「河面に写る姿はもっときれいだよ」
五所川原から出る津軽平野を縦断する津軽鉄道で、となりにすわったお ばあさんが聞き取りにくい津軽弁で教えてくれた。
平野にすきっと背を伸ばした岩木山はそれだけでも美しいが、河面に写 る姿は逆さ富士といって絶品だ。
二十五年前の社会人となった年、学生時代から好きだった太宰 治の生家を見たくて計画した一人旅だった。
泊るところも決めずに飛び出してきた旅は青森駅近くの、壁に穴のあい た六畳のさびれた部屋で、驚くほど近くに聞こえる寂廖感が背中をつき 抜けるような霧笛を寝床で聞くところから始まる。
生家がある津軽金木町では青森や弘前の有名なお祭りの山車に良く 似た車をかついでいる男たちの顔は、その作家を連想させる彫りのい 顔立ちでどきっとさせられた。
古くからの血のつながり?
不思議な感覚に襲われたものだ。
竜飛岬では売店でたむろしていた女子高校生たちが、私が一休みしよう と彼女たちが座っているベンチに近づくと蜘蛛の子をちらすように見事に「ぱっと」散っていった。
すれていない?(※いまや死語)と一言でいってしまえばそうなのだが、大人としては排除すべき青い感受性や羞恥心などを懐かし く思い出させてくれた。
「選ばれし者としての恍惚と不安と我にあり」
太宰治が作品中で言っている言葉だが、若い頃、誰もが少なからず持っている過剰気味の自意識や微細な不安 感など木端微塵にくだいてしまうような社会という強固なものに社会に出て間もない自分は相当に強い反感 を抱いていた。
自分にとっては津軽の一人旅は若い感受性や優しさをいつまで も持ち続けたい。
という強い思いを意識した旅だった。
※2013.2.17追記、その他一部修正