弟の涙

これらは、政府が公開した軍事白書から知りえる情報であるが、この敷地内におけるCIAの秘密にされている施設、活動は公開されていない。CIA主導の糸島軍事基地が今後どのように機能していくかは、日本政府も把握できない。名目上は、日米安保条約に基づく、日本防衛力の促進を目的とするアメリカ軍事支援とマスメディアは報道した。さらに、全国の中学校長宛に優秀な生徒を送り込むように総理大臣からの依頼がなされた。

 

士官学校に生徒を送り込んだ中学校には、日本国防軍を担う幹部育成に貢献した実績として、一人につき100万円の特別補助金が政府から送られた。また、授業において、自由学習に国防論を取り入れた中学校は、模範中学校として全国から注目された。エリート主義を掲げる篠田教頭は、糸島中学から第一期生を送り込む策謀を立てていた。ターゲットにされた峰岸は、書類審査の一次試験を受験し、合格した。

 

この士官学校受験のことは、家族には黙っていた。まさか、合格するとは思っていなかったからだ。あくまでも、教頭の勧めで、断りきれず、受験したに過ぎなかった。この合格は、一気に全生徒に知れ渡った。職員室入り口横の広報掲示板に合格通知を貼り出し、さらに、担任の先生たちは峰岸の合格をホームルームの時間に知らしめた。峰岸は全生徒の注目の的となってしまった。教頭は二次試験も合格したかのように笑顔ではしゃぎまわっていた。

峰岸はこれからどうしていいかわからなくなっていた。峰岸は教頭に言われるままに受験したものの、合格を喜んでいいものか悩んでいた。確かに、もし二次試験も合格すれば、特別国家公務員として給料がもらえ、将来は幹部としての役職が約束される。だが、父親は軍人になることを認めてくれるか不安であった。峰岸も、自分が軍人としてやっていけるか、まったく自信が無かった。

 

書類審査では、成績、部活、授業態度、賞罰、家庭環境などが審査された。峰岸は剣道部に所属していたが、県大会でベスト8に2年のときに入った程度で、特別他の生徒に比べて秀でているところは無かった。成績も、平均3.7で特に優秀なほうではなかった。ただ、2年のときに“家族”というテーマの中学生弁論大会で優秀賞を受賞したことが唯一の自慢であった。峰岸は、なぜ、高倍率の超難関校に自分が合格したのか、信じられなかった。何かの、間違いではないかとさえ思ったりもした。

 

6月25日()、帰宅した峰岸は、すぐに夕食の準備に取りかかった。三年前に母親をなくしてからは、家事のほとんどをやっていた。弟二人と食事を済ますと二階の自室に駆け上がった。峰岸は小学校のころから日記をつけていた。宿題がどんなにたくさんあっても、日記を欠かしたことは無かった。日記には、家族のこと友達のことを事細かく書いた。日記を書いているときが一番楽しかった。学校でどんなに嫌なことがあっても、日記に書いてしまうと気分がすっきりした。日記帳にペンを走らせ始めると三島のことで頭がいっぱいになった。

今日は、はじめての出来事があった。三島から話しかけられたことだった。試験前は部活が無いため、早く帰って試験勉強をする予定だったが、校門を出たところで三島に声をかけられた。三島を含む男女数人で帰宅したことはあったが、三島と二人きりで帰宅したことは無かった。小学校のときから糸島練成館で一緒に稽古していたが、なぜか二人だけで帰宅したことは無かった。

 

峰岸は南部地区大会の試合についての話を持ちかけてくると思ったが、意外にも峰岸の士官学校一次合格の話であった。三島は峰岸の軍人志望がどうしても納得がいかなかったのだ。二人は並んでしばらく歩いていたが、三島が小さな声で口火を切った。「峰岸、お前、軍人になりたいのか?」三島は少し照れくさそうに話しかけた。峰岸はしばらく返事をしなかった。この件に関しては家族にも話していないことであり、士官学校に合格したことに戸惑っていたからだ。

 

士官学校は教頭の勧めで受験したものであり、合格するとは夢にも思っていなかった。今でも合格したことが信じられないでいた。峰岸は、なぜ教頭が士官学校の受験を勧めたのか改めて考え始めていた。勧められた当初は、そのことに関してはまったく考えても見なかった。というのも、まったく合格するはずが無いと思い込んでいたのと、合格すれば、特別国家公務員として給料がもらえ、幹部としてのすばらしい未来が待っていると、教頭が熱弁したからだった。

教頭から合格の通知を受けたときは、頭が真っ白になってしまった。合格という現実が峰岸の心に重くのしかかってきた。8月に二次試験を受験することになるが、もし、二次試験に合格すれば、軍人にならなければならなくなるのだ。峰岸は、軍人になりたいと思ったことは一度も無く、士官学校に通いたいと思ったことも無かった。晴天の霹靂とはこのようなことを言うのだと、ことわざの意味を心から理解した。

 

教頭が士官学校を勧めた理由には、特に心当たりは無かったが、もしかしたら、弁論大会で話した将来の夢が原因ではないかと秘かに思った。あのとき、「将来、定時制に通いながら、修行を積んで、父のような大工になるのが夢です」と話した。さらに、家族の経済的現状と父親の怪我のことも話した。家庭の経済的理由で働くことを余儀なくされている峰岸を思い、士官学校を勧めたのではないかと推察した。

 

峰岸の頭は混乱していた。教頭の話が本当であれば、特別国家公務員として約20万円もの給料がもらえる。軍人になるための試練を耐え抜けば、弟たちを進学させることができる。弟たちは、今は小学生だから進学のことは考えていないが、きっと、家庭が貧しければ進学をあきらめるに違いないと思えた。エリートになれる二度とないチャンスを逃すことは無いのではないか、弟たちのためにも軍人になるべきではないか、とささやくもう一人の自分がいた。

 

春日信彦
作家:春日信彦
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