宇治の橋姫

【衛門の督、最愛の女を失う事】

しのぶべき 命もいらぬ今日よりは 煙となりし君の面影

 

今はただ 嘆きわびぬる朝ぼらけ 露とはならじ涙の硯

 

あはれ君 その黒髪のすえまでも 契りおきてぞ今は甲斐なし

 

衛門の督(えもんのかみ)は、これほどまでに悲しみで胸がつぶれそうになっていながらも、歌が次から次へと詠める自分はなんと浅ましいのだろうと、ふと嫌悪を感じて、筆を傍らに置いた。歌は好きではあるが、抜きん出た技量を持っているとはつゆ思わない。だから、これらの歌の書き付けは、いずれ焼却するつもりである。

 

雨まじりの風が、都を騒がせている。霧姫(きりひめ)が亡くなった日より、しとしとと煙るような小雨であったが、今朝になり、時折すさまじい強風が吹き付けた。宮中の主上もお心を痛めて、賀茂川の堤などに警戒するようにと皆で打ち合わせたり、陰陽師たちに星を占わせたりと、殿上人は緊張をみなぎらせて働いていた。衛門の督の父である老いた内大臣も例外ではなかった。父は、鬢がすっかり白くなり、腰も痛いらしく茵から立つときに非常に苦労して立ち上がるのだが、六十一歳という高齢にもかかわらず、引退はさらさら考えていない。その気合いがが何に由来するものか、次男坊である二十七歳の衛門の督はよく知っていた。

 

風は、子の刻近い今になっても収まる気配がなく、恐ろしく重い石を載せた牛車を引く牛が、苦しみながら鳴く声のような、ぐおぉっという底深い轟音を巻き起こした。そこに雨音が重なる。あるときは緩やかに、あるときはものすごい速度の叩き付けるような雨音で、梅雨に聞こえる眠気を誘うゆるやかな音響とは段違いの恐ろしさだった。

 

夜は更けて、邸のうちで起きている者は、衛門の督一人かもしれなかった。あるいは用心のための衛士が見回っているかもしれないが、その気配は判然としない。女房たちは皆寝んだのか。それとも、あまりの雨風の激しさに怖くて眠

れない者もいるのかも。都でこの状態なのだから、宇治は、さらにすごい雨風が吹きつけ、恐ろしいことになっているだろうと思うと、それが心配だった。

妻はどうしているのかと思い、衛門の督はいくばくかの後ろめたさを感じた。

衛門の督にとっては、亡くなった霧姫は、この世の中で最も美しく優しく愛おしい存在であるが、妻にしてみれば自らの敵なのであった。だからこの邸では悲嘆はなんとか隠さなくては、と繕ったのだが、無駄なことだった。

 

霧姫が琵琶を弾き、自分が和琴を奏でたこと。几帳のうちで睦みあった明け方に、鶯が鳴き交わして、きっと番であろうと語り合ったこと。杯の中に写った月の丸さに二人で驚いて、杯を干すのをしばし中断したこと。さまざまの思い出が、衛門の督の頭脳に狂おしく展開して、彼の胸をえぐり、かきむしるのだった。

(もう、二度と逢えないのだ。もう、あの素晴らしい幸せは帰ってこない)思うだけでも涙は次から次へとあふれてきて、それを隠すために衛門の督は、妻どころか、召使いにさえ昨日から顔を見せぬようにしている。

昨日。宇治からの文使いが来たとの知らせに、血の気が引くのを感じて、妻のいる西の対とは離れた対で文を広げた。

文は、霧姫(きりひめ)からのものと、霧姫の乳母の手になるものと二通あった。

霧姫からの文は、氷のような薄い水色の紙にしたためられていた。

 

今日明日も知れぬ命となりましてございます。殿のお姿を一目なりとも見とう存じますが、遠方の宇治にては、それもかなわぬことでございましょう。今はただ、殿とのありし日を懐かしくしのび、しあわせの年月を思い起こすばかりでございます。

中空に 吹きかふ魂のとめどなく  恋しかるべしわが夫のこえ

 

睦みあっていた往事の彼女の手蹟は、暖かみのある優雅さと、流れるような勢いにあふれていたが、この文では痛々しいほどに乱れ、入らない力を無理に込めて書いているのが分かり、衛門の督は驚くと同時に、これまで、と覚悟を決めたのだった。そして、もう一通の文は、霧姫の乳母の少将からのものだった。

