刀剣春秋のコラム・考えるシリーズ

刀剣春秋コラム・考えるシリーズ

首実検について考える (刀剣春秋2013年5月号)

 

 来年度の大河ドラマ「軍師官兵衛」を第一回目の話題としたい。黒田孝高(如水)のことである。人物伝などは他書に譲るとして、ここでは孝高の最後の戦、石垣原合戦の首実検の様子を紹介したい。関ヶ原合戦の際、旧領の豊後国で蜂起した大友義統を討つべく孝高は、同国石垣原(別府)に出陣した。そして慶長五年(一六○○)九月十三日、先手井上九郎右衛門の兵だけで圧勝してしまう。主だった配下を失った義統は背後の立石古城に引き下がったが、まだ降伏はしていない。孝高は相対する実相寺山に本陣を据えた。

 翌日、孝高はその実相寺山で首実検を行った。まず、後藤又兵衛の家来・小栗次左衛門が「某が討取りました」と、大友軍の総大将吉弘加兵衛の兜首を自参した。孝高の周囲は家老や重臣たちが固めている。

 井上が言う。「吉弘が首なれば、拾い首であろう。拙者が馬上で渡り合い、槍の穂先を首に突き入れ、槍鎌を以て、右の頬先を傷付たものだ」

 慌てた小栗は「加兵衛が手負いで伏せっていましたので、難無く首を取りました」と訂正した。孝高は「では、槍付けは九郎右衛門。首は次左衛門が取った」と査定した。

 生捕の者が「昨日討たれた者の中に吉良伝右衛門様の首がございません。大剛の者なので逃げたとは考えられません。探して下さい」と言う。

 井上の家臣、大村六太夫が「その伝右衛門という者の顔はどのような特徴であったか?」と尋ねた。生捕の者は「皮膚病のような面体です。侍には見えないかもしれません」と答える。六太夫は「昨日拙者は兜付きの首を二つ取り申したが、その一つは余りに見苦しかったので首実検に出せまいと思い、藪の中に捨て申した」と言う。

 その場所を探させると、それらしき兜首が発見された。生捕の者はそれを見ると「間違いございません」と涙を流したという。

 黒田軍が討取った首数は五百四十三級といい、この内兜首が百六十七であったという。別府の西の野に兜付き首を上段、雑兵の首を下段二筋に掛け並べられた。

 後に里人が吉弘加兵衛の墓を建て、志ある士は馬より下り礼をなして通ったと伝えている。下馬の松が吉弘神社の裏に今もある。

 また、立石古城より武者一人が従者十人ばかりを召し連れ、小笹の葉に四手を付箱のようにした物を持って孝高の本陣を訪れた。兵士二人が出向いてみると、使者は「昨日の合戦でこちらが討取った久野次左衛門の首を自参いたしました」と置いて帰った。

 討死した次左衛門は黒田の重臣母里多兵衛の婿であった。この翌日の早天、大友義統は妹婿であるこの母里多兵衛を頼って降伏している。

 論功行賞を決めるのが首実検。小さな戦いだとその場で。大きな戦だと翌日行われる。実検の首は一つ一つ洗って木札を付ける。何がし討取、何がしの首と二行に書く。髷の左、入道なら耳に穴を開けて付ける。兜首は兜の緒は解かない。後から兜首に見せるための工作を防ぐためであった。余談であるが首が運べない鼻削ぎの場合は上唇までを削ぐ。これは女や子供のものでのごまかしを防ぐためであった。

 

 

馬と馬鎧について考える (刀剣春秋2013年6月号)

 

 私事ではあるが小生の住んでいる長野県長和町にはモンゴル馬を飼育している牧場がある。在来和種の木曽馬のように小さくてどっしりした体型である。数年前の大河ドラマ「風林火山」の合戦シーンや武田信玄の父が、甲斐国を去るシーンはこの牧場で撮影された。

 草原の向こうに無名の山々が幾重にも連なり、こうしたロケには最高で、「江」の撮影でも使用されている。ここの馬を使って当時の真の姿を再現するのかと思ったが、よく調教されたサラブレット(競争馬)が持ち込まれてサラリと撮影は済んでしまった。馬だけを昔の姿にしても現代人の体格が大きくなっているので、仕方のない事なのであろう。

 NHK、その他に甲冑を貸し出しているT商会(東京)で、本歌の鎧と現代作鎧とを並べて展示公開する機会があった。それは大人用と子供用を見ているほどの差があった。流鏑馬などで使用する鎧を作っている知り合いのS氏は、一・六倍の札で作ると語っていた。  

