大人のピアノ

大人のピアノ その百じゅうさん

 CMに入ると田原の前にスタッフが緊迫した面持ちで駆け寄ってきたが、田原は「すぐ戻る。CM明けは現地の臨時ニュースでつないで」と指示して足早に廊下に出た。

 慌ただしく廊下を走っていく局員をやり過ごして、田原は非常階段の重い金属の外扉を押した。




「もしもし田原です。もちろん見てたよね」

 携帯電話の相手はもちろん篠崎だ。

「大変なことになりましたね」

「ああ。首都大東京放送の勇み足というところだけど、結果的にこれで警察は思惑通り藤井組を武力で完全に制圧するというお墨付きを貰ったことになる」

「どうしますか」

「あれ、やるしかないよ」

「…はい」

 藤井組組長との電話ホットラインによる単独インタビューだ。

「ただね、状況が変わったから確実に問題が生じる」

「といいますと」

「僕と篠崎さんの作戦では、討論の中で『実は藤井組長と電話が繋がってます』と朝霧放送から藤井組長と電話をつなぐつもりだった」

「はい」

「ところが先にこうして大事件が起きてしまった。おそらくこの時間起きている全世帯に近い日本人が、どこかの局でこの事件の推移を息を呑みながら注視している」

「はい」

 CMの時間を気にしながら早口に要点だけ感情を交えず話す田原だったが、それでもその緊張感が耳に押し当てた携帯電話を通じて篠崎にも伝染する。

「警察は藤井さんのインタビューを流した後すぐに、犯人とのホットラインを警察に提供するように朝霧放送に言ってくるだろう」

「それはこうなってしまった以上、当然そういう流れになると思いますが」

「その時は、今度こそこの事件の裏の警察の陰謀は一切闇に葬られることになる」

「……」

 重苦しい空気が流れた。




「どうする、篠崎さん」

「田原さんの考えと同じだと思います」

「いいの?そんなこと言っちゃって。僕の考えは過激な方だよ」

「分かってます。乗りかかった船です。お付き合いしますよ」

「オッケー。じゃあ時間もないからそれで行こう。篠崎さんには予定通り仲介の段取りをやってもらう。ただし、電話を繋ぐのは朝霧放送ではなくて、謎のフィクサーXだ。手順については番組が始まる前手書きでまとめたものがある。今回先にミサイル攻撃が起きてしまったから若干作戦を変えないといけないところがあるから、それは太字で書き込み入れてそっちにファックス送るよ」

「お願いします」

「警察からはいろんなルートでXの存在を突き止めようとするだろう。最終的に篠崎さんのホットラインを寄越せという圧力がかかると思うけど、それなんとかかわして欲しい。それが篠崎さんの任務といったところだよ」

「了解です」


 篠崎は心配そうに見つめる冴子と朝子に大丈夫だよ、と口を動かして微笑んだ。





「じゃあ、ミッションその一だ」

「はい」

「CM明けに僕が喋ってる時に、わざとらしく僕のケータイ鳴らしてくれ。わざとらしく番組中に僕がそれを取る」

「はい」

「『取材情報源の秘匿』と断った上で藤井組長と電話ホットラインを繋いでくれるという人からの電話だ、と言うよ」

「わざとらしく」

「あっはっは」

 田原は爆笑した。

「その時藤井組長が電話に出れるようにまずしといてね」

「はい」

「後は警察がいずれ篠崎さんまで辿り着くまで、それをかわして欲しいということだ」

「すべて了解しました」

「じゃあ、CMと臨時ニュースが開けるから戻るよ」

「行ってらっしゃい」





 電話を切った篠崎の手は汗ばんでいた。





続く

大人のピアノ その百じゅうよん

「それでは番組を続行したします」

「暴対法を論じる趣旨と少しズレるんですがいいですか」

 オレンジメガネの福島女史の隣に座る暴力団対策法賛成派の50歳代の男がおもむろに喋り始めた。大宅壮一賞作家、ノンフィクションライターの大御所佐伯和宏だ。

「佐伯先生どうぞ」

「先ほど宮本さんの方からイラク戦争とかブッシュとかいう言葉が出てきた直後に、今我々はこうして千葉から離れた場所でその映像を見たわけですが、この構図そのものもまさにイラク戦争に酷似してるなと私は思うんです」



