記憶の森 第二部

2・宴

砂漠には無数のオアシスが点在していた。
そしてその周りに村を形成し、砂漠の民は暮らしていた。
バクウが今回訪れたのは
バクウの住む村から程遠い村だった。

貴族の館に招き入れられると、
召使達が慌ててかいがいしく宴の準備を始めていた。
行商人を言ってもいたれりつくせりである。
バクウは何度も訪れていて、当主とも顔なじみであった。
「バクウ様、遠い所よくおいで下さいました。」
召使達の頭とも言える者が頭を下げた。
「今宵はささやかながら宴を催します。
 心ゆくまで楽しんでくださいませ。
 商いの話しはその後でゆっくりと当主が申しております。」

行商人というのは遠い町の香りを運んでくれる。
小さなオアシスの村でこじんまりと暮らす者にとっては
憧れの的なのだ。
今日訪れた邸はこの村で一番の有力者の家だった。
この村ではかなり歓迎された。
まるで小さなお祭りのようだ。
子供達も群がり、知り合いの者達も訪れての
宴なのであった。
2月前にこの屋敷を訪れていて、約束していたのだ。

酒を飲み交わし、しばらく経つと
料理が振舞われ始めた。
旅の疲れが癒されていくようだ。
商いのチャンスが広がればと、
バクウは愛想良く周りの者と話し、歓談した。
この男は普段は勤勉で無口な性なのだが、
こういう時は不思議とそつなく愛想良くしていた。
だが、その誠実な人柄はにじみ出るらしく
彼の商いは広まっていった。
今では人手が足りないくらいだ。

その頃ルシファーはその部屋の隅で、
考えながら心の中を整理していた。
(やっぱりバクウがマサヒコなんだよなあー。
 みんなで樹の根元から旅立った記憶はあるのに、
 その後バクウが産まれるまでの間の記憶が無いんだ。)
ルシファーにはそれが不思議だった。

(マサヒコの連き添いをすると約束したんだし、
 バクウがマサヒコなんだ。
 てっきりマサヒコの生きる世界へ
 行くものだと思ってたけど。
 それにマサヒコは女の人にはならなかったぞ。
 どういうことなんだろう?
 連れ添いをするってこういうこと・・・?
 僕はこれからどうすればいいんだろう?)

(それに何で今日僕はいきなり目覚めたんだろう?
 今日バクウに何か起こるのだろうか?)
ルシファーは予感を感じて、バクウを見守ることにした。

酒が進みバクウはくつろいでいった。
皆、車座に座ってくつろいでいる。
周りの者達は賑やかに振る舞い、
陽気な雰囲気が辺りを満たしていた。
腹が満たされ、渇きが癒され、満足感を感じ始めた頃、
いきなり手拍子が始まり、楽器の音が鳴り響き始めた。
「さあ、ここからが宴の本番。
 どうか一時の夢をお楽しみあれ。」
仕切り役だろうか?男が音頭を取った。
影に隠れていた踊り子達が姿を現し、中央に陣取った。



3・踊り子

踊り子達は三人いた。
彼女達は胸当てをし、体が透ける薄いヴェールの様な
ふんわりとした衣をまとっていて、
頭からもヴェールが垂れていた。
彼女達はシャンシャンと両手に持った小さな楽器で、
拍子を取って滑らかに腰をくねらせながら踊り始めた。
それに合わせて笛の音が響く。
彼女達の動きははとてもしなやかで優美だ。
手の動き、腰の動き、足さばき、どれを取っても滑らかだ。
動きにつれてヴェールと衣が揺れ、
風に揺れる花びらを連想させた。

バクウは見とれていた。
酒を啜りながら踊り子達の動きを目で追う。
つい先刻まで砂の中で格闘していた彼にとって、
それは夢のような光景だった。

彼女達の踊りは時として繊細で、
時には躍動的に続いた。
踊り子達は三人でくるくると輪を描いて回ったかと思うと、
また隊列を組み替えて
両脇の二人がクロスするようにジャンプした。
ヴェールがふわふわと宙に舞い、
とても美しく幻想的だ。

