記憶の森 第二部

5・二人の境遇

それから、バクウは当主に客間で待っているように伝えられた。
その客間はこじんまりしていたが、調度品など落ち着きがあり、
バクウは自分には過ぎた部屋だと思った。
その部屋で彼はそわそわした気持ちで待っていた。
(三十分位、経ったろうか?)

ドアがノックされた。「はい。」
バクウがドアを開けるとミラが様子を伺う様に
そこに立っていた。
彼女は先程までとうって変わって
清楚な白いワンピースを着ていた。
真近で見る彼女は先程よりも、もっと美しかった。
バクウは「こんばんわ。」と言うのがやっとだった。
なかなか言葉が出てこない。
彼女は「こんばんわ。バクウさん。ミラと申します。」
と深くお辞儀をした。
「今日は呼んで下さって、有難う御座います。」と続けた。

「さあ、中へどうぞ。」バクウは遠慮気味に言った。
彼女は「お邪魔します。」と促されるまま部屋に入った。
バクウは急に緊張してきた。
彼女が美しすぎるからだ。
「どうぞ、そちらのスツールに掛けて下さい。」
バクウはそう言って、自分はベッドに腰掛けた。

「何をお話しすればよろしくて?」
彼女は腰掛けるとすぐに笑顔でそう言った。
「なに、たわいもない世間話でいいんです。
 あなた達の舞が素晴らしくて、
 ついお話しをしてみたくなったんですよ。」
バクウも精一杯の笑顔でそう言った。
小机の上のランタンが彼女の顔の輪郭を
くっきりと照らし出していた。
そしてその目の輝き・・・
バクウは照れくさくなってフッと目をそらしてしまった。
彼女は「褒めて頂いて、ありがとう。」とバクウに伝えた。

「どちらからおいでになったの?」とミラは聞いた。
「私はシエラの村に住んでいます。しがない行商人です。
 ミラさんはルルドに住んでいるとお聞きしました。」
「まあ、シエラ!私達隣のオアシスに住んでいるのね。
 でも、巡業の旅をしているから、余り帰らないけれど・・・。」
「まあ、僕も似たようなものです。
 母が家にいるので、もっと家にいてあげたいのだけど、
 何日も家を空けて・・・。
 荷物をラクダに積んで旅また旅です。」

それから二人の話は各地のオアシスの名物、
イベリアの首都ルアドの話、
出会った人達の話題になり、それは尽きることがなかった。
そして二人はすっかり打ち解けた。

「ミラさんは何故踊り子の仕事をするようになったのですか?」
バクウは聞いてみた。
「私・・・三年前に父を亡くして。それがきっかけでした。」
ミラは多くを語りたがらなかった。
バクウにはその理由に見当が付いた。
バクウも三年前に父を亡くしたからだ。
「そうですか。奇遇ですね。
 私も三年前に父を亡くしましてね。
 その後、この仕事をするようになりましたよ。」
「あなたも?・・・そう・・・・・あの、あの暴動で?」
ミラの肩は小刻みに震えているようだった。
「ええ、そうです。」
バクウは答え、二人に重い沈黙が流れた。
三年、それは身内の生々しい死の記憶を忘れ去るには、
まだ短すぎる時間だった。



6・嗚咽と抱擁

それからミラは何か思い出を見出すように、
彼女の目は宙を彷徨っていた。
バクウはそんな彼女にこう言った。
「僕はまだ父が農場から帰ってくるような気がしてしまうんです。
 あの事件は本当に痛ましい事でした。
 僕は未だにゾッとするんです。」

ミラは重い口を開いた。
「私の父はカースの牧師をしていました。
 昼は私と一緒に農場で働き、夜は集会所でみんなに
 教えを伝えたりしている父でした。
 母は私が十二の時に病気で亡くなって、
 私と父、二人で暮らしていました。
 その時、あんな事件が起きて、父は教本だけは持ち出そうと
 燃える火の中集会所に飛び込んで・・・
 教本は持ち出せたけれど、父はひどい火傷を負って、
 煙も吸って、倒れこんで、そのまま意識が無くなって、
 そのまま逝ってしまいました。」
彼女は自分の中から吐き出すように一気に話した。