 宮本に視線をやる佐伯。

 佐伯の視線を斜めに受け止める宮本。

 カメラは二人の顔を左右アップにした。


「確かにおっしゃるように、今の花火のような爆破の瞬間の映像には既視感がありますよね」

「ええ、それも確かにそうです。しかし私が言うのは何というか、もっと別のことで、例えばミサイル弾発射の原因となったのが警察庁作成の映像資料だったでしょ」

 宮本が口の端を満足げにほころばせた。

「なるほど。分かります。あの時も米国政府が情報管制を敷いた中で小出しにいろんな都合のいい情報をわざと中途半端に提供して、巧みに戦争賛成のムードを作り上げていきましたよね」

「そうそう。さっきスクリーンに流れた藤井組の長男の悪事に関してのドキュメンタリーですが、我々含めて視聴者が一体こんな騒ぎを引き起こしてる藤井組とは何者なんだ!?という情報への飢餓感の中にすうっと入り込んでくる映像ですよね」

「確かに、イラク戦争の時も繰り返し繰り返しフセイン大統領の悪逆非道な映像が流されましたね」

「ええ。そして重大なやらせもあったことがあとから山のように明らかになりました」

「大量破壊兵器なかったのが最たるものですが、他にも重油まみれの鳥の映像も実はフセインが海に流したのではなく、アメリカ軍が誤爆した工場から流れ出たものだというのもありましたね」




「それがまさに」

 宮本信三が口を挟んだ。

「宮本先生どうぞ」

「佐伯先生は暴対法から話がそれるとご謙遜なさいましたが、それがまさに暴力団対策法の目指すものなんですよ」

「…といいますと」

「あの時のアメリカ国家も日本の警察も、ある分かりやすい物語を国民に植え付けようとしてるわけです」

「フセインは悪の帝国の独裁者で、藤井組は暴力団対策法で葬り去るべき危険な結社であると」




「日本中を敵に回すことを意に介せず、今こうして途轍もない警察への報復行動が行われたわけですが、いったい真相はどうなんだろうか。メディアを通じてイラク戦争を経験した我々はそういう視点を持たなくちゃいけないのではないか、私はそんな風に思いますね」

 佐伯が自らの発言を締めくくった。




 田原慎之助は正面を向いた。

「確かにあの時は我々はマスコミは全てにおいて後手後手に回り、それこそ情報の飢餓感の中に小出しに投げ与えられる大本営発表の情報の餌に飛びついてしまったわけです。宮本先生のおっしゃるにはそうした与えられる情報を頭から信じてしまうように、権力者側の都合のいいように分かりやすい物語が提供される中で、我々はもしかすると一番見逃してはいけない真実を見逃しているのかもしれません」




 田原慎之助の内ポケットの携帯電話が鳴った。

 田原はわざとらしくそれに気がつかない様子で、演説口調で正面のメインカメラに向かって喋っていた。

「生放送中に電話なっちゃってるよ、田原さん」

 元警察庁長官衆議院議員の亀山が呆れ顔で言った。

「あああ、これは失礼」

 すぐに電源を切ろうとした田原は緊張した顔を作り、呼び出し音がなったまま会場を見渡して再び正面メインカメラに向かった。





「ただいま、この事件に関係する人物から着信がありました。このタイミングで私の携帯に直にかかってくるということは、おそらくこの事件の重大な情報を持っていると思われます。放送中ですが、このまま受信したいと思います」




