ショートボブの美女

見えない心

 

 アンナのお腹にはアンナの分身が誕生していた。分身の誕生がアンナ、さやか、亜紀たちの毎日の話題となっていた。さやかとアンナは甘党茶屋を開店していたが、月曜日は定休日としていた。平原遺跡公園の桜の花見に出かけた三人は、もっとも大きな桜の木の下にミッキーのシートを敷くと朝早くに起きて作ったお弁当を広げた。そこには鮭おにぎり、明太子おにぎり、こぶおにぎり、卵焼き、出し巻き、から揚げ、ズワイガニ、車えび、など亜紀の好物が並べられた。

 

 アンナは鮭おにぎりを大きな口で一口食べると笑顔でつぶやいた。「馬鹿な拓也、入院なんかしちゃって、今頃、何やっているのやら?」さやかもあきれた顔で相槌を打った。「まったく、何を考えているのやら、花見もせずに部屋に篭っているなんて、もったいない。いつ退院するのかしらね?」さやかは明太子おにぎりと出し巻きを小皿に取り、亜紀に手渡した。笑顔で受け取った亜紀は素手で出し巻きをついかむと口に押し込んだ。

 

 亜紀は口をもぐもぐさせながら話しはじめた。「パパって、どんな病気なの?」アンナはそ知らぬ顔をしていたが、適当に答えた。「病気じゃなくて、家出じゃない、あんなに元気だったんだから」アンナは勝手に入院した拓也にムカついていた。亜紀はきょとんとした顔で返事した。「そうなの、家出なの。亜紀のこと、嫌いなになったのかな~」亜紀の手からおにぎりがポロリと落ちた。

 

 さやかはアンナをにらみつけると亜紀の肩に手をやった。「今言ったことは、冗談よ。パパは亜紀ちゃんのことが大好きよ。いつも、お見舞いに行ったら亜紀ちゃんが元気か、聞いてくるのよ。早く退院して亜紀ちゃんと遊びたいって言っていたわ」さやかはアンナの無神経さにあきれた。亜紀は笑顔を取り戻すと訊ねた。「いつ退院するの?」さやかは少し困った顔をしたが笑顔で答えた。「きっと、あと、一週間もすれば帰ってくるんじゃない。それまで、三人で頑張らなくっちゃね」さやかは亜紀の肩をポンと叩いた。

 

 笑顔を取り戻した亜紀は鮭おにぎりを小さな口に押し込んだ。「亜紀ちゃん、喉につかえちゃうわよ」さやかは水筒のお茶を紙コップに注ぐと亜紀に手渡した。お茶を一口飲んだ亜紀は大きな声で話した。「入学式はパパと一緒ね。ママ、よかったね」亜紀はアンナの顔をのぞいた。アンナは満面の笑みを作ると返事した。「当然よ!入学式が待ち遠しいわ。そうだ、服を新調しなくっちゃ。思いっきり、おしゃれしてやるぞ~」アンナはガッツポーズを見せて二人を笑わせた。

 

 拓也が入院して10日が経っていた。アンナは検査入院ということで安心していたが、日が経つにつれ不安になっていた。「そうだ、花見が終わったら、拓也の見舞いに行きましょう。ぜんざいを持っていったら跳んで喜ぶんじゃない」アンナは二人に声をかけた。「やったー、いく、いく、早く行きたい。さやかおね~ちゃんも行きたいでしょ」亜紀は今すぐにでも行きたいそぶりをした。

 

 さやかも笑顔を作り、大きく頷いた。「早速、ぜんざいを作らなくっちゃね。花見はお開きにして、もう、片付けようか?アンナ」さやかは亜紀の気持ちを汲んでアンナに同意を求めた。立ち上がった亜紀を見てアンナはお弁当を片付け始めた。三人は自宅に戻るとアンナとさやかはキッチンでぜんざいを作り始めた。亜紀は毎日折っていた鶴を袋に入れて、パパへのお手紙を書き始めた。

 

 アンナはやわらかい白玉団子を入れたぜんざいをタッパーウェアに入れ、それをアルミホイルで包んだ。「準備オッケー!さあ、出発しましょう」アンナは亜紀に準備を促した。さやかは亜細亜タクシーをすでに呼んでいた。タクシーが到着すると三人は安部医科大学付属病院に向かった。3時過ぎに到着した三人は担当医に面会の承諾を得るとエレベーターで515号室に向かった。三人が515号室のドアの前に10秒ほど立っていると、ドアが静かに開いた。

 

 亜紀が先頭に三人はそっと部屋の中に入っていった。アンナは声をかけた。「拓也、元気!」亜紀も声をかけた。「パパ、お見舞いに来たよ」さやかはきょろきょろと部屋を見渡した。拓也はベッドで横になっていた。声を聞いた拓也は元気よく答えた。「ハ~イ、元気で~す」拓也はベッドから飛び出すとドアに向かって駆けていった。アンナは元気な拓也を見てムカついた。「元気じゃない、いつまで、入院してんのよ。さっさと退院しなさい。みんな、心配しているんだから」アンナは目を吊り上げていた。

 拓也は突然怒られて、しょんぼりしてしまった。さやかはアンナの気持ちを察したが、あまりにもきつい言い方に驚いてしまった。「アンナ、拓也はから元気なのよ。拓也、検査はどうだったの?何も異常なかったの?」さやかは拓也をかばうように声をかけた。「ごめん、ごめん、問題なかったよ。もっと早く退院できたんだけど、カウンセリングを受けていたんだ。明日にでも退院できるよ。心配かけたね。アンナ」拓也はアンナの気持ちを落ちつかせようと嘘をついた。

 

 アンナは少し笑顔を見せるとテーブルに向かって歩き出した。さやか、亜紀,拓也たちもアンナの後について歩き出した。テーブルにタッパーウェアを入れた袋を置くと拓也に訊ねた。「拓也、この袋の中に何が入っているでしょう?ヒント、拓也の大好物です」アンナは笑顔で拓也の目の前に差し出した。拓也はしばらく考え、手をポンと叩き、答えた。「はい、僕の大好物ですね。それは、ぜんざい、じゃないかな?」拓也はアンナの顔をのぞいた。

 

 亜紀の大きな声がした。「ぜんざい!あたり~~、開けて、開けて、早く~」亜紀は拓也の手を引っ張った。拓也は袋の中のアルミホイルに包まれた丸い容器を取り出し、笑顔でアルミホイルを開き始めた。タッパーウェアのふたを開けると大きな声で叫んだ。「ありがとう、今、一番食べたかったんだ。早速、いただくよ」拓也は棚からスープ用のカップを取り出し、スプーンを使ってこぼさないようにゆっくり流し込んだ。

 

春日信彦
作家:春日信彦
ショートボブの美女
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