練り清めた銀 聖書を批判的に読む

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【8.まとめ】( 1 / 1 )

8.まとめ】

 

8-1

 

 今回は話が長くなったのでまとめてみます。

 

1.はじめに】の要旨

 

○十全霊感、聖書無誤説は初期の教会の信仰と一致するが、考古学的に旧約聖書の記載が否定されることが多いため、そのまま受け入れることは難しい。

 

○考古学的知見や自由主義神学を受け入れつつ、信仰を損なわないような護教的解釈を展開してみたい。

 

○それはカトリックや福音派のような正統的なキリスト教解釈でなく、思考実験のようなものである

 

○正統的キリスト教解釈と科学的視点を受けいれた護教的解釈を使い分けると、信仰と生活を両立しやすくなる。

 

8-2

 

2.旧約聖書を歴史学的また考古学的視点から考える】の要旨

 

○考古学的知見から、モーセ五書やヨシュア記の記述は否定される。

 

○口承の伝承や、神話が文書としてまとめられ始めるのはダビデ王朝になってからである。それまでは文字もなかった。

 

○旧約聖書の歴史書は史実をそのまま書いたものではなく、宗教的解釈(霊感)が施されている。

 

○科学的検証で不純物を落としても、神の真理は残るはずである。

 

○旧約聖書の大部分が科学的に否定されても、イエスによる救いの保証が確かなら十分である。

 

8-3

 

3.イエスの実在、復活、神性は信用できるか】の要旨

 

○信仰の確信度は0から100%で変動するもので白か黒か決着をつける必要は必ずしもない。

 

○中立的な聖書時代史の著者が、イエスの復活について「伝承の核となった弟子たちの体験」があったと考える方が自然であると述べている。

 

○イエスの刑死後に、おびえて閉じこもっていた弟子たちが、突然に命がけで宣教しだしたのには何か理由が必要である。

 

○それらを考慮すると、十字架の死と(霊の体での)復活については歴史学的には、ある程度の蓋然性が残る。

 

○ヨセフスのユダヤ古代誌にはイエスに関する記述がある。後世の加筆があるがイエスの実在についての聖書外資料である。またイエスの兄弟ヤコブの記述もある。これはヨセフスが生きていた時代の出来事である。これもまたイエス実在の聖書外資料と言えるだろう。

 

○イエスの弟子たちの信仰告白から、少なくとも預言者の概念を超える言動をイエスが示したことは事実であろう。

 

○旧約聖書が考古学的に否定されつつある事とは異なり、イエスの奇跡や実在、神性については、直接な物証はないが、科学的に否定することもまたできない。復活についてはある程度の蓋然性が残る。

 

8-4

 

4.奇跡は本当にあったのか】の要旨

 

○新約聖書も複雑な成立過程をたどっているが、ローマ人への手紙、コリント人への第一の手紙、コリント人への第二の手紙、ガラテヤ人への手紙、ピリピ人への手紙、テサロニケ人への第一の手紙、ピレモンへの手紙はパウロの真筆であるとされている。

 

○これらの7文書はイエスの刑死から3032年ほどで書かれ、またイエスの目撃者も使徒や弟子も多くがまだ生きている頃に書かれた。また書いた場所、送り先、書いた目的などおおよそ判明している。

 

○パウロは復活のイエスの証人であり、その7文書中6文書にイエスがパウロを通して奇跡を起こしたこと、教会の信徒たちに奇跡が起こったことを教会の読者に思い起こさせるという形で書かれている。

 

○その後も会うことになる信徒たちにこのようなことを書き、パウロが受け入れられたことは、パウロの書いたことが偽りでない傍証になる。もし、そのような奇跡がなければ、パウロは排除されただろう。

 

○パウロの手紙と教会の反応は奇跡が存在した痕跡である。

 

○復活のイエスがパウロを通して働き、神の実在を証明するため、奇跡を起こし続けたことが復活のイエスの神性の証明になると考える。

 