 会場はざわめいた。

 一般参加者だけでなく、パネリストも何が起きたんだという驚きの顔を田原に向けた。

 そして、実は最も緊張してこの瞬間を受け止めたのはテレビ朝霧の番組スタッフ及び、ビルの最上階の取締役を含めた内部の人間であった。

 何か重大な後戻りのできない事態が起きようとしている。

 朝霧テレビ本社ビルの空気が緊張で薄くなり、誰もが深呼吸をしようとした。





「もしもし」


 数十万のテレビの前の視聴者は息を止めた。





続く

大人のピアノ その百じゅうご

「もしもし。はい田原慎之助です」

 田原は携帯電話をハンズフリーのスピーカーに切り替え、胸元につけていたボタンマイクを外して受話器の部分に近づけた。

「名前を名乗る必要はありますか」

 スピーカーから声がした。篠崎はおそらくハンカチか何かを当てて話しているのだろう。そのため多少くぐもっているが、テレビの電話に乗った篠崎の声は視聴者が直接十分に意味判別可能なものだった。

「いえ、その必要はありません。私の個人的に信頼している情報源だということを私がここで明言しておきます。さっそく話そうとしていた内容をお聞かせてください。」

「今回の警察の性急な捜査活動の裏には大掛かりな警察不祥事を隠蔽する意図があります」

 声色を変えた篠崎の声に会場がざわめいた。

「具体的に教えていただくことは可能ですか」

「私も信頼できる筋からの伝聞なので詳しいことは分からない。ただ、銃器摘発を巡って警察の自作自演による不正操作が日常化しており、その不正を直接的に手伝っていたのが藤井組だと聞いています」

「これは重大な情報をいただきました。すると、こうして警察が藤井組を壊滅しようとしているのは、変な話ですが仲間割れのような意味合いもあるのでしょうか」

「藤井組が握っている警察内部の弱みを根こそぎもみ消してしまうために、過剰な火器を使って人員を大量投入しているのではないかという疑惑もあります」






「あなた、情報源はなんなの」

 元警察庁長官の亀山が大声で田原の手元にある携帯電話に怒鳴った。

「……」

「名前はいいとして、内容が内容だけに情報ソースが一体なんなのかはいう義務があるでしょう」

「はい」

「納得行くような情報ソースをはっきり言えますか」

「……藤井組藤井組長本人です」

 ややあって篠崎が言った。





 亀山は絶句した。




「えーと、Xさん」

「あ、はい」

「あなたの情報が確かに藤井組長からのものであるという証拠は提示できますか」

「証拠ですか…」

「そう。確証ある証言だという場合、あなたが今しゃべっていることは、事件解決に向けて非常に大きな意味を持ちます。」

 再び亀山が大きな声を出した。

「Xさん、いかがですか」

「私の方からはなんとも言えないのですが、必要であればこの電話に藤井組長自身から着信してもらうことは可能です」




 会場はどよめいた。

 そしそのどよめきは電波に乗り日本全国に中継された。




「分かりました。では一旦電話を切っていただいてその準備をしてください。番組は藤井組長の生電話を中継できる準備を再短時間で整えます」

「分かりました」





「大変なことになりました。いったんここでCM挟ませていただきます」



 慌ただしくCM入りを告げる田原慎之助の元に、局のスタッフが雪崩かかるように殺到している風景を一瞬映した後、番組はCMに移った。






続く

大人のピアノ その百じゅうろく

「おい、一体これはなんなんだ」



 武蔵小杉署の捜査本部を後にして、関東管区警察局長榊原、神奈川県警刑事部長本田、武蔵小杉署署長佐々木、合同捜査の千葉県警刑事部長吉沢は、横浜市中区海岸通の神奈川県警察庁舎ビル19階の大会議室にいた。
 
 壁には近隣の主要地域、及び神奈川県警察管轄区域全域の方面配備の映像がリアルタイムで映し出されている。
また、埋め込み式のテレビチューナーが縦横に数十機埋め込まれており、地上波衛星CATV主要チャンネル放送が映し出されている。


 埋め込まれたチューナーのテレビ朝霧の『徹夜で生テレビ』を見ながら叫んだのは、関東管区警察局長榊原だった。

 その他の居並ぶ幹部も顔面が緊張で白く変容しており、武蔵小杉署所長佐々木はあり得ない光景に体を震わせていた。

「佐々木警視正、事態を説明したまえ」

 榊原は佐々木武蔵小杉署署長を面罵した。

「はっ。ただいま所轄に連絡を入れ捜査一課長に至急こちら来るよう指示しております」

「そんなことはどうでもいい。なぜ我々からのマイクを使った呼びかけに一切応答せず、電話回線も繋がらない藤井組と民間の放送局の一司会者がホットラインを繋げることができるんだと聞いているのだ」