「あなたは、さぞかし辛かったでしょう。」バクウは言った。

「私それから自分の心がバラバラになった気がしていたわ。
 どこに行っても父を思い出してしまうの。
 それが辛くて、逃げ出したくて、
 農場も父との思い出があったから、仕事にも行けなくなって、
 家でボーっとしていたわ。
 心配してくれた今の親方さんの誘いで踊り子を始めたのよ。」

「そう。君も大変だったんだね。」
バクウはそう言いながら、月並みな事しか言えない自分が
もどかしかった。

「私、それから必死で!
 父のことが大好きだったのに!必死で父を忘れようとして・・・
 私は天涯孤独になってしまったと思ったの。
 ケルトの国に遠い遠い親戚が居ると昔母に聞いたけれど・・・。
 私はいつも自分の気持ちばかりで!、私って・・・私って!!。」
ミラはそう言って激しく肩を震わせながら泣いた。

バクウは彼女を見ていられなくなり、
彼女の手をとると引き寄せてそっと細い肩を抱きしめた。
彼女はバクウの胸の中で手を顔に押し当て、嗚咽していた。
バクウは彼女にそっと言った。
「君は自分をそんな風に責めちゃいけない!
 君は悲しい事件を必死で乗り越えて来ただけなんだよ。」
彼女に言い聞かせるように言った。
彼女は何も言わず泣き続けていた。
バクウは黙って子供をあやす様に彼女の髪を撫でていた。

「それにあんな素晴らしい舞を僕に見せてくれたじゃないか!
 君はただ一生懸命生きてきただけだろう?」
バクウがそう言うと、彼女は少し落ち着いてきたようだった。
「僕の父も暴動で亡くなってね。父も熱心なカースの信者だった。
 僕達家族もシエラの農場で働いていてね。幸せだった。
 父は暴動を鎮圧しようとした王兵に腹を刺されたんだ。
 父は、さらしを巻いて休んでいれば治ると、
 気丈に振舞っていたんだ。すごい大怪我だったのに。
 それから、父は食欲も無くし、ずっと寝ていた。
 怪我をしてるのに、集会所はどうした?と僕に聞いてね。
 焼かれてしまったことを告げると、ガックリとしていた。
 それから高熱が出て・・・最初からちゃんと
 僕と母さんで医者に連れていけば良かったんだ。
 慌てて隣の村から医者を呼んだ時にはもう手遅れだったんだ。」

ミラはハッと顔を上げた。
「あなたこそ、自分を責めてはいけないわ!」
その顔に涙が二本の筋を残していた。
バクウは自分の袖口をつまんで彼女の頬を拭った。
「そうだな。僕も自分のことをどこかで責めてるんだ。
 これでは駄目だな。」彼はそっと言うと、
遠い記憶を噛み締めるようにフッと笑って、
それから右手の人差し指と中指を瞼の上に当て、
涙がこぼれ落ちないように強く押さえてじっと動かなかった。



7・二人と砂漠の事情

それからミラはバクウにこう言った。
「あなた、ごめんなさい。私取り乱してしまって・・・
 私のせいですっかり三年前のことを思い出させてしまったわね。」
「いや、いいんだ。僕も忘れたふりをしてただけなんだ。
 僕も泣いてしまってごめん。」
バクウは言った。その目には涙が浮かんでいた。
「私達、似たような境遇だったのね。
 あなた、私はもう大丈夫よ。
 思い切り泣いたらなんだかすっきりしたわ。
 ありがとう・・・。だから、あなたも気持ちを収めて。」ミラは言った。
「ああ、しっかりしなきゃな。」
そう言って、バクウは自分の目を手で拭った。

