芸術の監獄 イントロダクション

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イントロダクション

「存在するものに関する多くのことを人間は自由に処理することができない。わずかなことが認識されるにすぎないのである。」ハイデッガー「芸術作品の根源」

(訳:関口浩)

 

出だしの文が他人の著作の文章というのは、怠慢のお叱りを受けそうだと自分でも考えたのだが、この本におけるハイデッガーの、「芸術」と「芸術家」と「芸術作品」の定義は私にとって大変納得できるものだったので(そして衝撃的なものでもあった)、言及しつつ、私自身の著作の狙いを紹介したい。

 

ハイデッガーは、一見誰でも分かるような事柄から丁寧に丁寧に「実はあなたはわかっていないのですよ」と、悟らせてくれる名人である。「芸術とは何であるかということは、作品から取り出されるべきである。作品とは何であるかということを、われわれはただ芸術の本質からのみ経験することができる。誰もが容易に気づくことだが、われわれは堂々巡りをしている。」という具合に。

 

そう、つまり、芸術とは何なのか、誰も本当は知らないのだ。謎の領域。未知との遭遇。おまけにこの国では、「芸術」と「芸術作品」とをごっちゃにして使っている人が多いから(「イチローの守備は芸術ですねー」といった具合に)、なおさら漠然としてしまう。

 

「芸術」とは技術で、「芸術作品」とは技術を用いて創作した結果の「かたち」である。この「かたち」は、質量があるもののことではない。(演劇作品や舞踊作品に質量はない)「かたち」には約束ごとがある。それを鑑賞、享受する者に「美しい」と思わせなければならない、という約束ごと。以上が、長年小説を書いてきた私のたどりついた考えである。しかし、真理を求める哲学者さんはやることが違うのだ。

 

ハイデッガーはやはり説明好きだなあ、と私が思うのは「美とは何か」を述べる代わりに、芸術作品が「もの」であるかという問いから出発して、「もの」がある場としての世界を説明している点である。

「世界は、われわれの前に立っていて直観されうるような何らかの対象ではけっしてない。世界はいつも非対称的なものであるが、誕生と死、祝福と神罰の軌道が、われわれが存在の内へと連れ去られるのをそのままにしておく限り、われわれはこの世界の支配下にある。」

 

読むのがしんどくなってくる文章だが、つまり、「世界というのはね、「自分はこういうものだ」とは言ってくれないんだよ。それに、人間は世界に縛り付けられているしかないんだよ」ということである。本当だとしたら救いのない話だ。だが、人間はそんな「世界」に、あるものを「祝祭的に立てる」ことによって対抗している。その、あるものが「作品」なのだとハイデッガーは論破する。

 

芸術作品をつくることが「世界への対抗」という概念に私はびっくりしたが、次の瞬間深く納得した。というのは、芸術家が作る作品はすべて、「天然」=世界の上に存在する「美」の再生産か、再構築したものだからである。風景画がそうである。枯山水の庭がそうである。

 

一時期の谷崎も書いていた。「然して最も尊き芸術品は実に人間の肉体自身なり。」(「金色の死」中公文庫)そう考えると、芸術家は実に無駄なことをやっている、とも言える。彼の仕事は、「天然」という本家本元がある限り「再生産」か「複製」か「模倣したもの」という位置づけを免れない。それでも画家が花の絵を描き、建築家が製図を書き、写真家がシャッターを押すのはひとえに、世界に反抗、対抗するためなのだ。

 

芸術家が「天然」=世界の美をうわまわることを望んでいるのは確かなことだ。彼は世界に縛り付けられているが、それ故に反抗せずにいられない。だが彼は本当は幸せなのである。「作品」を生み出す力があるというだけでしみじみと幸福を感じられるし、「天然」の美をどのように再構築するか、「世界」を相手に回しながらもその「世界」の美を享受することが楽しいのである。だが、人間は「世界の支配下にある」この文の重々しさは、時に彼の心を真っ黒にする。

 

私が語りたいのは、「美」の構築のために心血を注ぎ、ある時は絶望しながらも一途に「作品」を「祝祭的に立てた」芸術家たちである。彼らは自分を誇りに思っていた一方で、「なんでこんなことをやり続けているんだろう」とため息をついたかもしれない。彼らは自分を、何かに魅入られた存在だと見なしていたかもしれない。それにとらわれて身動きができないのだと。だから「芸術の監獄」と題を付けた。

 

登場する作家、画家、哲学者、音楽家は14名。大半は誰もが知っているメジャーな存在だが、なかには「え? 誰?」と思うような人物もいるのでご期待を。

1回につき1人について述べるが前編後編に分けることもあり得ます。小説家については、1作品を例にとり、その作品世界の魅力と、作者のゆがみっぷり(!)に迫ります。

 

芸術に関する評論でありながら、芸術作品として自立させることが可能か、私の挑戦はこれからです。

 

*次回は「谷崎潤一郎」です。

深良マユミ
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