで無言で藤井組長の次の言葉を待っていた。





「その幕僚長が『そうですか、確かにそうですね。私は確かに自衛隊員に死ねと号令できる立場にあります。いつその力を発揮するかは確かに私の手の内にあります。そんな私にあなたたちの大切な権利である基本的人権はいりません』こう言ったらどうなる」

 南方、武志、三浦の三人は息を飲んで藤井の解釈に耳を傾けた。

「この刺し違えの権利の交換で、幕僚長はシビリアンコントロールの枠の外部に出てしまって、極端な話、部下に『祖国の理想のために死ね』とクーデターを指示することができてしまう。逆に基本的人権による個人の歴史観を含めた言論の自由という餌を与えておけば、文民統制という内部に軍人を囲っておくことができるわけだ。平和ボケとしか思えない。そんな簡単なことにもそのジャーナリストは気がつかないのか…」

 南方が頷いた。

「藤井さんのおっしゃることは、昭和の時代に三島由紀夫が自衛隊員に決起を促した論理ですね。言論とは異質な「行動」というものに君たちは目覚めなくてはいけない、と市ヶ谷の駐屯地バルコニーで演説したわけですが」

「強大な行動力を認める代わりに言論の自由を制限する。そしてその逆もまたしかり。三島由紀夫が泣いて喜びそうなシナリオじゃねえか」

「はい」

 南方は我が意を得たりとばかり頷いた。





「飼い殺しとかなくちゃいけねえんだよ。ヤクザもな」

 武志は再び目を剥いて藤井を見た。飄々とした物言いの後ろに持っている、自分たちヤクザの置かれた透徹した認識の一端が武志にもうっすら見えたように思えた。

「暴対法も同じ理屈で底の浅い人間が考え出した茶番だと言える。ヤクザは強大な暴力を所有しているから、暴対法によって基本的人権を制限します。この理屈だとヤクザの持つ強大な暴力の行使をそれと気がつかずに認めたことになる。さっきもテレビで暴力団にも基本的人権があるとかぬかしてた暴力団の味方の振りした弁護士出身の国会議員のバカがいたが、その安っぽいジャーナリストと同じレベルだ」


 武志は必死に藤井の論理について行こうとしていた。

「なるほど、そういうことになりますね」

 南方が言い、三浦が感極まった顔で藤井を見た。

「飼い殺しをやめて暴力団を壊滅に追い込む。市民は暴対法を持って。そしてトチ狂った警察庁、神奈川県警、千葉県警は警察の武力を持ってというわけだ」

 南方と三浦が頷く。武志にも藤井の理屈が飲み込めた。

 ヤクザの世界では親分が白と言ったら黒いものでも白になるという。これが白いものが黒に、黒いものが白になるマジックの瞬間なのか。それは、暴力によって押し付けられたものではなく、研ぎ澄まされた生き方から出てくる行動化された言語だった。




「基本的人権なんぞいらねえよ。それと引き換えに認めてもらった強大な暴力を存分に発揮させてもらおうじゃねえか」

 藤井の高らかな哄笑が地下弾薬庫に大音声で響した。








続く

大人のピアノ その百にじゅうよん

「おやじさん」

 三浦が感極まった目で藤井を見た。

「おう。悪りいな、おめえの話さえぎっちまって」

「いえ…とんでもありません。その…組長はそうしたお考えを誰から教わったというか、どうやって身につけたのですか。自分は思いはあっても頭が良くないのでやはりこうして自分の奥深いところで言葉にならなかったものをズバッと言っていただけると興奮で体が震えます」

 三浦は背筋を伸ばして藤井に向き合った。





「自衛隊ではそういうのは教えてはくれなんだか」

 藤井は少しヤニに染まった、しかし歯並びの良い前歯が並んだ口を豪快に開いて笑った。

「少なくとも自分は自衛隊では何もつかめませんでした」

「それは多分な、この国が喧嘩に負けて起き上がるところから始めずに、地面に倒されたまま、喧嘩は良くないと小賢しくしゃべるところから始めたからだよ」

 三浦はなおも藤井の言葉を求めて熱い視線を藤井に投げかけた。

 藤井は照れることなくその視線を受け取った。




「その幕僚長はもしかすると、俺が今言ったジャーナリストのいう矛盾を分かった上で基本的人権や言論の自由を口にしたのかも知れねえぜ。俺にはなぜだかそんな気がするんだが、だとしたらその幕僚長は正真正銘の男だな」

 三浦は何かを必死に考えているようだった。

「自衛隊ってのはよ、喧嘩に負けましたっていうところから、喧嘩に負けた人間が立ち上がるってところから始めることをしなかったんじゃねえか。おめえも俺も喧嘩が仕事というか生きることそのものだから分かると思うんだが、一旦負けたらとことん負け切るところからしか自分の生きていく方向は見えねえ。そしてそこからしか心からの相手への謝罪も新しい関係もない。これはヤクザの鉄則だ。だからどれだけ血みどろの抗争をしても手打ちの後はそこから昨日の敵とも新しい関係が始まる。

 生きていくにはそこから始めるしかねえはずなんだ。それを『そもそも喧嘩は良くないです』とかいうところに話をすり替えて、自分自身が負けた人間であることを棚上げして偉そうなことを言い始める。そういう人間がそのまずっと憲法第九条をこねくり回してるように俺には見えるんだ。昔の学生運動なんてのはその最たるもんだろ」

