恋人? やっぱり……
ななつ
※この作品は『における。銀嶺号』に掲載された『友達? それとも……』の続きですが、未読でも問題ありません。
僕の初恋は、人知れず終わってしまった。
「はぁ……」
別に直接告白したとかラブレターを送ったとかをしたわけではない。ただ、文化祭の後に好きな人が彼女と手を繋いで歩いている所を見てしまった。二人が付き合っているという事実を突き付けられ、その時初めて僕は恋心と自分勝手な嫉妬心に気付いてしまった。そのショックで思わず泣き崩れ、家に帰ってからもこうやって溜め息ばかり出る。
「はぁ……」
自分の部屋のベッドに制服も着替えず倒れ込み、また溜め息を吐く。
コンコン、とドアを叩く音がする。
「お姉、ご飯だよー?」
妹の優衣が珍しくノックをして、晩ご飯の用意ができたことを知らせてくれる。でも何も食べる気になれない。
「寝てるのかな……?」
そっとドアを開けて優衣が部屋に入ってくる。僕は顔だけそちらに向ける。
「……何?」
「ご、ご飯だけど……寝てた?」
「別にそういうわけじゃないけど、ご飯はいらない」
「食べてきたの?」
「食べたくない」
「……体調悪い?」
「別に」
僕はまた顔を布団に埋める。
「お姉、振られたの?」
図星だった。
「……ち、違うし」
「そんなにどもってるなら図星なんだね」
「うっさい。ご飯いらないからさっさと出てってよ」
「うーん……お姉とあの人、お似合いだと思ったんだけどなぁ……」
「いいから出てって」
「分かったよもう……気が向いたらちゃんとご飯食べてね」
そう言って優衣は部屋を出て行った。
「お似合い、ね」
そう呟いたところで、失恋したことには変わりない。また涙が溢れてきた。
結局、こんな感じでまともに寝ることができないまま、一晩が過ぎ、その次の日も一日中気分は沈んだままで休日という感じがしなかった。そして、容赦なく時は進んで月曜になり、学校に行かなければならなくなった。あの二人とはクラスが違うことがこれほど嬉しかったことはないが、生徒会室に行けば嫌でも顔を合わせることになる。かといって、行かなければ心配されることは確実だろう。
「はぁ……」
一昨日から三桁ほどはしている溜め息を吐き、僕は生徒会室のドアを開ける。
「先輩、お疲れ様です」
「……お疲れ」
先に来て掃除をしていた書記の亜希がにこやかに僕を迎えてくれた。その屈託のない笑顔に少し気分が安らぐ気がする。
「他のみんなは?」
「まだみたいです。それよりも先輩、大丈夫ですか? すごいクマですよ」
クラスの友達にも何回か言われたが、そんなにひどいのだろうか。ゲームをやってて寝不足の時でもこんな感じだと思ったけど。
「あー、うん。ちょっと寝不足で」
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっとゲームやってたらついつい」
「ダメですよ、ちゃんと寝なきゃ」
「……そうだね」
僕は鞄を机に置いて席に座ると、思いっきり背もたれに体を委ねる。
「本当に大丈夫なんですか?」
亜希がおろおろしながら訊いてくる。
「うん、大丈夫だって」
自分で言っておきながら、全くそうは見えないだろう。教室だといつも通りに振る舞っていたけど、少し気が抜けたらしい。
「……何かあったんですか?」
「別に。何もないよ」
「そんなことないです。普段の先輩は寝不足だって言ってる時でももっと元気ですよ」
「そうかな」
「そうですよ。何かあったとしか思えないです」
僕の隣の席に座った亜希の真摯な眼が僕をじっと見つめる。
「何があったか、教えてくれませんか?」
「……」
言うべきだろうか。僕が既に彼女がいる人に惚れて、改めて付き合っている人がいることを思い知ったことを。