8-5

 

5.イエスは旧約聖書をどう捉えていたか】の要旨

 

○イエスの言葉から、私なりにまとめると以下の2つに要約される。

「旧約聖書はイエスキリストを指し示すことが第一の目的であり、一点一画といえども、変更はできないし、廃れることもない。しかし実現することが保障されているのは、イエスに関する部分だけである。」

「旧約聖書に書いてある掟は、神の御心に沿わないこともある。そして当時のユダヤ人の聖書理解は、イエスから見て不完全であった。そしてイエスの登場をもって、旧約聖書は役目を終えた。」

 

○ヘブル人への手紙 813では旧約聖書は、やがて消えていくと書かれている。これが初期の教会の見解である。

 

○しかし、新約聖書の背景を理解するため、また信仰において神とコンタクトをとるために、あるいは他の信徒と交流するために旧約聖書は必要である。

 

8-6

 

6.メシア預言の精度】の要旨

 

○マタイ福音書やヨハネ福音書にあるメシア預言を取り上げて、旧約聖書の引用先をよく読んでみると、引用した文言は確かにあるが、前後の文脈を考えると、イエスの公生涯に合致しないものが多い。引用元は軍事的リーダーとして、捕らわれのイスラエルの民を解放する救世主像が多く、イエスの公生涯や言動と一致しない。

 

○イザヤ書やザカリヤ書には、イエスの公生涯と近い救世主の預言があるが、一部分に一致しないところがある。

 

○イエスが旧約聖書を引用して宣言し、自らを権威づけた個所や、たとえとして引用した箇所があるが、これらまで預言の成就として扱っているので、福音書にある預言の検証は厳密さにかけている。

 

○結局は、すべて部分的、または象徴的な文言がイエスに合致するだけで、イエスの特定に至る預言はない。

 

○「預言が的中した」というよりも、「実際に起こってみないとわからなかったがイエスを指し示していると思われる象徴的な記述が大量にある」としか言えない。それは文書を書いた人が、預言として意識した書いたわけではない部分にもある。

 

○よって旧約聖書は確かにイエスを指し示していると考えられるが、聖書の預言はあいまいで部分的な成就であり、十全霊感の聖書無誤説は支持されない。部分霊感を採用しないと説明できない。

 

○メシア預言とイエスの公生涯に完全な一致はないので、イエス以外のメシア、旧約聖書に預言されたユダヤ人にとってのメシアが他に存在する可能性も否定できない。

 

8-7

 

7.アブラハム契約と律法】の要旨

 

○アダム契約には、蛇であるサタンの頭を踏む砕く約束があるが、アブラハム契約以降、ソロモン契約に至るまでこの約束は含まれない。

 

○メルキゼデクといういと高き神の祭司がいて、アブラハムを祝福するので、メルキゼデクはアブラハムよりも霊的に上位の存在である。アブラハムが祈りの中で、この「いと高き神」とアブラハムを導き出した神を同一視しているので、「いと高き神」=YHWHである。

 

○アブラハム契約で、創世記123に「アブラハムを用いて地上のすべての家族が祝福される」という約束があるが、モーセ契約以降、異邦人への祝福の約束は消失するので「あなた(アブラハムつまりイスラエル)の内にある地上のすべての家族は、祝福される」と解釈した方が適切かもしれない。原文はどちらでも意味が通り、英語聖書も訳が分かれる。

 

○アブラハム契約で、創世記2218に「アブラハムの子孫を通して、すべての国々が神に祝福される」という約束があるが、モーセ契約以降、異邦人への祝福の約束は消失するので「アブラハムの種から出たすべての国々の民は神が祝福する」と解釈した方が適切かもしれない。創世記17章で、「アブラハムが、多くの国々の父になる」という約束が追加になったので、それらの国々への祝福を追加したのであろう。

 

