大人のピアノ

大人のピアノ その百じゅうに

「ええ、ただいま時計の針はちょうど午前2:00を指しました」


 スタジオの大画面でスクリーンは千葉の現場、問題となっている映像を流した首都大東京放送玄関口、さらに霞が関の警察庁前からの現場中継画面を切り替えて映し出している。

 視聴者が自宅でテレビを見ている討論番組の中にもう一つの巨大テレビがあり、いわばテレビというバーチャルメディアの中にもう一つのバーチャル世界がある状態だ。

 そしてその二重化されたバーチャル世界の先で、この現実世界と繋がった重大な事件が起きようとしている。

 幾つもの層に分かれた多元的な世界が、まるで万華鏡にように日本全国に人それぞれの「現実世界」を提供しているのだった。




「あ、今動きがあったようです。首都大東京放送前の佐々木さんを呼んでみます。佐々木さん、そちらで何か動きがあったようですね」

「はい。こちらの首都大東京放送では先ほど午前二時丁度に映像を放映した責任者の取締役が記者会見し、『番組は警察提供の信頼できる情報であり、番組でも独自に裏を取った上で責任を持って放送した。謝罪に応じるつもりはない』とのメッセージを藤井組に伝えました」

「あ、こちらでもその模様が大画面で流れています。責任者は『警察庁提供』と言ったんですね」

「はい。警察では首都大東京放送に特別な便宜を図って情報を提供したということではなく、広報を通じてマスコミ各社に提供予定のものだったということですが、首都大東京放送がこれを独自ルートで事前に入手。その中身を警察庁に確認した上で放送に踏み切ったということです」

「スクープというかフライングというか微妙なところですが、そうすると警察からも何らかの発表があると思いますので、いったん警察庁に切り替えます」

「はい」



 田原慎之助は正面メインカメラに向いた。

「ええ、お聞きのように問題の映像は警察庁がマスコミ各社に準備したものをスクープの形でいち早く首都大東京放送が放映したということのようです」

「これが引き金で藤井組の『報復行動』というものが現実になった場合、首都大東京放送の責任問題ですね」

 社会学者の宮本信三が冷徹な口調で言った。

「確かに重大な問題となりそうですが…おっとここで警察庁からの映像が入っています。ご覧ください」




 大スクリーンには警察庁広報担当の記者会見の模様が映り、首都大東京放送同様謝罪の意思はなく、断固として今回の事件の早期解決を目指すとの談話が発表された。

「ううむ。こうなるといったい藤井組の言う『報復行動』というものが何を意味するのか不気味です。いきなり人質になっている斎藤武志さんをどうこうするということはあり得るんでしょうか」

 田原は暴力団対策法反対席に座る、元警察庁長官で立憲自民党衆議院議員の亀井静太郎に話を振った。

「ううむ。情報が少なすぎてはっきりしたことは申し上げられませんが、人質は一人だけですからいきなりその人質の生命を奪うようなことは考えにくいでしょう。つまり藤井組の切り札をあっさり切ってしまうということになりますから」

「それに、故人の名誉回復を訴える人間が直接関係のない人質の生命を奪うというのは筋が通らない、というかこの日本中の全てを的に回すことになるから、それはないんじゃないかな」

 暴力団関係の著書多数のノンフィクションライター森田守が言った。




「するといったい『報復行動』というのが何を意味するのか不気味ですが、千葉の曽根さん?」

「はい。千葉の曽根です」

 スクリーンがさっきの記者を映し出した。

「何かそちら動きはありますか」

「いえ、今のところ不気味な静けさが続いています」

「テレビ放送に抗議したわけですから、藤井組の内部では当然首都大東京放送と警察庁の発表を把握してるわけですよね」

「そのはずですが、状況は至って静かのままです」

「分かりました。何かあったら伝えてください」

「はい。あ!ちょっと待ってください」

「どうしましたか」

「今、藤井組住居通称藤井城に激しく閃光のようなものが見えました。それと物凄い爆発音が…」



 その記者が言葉を言い終わらないうちに、スタジオの大スクリーンで全てのことが判明した。

 凄まじ爆発音と大花火が闇夜で炸裂したような明るさの中、上空に飛んでいた警察庁のヘリコプターが炎でオレンジ色に染まり、機体が空中で四方に飛び散りながら落下して行く様が映し出されたのだった。