「はっ」

 畏まって脂汗を滲ませる佐々木警視正に見切りをつけ、榊原は神奈川県警刑事部長本田と千葉県警刑事部長吉沢を睨みつけた。
 しかし厳粛な濃紺の制服に身を包んだ二人はただうなだれるばかりで、下を向いて榊原と視線を合わせようとしなかった。
 

 そうこうしているうちにCMが開けた。

「それでは藤井組組長独占インタビューの前に、番組で用意いたしました、警察の拳銃横流し疑惑についての要点をボードにまとめてあるのでそれをご覧ください」

 田原慎之助が数枚の数十枚のフリップを万年筆で指差しながら、事件の裏の全容核心の流れを解説し始めた。『徹夜で生テレビ』が進行中に腹心の番組スタッフが電話で篠崎及び、篠崎に紹介された斎藤邸にいる南方組ナンバーツー石橋にヒアリングしたもので、関係者でなければ知り得ないディテールが随所に盛り込まれていた。







「おいおいおい。これは殆ど我々がやっていたことの全貌に迫るものじゃないか」

 榊原が腹の底からやっと絞り出すような声で呻いた。

 直立不動で榊原に対していた三人も立っているのがやっとだった。




「元警察庁長官の亀山さん、ご覧になっていかがですか」

 亀山もまた蒼白な顔でフリップを眺めていたが、しばらくしてやっと口を聞いた。

「ディテールから言って極めて確度の高い情報であるらしい、ということはできる。しかしにわかには信じられない、というか到底信じたくないことだ」

「仮にこれが事実だとしたならばどうでしょうか」

「日本の警察機構はおしまいだ。いったん完全に解体しなくてはならないのはもちろん、法治国家日本の信頼は国際的にも地に堕ちて信頼を回復するには途方もない年月がかかるだろう」

「ちょっといいですか」

 先ほど発言した大宅壮一賞作家の佐伯が手を上げた。

「はい、どうぞ」

「この後世紀のホットラインが繋がるとのことですが、藤井組組長の証言もさることながら、ここまでの大掛かりな裏取引ですから物的証拠もあるわけですかね。いえ証言それだけでも、今の今まで我々が思っていたような、暴力団の武装を解除するという大義名分が嘘っぱちかもしれないということの確証になり得ますけども、まるっきり暴力団側の証言だけというのも…」

「おっしゃることは分かります。このフリップをご覧ください」

「モノクロ写真にかなり鮮明に顔が写っていますね」

「はい。証言資料によりますと警察側の窓口の人間が銃器を実際に藤井組幹部と取引している現場だそうです」

「隠しカメラで撮っておいたわけですか、名前は分かっているのでしょうか」

「神奈川県武蔵小杉署の寺村巡査長ということです」




 会場は静まり返った。

 亀山は古巣の決定的不祥事の証拠に憮然たる顔だった。

 神奈川県警察本部19階大会議室は凍りついた。






「大丈夫です。まだ方法があります」

 凍りついた会議室で、さっきまでその場にへたり込みそうになっていた武蔵小杉署署長の佐々木が息を吹き返したように口はしに笑みを浮かべた。

「何?」神奈川県警察刑事部長の本田が問いただす。

「寺村に本当の英雄、「警察官の鏡」ドアになってもらいましょう」



 しばしの沈黙があった。

 会議室の暗がりの中、四人の悪辣な警察幹部は同時に笑い声を上げた。四人が同じ悪巧みを無言のうちに共有したようだった。

「早速手配しろ」

 関東管区警察局長榊原は佐々木警視正に命じた。



 佐々木警視正はキャリア組が滅多にしない現場警察官の警察式敬礼で三人に無言で挨拶し、そのまま会議室から消えて行った。




続く
 
ゆっきー
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