そう考えると、ただの一人相撲にしか思えない。勝手に惚れて勝手に失恋したってことだから。でも、このままずっと黙っていてもこの沈んだ気持ちは戻らない。
「実はさ、僕……」
そう口を開いた瞬間、ドアが開いた。
「お疲れー」
「……お疲れ」
「お疲れ様です」
入ってきたのは二人の男女。
「未沙は?」
女子は一番大きな席に座った。
「掃除当番です」
「愛里、今日は何するんだ?」
「まぁ、文化祭の片付けも終わったしな……翔也、これだけ職員室に持って行ってくれ」
「へーい」
亜希の向かいの席に座った翔也と呼ばれた男子は書類を受け取り、部屋を出て行く。
「ちゃっちゃと行ってくるわ」
「頼んだ」
この二人が、僕の初恋の人と恋敵。目下僕を悩ませ続けている原因だ。翔也も愛里も生徒会のメンバーだし、僕の友達だ。翔也とはよく男友達のように遊ぶし、愛里とは生徒会長と副会長というだけでなく、よく一緒に喫茶店巡りやダーツに行っている。
問題はこの二人が付き合っていることである。普段の様子から何となく分かっていたことだが、認めたくなかったのだろう。
「志乃、眠そうだな」
愛里がどうも僕の目元に気付いたらしい。
「まぁね」
「先に帰るか?」
「……そうさせてもらうよ」
そう言って僕は立ち上がり、鞄を持って部屋を出た。階段を降りる途中で未沙に会ったが、またクマについて言われた。みんなよく見てるなぁと思う。
「さて……」
靴を履き替え、自転車に乗ろうとした時、ブレザーのポケットに入れていたスマートフォンが震える。確認してみると、愛里からのメールだった。
『学校の近くの喫茶店で待ってて
話したい事がある』
どういうことだろうか。先に帰らせておいて話したい事があるなんて。しかもメールや電話でなく直接会って話すなんて。いつも通りの素っ気ない文面からでも重要なことだと読み取れる。
先に行って待ってるよ、とだけ返信し、僕は喫茶店へ向かった。
学校近くの喫茶店。愛里のお気に入りの喫茶店の一つ。僕は適当に席を取り、紅茶を注文する。程なくして愛里がやって来た。
「待たせて悪いな」
栗色の長い髪をポニーテールに束ね、切れ長の目と端正な顔立ちから来る凛とした雰囲気がクールビューティーという単語を連想させる。
「別に、そんなに待ってないし」
「そうか」
愛里はいつものようにコーヒーを注文する。僕は先に出されたお冷やをちびりと飲み、
「それで? 先に帰れって言ったのに呼び出すほどの用事なんだよね?」
眠気と憂鬱な気分からちょっと喧嘩腰に訊く。
「さっき亜希から話は聞いた」
……やっぱり。
「普段のお前らしくなかったからな。何かあったらしいが、どうなんだ?」
「……何でもないよ」
当事者じゃない亜希にならともかく、原因が目の前にいる人だ、とはとても言えない。それも彼氏に横恋慕しましたなんて。
「嘘つけ」
「本当に何でもないってば」
「……」
愛里は僕をじっと見据える。いつも以上に鋭い視線には、心配の気持ちが多分に含まれている。普段は無愛想で近寄りがたい雰囲気だが、内面には他人を思いやれる優しさがある。友達として、それは分かっているつもりだ。
「……愛里」
「何だ」
「こればっかりは、愛里にもどうしようもないんだ」
「……そうか」
愛里は少し視線を落とす。その時、コーヒーと紅茶が運ばれてきた。僕らはそれぞれの飲み物で唇を湿らす。
「いや、そんな大層な話じゃないよ。ただ、これは僕の問題で」
「そうなのか……」
再び愛里はカップを傾ける。
「志乃、私じゃ大して役に立てないかも知れないけど、相談ぐらいならいつでも乗るからな」
愛里が微笑む。
「うん、ありがと」
僕も何とか笑顔を作る。そう言ってくれたことは、素直に嬉しいと思う。かといって相談できるかと言えばそういうわけではない。