 武志は次第に藤井が憲法第九条などと口にすることへの違和感が消えていった。三浦はなおも無言で藤井の次の言葉を一言も聞き漏らすまいとしていた。





「学の無え俺だが、終戦後吉田茂が防衛大学の卒業式で言ってた言葉を覚えてるよ。

『君たちは自衛隊在職中決して国民から感謝されたり歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生だと思う。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡のときとか、国民が困窮して国家が混乱しているときだけなのだ。言葉をかえれば、君たちが『日陰者』であるときの方が、国民や日本は幸せなのだ。耐えてもらいたい……』

 新聞記事になってたのを繰り返し読んだものだ。その幕僚長さんはよ、直接吉田茂に卒業式の祝辞を聞かされた世代じゃないと思うが、そういう思いでやってこられたんじゃねえかな。なんとなくそういう気がしたんだが」

 三浦は必死に言葉を探しているようだった。




「『負けました』っていうところからじゃなくて『けんかは良くない』っていうところから始める嘘くさい辛さを幕僚長は引き受けた上でのご発言だったんでしょうか」

「いや、分からねえがそういう感じ方もあるかな、と思ったまでよ」

 藤井は静かに笑った。



 三浦はしばらく何かを考えている様子だった。誰も何も言わなかった。考えてみればこの警察が突撃準備を進めている状況は負け戦が最初から確定している戦だ。やがては警察の特殊部隊の突入は避けられないだろう。藤井組側では命を落とす人間が何人もでるはずだ。

 そうすると、こうして静かにこういう話をしていること自体が武志には何だか別世界のことのように感じられた。

 しかし、すぐに思った。

 これが藤井さんのいう「負け切る」ことなんだろうか。

 そのことを南方さんも三浦さんも知っているのだ、と武志は思った。





 三浦が口を開いた。

「なんて言うか、日本が誇れる国<だから>日本を守れるというんじゃなくて、仮にそうじゃなかったとしても守らなくちゃいけない。それが国を守るってことなんじゃないかって俺は思います」

「ほう」

 藤井の三浦への眼差しは思春期の自分の息子に対するもののようだった。


「例えば、歴史を詳しく検証して、その結果日本の戦前からの主張が全部正しかったとする。あるいは中国が言ってることが正しかったとする、あるいは韓国が言ってることが正しかったとする。そういう検証作業は大事だと思うんですが、それはまた別の話じゃないかと思うんです。

 一番極端な話、全部日本が悪かったとする。じゃあそのとき自分たちは日本人たるをやめ、志願して中国や朝鮮の民衆を守れるのか。そうじゃない。侵略して悪かった、しかしそれでもその悪かった自分たちの先祖と子孫のために今あるこの日本という国を武力を持って中国や朝鮮から守らなければならない。

 我が子の罪は罪である。しかし親は自分の子供を守らなくてはならない。

 父親の罪は罪である。しかし自分は老いた父親を謝った当の相手から守らねばならない。

 そういうところに国防はあるんじゃないのか」

 三浦はうまく言えたかどうか自信がなかったようだ。そこで言葉を切って藤井を見た。





「それが負け切ることだと思うぜ。そこにだけ本当の誇りがある」

 藤井は三浦の不安を打ち消すように笑いかけた。


「三浦よ、俺は思うんだ。自分は日本人として生まれたからそういう考え方を持つのかもしれない。これが他所の国に生まれたらまったく別の考え方で生きていったのかもしれない。人間生まれた場所は選べねえ。親も選べねえんだ。カタギに生まれたらそういう生き方を磨いていくし、幸か不幸かヤクザの家に生まれたから多かれ少なかれ、最後にそれを否定しようともその宿命を引き受けて生きていかなくちゃいけねえんだ。

 しかし、思想ってそういうもんじゃないのか。生きるってそういうことなんじゃねえのか。逆にそういう根拠薄弱なものだからこそ尊いんじゃないのか。たまたまここが祖国だった、たまたまこの親が自分の親だった。そしてたまたまこの自分の運命が自分という存在そのものだった。その偶然そうなったことを後から知ること、知ってそれを認めること。
 そこに、自分の運命とはまったく違ってはいるが、自分と同じようにそうやって生きていかざるを得ないことに気がついた他人様が確かにいることに、もう一度そのとき気がつくんだと思う。

『暴力はいけません』ってのはよ、暴力団がそういっちゃいけねえだろ。それを信じた人間、そこにしか希望を、生き方を見つけられねえ人間にたいしての責任はどうなる。八方塞がりで戦争しかけてそしてそれに負けた国がどのつら下げて「戦争はいけません」って言えるんだよ。きっちり負け切ってもいねえくせによ。ま•し•て•や、それなしに謝罪など論外だ。

 この世の中ヤクザであることはその時点で『負け戦』だろう。しかしその負け戦を完璧に負け切ることは大切なことだと思うぜ。

 そして今がその時だ」

 藤井は静かに話し終わった。





「お話ありがとうございました」

 三浦は泣いていた。

「組長の息子さん、ぼんさんも今にして思えば同じことを俺に言ってくれたんだと思います」

「ほう。じゃあ今度はお前がその話をしてくれや」

「はい」



 火薬庫の中、静かに時間が流れた。




続く
ゆっきー
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