「たった今、息絶えられましてでございます。お弔いのことはのちほどご相談

いたしたく存じます。今はただ悲しく」と。返事をどうしたためたのかも、覚えていないくらいの衝撃であったが、必ず宇治に参るとだけは書いたのだ。しかしこの野分が収まらない間は、とても宇治のような遠隔地には出向けない。

 

山荘にて、ひそやかに住まっていた、美しいが何やら事情のありそうな女。彼女と逢うときは衛門の督は牛車は使わず、たいてい駒を召していた。

宇治川の流れる音とともに、松の梢の露が時折狩衣にかかる。山道は思いがけぬときに霧が出て、まことにこれから会う人の名前にふさわしい場所と、常に感じ入らずにはいられなかった。

 

しかし、ここ最近のふた月ほど、葉月になってから衛門の督は、霧姫と言葉は交わしたが、顔を観ることができなかったのだ。胸の病に冒され、やつれて醜くなった容貌を恥じて、二人の間に几帳を隔てていたからである。

もちろん僧を呼んで祈祷を行わせたし、食物の見舞いも差し入れて、周囲の言では、徐々に良くなっているとのことだったが、急に病が篤くなり、文を送っても返事が非常に遅かった。

 

だから薄々は覚悟をしていたが、あまりにも愛を交わし、楽園に遊んだゆえに、衛門の督はいまだに受け入れられない自分を感じた。

(彼女が死ぬ訳はない。あれほど愛し合った私を残して一人で逝ってしまうわけはない!)衛門の督は硯を、もう一回力を込めて摺った。何か動作をしていないと、またしても涙が出てきそうになるからだ。

また、悲しみとは別の醒めた思考が生まれてきて、手紙を書かなくてはと思ったからだ。無理かもしれないが、霧姫のなきがらに、最後の別れを告げたいのだ。その旨を伝えておかないと、きっと遺体が火葬されてしまうだろう。

(葬儀はどういう手順でなされるのだろうか。今思えば実に愚かなことだが、私は彼女の素性をよく知らないのだ。今度尋ねよう、今度こそ訊かなくてはと思っていたら、このようなことに……まあ、宇治のあの界隈の地所の所有者を調べるという手がある。地券書の写しを閲覧できるか訊いてみれば良かろう)

 

妻と婚儀をあげてから三年しか経っていないというのに、他の女性と睦みあった自分というものは、人でなしの冷酷な輩なのかもしれない。しかし、自分は

妻への愛は減じたかもしれないが、妻への正当な処遇は変えなかったと、衛門の督はそう信じている。

衛門の督は、愛が冷めたからといって妻を疎略に扱うわけには行かなかったのだ。そこには、極めて封建制度に則した、実際的な理由があった。

 

衛門の督の正妻は今をときめく関白、藤原満長(ふじわらみつなが)の長女であったからだ。関白の次女は、今上帝の女御として宮中の藤壺にあがっており、年が明けると中宮に冊立されることが決定している。

前の主上は、今上帝とは従兄弟にあたる。二年間、帝位にあって、三年前に譲位されて院号を賜ったのだが、母后が衛門の督の父、内大臣の妹なのである。

すなわち、衛門の督の父内大臣は、帝の伯父であったが、その絶頂のときは長くは続かなかった。

 

先帝の譲位には、父、内大臣は反対したが、内裏が四度も火災にあい、人心が収まらなかったため、帝は、自分が帝位にあることを天が喜ばないのだ、と淡々とおっしゃった。これには誰も反論のしようがなかった。

父も兄も、この四度の火事については、「これはできすぎである。どう考えても何やら作為が」と疑っているが。

 

関白と、内大臣との権力闘争は、現状では関白の圧勝なのだが、関白は、やり過ぎを警戒していた。

競争相手を完全に没落させ、絶望させては、後で物の怪となって祟られかねないことを関白は知悉していた。政敵は潰しすぎるとまずいと。そこで、内大臣に対して持ちかけた落としどころが、二十一歳の自分の長女の蓉姫(ようひめ)と、当時二十四歳であった衛門の督との縁談であった。

関白の考えとしては、蓉姫を入内させたかったのだが、年齢が主上より六歳上であったため、即位したばかりの主上には、同い年の次女をと取りはからったのだ。

 

内大臣も、衛門の督の兄である近衛の大将も、関白からのこの縁談を懐柔策、あるいは停戦協定とみなした。実際そうとしか受け取りようがなかった。内大臣は、不審さと諦めとの入り交じる複雑な表情で論評した。「いささか意外であ
深良マユミ
作家:深良マユミ
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