「……なぁ、志乃。例えば」
愛里がソーサーにカップを置く。カチャリ、と小さな音が鳴った。
「志乃が誰かを好きになったとして、その人と仲のいい女子がいたら、どう思う?」
「何それ」
「例え話だ。それで、どうだ?」
愛里が少し詰め寄る。ちょっと耳が赤くなっていた。
多分、翔也と僕のことを言っているのだろう。自意識過剰ではなく、実際に愛里は翔也と付き合っているし、それを愛里は隠している。翔也は僕と仲がいいし、確かに気になるだろう。この状況は、今の僕と少し似ている。
「……僕なら、嫌だと思う」
僕は紅茶でいつの間にか乾いていた唇を湿らせる。
「だって、自分のことを見てくれてるか分かんないし、好きな人が他の子を見てたら嫌だよ」
「……そうか」
少し合点がいったように答えると、カップに残ったコーヒーを一気に流し込んだ。僕は俯き、続けた。
「仮にその仲のいい子と好きな人が付き合ったりしたら、すごく、ショックだと、思う」
「……志乃?」
「僕よりもその子の方がずっとかわいくて女の子っぽくて……僕はこんな見た目だし、性格も男みたいで全然女の子っぽくないし」
例え話だってことは分かっている。それでも、僕はこの状況を完全に自分に当てはめて考えていた。そうすると、自然と言葉が次々と出てきて止まらなくなっていた。愛里の表情は見えないが、僕の独白には口を出さず、静かに聞いている。
「ちょっと考えれば勝ち目のない勝負なのにさ。勝手に嫉妬して、勝手に落ち込んで。ホント、わがままで」
ぽた、ぽた、と制服のスカートに涙がこぼれ、小さなしみを作っていく。
「バカみたいだよね、僕なんかよりも」
愛里の方がいいに決まってる。そう言いかけた時、
「バーカ」
愛里の口から、想像もしていない言葉が出てきた。
「愛、里……?」
顔を上げる。愛里はいつもの無愛想な顔だが、その表情には怒気が混ざっていた。
「さっきから聞いていたら、やれ女の子っぽくないだの、勝ち目がないだの……いい加減にしたらどうだ」
語気も明らかに荒くなっている。僕は完全に気圧されていた。
「大体な、見た目ぐらいならいくらでも変えようがあるだろ。性格だって自覚があるなら直せるだろう。何を言ってるんだ、お前は」
「愛里……」
「それに、勝ち目がないだと? 志乃、お前に何があったかは知らないが、まずは自分で動いてから考えてもいいんじゃないのか? 諦めるならスパッと諦めて、諦めないなら諦めないなりに何とかしてみたらどうだ。何もせずにいて、勝ち目も何もあるもんか」
そう言い切り、愛里は大きく息を吸う。普段の愛里からは到底考えられない姿だった。
「悪い、熱くなりすぎた」
愛里はテーブルに置かれたお冷やを一気に飲み干す。
「……ううん、愛里の言う通りだよ」
僕は翔也のことが好きだけど、翔也には愛里という彼女がいた。そして友達である愛里に嫉妬していたという事実。この二つが僕を悩ませていた。しかし、愛里は僕の思考を一蹴してくれた。
「そうだね。僕はまだ何もしてない。ちょっとでも、何かしてみるよ」
十中八九、いや間違いなく、翔也に僕の気持ちを伝えたとしても、僕の期待している返事はもらえないだろう。でも、伝えなければ諦めきれない。そんな気がした。
「ありがと、愛里」
僕は涙を拭う。愛里は口元を緩め、微笑んだ。そしてコーヒーと紅茶のおかわり、それとケーキを二つ注文した。
「何かごめんね」
「別にいいよ。ただの例え話だ」
そうだった。完璧に忘れていた。
「そういえば、何であんな例え話したの?」
「ちょっと、な。友達にこんな感じの相談をされてな」
「ふーん」
僕は悪戯っぽく笑い、
「てっきり愛里に好きな人ができたのかと」
知ってたよ。ちょっとつらいけど。
「べ、別にそういうつもりじゃない。ただ、ちょっと気になっただけだ」