観客達から、わ~っと魅了されたようなどよめきが起こる。
どこからか女性の声で「素敵~。」と囁く声も聞こえた。
バクウはまるで時間が止まったかのように眺めていた。
彼はいやらしい目で踊り子達を眺めて居た訳ではない。
女性らしい滑らかなラインを感嘆の目で見る事はあったが・・・
彼女達の無駄が無く滑らかで優美な動きに
心を奪われていたのだった。
隣の当主に酒を勧められ、
バクウはハッとして杯を差し出した。
そして当主と目を合わせて微笑んだ。
「素晴らしい!・・・。」とバクウは褒め称えた。
「そうでしょう。よくよく練習しておるのでしょう。」
と当主は返した。
そして、また二人は食い入るように踊り子達を眺め始めた。

踊り子達は踊りながら器用に小さな楽器を打ち鳴らした。
それは途絶えることなくリズムを刻み、
聞く者に心地よさを与えていた。
それに笛の音が絡み、華を添えていた。

踊り子達は三人とも美しい容姿をしていたが、
中央の女性はとりわけ美しい姿をしていた。
豊かな茶色い髪を揺らして、
白い整った顔に、星のように輝く目をしていた。

その頃部屋の隅で様子を見守っていたルシファーは、
慌ててバクウの傍に駆け寄った。興奮していた。
(バクウ!あの女の人だよ!あの実の女の人だよ!)

バクウは何故か惹き込まれるように中央の女性を見ていた。
彼女と一瞬目があった気がした。
(とても美しい人だ・・・)



4・魅惑のミラ

それからバクウは中央の女性ばかりに目が集中してしまい、
その動きを目で追っていた。
彼女の頬はうっすらと上気して薔薇色に染まっていた。
バクウはそんな自分が意外だった。
いつも母の事を考え、仕事を自分の中心に動いていた。
出会う女性は大方お得意さんの奥様であり、
そんなに女性に心惹かれることも無かったからだ。

踊り子達の舞は三十分位は続いただろうか、
中央に胸を寄せるように集まった踊り子達は、
柔らかく胸を仰け反らせてポーズを決めた。
それを受けて観客達は盛大な拍手を彼女等に送った。
ピュ-ピューと囃し立てる口笛も響いた。

踊り子達三人は胸に右手を当て、深深とお辞儀をしていた。
中央の女性が代表して挨拶をした。
「今晩は私達の踊りを楽しんで頂けましたでしょうか?
 皆様に楽しんで頂けましたならば、私達の汗が報われます。
 どうかこの後もごゆるりと楽しんでくださいませ。
 今宵はどうも有難うございました。」
涼やかに透き通る声で彼女は言った。
もう一度、惜しみない拍手が踊り子達に寄せられた。
彼女達は部屋の隅に引っ込んでいったが、
みな一様に彼女等の舞について興奮気味に語り合っていた。

ルシファーはバクウの耳元で囁いた。
(バクウ、あの女性と話さなくては駄目だ!
 あの女(ひと)は君の捜していた人なんだよ。
 だって、君はマサヒコなんだろう!?)
ルシファーはバクウの肩を揺さぶりたい程だったが、
それは無理な事だった。

バクウは当主と話していた。
「こんな素晴らしい舞は初めて拝見させて頂きました。
 今日は素晴らしい時間になりました。有難う御座います。」
当主は自慢気に語った。
「何か催し事がある度に彼女等を呼んでいるんです。
 素晴らしいでしょう?」
「ええ、とても・・・・・。」
「彼女等は砂漠の民なのですか?」バクウは聞いた。
「ああ、ルルドのオアシスに彼らの宿舎があると
 聞いている。」
ルルド、それはバクウの住んでいるオアシスから程近かった。

