ユーザーズ・マニュアル#0

「気に喰わねぇ……」
 冷たい国道に立ちつくした一人の少年はそう呟くと、左右両の拳を硬く握り締め、轟音の方向へその視線を定めた。
 群青に近い黒髪の両サイドに銀のメッシュを入れ、普段着として愛用しているシルバーのトップスとモスグリーンのロングパンツに身を固めた彼は……轟音を上げながら向かってくる無数の狂戦士達の四キロメートル先に立ちはだかり、先頭の一団をキッ、と見据える。
 音が近付いてくるにつれ、憎悪とも、義憤ともつかない抑えきれない胸の滾りは少年の中で、そのボルテージを上げていく。

 この場に誰か良識ある大人がいれば、“死ぬ気か、やめろ”と彼を止め、国道から引き離して説教の一つでも垂れていただろう。
 ここにいたのがこの少年ではなく他のまともな人であれば、すぐにその者に一つ頭を下げて、大急ぎで逃げ帰ったことであろう。
 しかし少年にそんな気はさらさら無い。彼には無法者の真っ只中へ飛び込んでも生還できるどころか、彼等を一人も生かす事なく斃せる自信があった。
 成長期特有の痩躯に見合わない程の強大な“破壊の力”を迸らせ、それこそ骨の一片も残す事無く対象を消し飛ばす自信が。

 国道のほぼ全てを覆う程の勢力を持った者達を見据えて、彼等一人一人がどれ程の戦力を持っているのかを、生まれ持ったその感覚だけで瞬間的に判断する。
 一団の中の一人だけを見れば、直ぐに分かることだった。

 トップスピード七〇キロ毎時。体躯は自分より一回り大きい程度。主武装、全長一メートル前後の木刀および鉄パイプ。
 その身体で本気で振るえば、人の骨の一本や二本は軽く打ち砕くだけの威力を秘める、紛れも無い人に危害を加えるための凶器(どうぐ)だ。

 とはいえ、やはりそこは近接武器。少年の持つ“破壊の力”は、それのほぼ倍以上の威力と、倍以上の間合いをカバーできる……要は、奴等の間合いの外から完膚なきまでに打ち倒せる。
 多勢に無勢、そんなことは全く無い。万に一つも負ける要素は存在しない。
 むしろそもそもの問題は、彼奴等がその凶器を、まるで携帯電話かパス・ケースを持ち歩く感覚で手にしているという事。
 そしてそれは、この場にいる僅かな無関係の、力の無い人間にのみ振るわれるという事。それが何より、少年は癪だった。

 奴等が撒き散らすのは騒音だけではない。集団というものの生み出す言い知れぬ恐怖、歯止めというものを知らぬが故の理不尽な暴力、そして、死。
 彼等に直接的、あるいは間接的に、しかし無残に殺された人間が一体何人いたかは想像に難くない。

 そんな奴等が“癇に障る”。
 少年にとって、彼奴等を潰す大義名分(りゆう)はそれだけで十分だった。更に言えば……。

「国に護られてるって幻想を抱いてる、てめぇらの全てもよ」

 そう。彼等はものの見えぬ大人の作り上げた、抜け穴だらけの少年法という悪法に護られている。
 エンジンの空ぶかしを注意した者を鉄パイプで撲殺しようが、じとりと好奇の眼差しを向けた物好きな者を大径のタイヤで轢殺しようが…………国に、少年法に護られている限り、絞首台だけは須らく免れる。
 それが、少年は尚更気に喰わないのだ。

 …………ならば、そんな彼奴等を地獄の最底辺に叩き落してやる事に、何の問題もない。いや、今は奴等をそうしたくて仕方がない。
 少年の行動理念は極めて単純なそれだった。