「今まで浮いた話一つしなかった愛里がそんな話するなんて、それしかないでしょ」
「うるさいな、別にいいだろ」
「そうだね」
へへ、と笑う。
おかわりが運ばれてきた。最初は香りなんか感じる余裕はなかったが、今はコーヒーと紅茶の豊かな香りが心を落ち着かせる。
「とにかく、何でもないから」
「はいはい」
僕と愛里は顔を見合わせ、くすりと笑った。
その晩、僕は翔也にメールをした。
『明日学校終わったら、遊びに行こう』
久し振りに翔也にメールをしたが、こんなにドキドキするものだっただろうか。程なくして返信が来た。
『いいよ
学校終わって直接行く?』
ふと、さっき愛里に言われたことを思い出した。
「見た目……」
急いでクローゼットを開き、ハンガーで吊られている服、続いて引き出しの中身を確認する。残念ながら、一番女の子っぽい服装が制服だということに気が付いた。
「……制服にしよう」
『直接行こうか
いつものゲーセンでいいよね』
今度、愛里や亜希や未沙に頼んで服屋に連れて行ってもらおう。
『分かった。体調悪そうだったしちゃんと寝ろよ』
その返信を見て、ちょっと嬉しくなった。
「何にやにやしながらスマホ見てるのさ」
気付けばドアのところに優衣が呆れ顔で立っていた。僕は机に出していたダートを手に取る。
「それはシャレにならないから待って」
「じゃあノックしてよ」
「したよ。返事なかったけど」
「じゃあ開けんな」
「お姉、元気になったね」
「……まぁね」
「ならいいや。昨日のお姉、見てられなかったし」
そう言って優衣は本棚に漫画を仕舞って出て行った。
「ありがと」
聞こえてはないだろうけど、そう呟いた。
そして次の日の放課後、僕は翔也とゲーセンに行った。久し振りに気兼ねなく遊んだ後、ついに言う時がやってきた。
「ごめんね、わざわざ送ってくれて」
「別にいいよ、どうせ近くだし」
現在午後五時三十分。辺りは大分暗いし、こうなると翔也は家まで送ってくれることは知っていた。
「んじゃ、また明日な」
「あ、待って」
僕は自転車を止める。翔也も自転車を止めた。
「どうした?」
「あの……さ、この前言いかけたことなんだけど……その、やっぱり言おうかなって」
「……おう」
心臓の鼓動がうるさい。喉が渇いていくのが分かる。翔也はじっと僕を見つめている。
結果は分かってる。それでも、言いたい。
「あのね、翔也。僕……翔也のことが、好きなんだ」
翔也の表情が驚きに変わる。
「びっくりだよね、男友達みたいな僕が急に好きだ、なんて言ったら。でも、好き。その、よかったら……」
翔也は少し目を伏せ、そして口を開いた。
「……悪ぃ」
翔也の返事は、予想していたものと寸分違わず同じだった。
「……俺、実は」
「愛里と付き合ってる、だよね」
「な、何でそれを」
「僕、見たんだ。この前の文化祭の後、翔也と愛里が手を繋いで歩いてるの」
見られてたか、と翔也は気恥ずかしそうに頬を掻く。
「……そうか……でも何で告白しようと思ったんだ?」
「愛里に言われたんだよ。まず動いてから考えてもいいんじゃないかって。それで、翔也のことを諦めるにしても、伝えなきゃ諦めつかないなって思ったんだ」
「……ごめん」
「いいよ。翔也のせいじゃない。でも、これでスッパリ諦めがついた」
僕はバイバイ、と手を振る。
「じゃ、また明日。愛里のこと、悲しませたら怒るからね」
「……分かった」
「あと、明日からもまた遊んでくれる?」
「ああ」
「ありがと。じゃね」
そう言って僕は笑った。翔也が自転車に乗り、去って行くのを見えなくなるまで見送っていた。不思議と涙は流れなかった。
「好きだったよ、翔也」
言いたかった言葉は、どこかに消えて行った。
僕の初恋は、この時完全に終わりを告げた。