「是非、彼女とお話しをしてみたいのですが・・・。」
バクウは自分でもこんなにあっさりと大胆に、
こんな話しを切り出すことが不思議だった。
「そうか。君はどの女性と話してみたいのだね?
 君がそんな風に言うのは、ちょっと意外だがねえ。」
初老の当主に言われて、バクウは少し気恥ずかしかったが、
「中央で踊っていた女性です。」と答えた。
「ああ、彼女とは何度も会っているよ。
 確か名前はミラといった。
 ・・・いいだろう。私が彼女らの頭に話してあげよう。」
当主はそういってくれた。
バクウはホッとして、
「お願いします。こんな事を頼んですみません。」と答えた。
「バクウ君、商いの話しは明日で構わないから。
 ゆっくり彼女と楽しんでくるといい。」
当主はバクウに気遣いしてそんなことまで言ってくれた。
バクウはますます気恥ずかしくなってきた。
だけど、彼には自分を偽って後悔したくないという
気持ちが産まれていた。それは自分でも不思議な感情だった。

(ミラ・・・・)彼女の名を心の中で口ずさんでいた。
 


 

5・二人の境遇

それから、バクウは当主に客間で待っているように伝えられた。
その客間はこじんまりしていたが、調度品など落ち着きがあり、
バクウは自分には過ぎた部屋だと思った。
その部屋で彼はそわそわした気持ちで待っていた。
(三十分位、経ったろうか?)

ドアがノックされた。「はい。」
バクウがドアを開けるとミラが様子を伺う様に
そこに立っていた。
彼女は先程までとうって変わって
清楚な白いワンピースを着ていた。
真近で見る彼女は先程よりも、もっと美しかった。
バクウは「こんばんわ。」と言うのがやっとだった。
なかなか言葉が出てこない。
彼女は「こんばんわ。バクウさん。ミラと申します。」
と深くお辞儀をした。
「今日は呼んで下さって、有難う御座います。」と続けた。

「さあ、中へどうぞ。」バクウは遠慮気味に言った。
彼女は「お邪魔します。」と促されるまま部屋に入った。
バクウは急に緊張してきた。
彼女が美しすぎるからだ。
「どうぞ、そちらのスツールに掛けて下さい。」
バクウはそう言って、自分はベッドに腰掛けた。

「何をお話しすればよろしくて?」
彼女は腰掛けるとすぐに笑顔でそう言った。
「なに、たわいもない世間話でいいんです。
 あなた達の舞が素晴らしくて、
 ついお話しをしてみたくなったんですよ。」
バクウも精一杯の笑顔でそう言った。
小机の上のランタンが彼女の顔の輪郭を
くっきりと照らし出していた。
そしてその目の輝き・・・
バクウは照れくさくなってフッと目をそらしてしまった。
彼女は「褒めて頂いて、ありがとう。」とバクウに伝えた。

「どちらからおいでになったの?」とミラは聞いた。
「私はシエラの村に住んでいます。しがない行商人です。
 ミラさんはルルドに住んでいるとお聞きしました。」
「まあ、シエラ!私達隣のオアシスに住んでいるのね。
 でも、巡業の旅をしているから、余り帰らないけれど・・・。」
「まあ、僕も似たようなものです。
 母が家にいるので、もっと家にいてあげたいのだけど、
 何日も家を空けて・・・。
 荷物をラクダに積んで旅また旅です。」

それから二人の話は各地のオアシスの名物、
イベリアの首都ルアドの話、
出会った人達の話題になり、それは尽きることがなかった。
そして二人はすっかり打ち解けた。

「ミラさんは何故踊り子の仕事をするようになったのですか?」
バクウは聞いてみた。
「私・・・三年前に父を亡くして。それがきっかけでした。」
ミラは多くを語りたがらなかった。
バクウにはその理由に見当が付いた。
バクウも三年前に父を亡くしたからだ。
「そうですか。奇遇ですね。
 私も三年前に父を亡くしましてね。
 その後、この仕事をするようになりましたよ。」
「あなたも?・・・そう・・・・・あの、あの暴動で?」
ミラの肩は小刻みに震えているようだった。
「ええ、そうです。」
バクウは答え、二人に重い沈黙が流れた。
三年、それは身内の生々しい死の記憶を忘れ去るには、
まだ短すぎる時間だった。



haru
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