処女受胎

 お菊さんの耳には、そんな弱気な話は届いていなかった。「能書きは、そこまでです。さっそく今週金曜の夜に中洲に出立です」お菊さんは、目を吊り上げ、鬼のような形相になった。すっと立ち上がったお菊さんは、トレイにティーポットとカップを載せ、メイド喫茶のウェイトレスのよう笑顔を作り、お尻をフリフリ、部屋を出て行った。今回ばかりは、コロンダ君の背筋に寒気が走った。

 

                クリスマス・イブ

 

 一人になったコロンダ君は、秀春の話したことを思い出していると、いろんな思惑が頭の中を巡り始めた。お菊さんには、簡単明瞭に話したが、実際は、胚移植についてもっと具体的な話を聞いていた。医学の進歩は目覚しく、卵子と精子を体外受精させ、受精卵をカテーテルという細い管で吸引し、膣から挿入して子宮内膜の上に受精卵を置いて、着床させ、妊娠させることができるというのだ。その作業は、なんと5分ほどでできるらしい。

 

 たとえ、処女膜がある膣でも、直径5ミリほどの穴があれば、余裕を持って、細いカテーテルは子宮まで届くことになる。つまり、処女でも妊娠することができるというわけだ。例のJKは、この施術を受けたのだろうか?施術を受けたにもかかわらず、誰かに口止めされて黙っているのだろうか?それとも、神父に脅されて、真実を話せないでいるのだろうか?

 バッテン真理教会の狙いは、処女受胎を利用して、神父には神の力があると信者に信じ込ませることにあったといえる。今後、凡人が不可能と思えることをバッテン真理教会は科学を利用してやってのけるに違いない。そうすれば、信者はニワカ神父の言葉を信じ、次第に、思いのままに洗脳されていくに違いない。信者を洗脳させてしまえば、お金を巻き上げるにもたやすいことになる。さらには、信者が増えれば、バッテン政党を立ち上げ、衆参議員選挙で、当選者を出すことも可能になる。

 

 このことを考えれば、お菊さんの言うことは最もだといえる。でも、新興宗教にかかわったために暗殺されたという話も聞く。彼らは事故に見せかけ、暗殺する。下手に、かかわると、自分たちの命が危ない。お菊さんも分かっているはずだ。なぜ、何の得にもならない事件に足を突っ込もうとするのだろうか?単なる冒険心にしては、危険極まりない。お菊さんの気持ちを変えさせるいい方法はないものだろうか?

 

 いろんな教団の事件を思い出すと、コロンダ君の心は、はますます恐怖感でいっぱいになった。そして、処女という言葉が、頭の中を駆け巡り始めた。凡人は処女という言葉に、神秘的で純粋無垢という、言葉では説明できない迷信といえるような感情を持っているに違いない。科学を持ってすれば、処女でも妊娠可能なのだが、凡人は、頭から処女は決して妊娠しないと思い込んでいる。

 

 自分も、秀春兄さんの話を聞かなかったならば、神の力による処女受胎を信じていたかもしれない。凡人とはそんなものに違いない。まだ、10代のころは、女性を神秘的ものと思っていた。学校教育で人体について学んでいるにもかかわらず、女性の体について多くの迷信を持っていた様な気がする。あのころは、処女は、神聖な女性で、一切の穢れがない女性と思っていた。今考えれば、ナンセンスだが、女性はそれほど神秘的な生き物だということだ。

 

 本来の男女のあり方を考えれば、愛し合い、そして、二人の合意でセックスをする。この結果、精子と卵子が合体し、そして、受精卵は、細胞分裂を繰り返し、新しい生命となる。受精卵を作るには、ペニスを膣内に挿入するセックスと体外受精があるが、体外受精は、不妊治療のひとつであり、妊娠のための最後の手段でなければならないはずだ。セックスは、快楽のためだけでも、妊娠のためだけでもないと思う。セックスで、お互いの肌を重ねることは、新しい人間関係を作ることに等しい。

 

 笙子と僕の関係は、子供のころから続いている。子供のころは、兄と妹のように、仲のいい遊び仲間であった。僕が大学生で、笙子が中学生のころには、言葉に表せない恋心が湧いていた。笙子が高校生になったころには、笙子の彼氏はどんなやつだろうか、もう、セックスをしたのだろうか、などと嫉妬めいたことを考えていた。僕は、同僚と吉原のソープで遊んでいながら、笙子には、処女でいてほしいなどと、まったく身勝手なことを考えていた。

 

 福岡に遊びに行くたび、笙子への恋心は深まっていった。笙子が高校生までは、単なる遊び友達の域を出なかったが、笙子を思い出すたび、笙子と彼氏が仲良くデートしている姿が頭をよぎり、無性に歯がゆい思いをした。笙子が大学に無事合格したとき、笙子との関係を変える決心をした。つまり、結婚を前提に付き合うことにした。いとこ同士の結婚は、法律上は問題ないとしても、異常児が生まれる可能性が高いため、社会的には否定的な見方がなされていた。でも、万が一、異常児が生まれたとしても、命をかけてでも、育てる覚悟はできていた。長い間悩んだが、結婚への気持ちは変わらなかった。そして、クリスマス・イブにプロポーズした。

 

 クリスマス・イブは、マリエラの博多湾クルーシングを予約した。天神のライオン広場で落ち合うと、タクシーでベイサイドプレイスに向かった。定刻の19時に出航すると、二人だけのディナーをとった。そのとき、笙子に“結婚してほしい”とプロポーズした。笙子は、黙って頷いた。笙子もいとこ同士の結婚では、異常児が生まれる可能性があることは知っていたはずだが、笙子も僕と同じ気持ちだったに違いないと思った。テーブルの上の笙子の左手をしっかりと握り締め、気持ちを伝えた。

 

 デッキに出ると、博多湾の夜景は、まぶしいくらい美しかった。笙子は、船上の冷たい風に、肩をくすめ、震えていた。僕は、しっかり肩を抱き寄せ、一生離さないと心に誓った。うつむいた笙子の顔を持ち上げると、目を閉じた笙子の唇に、そっと唇を重ねた。今の時間が、永遠に続いてほしいと、しばらく、重ねた唇を離さなかった。笙子は人生を僕に預けたとでもいうように、身動き一つしなかった。

サーファーヒカル
作家:春日信彦
処女受胎
0
  • 0円
  • ダウンロード

10 / 32

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント