祖先の霊と病気

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第2章 霊とは何か( 1 / 1 )

 さて、それでは本題に入って行きましょう。昔からの言い伝え(文化、民間伝承)の中の用語と概念を科学的に理解し、科学用語(主として医学と心理学)と対応付けていくことといたします。筆者個人としてはどちらの立場(伝統文化か近代科学か)を採用しようと一向にかまわないのですが、家族の中で立場の分裂が生じますと、同仕様もなく相互不理解に陥りがちですので、このような対応を考えておくことは、「家族」というものの枠組みの中ではとても大切な事と思います。沖縄では、年配者は昔からの言い伝えで、若者は科学の用語で理解しようとする傾向が顕著に見られます。相互理解が不能となり、家庭内のいざこざの原因となっていることが多いのです。家庭内だけのことではなく社会においても事情は同様で、今までのトートーメー論争やユタ論争は、このこと、つまり、伝統文化(昔からの言い伝え)と科学(医学、心理学)の架け橋がなかったことによるものであったと断言して過言でないところがあるのです。
 ある人が口腔内の外科手術を受けることになりました。その人はまぶい分析学の学徒ですが、手術前に、手術を受ける病院が建っている地の御嶽に、手術をうけること、主治医、執刀医が正しく行えるよう、自分を律することができるようにと祈りました。医師達の名前も報告するのが普通なのですが、そんなことは私達は薦めない!と教えてくれなかったのでそのようにありのままを報告しました。結果、その人は無事手術が終了し、治りが早いと医師達も感心し、退院も普通の倍も早かったそうです。いつもこううまく行くとは限らないとは思いますが、うまくいく場合もあるということだけでも大きな収穫です。

第1項 「霊」とは  
「霊」とか「霊魂」とかよく言われますが、その実態は不明と言ってよいでしょう。信じる、信じない、といった次元の問題であると考えてよいでしょう。心霊写真といったものも存在しますが、嘘ではないかどうか確かめよう、といったことがあるくらいで、まだ体系的に理解されるように放っていません。また、「火の玉」は、早稲田大学の大槻義彦教授によって、その実態はプラズマであることが明かされた。まぶい分析学は「科学」の立場を取りますので、この例についても明確に定義する必要があります。次のようにすることで、ほとんどの人間の心の問題や家族の問題に対処できるようになります。
 もし仮に「霊」というものが存在するのであれば、少なくともそれが人間に与える影響を知ることが出来れば、日常生活を送る上では充分であると言えるでしょう。こんな観点から色々と考えてみますと、

 「霊」とは、人間の心に影響を与える力を持ったもの、あるいは、人間の心に影響を与える
ちからそのもののこと。

と定義して良いことがわかりました(又吉正治著:琉球文化の精神分析第1巻~第3巻、月刊沖縄社刊(絶版)は、まぶい分析学講義第1巻~第3巻(上)、東洋企画印刷㈱刊してリニューアルされています)。言われてみれば簡単なことですが、学問的な内容から実際問題に対して、適切に適用していけることが確認されました。これをもう少し、諸賢にはくどいと思われるかも知れませんが、少し丁寧に説明させていただくことにいたします。

例 筆者は今Onkyoという会社のパソコンを使っています。この文書を書いています。この
筆者が愛用しているパソコンですが、これは鉄やアルミニウムなどの金属、シリコンという
半導体、プラスチック、・・・、といった物体を巧妙に加工し、組み合わせてそれなりの働きが
できるように作られたものです。このパソコンに「霊」はあるのでしょうか?

 こんな質問をすると、「う~ん!?」となった挙句、「あると思う」「いや無い!」といったことになり、詰まる所、信じるか信じないかの問題になってしまうことが多いのです。それでは宗教的になってしまいます。我々は宗教ではなく科学の問題として扱わねばなりません。科学は「信じる」ことではなく「理解する」ことに原点があります。このことを科学的に考えるのであれば、先述の定義を適用して、これは「私のパソコンに、人の心に影響を与える力は宿っているかどうか」ということを検討してみれば良いわけです。次のような思考実験を行えば、直ぐに解答、結論が得られます。
 まず、私が使っているこのパソコンが壊れた(あるいは壊された)としましょう。そうしますと、私の心は穏やかではありえません。まず、例えばこの執筆という作業も不可能になってしまいますし、仕事ができなくなってしまいます。影響力は甚大です。自然故障ならば諦めも付きましょうけれども、壊されたとなると「いったい、誰が!畜生!・・・」となります。このような意味で、明らかに私の心に私のパソコンは影響を与える智可等を持っていることが解かります。これは「私のパソコンには霊が宿っている」と言って良いことになります。
 また私が死んだ時、子供が形見としてもらったとしましょう。おそらく私の子はこのパソコンを見るたびに、良きにつけ悪しきにつけ私のことを思い出すのではないでしょうか。するとこのパソコンは、私の子にとっては、他のパソコンとは異なった意味を持つことになります。このパソコンには私の思い出がくっついているというか、想起させられますから。つまり、このパソコンには私の霊が付いている、憑いている、宿っているということになります。このように考えるのであれば、「霊の定義」を次のようにしても構わないのではないでしょうか。

     霊の定義  霊とは、人間が価値を見出した物体(生命体であろうとなかろうと)が持つ
             影響力のことであり、これは、すなわち、人間にとっての価値そのものも霊
     として考えて良いということである。すなわち、価値を有するものには霊が存在する、と
     考えて良いのである。

 

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