イベリアの砂漠で起こった三年前の事件の話しをしよう。
王の命令を記した紙を持った王兵達がオアシスの村々に
突如乗り込んで来たのだ。
この国にはカースという教えがあって、民衆に根付いていた。
その教えは生活の抒情詩のような歌をみんなで集まって歌ったり、
生活の規範、心得が教本に記されていて、
その教本も皆によく伝わっていた。
オアシスごとに各々集会所があり、
農仕事が終わるとみんなで集い集会を開いた。
それは砂漠で暮らす民にとって生活の一部だった。

一方首都の名前を取ったルアドという教えもあり、
これは貴族達と都市部で広がっていた。
これは親を崇め、国の為に尽くせという教えだった。
貴族達は国にこの教えを強要されていた。王の命令だった。

砂漠では教えは違えど貴族と民衆は持ちつ持たれつの関係で、
地主と小作人として共存生活を送っていた。
砂漠には何も問題が無いように思われたが、
王がカースの勢力に懸念を感じたのだろうか?
王兵達はカースの集会所に
赤いペンキで大きな×印をつけて行き、集会所を封鎖してしまった。
オアシスの民衆達はこれに激しく抵抗した。
各地で王兵達との衝突が起こり、死者や怪我人が出た。
その数は砂漠全体では死者約50名。怪我人はその倍以上もいた。
それから抵抗空しく、各地の集会所は次々と焼かれていったのだ。
このことは後から大きな波紋をこの国に投げかけた。
貴族達も心を痛め、王に嘆願する者もいた。
各地で嘆願書に署名が集まっていった。
嘆願書には国に害は及ぼさぬから、
教えを認めて欲しい旨が書かれていた。
これが功をそうしたのか、王からカースへの
それ以上の迫害は無かった。
しかしこの事件は砂漠の民に深い深い心の影を落としていたのだ。



8・約束

ルシファーは部屋の隅でバクウとミラを見守っていた。
(三年前の悲しい出来事が、君達二人を強く結び付けたんだね。
 君達は出会うべくして出会った。
 この瞬間を見届けることが僕の役目だったのかもしれない。)
ルシファーはそう思っていた。

バクウはミラに告げた。
「僕はこれからどうしたらいいんだい?
 君の事をもう放っておけない気持ちになってしまったんだ。
 とても人事とは思えないんだよ。」
バクウは素直にそう言う事ができた。
お互い涙を見せ合うことで、
二人の距離がグッと縮まっているのを感じていたからだ。

ミラは少し考えるとこう言った。
「私達四日後にルルドの村に帰るの。
 その時にあなたともう一度お話しできないかしら?」
そう言って見つめるミラの目は懇願するようだった。
「四日後だね。それなら何とかできそうだ。
 四日後にルルドの宿舎を訪れればいいね?
 約束するよ。君に必ず会いに行く!」バクウは答えた。
「ええ、待っているわ。私もあなたに会いたい!。」

そうするとバクウはミラを引き寄せて抱きしめた。
ミラもバクウに身を任せていた。
バクウには恥ずかしいという遠慮など、もはや消えていた。
(このまま二人でいたい!)
そんな強い思いが二人に芽生えていた。
それからミラは顔を上げて、右手の小指をバクウに差し出していた。
「必ず来て。約束よ!」
ミラの顔には笑顔が戻っていて、
その瞳の奥に何か熱い物が宿っているような印象を、
バクウに与えていた。
バクウも小指を出し、彼女の小指に絡ませた。
「ああ。約束だ。」
と言って、バクウも微笑んだ。
それから二人は指を絡ませたまま、見詰め合った。
バクウの瞳は陽の当たった海のような
明るいブルーをしている。
ミラは薄い鳶色の瞳。
その瞳がランタンの暖かなオレンジの光を移して、
今は生き生きと黄金色に輝いていた。
二人はお互いの目の中に真実を探しているようだった。
しばらく見詰め合った後、彼らはニッコリと微笑み合った。
それから二人はどちらからともなく指を解いて、
また抱きしめ合っていた。

ルシファーは思った。
(これから君達二人はかけがえのない者同士になるね。
 バクウ、良かったね。僕はずっと君達を見守っているよ。)と・・・。



haru
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