芸術の監獄 ドミトリー・ショスタコーヴィチ(前編)

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(前編)

クラシック音楽が、優雅で取り澄ましていて、ちょっと退屈な音楽だと思って

いる人はショスタコーヴィチの作品を聴くとびっくりするだろう。特に交響曲。

展開するのは正統な交響曲の作りを踏襲しながらも、はるかに分かりやすく、華やかでピカピカな、いうなればポップな旋律の饗宴だ。

とにかくショスタコーヴィチの曲の主題は、「分かりやすく覚えやすい」。昼に

彼の交響曲を聴けば、夜にはお風呂のなかで歌えるだろう。テンポのゆっくりな主題もあれば、ダイナミックで、打楽器がばんばん響く主題もあるから、その日の気分で浴槽のなかでうなりましょう。楽器の弾ける人は、幸せです。「交響曲第7番」の一番最初の旋律なんて、フルートで弾くとこの上なく優雅な思いに浸れます。金管楽器が専門の人は、きっと「交響曲第8番」の第3楽章を

思う存分吹いてみたいだろう。実際、この第3楽章のトランペットソロは、ポップで耳なじみがよいのに、えもいわれぬ皮肉さをたたえる、ショスタコーヴィチでないと作り出せない世界を象徴している。


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これほどすらすらと耳なじみのよい華やかな旋律が奏でられているのに、なぜ私はショスタコーヴィチを聴いて幸福感が得られないのだろう。

 

彼の楽曲は、シューベルトやモーツァルトに比べると、格段に重い。「重い」とは旋律が複雑だとか(いや、まあ複雑な曲もあるのだが)、テンポが重厚だとかではない。聴く者に感じさせる世界が「激情」や「激動」を暗示しているのだ。さらに言うと、人間にのしかかる不幸や災厄をはっきりと描き出している旋律もあって、困ったことに暗い旋律までもがポップで派手派手しいものだから、聴き手は「なんと恐ろしい」と思いつつも音楽に心を奪われて、「ああ、この音楽はどこに行ってしまうのだ」と戦慄しているうちに、曲がフィナーレになる。

「ショスタコーヴィチはにこりともせずに体を伸ばして、いつまでも止まない拍手に頭を下げなければならなかった。コンサートが終わったら終わったで、長身で厳しい顔をした若い作曲家は、歓喜で気が変になった聴衆のためにまるで絞首台に上がるかのように舞台に上がっていった。」(彫刻家、イリヤ・スローニムの言葉。「わが父ショスタコーヴィチ」音楽之友社刊より引用)


歓喜とは、もちろん「素晴らしい音楽が聴けた」喜びなのだろうが、私は「スリルや激動や不穏な情感あふれる世界から無事に帰ってきた歓喜」なのかもしれないと、少し疑っているのだ。そう、ジェットコースターに乗って、一回り怖い目を見て、乗り物がゴールに着いた乗客が味わうような嬉しさ。かと言ってショスタコーヴィチの音楽が不快なものかというと、断じてそうではないのだ。怒りから皮肉さへ、激しさから喜びへ、一連の流れは、繰り返しになるが華やかで決して忘れられないものだ。不穏で怖いけれども、魅惑に溢れて、ぼーっとなってしまう、その痙攣的な音の連なり。

 

作曲家は「人の心を揺り動かす旋律」が作れなければ、廃業するしかないだろう。ショスタコーヴィチは、「心を揺り動かす」どころではなく、「歓喜で気が変に」させる楽曲をいくつもいくつも書けたのだから、その才能たるや凄まじい。彼ほどの芸術家ならもっと神格化されたり、伝説化されたりしてもおかしくはないと思うほどだが、ご存じの通りそうはならなかった。

そしてその理由も、たいていの方は承知している。「ソビエト体制の御用作曲家」、「共産主義の芸術的広告塔」と、ある時期まで根強く揶揄されていたためだ。その見方は誤りではないが(ソビエト連邦は彼に「レーニン勲章」や作曲家同盟議長の地位を与えていた)、内実はもっと複雑で、作曲家にとってはもっとストレスフルな、共産党体制の権力闘争が吹き荒れる場所だった。闘争から逃げるには、ショスタコーヴィチは有名になりすぎていた。次回はこの希有な作曲家と、「ソビエト連邦」が彼に背負わせたもの(その中には「名誉」も

あれば「罵詈雑言」もあるのだ)について述べたい。

(続く)



深良マユミ
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