 なるほど、そうしないといくら甲冑を正確に再現しても現代人には着用できないのである。そうなるとモンゴル馬も木曽馬もアンバランスであろうか。あるいは西洋の農耕馬を使えばより当時の姿に近くなるかもしれない。筋骨隆々としていて顔もデカい。これはこれで勇ましい姿になると思うのだが、そこまでしようとする物好きはさすがに居ないだろう。先日、鳥取砂丘で観光客を大勢乗せて馬車を引く「ななちゃん」という馬に出会って、そんな事とかを考えてしまった。西洋甲冑が出て来る洋画でも馬はサラブレットである。福島県相馬の野馬追いも、農耕馬で出場する者はさすがに居ない。祭りの時に方々から馬をかき集めている様で、普段から慣れ親しんだ愛馬に乗ることさえ贅沢な時代になってしまった。ここでは紹介しないが、戦国武将たちが、いかに馬を大事に可愛がっていたかは、ちょっと調べればいくつか逸話が出てくる。黒沢映画「影武者」も馬だけが偽主人を見破ったというのがテーマだった。和式騎馬や甲冑騎馬で当時の姿を再現しようと試みる熱心なグループも存在しているので、もっと世に認可されて欲しいものである。

 ところで、馬に着せる馬鎧は古墳時代からあったらしい。鉄製の馬面が出土しているが、数も少なく実戦用というより儀式用であったものか。その後は全く使用された様子もなく、戦国時代末期に復活する。遺物としては桃山末期くらいからのものが残存しているが、革製の馬面と体を覆うカルタ状の四角い革を連ねた構成である。金箔押にしているものが多くほぼ同一規格である。筆者は宣教師や南蛮商人たちのもたらした西洋文物から影響を受けたと思っている。

 しかし、そういうものとあまり縁の無い、小田原北条氏の軍令書にも馬鎧の文字が出てくる。横浜市博物館に再現模型があるが、それは豊臣秀吉・徳川家康縁の遺品を模していて怪しい。馬具一式を馬鎧と称したのではなかろうか。とにかく謎だらけである。

 余談であるが、江戸期のもので犬鎧というのを見たことがある。馬鎧と同じく面と胴体部分で構成されていた。お犬様として有名な徳川綱吉時代の遺物であろうか。初めは悪戯品かと思ったが、犬鎧というのは西洋でも作られており、贋作とも言い切れない。こうやって紹介していると、やがてゲームやアニメにも動物鎧が登場するかもしれない()

 

 

兵力について考える (刀剣春秋2013年7月号)

 

 合戦記録の兵力や討取った首数。色々な本にもっともらしく書かれているが、これほど怪しいものはない。実は関ヶ原合戦ですら、東西両軍どれほどの軍勢が衝突したのか昔はハッキリしていなかった。戦没者の数は今でもわからない。それに鋭いメスを入れたのが陸軍参謀本部編纂の「日本戦史」である。明治~昭和初期に桶狭間~大阪陣までが刊行された。その後の歴史書はほぼこれを踏襲していると言って過言でない。

 同書は山崎役で一万石につき二百五十人。朝鮮役で一万石につき五百人。関ヶ原役で一万石につき三百人。という数値で算出されている。場合により本役・半役というのもある。断片的に残る一次資料と比較して大体これで一致する。 

 右のうち秀吉の朝鮮役の数値は無理強いに近い。島津義弘は一万人のところ五千人、毛利輝元も三万人のところ二万四千人しか集められず、秀吉から叱責を受けている。中には指定された人数以上で出兵した武将もいたが、大方は八割程度しか調達できなかった。それは文禄二年五月に石田三成が在鮮兵の実数を調査した文書で証明される。特に宗義智の五千人はとても無理な人員で、対馬島内の十五歳から五十四歳までの全人口でも足らず、浪人二百人を雇い、小西行長からも兵を借りて、それでも半数に満たなかったという。

 分からないのは以上の織田・豊臣・徳川から外れた局地戦である。武田信玄の合戦兵力などは講談的要素の入った「甲陽軍鑑」が出典なので、およそ信頼おけない。

 石高制でなく貫高制というのも厄介で、東国と西国の違いもある。だから戦国大名の兵力などは江戸期の石高から類推する場合が多い。兵農分離ができているか、できていないかでも違う。また、大名たちの家譜でさえ、裏の取れない局地戦などは、二~三倍に水増しされている。話半分ととらえた方が無難であるが、小説などではそのまま書かれているから要注意。講談も、もっともらしい端数まで書かれているが大抵は創作である。

 信長・秀吉の領国経営は古い既得権を全て廃して徹底的に領地を治めた。一方毛利氏などは同盟的な従属であったため、朝鮮役では兵が集められなかったのである。関ヶ原合戦後にあっさり領国の大部分を手放したのも、いずれまた天下動乱の際には切り従える事ができると考えていたからであろう。手本となった山陰の雄、尼子・大内両氏も同じであった。崩壊する時はあっという間である。

 各大名も江戸時代初期には万石クラスの同盟家臣を多く抱えており、いずれも直接領地支配を行っていた。それらを廃して大名の力を強くする過程で家騒動が多く勃発した。それも時代の流れである。これらを経て武士はどんどんサラリーマン化していった。参勤交代は軍事行軍のデモンストレーションでもあったが、これも臨時のバイトで人員を補っている。

  ところで「日本戦史」にも功罪はある。編者が軍人であるせいか、うがった見方をしてしまうらしい。桶狭間役の織田信長や、関ヶ原役の黒田長政に迂回ルートをさせて横から突いたとしている。資料の原本を読めば、どちらも正々堂々と正面突破をしているのが判明する。

 

文・本山一城 

 

 

 

 

 

 

kazzuki2005
作家:本山一城
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