 衝撃的な映像とともに集音マイクが爆発音をまともに拾い、そのまま生中継で編集なしでズッドーンという地鳴りのような音となってスタジオに流れた。

 一般席からは女性の金切り声が四方八方から上がり、スクリーンの向こうのバーチャル空間での出来事にもかかわらず、我を忘れてスタジオの出口に駆け出そうとする人たちもいてスタジオは騒然となった。


「落ち着いてください」

 警備員の必死の制しでスタジオの中にいたことに改めて気がついた人たちが、自分を取り戻したその時だった。




 再び爆音とともに今度は地上の何かが爆撃されたようだった。

 先ほどの爆発音にさらに輪をかけたような凄まじい爆音と破片物、土砂のようなものが曽根記者付近のマイクとカメラを襲い、マイクはそのまま転がりカメラは横倒しになってアスファルトの映像をデタラメにアップ状態で映し出していた。




「曽根さん!大丈夫ですか、曽根さん!!」

 叫ぶように曽根を呼ぶ田原の声に曽根の返事はなかった。






 ややあってアシスタントディレクターからメモを受け取った田原が正面のカメラを向いた。

「ええ、ただいま入ってきた情報によりますと、曽根記者が取材をしていたすぐ近くの首都大東京放送の取材用ワゴン車がロケットミサイルのようなもので攻撃され、大破炎上した模様です。近くで取材していた曽根記者は爆風で吹っ飛ばされて大怪我をして現在救急車で病院に搬送中ですが、幸いにして命に別状はなさそうだということです」

 田原の声も心なしか震えていた。

「なおCMを挟みまして、状況を整理してお伝えいたします。一旦失礼いたします」






続く

大人のピアノ その百じゅうさん

 CMに入ると田原の前にスタッフが緊迫した面持ちで駆け寄ってきたが、田原は「すぐ戻る。CM明けは現地の臨時ニュースでつないで」と指示して足早に廊下に出た。

 慌ただしく廊下を走っていく局員をやり過ごして、田原は非常階段の重い金属の外扉を押した。




「もしもし田原です。もちろん見てたよね」

 携帯電話の相手はもちろん篠崎だ。

「大変なことになりましたね」

「ああ。首都大東京放送の勇み足というところだけど、結果的にこれで警察は思惑通り藤井組を武力で完全に制圧するというお墨付きを貰ったことになる」

「どうしますか」

「あれ、やるしかないよ」

「…はい」

 藤井組組長との電話ホットラインによる単独インタビューだ。

「ただね、状況が変わったから確実に問題が生じる」

「といいますと」

「僕と篠崎さんの作戦では、討論の中で『実は藤井組長と電話が繋がってます』と朝霧放送から藤井組長と電話をつなぐつもりだった」

「はい」

「ところが先にこうして大事件が起きてしまった。おそらくこの時間起きている全世帯に近い日本人が、どこかの局でこの事件の推移を息を呑みながら注視している」

「はい」

 CMの時間を気にしながら早口に要点だけ感情を交えず話す田原だったが、それでもその緊張感が耳に押し当てた携帯電話を通じて篠崎にも伝染する。

「警察は藤井さんのインタビューを流した後すぐに、犯人とのホットラインを警察に提供するように朝霧放送に言ってくるだろう」

「それはこうなってしまった以上、当然そういう流れになると思いますが」

「その時は、今度こそこの事件の裏の警察の陰謀は一切闇に葬られることになる」

「……」

 重苦しい空気が流れた。




「どうする、篠崎さん」

「田原さんの考えと同じだと思います」

「いいの?そんなこと言っちゃって。僕の考えは過激な方だよ」

「分かってます。乗りかかった船です。お付き合いしますよ」

「オッケー。じゃあ時間もないからそれで行こう。篠崎さんには予定通り仲介の段取りをやってもらう。ただし、電話を繋ぐのは朝霧放送ではなくて、謎のフィクサーXだ。手順については番組が始まる前手書きでまとめたものがある。今回先にミサイル攻撃が起きてしまったから若干作戦を変えないといけないところがあるから、それは太字で書き込み入れてそっちにファックス送るよ」

