仏教とキリスト教のよく似た話
『法華経』ほけきょう「譬喩品」ひゆほん第三に続く「信解品」しんげほん第四には、「長者窮子ちょうじゃぐうじ(長者の貧乏な息子)のたとえ」が語られる。
ところで、十九世紀から二十世紀はじめにかけて、仏伝と『福音書』の比較研究ということが、盛んにおこなわれた時期があった。それは、おもにヨーロッパの研究者たちが始めたのであるが、ブッダの伝記と、イエスの伝記との間に類似があることを見出し、そこから二千年前のインドとイスラエルのあいだに文化の交流があったのではないか、と考えたというのである。そこでキリスト教の福音書と仏教の経典、特に仏伝とを比較研究し始めたのだという。
たとえば、プラクリティというマータンガ族の娘が、阿難尊者あなんそんじゃに水をさしあげた話と、同じような話が、『福音書』にもある。
サマリアの女が水を汲みにやってきたところに、イエスが居合わせて、その女性に、
「水を飲ませてくれませんか」
と言った。
その頃、ユダヤ人とサマリア人とは、交際しない種族同士だったので、その女性は不思議に思って、イエスに尋ねると、イエスは言った。
「あなたが、神のおくりもののことを知り、また、『水を飲ませてください』と、言ったものが、誰であるのかを知っていたならば、あなたのほうから願い出て、水(永遠の生命にいたる水=教説)を、もらったことであろう」
そういうお話である。また、こんな話もある。
アシタ仙とシメオンの対比例が、あげられる。
釈尊もイエスも、その誕生に際して、ともにアシタ仙、あるいはシメオンという賢者たちによって、救済者となることを予言され、祝福される。
もう一話あげるならば、「やもめ」(キリスト教)と「少女」(仏教)の、献金の話というのがある。ともに、貧者の一灯ということを表すもので、多くの財産のなかから献金することよりも、貧しい財産のなかから布施をする徳のほうがすぐれているということを説いたものである。