○申命記28章をみると、アブラハム契約における祝福は「人や産物、家畜、こね鉢、出入り、手の業などに付いて、物質的な豊かさを与え、雨を豊かに与え、金持ちにし、敵を敗走させ、敵に恐怖を与え、頭とし尾としない、栄えて衰えないこと」である。主に地上の物質的な豊かさや、戦いの勝利、支配権や繁栄を意味することがわかる。天上的約束は欠如している。

 

○ソロモン契約まで追跡して、地上の「約束の土地」であるカナンの永遠の支配が、旧約聖書の契約の中核である事を確認した。しかしイエスの登場、罪の贖い、天にある神の国に挙げられ神と共に住むことなど、天上的約束は一切ない。死後の復活の約束もない。

 

○アダム契約にある救世主の約束がアブラハム契約にないのだから、イエスの新しい契約はアブラハム契約の成就としてきたものではなく、アダム契約の更新としてきたのではないか?

 

○また、キリスト教の教義に従えば、イエス自体が子なる神であり、誰に永遠の命を与えるかはイエスにゆだねられているので、アブラハム契約と無関係に新たな契約を人類と結ぶことができる。

 

○いずれにしてもアブラハム契約という基盤がなくてもイエスの契約は有効である。

 

○一方マタイ福音書22章でイエスは詩編110篇を引用し、自分がメルキゼデクと同等であると明示したので、彼はアブラハム契約のもとにはない。またヨハネ福音書8章では、アブラハムが生まれるより先に存在したと述べている。しかもイエスは父ヨセフではなく、聖霊によって宿ったと主張している。厳密にはイエスはユダヤ人ではなく、ユダヤ人として育っただけである。アブラハム契約はアブラハムの子孫が更新すると決められているから、イエスはそもそもアブラハム契約を更新できない。

 

○よってアブラハム契約によるユダヤ人への祝福と、イエスによる全人類への祝福は別種の契約であり、並立してプログラムが進行している可能性がある。

 

○パウロはアブラハム契約と言う根に、イエスの新しい契約が接ぎ木されたと考えたが、私はアダム契約と言う根に、アブラハム契約とイエスによる契約の2つの幹があると考える。

 

○旧約聖書に書かれていることは、「ユダヤ人の信仰告白や願望、起こったと考えられていた歴史的出来事の後世の解釈であり、史実ではない」というのが学問的常識になっている。そうであれば、神との契約や神がユダヤ人を選んだことも、ユダヤ人の願望に過ぎないという事になる。

 

○しかし、現代社会をみるとユダヤ人が政治的、経済的に世界規模な影響力を持ち、知的な、科学的分野でも、たくさんの功績を残している。聖書どおりでないとしても何らかの神の祝福が働いているのではないか?

 

○旧約聖書の成立過程は伝承通りではないし、史実でない記述も多いが、その発生や伝承の過程、編集の過程、信仰の解釈など様々な過程でやはり、神の霊感が働いたのではないか?そうでないと、イエスや弟子たちの奇跡やそれを取り巻いた現象の説明がつかないし、ユダヤ人が祝福を受けている理由が説明し難い。

 

○旧約聖書は科学的に事実ではない事を含み、考古学的に否定される部分は多いが、旧約聖書には「信仰の真実」がやはり残される。

 

8-8

 

 私が今回書いたことは、伝統的なキリスト教の教義から離れていると思います。伝統的な教義を100%受容できる人がいたら、それは素晴らしいことであり、それ以上理屈をこねることは、かえって信仰に有害であると思います。

 

 しかし、私はトマスのように疑い深く、指を差し入れなくては納得しないのです。私のようなあり方は、信仰として最善のものではありません。しかし、指を差し入れないと信仰を保てない人もやはりいると思います。私もそうです。

 

 考古学的知見や高等批評を完全に無視できる人なら、何も苦しむことはないでしょう。しかし、それに立ち向かう人も必要だと思います。その結果として、伝統的な教義から離れた結果になっても仕方ないと思います。それもまた文化変容をうけてはいますが、まぎれもなく、神が発行した無罪証明書であることに変わりはないのです。