「お願いします」

「警察からはいろんなルートでXの存在を突き止めようとするだろう。最終的に篠崎さんのホットラインを寄越せという圧力がかかると思うけど、それなんとかかわして欲しい。それが篠崎さんの任務といったところだよ」

「了解です」


 篠崎は心配そうに見つめる冴子と朝子に大丈夫だよ、と口を動かして微笑んだ。





「じゃあ、ミッションその一だ」

「はい」

「CM明けに僕が喋ってる時に、わざとらしく僕のケータイ鳴らしてくれ。わざとらしく番組中に僕がそれを取る」

「はい」

「『取材情報源の秘匿』と断った上で藤井組長と電話ホットラインを繋いでくれるという人からの電話だ、と言うよ」

「わざとらしく」

「あっはっは」

 田原は爆笑した。

「その時藤井組長が電話に出れるようにまずしといてね」

「はい」

「後は警察がいずれ篠崎さんまで辿り着くまで、それをかわして欲しいということだ」

「すべて了解しました」

「じゃあ、CMと臨時ニュースが開けるから戻るよ」

「行ってらっしゃい」





 電話を切った篠崎の手は汗ばんでいた。





続く

大人のピアノ その百じゅうよん

「それでは番組を続行したします」

「暴対法を論じる趣旨と少しズレるんですがいいですか」

 オレンジメガネの福島女史の隣に座る暴力団対策法賛成派の50歳代の男がおもむろに喋り始めた。大宅壮一賞作家、ノンフィクションライターの大御所佐伯和宏だ。

「佐伯先生どうぞ」

「先ほど宮本さんの方からイラク戦争とかブッシュとかいう言葉が出てきた直後に、今我々はこうして千葉から離れた場所でその映像を見たわけですが、この構図そのものもまさにイラク戦争に酷似してるなと私は思うんです」



 宮本に視線をやる佐伯。

 佐伯の視線を斜めに受け止める宮本。

 カメラは二人の顔を左右アップにした。


「確かにおっしゃるように、今の花火のような爆破の瞬間の映像には既視感がありますよね」

「ええ、それも確かにそうです。しかし私が言うのは何というか、もっと別のことで、例えばミサイル弾発射の原因となったのが警察庁作成の映像資料だったでしょ」

 宮本が口の端を満足げにほころばせた。

「なるほど。分かります。あの時も米国政府が情報管制を敷いた中で小出しにいろんな都合のいい情報をわざと中途半端に提供して、巧みに戦争賛成のムードを作り上げていきましたよね」

「そうそう。さっきスクリーンに流れた藤井組の長男の悪事に関してのドキュメンタリーですが、我々含めて視聴者が一体こんな騒ぎを引き起こしてる藤井組とは何者なんだ!?という情報への飢餓感の中にすうっと入り込んでくる映像ですよね」

「確かに、イラク戦争の時も繰り返し繰り返しフセイン大統領の悪逆非道な映像が流されましたね」

「ええ。そして重大なやらせもあったことがあとから山のように明らかになりました」

「大量破壊兵器なかったのが最たるものですが、他にも重油まみれの鳥の映像も実はフセインが海に流したのではなく、アメリカ軍が誤爆した工場から流れ出たものだというのもありましたね」




「それがまさに」

 宮本信三が口を挟んだ。

「宮本先生どうぞ」

「佐伯先生は暴対法から話がそれるとご謙遜なさいましたが、それがまさに暴力団対策法の目指すものなんですよ」

「…といいますと」

「あの時のアメリカ国家も日本の警察も、ある分かりやすい物語を国民に植え付けようとしてるわけです」

「フセインは悪の帝国の独裁者で、藤井組は暴力団対策法で葬り去るべき危険な結社であると」




「日本中を敵に回すことを意に介せず、今こうして途轍もない警察への報復行動が行われたわけですが、いったい真相はどうなんだろうか。メディアを通じてイラク戦争を経験した我々はそういう視点を持たなくちゃいけないのではないか、私はそんな風に思いますね」

 佐伯が自らの発言を締めくくった。




 田原慎之助は正面を向いた。

「確かにあの時は我々はマスコミは全てにおいて後手後手に回り、それこそ情報の飢餓感の中に小出しに投げ与えられる大本営発表の情報の餌に飛びついてしまったわけです。宮本先生のおっしゃるにはそうした与えられる情報を頭から信じてしまうように、権力者側の都合のいいように分かりやすい物語が提供される中で、我々はもしかすると一番見逃してはいけない真実を見逃しているのかもしれません」