 暫くするとかの無法者達はその襲来を待ち受ける少年のもとへ辿り着き、あっという間に彼を囲繞する。
 血やオイルの臭いと耳障りな駆動音に隙間なく包囲されながらも、少年はその冷淡な表情を崩さない。
「あん、何だテメェは!!」
「轢き殺されてぇのか、おいっ!!」
 無法者達が鼻息を荒げながら少年をグルグルと取り巻くように走り続ける。極彩色の髪に崩れかけた顔、無駄に大きな体躯と目に優しくない様々な色の特攻服。
 センスという言葉などとは無縁の彼等は、少年を脅すようにわざとエンジンを大きく吹かせながら、めいめいに大音量で喚き続ける。不協和音が少年の周囲を満たしていた。
 本当、鬱陶しく騒ぐことだけは上手い奴等だ。集団になれば、その手に鈍器を持てば、大きなバイクに乗れば、それだけで強くなったと思い込んでいる。
 それが少年は余計に気に喰わない。ならば…………。

「……………………死ねよ」

 瞬間、少年の意志は、実行に移された。

 希臘(ギリシャ)神話の大神ゼウスがその権威の証たる雷の錫をそうするように、少年……姫鶴脩は、固く拳を握り締めた右腕に渾身の力を込めて、無法者達の群れに向けて振り下ろす。
 その中の一人に“力”を直撃させると彼の者は悲鳴を上げる間も無く後方へ派手に吹っ飛ばされ、大きな放物線を描いた数秒後に国道に叩き付けられた頃には最早身元確認も儘ならないほど、その身体を粉々に粉砕されていた。
 大枚叩いてあしらえた派手な特効服が橙の炎を上げて、めらめらと燃え盛る。

 閻魔様の裁きを待つ前に目の前で無間地獄に落とされた仲間の姿を見せ付けられ、唖然とする無法者達。脩はそんな彼等を一人、また一人と、その華奢な身体を駆け巡る“力”を碧の弾丸に変えて撃ち放ち、
 絶え間なく彼の者達の肉体に叩き込み、その全てを皆同じ真っ黒焦げの肉塊へと変えていく。

 姫鶴脩――ひめづる、しゅう。
 一七歳と四ヶ月、乙女座のB型。
 都内の私立高校聖エミール学院、二年月組所属。
 異能力研究の権威たる天才自然学者にして最大の異端児、今は亡き姫鶴鏡博士の忘れ形見。
 そして彼の提唱した、学会でもオカルト業界でも語り草となっている、人を大量破壊兵器に変える悪魔のプロジェクトの被験者…………!
「う、うわぁああ!!」
「なんなんだコイツはぁっ!!」
 恐れをなして無様に逃げ出す者の背中にも、容赦なく一発。そしてその度に出来上がる真新しい焼殺体。
 気が付くと軽く六〇人程度はいた無法者はたったひとりだけになり、そのひとりだけの男も自分が骸の山の中にいるという恐怖に怯えながら、姫鶴脩という少年を見上げていた。

「ひっ、ひいぃぃ…………!!」
 目の前で起きた惨劇に腰を抜かし、身体の彼方此方を痙攣させ、引きつった表情のまま後退る。そんな彼の無法者の存在を認めた脩はその腕を彼に翳し、少しずつ力を込めてゆく。
「は、はわ、はわわわっ…………!!!」
 目の前に突き出された右腕から放たれる、仲間を打ち砕いた碧の烈しい光。炎でも雷でもない、この世の何よりも強く純粋な破壊の光…………。
 それは先程の少年の台詞が決してハッタリでは無い事を証明し、同時に、無法者にこの後起きる一つの現実を突きつける。
 たった一人の少年の手により目の前で起きた現実。眼前の光が自分に向けられる可能性。それが齎すこの世で最も無様な死。
 それら一つ一つが一本の糸になり、無法者というリリアンによって丹念に織り上げられ、恐怖という鮮やかな斑の組紐を作り上げる。
 その斑の組紐を、己の意思と関わりなくその手首にかける事を余儀なくされた者が唯一出来る事はただひとつ……。

 …………この場から、逃げる事だけ。

「お……っ。おたすけぇ!!」
 恥も外聞も最早無かった。今は一刻も早く逃げ去りたかった。少年の手の及ばないところであれば何処でもよかった。
 男は只管逃げた。前もろくに見ずに逃げ続けた。無論……その全てが無駄だという事は、何一つ彼は分かってはいなかったが。
小鎬 三斎
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