 

 そもそも旧約聖書自体が、中東のユダヤ人社会で、神の霊感がユダヤ的文化変容をうけて成立したのです。さらにヘレニズム的文化変容とユダヤ的復古運動のなかから、イエスが現れて宣教したのです。イエスの死後にイエスの思想を理解できていなかった弟子たちがイエスを解釈し、独自の神学を発展させます。そこに、さらに刑死前のイエスを知らないパウロにより神学的な変容をうけ、その後は異邦人が中心の地中海世界で文化的に変容されます。

 

 ローマ帝国の国教となって以降は、支配から民を解放するはずのイエスの教えが、民を支配するツールとして再編され発展します。その後、宗教改革をへて聖書原理主義、その反動としての自由主義神学、その弁証としての新正統派と言う文化変容を受け続けた末に現代のキリスト教があるのです。

 

 何が元のイエスの言葉と思想なのかは、誰にもわからないのです。そして神の意志についても真相はわかりません。根拠をもって正しさを主張することはできますが、証拠を出して正しいとは証明できないからです。

 

 人に理解できない神の真理を、神が人に理解できる形(たとえとか)で伝えてきたのであれば、初めからすべての神の言葉は人に理解できるように加工されていることになります。文化変容を経ていない純粋な神の言葉は、神のもとにしかないのです。だから、私たちは自分に理解できる形で文化変容された神の言葉を受け入れるしかありません。

 

 そしてユダヤ・キリスト教以外の文脈で文化変容された神の言葉が存在する可能性についても考えなくてはなりません。そもそも、「ある教え以外に救いの道はない」という発想自体がユダヤ的、あるいは中東的な文化変容に過ぎない可能性もあるからです。

 

 本書で示した解釈が受け入れがたい人も多いと思います、しかしあまり深刻に考えないでください。こうした枝葉の解釈は救いの本質と関係ないからです。あくまで本書は考古学的知見や歴史学的知見と聖書の矛盾を、いかに吸収して信仰を保つかという目的のために書かれています。信仰の言葉で表現するならば、「サタンが私たちの心に『聖書は間違っている』という思いを投げ込んだ時にどう対抗するか?」、その対抗策として苦しんだ結果をまとめただけです。私も特定の教会ではそこの教会の教義に従った言動を取っています。

【9.祈り】( 1 / 1 )

9.祈り】

 

天の父なる神様、あなたは神の神、主の主であります。

 

天の諸霊の権威を打ちこわし、御手の業を見せてください。(ガラテヤ人への手紙 49

                                                                                                  (エペソ人への手紙 22

 

 

御言葉への飢え渇きに気づき、いのちのパンを皆が求めるように。(アモス書811

                                                                                    (ヨハネによる福音書 635

 

使徒の時代には宣教は言葉だけでなく、聖霊が働き、奇跡を伴いました。今はもうそれを望めないのでしょうか?            (テサロニケ人への第一の手紙 15

 

神の言葉をこの世の哲学が覆い隠し、その真の意味がわからない時代になっています。

皆、しるしを求めます                                                  (コロサイ人への手紙 28

 

しかし、本来私たちは十字架と復活を宣べ伝えるだけでよいはずです。知恵ある言葉でなく宣教という愚かな手段をあなたが選ばれたのですから。 

                       (コリント人への第一の手紙 121

 

十字架の言葉は、人の目に愚かなものと映るのでしょうか。しかし目を開かれた人には神の力であるのです。          (コリント人への第一の手紙 118

 

すべての目と耳を開き、あなたの真実を覚らせてください。(ローマ人への手紙 118

 

わたしはトマスのように疑い深いものです。しかしこのようなわたしにも御傷を示してください。                                                                      (ヨハネによる福音書 20:27

 

 

          神の子、キリスト・イエスの御名によってお祈りします。アーメン

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仲里 淳
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