だから僕は此処にいる

第一章「11月13日午前7時」( 1 / 5 )

 起き出したくない朝もある。

 前日に夜更かしをしていた為に眠気で起きたくない時もある。嫌な予定が入っていて気が滅入って起きたくない時もある。なんだか気分の優れない時もあるし、体調が悪い時もある。
 天神祐介は、起床を促す目覚まし時計の音を遮るようにスイッチを切った。
 布団から起きあがるとカーテンを開ける。築30年の祐介の自宅同様にカーテンレールも歴史の積み重ねを感じさせる。そしてその時代の流れを実感させるかの様にカーテンはホックを幾つか落とし窓枠に垂れ下がった。
 机の上を見ると壁のコルクボードから写真が落ちているのが散見された。コルクボードに欠けた空間、そして写真の裏に書かれた日付、考えるまでもなく、その写真がなんなのかは分かる。
「おいおい、出来すぎだろ」
 祐介は力無く呟くと、その写真を机の中に放り込み、襖を開け階下に向かった。

第一章「11月13日午前7時」( 3 / 5 )

居間では天神家の平常運転が展開されていた。
 母は、カルチャースクールの予定を叫び、妹は靴下がないと喚く。テレビは天気予報と交通情報を伝え、猫は走ってリモコンを踏み芸能ニュースに番組を切り替えアイドルの離婚騒動を声高に告げる。そんなケンケンガクガクとした食卓で、父は黙ってお茶を飲む。
 挨拶をしながら、食卓に座ると、テレビは星占いを告げてた。祐介の星座は射手座である。味噌汁を流し込みながら、見るともなしに画面を眺めているとランクは6位、ラッキースポットはロカ岬だった。煮えきらない運勢の上に行き先は不明である。
 卵ご飯の最後の一口を掻き込むと、祐介は台所に置いてあった青いお弁当箱の包みを取ると自分の部屋に戻り、通学鞄に詰めた。
 相変わらずコルクボードは一枚写真が欠けている。その光景に再びため息を吐くと、祐介は家を出た。

 通学路には、見知った顔が蠢いている。いつも通りのその光景に、安堵感と憂鬱さを覚えながら祐介は、声をかけた。
「おはよう」
「おはよ。誰かと思えば天神か。やっぱり生きてたか。喪服と数珠を用意しておいたのに」
 不適にほくそ笑むのは蠢く顔見知り一号、朝永和人である。
「なんだよー、死んでろよー。昨日のお前の勢いだったら俺たちは合法的に楽しく一日狩り出来たのに~」
 不穏当な発言を漏らすのは蠢く顔見知り二号、江崎雄一郎。電脳世界の狩人である。
「黙れ、一号、二号。お前らに人間の心は無いのか」
「おわっ、天神が生きてる。歩く死人か」
 不躾な発言は蠢く顔見知り三号、南部有香である。
「人の顔をした冷血動物どもめ、ここは失われた世界か!」
 祐介は憤りを新たにし三人に向き直った。
「あ、天神君だ。おはよ~。昨日の告白する以前の自爆は最高だったよ~」
「天神か。昨日は死にそうな顔してたな、ほらアレだ。青春にほろ苦い失敗は付き物だから。まあ諦めろ」
「おはよう。天神君。昨日はご苦労様。気を落とさずにガンバレ」
 クラスメート達が、祐介の背中に声をかけていく。
「いや~、傷口に塩どころか硫酸を塗り込むような人々ばかりですなぁ」
「おい、江崎、硫酸は言い過ぎだ。苛性ソーダぐらいにしとけ」
「朝永もエゲツない。傷口を再切開に・・・・・・」
「お前等全員が、人でなし、って事は、良く分かったよ」
 そんなこんなで、猫型の入道雲の下、緩い坂道を登る。朝の日差しの中、児童公園を越えれば、そこは校門だった。
 正門左手側のグラウンドでは野球部が朝練をしており、その脇には駐輪場がある。そしてそこには、朝から祐介を憂鬱にしている元凶がいた。
「おお、氷の女王のご光臨だ」
 江崎が茶化すように呟く。朝永が笑う。祐介は気まずい思いを抱いた。
「おはよう」
 何の感情も感じられない朝の挨拶が交わされる。祐介は全ての禍因、憂鬱の源流、九路崎陽子を見た。
 祐介には負の感情がある。目の前の少女を目にした瞬間から憂鬱は、責め苦に姿を変えた。
 しかしそこまで苦悩を胸に秘めても九路崎陽子の凛とした姿は、祐介の心を蕩ろかすに充分だった。
 陽光が滴ったかの様に艶やかな長い黒髪、理知的で冷ややかな瞳、顔の造形は減点方式で採点しても満点を下らないだろう。細すぎず伸びやかな四肢。余人が纏えば画一化されてしまう制服も、彼女の着こなしならば魅力、と言うより次世代の大量殺戮兵器となりうる。
 爽やかな芳香を残し昇降口へ向かう陽子の後ろ姿を見送り、祐介は憂鬱さを新たにした。
副墨亭
作家:三浦 NSX
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