記憶の森 第二部

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10・散髪

母はよく肉を焼くと皿を出して盛り付けていた。
主食は小麦粉を焼いたパンのような物、ビスク。
「バクウ、テーブルの上にビスクがあるだろう。
 自分の分を出しておくれ。」
母のセロンは言う。
バクウは入れ物からビスクを取り出し、一口かじった。
少し塩が効いていて美味しい。
バクウは早朝に隣村を出た為、お腹が空いていたのだ。
「さあ、できたよ。おあがり~。」
母が焼けた鳥の肉を持ってきてくれた。
「ありがとう。いただきます。」
バクウが食べようとすると、
「お前、お祈りをしてから食べなきゃ駄目じゃないか。」
母が口を挟んだ。
バクウは黙って、両の手のひらを組んで祈りの言葉を口ずさんだ。
恵みに感謝す。と祈りの言葉が終わると、
バクウは早々に肉に食らいついていた。
母はしょうがなさそうに眺めて微笑んでいる。

鳥の肉はこんがり焼けて、とても香ばしく中はふっくらとしていた。
スープも啜る。豆と野菜の入った母の優しい味。
(やはり家はいい・・・)
母の作った味は旅先のどんな味よりも、バクウの舌に馴染んだ。
母は向かいに座ると、バクウの顔を見た。
バクウは仕事の為、真っ黒に日焼けしていた。
その黒い肌が明るいブルーの瞳をより際立たせていた。
精悍な印象で、バクウはなかなかのハンサムである。
亡くなった父親もよく似た瞳の色をしていた。
「バクウや、食事が終わったら散髪してあげよう。
 大事な人に会うんだろう?」
「うん。」
バクウは二枚目のビスクに手を伸ばしていた。

「母さん、ご馳走さま。」バクウは水端にお皿を漬けた。
「さあ、こっちに来てターバンを外してごらん。」
振り返ると母が鋏と麻のシートを持ち出して呼んでいる。
「うん。」
バクウは母から麻のシートを受け取るとそれを床に敷き、
椅子をその上に乗せて座った。
ワッカ状になったターバンを取って、砂よけの布も外した。
砂漠の民は皆、砂よけ兼日除けの布を被って肩下まで
垂らしていた。
それは砂漠の男の正装でもあった。
「ああ、伸びているね。」
母はそう言いながら、丁寧にバクウの黒髪を櫛で梳いた。
バクウは髪を梳かれると気持ち良くなり、眠気が襲ってきた。
母は少しずつ指先で摘みながら切っていく。
髪がパサパサと床に落ちていった。

ルシファーはそれを不思議な気持ちで眺めていた。
(ああ、ここを出発する時には、まだ僕にとっても母さんだったんだ。
 とても不思議な気分だ。
 ああ、僕はもう母さんに髪を撫でて貰うことも無いんだ。)
そう思うとルシファーは淋しくなった。
幼い頃、母のセロンに髪を撫でてもらった感触が蘇るようだった。
(僕はバクウや母さんに触れることもできないんだ・・・。)

母は丁寧にバクウの髪を眺め、切り忘れがないか調べていた。
バクウは頭をコックリしていたが、
ハッとして椅子に座り直した。
(旅の疲れが出たんだろう。でも、今日は大事な日なんだ。)
母は丁寧に肩やうなじに付いた髪を払ってくれた。
「さあ、いいようだね。見てごらん。」
母は鏡をバクウに差し出した。
バクウが鏡を見るとさっぱりした自分の髪が映った。
「母さん、ありがとう。」
「お前、私が起こしてあげるから、少し横になったらどうだい?
 まだ時間があるよ。」
母に促され「そうしようかな。」とバクウは返した。
「その間にお風呂を沸かしておいてあげるよ。」
「うん。母さん、頼む。」

バクウは自分の寝室に行った。
衣服を脱いで薄掛けを掛けて横になった。
よしずを降ろしたその部屋は暑さを余り感じず、心地良い。
バクウは間もなく深い眠りに落ちた。



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