 田原慎之助の内ポケットの携帯電話が鳴った。

 田原はわざとらしくそれに気がつかない様子で、演説口調で正面のメインカメラに向かって喋っていた。

「生放送中に電話なっちゃってるよ、田原さん」

 元警察庁長官衆議院議員の亀山が呆れ顔で言った。

「あああ、これは失礼」

 すぐに電源を切ろうとした田原は緊張した顔を作り、呼び出し音がなったまま会場を見渡して再び正面メインカメラに向かった。





「ただいま、この事件に関係する人物から着信がありました。このタイミングで私の携帯に直にかかってくるということは、おそらくこの事件の重大な情報を持っていると思われます。放送中ですが、このまま受信したいと思います」




 会場はざわめいた。

 一般参加者だけでなく、パネリストも何が起きたんだという驚きの顔を田原に向けた。

 そして、実は最も緊張してこの瞬間を受け止めたのはテレビ朝霧の番組スタッフ及び、ビルの最上階の取締役を含めた内部の人間であった。

 何か重大な後戻りのできない事態が起きようとしている。

 朝霧テレビ本社ビルの空気が緊張で薄くなり、誰もが深呼吸をしようとした。





「もしもし」


 数十万のテレビの前の視聴者は息を止めた。





続く

大人のピアノ その百じゅうご

「もしもし。はい田原慎之助です」

 田原は携帯電話をハンズフリーのスピーカーに切り替え、胸元につけていたボタンマイクを外して受話器の部分に近づけた。

「名前を名乗る必要はありますか」

 スピーカーから声がした。篠崎はおそらくハンカチか何かを当てて話しているのだろう。そのため多少くぐもっているが、テレビの電話に乗った篠崎の声は視聴者が直接十分に意味判別可能なものだった。

「いえ、その必要はありません。私の個人的に信頼している情報源だということを私がここで明言しておきます。さっそく話そうとしていた内容をお聞かせてください。」

「今回の警察の性急な捜査活動の裏には大掛かりな警察不祥事を隠蔽する意図があります」

 声色を変えた篠崎の声に会場がざわめいた。

「具体的に教えていただくことは可能ですか」

「私も信頼できる筋からの伝聞なので詳しいことは分からない。ただ、銃器摘発を巡って警察の自作自演による不正操作が日常化しており、その不正を直接的に手伝っていたのが藤井組だと聞いています」

「これは重大な情報をいただきました。すると、こうして警察が藤井組を壊滅しようとしているのは、変な話ですが仲間割れのような意味合いもあるのでしょうか」

「藤井組が握っている警察内部の弱みを根こそぎもみ消してしまうために、過剰な火器を使って人員を大量投入しているのではないかという疑惑もあります」






「あなた、情報源はなんなの」

 元警察庁長官の亀山が大声で田原の手元にある携帯電話に怒鳴った。

「……」

「名前はいいとして、内容が内容だけに情報ソースが一体なんなのかはいう義務があるでしょう」

「はい」

「納得行くような情報ソースをはっきり言えますか」

「……藤井組藤井組長本人です」

 ややあって篠崎が言った。





 亀山は絶句した。




「えーと、Xさん」

「あ、はい」

「あなたの情報が確かに藤井組長からのものであるという証拠は提示できますか」

「証拠ですか…」

「そう。確証ある証言だという場合、あなたが今しゃべっていることは、事件解決に向けて非常に大きな意味を持ちます。」

 再び亀山が大きな声を出した。

「Xさん、いかがですか」

「私の方からはなんとも言えないのですが、必要であればこの電話に藤井組長自身から着信してもらうことは可能です」




 会場はどよめいた。

 そしそのどよめきは電波に乗り日本全国に中継された。




「分かりました。では一旦電話を切っていただいてその準備をしてください。番組は藤井組長の生電話を中継できる準備を再短時間で整えます」

「分かりました」





「大変なことになりました。いったんここでCM挟ませていただきます」



 慌ただしくCM入りを告げる田原慎之助の元に、局のスタッフが雪崩かかるように殺到している風景を一瞬映した後、番組はCMに移った。






続く
ゆっきー
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